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『Re:start 〜全身の60%に火傷を負った私〜』著者・森亜美氏|交通事故で全身火傷…。障害が残ったからこそ伝えたい本当に大切なこと
2016年1月13日、一人の女性の人生を一変させた出来事が起こりました。「Re:start 〜全身の60%に火傷を負った私〜」著者の森亜美さんは、交通事故により全身の60%に火傷を負い、その日を境に大きな障害を抱えながら生活を送ることになりました。 今回刊行された著書には事故後、奇跡的に意識が戻ってからの苦しみとの戦い、長い治療と回復への軌跡、再び前を向いて歩き出せるまでに至った想い、そして障害とともに暮らす方法などが書き記されています。数々の困難を乗り越えて取り戻した日常を、三人の母として、そして一人の女性として力強く生きる森さんにお話を伺いました。
同じような苦しみを持つ人の励みになったら
――「Re:start 〜全身の60%に火傷を負った私〜」を執筆された理由からお聞かせください。
交通事故に遭ってこのような状況になってしまったことを、多くの人に知ってほしいと思ったことが一番の理由です。
本にも書かせていただきましたが、過去に一度テレビの取材を受ける機会がありました。その時にご一緒した方にも「本を出してみたい」というような話をしたことがありまして。当時は本なんてどうやって書いたらいいか分からなかったんですけどね。
――テレビにご出演されて何か変化はありましたか?
最初は誹謗中傷などもくるのかなと思っていたんです。でも実際は応援のコメントをたくさんいただけて、本当にうれしかったし、また頑張ろうと思えるようになりました。それで私と同じように怪我をしたり病気で悩んでいる方を励ますことができる存在になれたらいいなと考えるようになりました。
――母親としての想いもたくさん書かれていましたね。
私と同じように病気や怪我で悩んでいる方ももちろんですが、お子さんを持つお母様たちにもぜひ読んでいただけるとうれしいです。
人生が変わった瞬間と長く苦しい日々
――改めて事故の状況や当時の怪我の状態について教えてください。
交通事故に遭ったのは2016年の1月です。車同士がぶつかる瞬間はまったく覚えておらず、目が覚めたのは3週間後でした。最初は「ここはどこだろう」と思いました。痛みは感じなかったんですが、なぜか体が動かないという状況でした。
周りで看護師さんがバタバタと通りすぎるのが見えて、どうやら病院にいるらしいということはわかったのですが、自分は一体どうしたんだろうと不思議でしたね。その後、何が起こったのか看護師さんから知らされることになりました。
――事故に遭ったことを知らされてどのようなことを思いましたか。
事故の映像も見せてもらったのですが、ショックで声も出ませんでした。後部座席に娘も乗っていたのですが、車が炎上する前に救出していただけたんです。娘が無事だと知って本当に良かったと思いました。
――それから長く辛い入院生活が続き、外出ができるようになるまではどのくらいを要したのですか。
最初に外に出たのは、退院してから3、4ヶ月後くらいでしょうか。夜なら暗くて人目も気にならないだろうと主人に散歩に誘われました。顔にもひどい火傷を負っていたので、帽子を被ったりマスクをつけたりしながら外出してみましたが、顔を上げることはできませんでしたね。他の人からどう見られているのか、そればかりが気になってしまってすごくソワソワしていました。外出できるうれしさよりは、怖さの方が大きかったです。やっぱり人の目が一番怖かったですね。
――その後2018年に事故の加害者に対して判決が下されました。判決内容についてどう感じましたか。
刑期がたったの3年10ヶ月、というのが正直なところです。誰も亡くなってはいませんが、一生治らないような大きな障害を2人に負わせておいて、本人は骨折しただけ。3年の刑期が済んだらまた普通に暮らせると思うと本当にやりきれない気持ちでした。
加害者が今どこにいるのか、何をしているのかもまったく分かりませんが、もしも会ったなら自分がどれだけのことをしたのか分かっていますか、と聞いてみたいですね。同じようなことは絶対にしてほしくないですから。
自分でできることを増やしたいと奮起
――不自由な体でありながら、さまざまなことに挑戦している様子が書かれていて、とても感動しました。このように前向きに頑張れたのはなぜでしょうか。
私一人ではない、家族がいるんだと思えたからでしょうか。なにより子どもの存在が大きくて、親としてできることはやってあげたいという思いが強かったですね。もちろん人に手伝ってもらうことも多かったですが、自分でやれることは自分でやりたい。昨日できなかったことも工夫次第でできるようになる、という積み重ねで今があるんだと思います。
――工夫と言いますとどのようなことですか。
私は火傷の後遺症によって両手の指を失うことになったので、例えば洗濯物を干すことも難しくなってしまいました。最初は洗濯バサミを開くこともできなくて、それでも何とかして自力でできる方法はないかと考えていました。すると私にも使えそうな便利なものが売っていたんです。そういうものを探して自分で扱えるものに変えたりしながら、色々とできるようになっていきました。
――確かに森さんならではの工夫ですね!逆にいまだにできないことはありますか。
そう聞かれるとパッとは思い浮かばないですが…。ゴミ袋を結ぶとか雑巾を絞るとかですかね。でもそれって一人でいる時にやらなくてもそこまで困ることではないですよね。掃除機などもそのままでは使えない場合は、使えるように改造したりして工夫して生活をしています。だから一人でいる時にできなくて困ることはほとんどないかもしれません。
失ったものをカバーするさまざまな方法
――過去にご出演された番組も拝見しましたが、福祉用具プラザの方が一緒になってできることを考えているのが印象的でした。
そうなんです。私が「こういうことをしたい」と伝えると、できる方法をいろいろと考えて下さって親身になってアドバイスしてくれました。
不自由な手でも使える専用の包丁も作ってもらったんです。最初はなかなか上手く使えなかったんですが、何度も改良してもらって一番いい状態にしてもらいました。今もそれを使って料理しています。
作ってくださった道具は本当に私だけのものなんですよね。それも特別な感じがしてうれしいです。
――顔の火傷痕をカバーする工夫もいろいろとされているようですね。
メイクは自分で調べながら私の肌の状態でも使える市販のグッズでやっています。蓋が開けやすいものを選んだり、私でも使えそうな筆を探したり。中には買ってみて使えなかったというものもありましたが、いろいろ試しながらメイクをしています。
眉のアートメイクもしています。火傷で眉毛が生えてこなくなってしまったのですが、眉毛がないと顔ってこんなにも変わるんだと眉毛の大事さを実感しました。これをしてから、自信のようなものを取り戻した気がします。怪我などで眉毛が生えてこなくなった方にも本当におすすめですね。
――人工耳というものがあることにも驚きました。
耳も火傷で失ってしまって、機能的には聞こえるんですが、マスクを着けるのにないと不便だったんです。それで病院から紹介していただいたのが、乳がん患者さん用の人工乳房を作っている会社さんでした。
人工耳は接着剤で付けることができるんですが、本当にリアルで。私の肌に合わせて細かく色を調整してくれて、出来上がった時は本当にうれしかったですね。
事故によって気づかされた命と人の大切さ
――ご著書の中では、事故によって失ったものも多いが得たものもある、と書かれていました。得たものとはどのようなものでしょうか。
命の大切さと周りの人の大切さに気づかされたことです。家族や友達が周りにたくさんいてくれたから頑張ろうと思えました。私一人ではここまで立ち直ることはできなかったと思います。
子どもたちは何も言わなくても手伝ってくれたり、気遣ってくれますし、本当に助かっていますね。
――周りの人にかけてもらった言葉で印象的なものがあれば教えてください。
「見た目が変わってしまっても亜美は亜美だよ」と言ってくれた友達がいて、その言葉はとても心に響きました。自分は変わっていない、見た目は変わっても中身は変わっていない。自分でもそう思えるようになりました。
――森さんがこれから叶えたい夢や展望があったらお聞かせください。
人との繋がりを大切にしながら、人の役に立てるような仕事をするのが今の夢です。
事故の怖さや火傷による経験などを伝えられる場所がありましたら、積極的にお話をしていきたいと思っています。それとやっぱりメイクが好きなので、いずれは資格を取ってメディカルメイクをやってみたいですね。
――メディカルメイクとはどういったものですか?
生まれつきのあざや病気や怪我による傷痕などを隠すためのメイク方法です。メイクは自信にもつながりますし、私と同じような境遇で悩んでいる方の力になりたいと思っています。
――それでは最後に、読者の方や病気や怪我などで苦しんでいる方に向けてメッセージをお願いします。
なかなか人にも会いづらいと思いますが、無理をしすぎず周りの人にも頼りながら、自分のタイミングで楽しめることを見つけてほしいなと思います。
私も本当に死んでしまいたいと思うこともありました。でも家族や周りの人がいるからここまでやってこれたし、頑張っていれば絶対にいいこともあると思います。希望をなくさず楽しく生きていきましょうね。