• 『彼女とあの娘と女友達(あいつ)と俺と: 海辺の彼女編』

  • 松代守弘
    現代文学

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    薄ぼんやりした日々をダラダラと過ごす『俺』の出逢った『海辺の彼女』は、犬を飼う美しい人妻。彼女と重ねるエロティックな逢瀬、そして食事や小旅行で共有する居心地のいい時間を切り取った短編集。

第1話 海辺の彼女とサザエのつぼ焼き

 電車を乗り継いで海辺の町へたどり着いたはずだったが、駅前のロータリーは旧友が療養生活を送った高原の町とほとんど同じ作りで、しばしあっけにとられてしまう。なにしろ、サビまみれの『非核平和都市宣言』看板までそっくりなのだ、風がかすかにふくむ潮の香りがなかったら、あわてて改札へ引き返したかもしれない。
 同じ便で降りた乗客たちがバスや迎えの車へ吸い込まれた後で周囲を見回しても人の気配はない。携帯を確認したが、着信もメッセもない。タイムラインを確認しようかと思ったら、こういうときに限って電波を拾いそこねたか、リロードもできない。
 初めて会う人への期待感は精を放った後の男根よりも早くしぼみ、不動産屋とコンビニと牛丼屋のうなだれたのぼりが、俺を憂鬱な諦観へと誘っていく。
 ただ、いつもの様にカメラは持参していたので、気持ちさえ切り替えられればなんとかなる。ぶらぶらと散歩しながら、あてもなく写真を撮る楽しみは、見知らぬ土地であればこそ。なにも、初めて会う人をいきなり撮りたいわけではない。
 というわけで、逢えなくても写真の楽しみは失われていないのだから、全くの無駄足というわけでもない。まだ昼前だし、散歩する前に飯でも食うかと歩き出したら、未練たらしく掌で弄んでいたままの端末が震え始めた。
 よかった、待ち人からの着信だ。動画チャットと変わらず華やいだ声の彼女は、挨拶もそこそこに新たな待ち合わせ場所をてきぱきと指示し、シルバーグレイのワゴン車で迎えに行くことを告げ、手短に通話を終える。
 肩からずり落ちかかったカメラバッグをかけ直し、足取り軽く指定されたコンビニへ向かう。まもなく、大型トラック用のスペースが数台分は用意されている、都市生活に慣れた自分にはちょっと目を疑うほど広い駐車場が見えた。その手前には、教えられた通りのワゴン車がハザードを点滅させている。
 運転席のショートヘアは画像と同じ。
 俺が浮かれた気分で近づくと、不意に車がバックした。ワゴン車は切り返してから停まり、運転席のドアが開いて待ち人が降りてくる。
 彼女はスラリとした長身で、凝った刺繍のジーンズとブラウスにウエスタン風のハーフブーツがちょっとラフに決まっていた。バストアップの画像しかみてなかったので、背の高さはいささか予想外だったが、スリムで長い脚を強調するファッションということは、そこまで込みで容姿に自信を持っているということだろう。
 お互いを確認してから、俺は彼女に促されるまま助手席へと乗り込んだ。間を置かずに彼女は発進させる。
「ごめんねぇ、来ないかと思った?」
「うん、ちらっとね……」
「駅の途中で近所の人の車を見かけたから、ちょっとあぶないかなってね」
「あぁ、それはわかるね。こういうの、わりかし慣れてる?」
「へへ、はじめてじゃないわね……もしかして、慣れた女は嫌?」
「全然! むしろ頼もしいね」
「頼もしいと来たか……そういえば、免許ないの?」
「うん、取ったこと無い」
「そうかぁ……じゃ、しょうがないね。駐車場でハザード焚いてるのは、これから停めるって合図だから、動いてなくても近寄らないでね」
 彼女は慣れた手つきで交通量の少ない道を走らせ続ける。車内にはかすかに獣の臭がする。見るとはなしにルームミラーへ目をやると、バックシートに中型犬サイズのケージがかいま見えた。このまま、バイパス沿いのモーテルへ向かってもいいけど、お昼がまだならどこかで買うか食べるかと、彼女が問いかける。
 さっきのコンビニで買っても良かったのに、なんてわざと惚《とぼ》けたら、それじゃ全く台無しだよと大笑いされた。挙句「惚《とぼ》けと惚気《のろけ》は同じ漢字」と、豆知識までついてくる。そうか、漢検二級だったっけ……彼女。
 結局、ちょっと遠回りして道の駅で弁当と惣菜を買い求め、そこからバイパスへ折り返す事となった。ここまでお互い名乗らず、呼びかけてもいない。彼女に夫と子供がいて、夕食の支度をするための時間を計算しつつ行動しなければならない。俺が知っているのはそれだけだ。道順が決まると彼女は迷わず車を進め、ほとんど会話らしい会話もしない間に目的地が見えてくる。
 風のない昼飯時、林立しているのぼりはみなうなだれて、てっぺんに描かれたサザエしかわからない。恐らくはつぼ焼きと大書されているだろう、のぼりの向こうでは屋台の親父がサザエを次々と焼き網の上へ並べていた。
 ウカツにも、俺はかなり物欲しげにサザエを見つめていたらしい。親父が「どう? 兄さん! いま焼いてるからすぐだよ」と声かけてくる。
 しまった! と思いつつ素早く値段を確認すると、大二個で焼魚定食の並盛りと同じ。高くはないが、安くもない。それに、食事するとモーテルの時間が足りなくなるし……などグズグズ考えていたら、彼女がさっさと注文してしまった。
 時間が気になると告げたら、彼女は「道知ってるから大丈夫」と気に留めた様子も見せない。それどころか「せっかくだから美味しいもの食べましょうよ」と焚きつける。
 そういうことなら食べるかと、自分は食堂で海鮮茶漬け定食を注文する。振り返ると、彼女は焼きあがったサザエを持って席につくところだった。もちろん会計も済ませている。どうにもこうにも格好がつかなくなってしまったが、ここで下手に気にすると傷口を広げるのは明らかだし、開き直ってありがたくごちそうになる。
 焦げた醤油と濃厚な磯の香りが、否応なく食欲をそそる。彼女のブラウスに汁を飛ばさないよう、おっかなびっくりで蓋を取り、爪楊枝で慎重に身を引き出そうとしたら、腸《わた》が切れた。ますます格好悪い……。俺は思わず顔をしかめてしまったが、彼女は微笑みながらもうひとつのサザエをしっかり掴み、器用にくるりと身を引き出した。
「思い切って一気に出すのがコツなのよ」
「でも、腸は苦いから食べないよ」
「ははは、雌はキモが苦いからね。多分こっちは雄だから苦くないわよ。試しに食べてみたら?」
 彼女が勧めるまま、キレイに腸まで引き出されたサザエを食べる。確かにさほど苦味は感じず、磯の味が口いっぱいに広がった。これは旨い! いままでずいぶん損をしていたような、そんな気すらしてくる。
 そして、俺がサザエを頬張っている間、彼女はもうひとつの貝に残された腸を引き出そうとしていたが、もう少しというところでちぎれてしまった。つい「残念だったね」と声をかけたら、さばけた口調で「大丈夫、たぶん雌だったから」と答えながら爪楊枝の先をなめ、やや大げさに渋そうな顔してみせた。
 そうこうしている間に彼女が注文したアジフライ定食ができあがった。受け取り口には海鮮茶漬け定食もある。近くの漁港はアジが名物らしく、茶漬け定食の丼飯にもアジの切り身が敷き詰められている。土瓶に入った出汁をかけると、切り身とノリがちりちり縮み、美味そうな湯気が盛大に立つ。とりあえずひと口すすると、小さなアジの切り身までついてきた。出汁の旨味からアジのコリッとした食感へ至る流れが興味深く、美味いというより感心する。そして、サラサラと半分ぐらい食べた頃には、すっかりお幸せそうなニヤけ顔になっている。
 彼女は彼女で、バリバリ、さくさく、景気の良い音を立てつつ、アジフライを頬張っている。さほど小ぶりでもなかったが、骨ごとしっぽまできれいに平らげ、静かにわかめの味噌汁を飲み干した。俺も添えられていたおろし山葵を乗せ、茶漬けの残りをささっとかきこむ。立ち上る山葵の香りと、舌に広がるかすかな甘味との意外性に戸惑っていると、彼女はいたずらっぽく「美味しい?」と微笑んだ。
 お互い食べ終わってぬるめの茶をすすり、食器を返して一息ついても、まだお昼を少し回ったくらいだった。道の駅から戻ると、最初の信号でバイパスへ入る。別の道に乗り込んですぐに、彼女はワゴン車の速度を上げた。助手席から見えるコンクリの斜面が、灰色と緑の流れへ変わり始めた頃、フロントガラス越しに西洋や日本の城郭をちょっと下品にしたような建物群がちらほら浮かんできた。確かにこれは近い。
 それにしても、彼女の運転には迷いがない。
 これは道を知っているというより、慣れている?
 まぁいいか。
 彼女が楽しければ、俺もそれでいい。
 速度を落として車を左車線へ寄せつつ、彼女は「どこにする?」と訊いてくる。本音は『安いところ』だったが、さすがに抑えて「停めやすいところがいいんじゃ?」と返す。彼女は軽くうなずきながら微笑むと、最初の信号でワゴン車を左折させた。そこからさらに細い道へと入り、少し進んで曲がった正面に見える、昭和臭いビニールカーテンをくぐる。
 部屋の下にある駐車スペースへ入り、降車した俺達はそれぞれ荷物を持って階段をあがる。
 部屋へ入ると荷物を置く間もなく、彼女がフロントに電話をかけた。やがて、ドア脇の装置でランプが点滅し、大げさな配管から『シュー、ポン!』とカプセルが飛び出してくる。近寄って「うわぁ! 気送管だよ!」と空気で小物を運ぶ装置にはしゃぐ俺が、彼女には面白くて仕方ないらしい。とりあえず、収められた説明書を読むよう俺に促しながら、彼女は自分の荷物を隅へ片付けてベッドへ腰掛ける。カプセルへ現金かカードを詰めてフロントへ送るなど注意事項を確認した俺も、かばんを隅へ押し込めて彼女の隣りに座る。
「あのバッグって、カメラ? 大丈夫?」
 ぞんざいに押し込んだバッグを見やって、彼女が素早く尋ねる。かすかな不信が含まれているような、そんな口調の早さを感じた。
「うん、カメラ。でも、今日は撮らないからいいや」
「そうなの? ほんとに?」
「うんうん、ほんと撮らない。もともと、散歩しながらその辺の景色を撮るつもりだったからね」
「それじゃ、すぐここ来ちゃったのは……」
「ううん、それも大丈夫。気にしないで。会いたかったし……それに、ね」
 彼女の目を見て微笑みながら、俺はそっとジーンズの刺繍をなぞった。
「すぐにシャワー浴びてもいいのよ」
「なら、いっしょに浴びる?」
「そうしようかな」
 先に服を脱いで風呂場へ入り、湯船に湯をためながらシャワーを浴びていると、タオルを巻いた彼女が恥ずかしげに入ってきた。タオルをほどき、俺に近づきながら「髪にはお湯かけないでね」と言ってノズルを受け取った。やや小ぶりだが張りを失っていない乳房に、深小豆色で大きい乳輪と乳首の存在感が好対照をなしている。彼女はボディソープなど使わずに湯だけさっと浴び、俺に軽くキスしてから先に湯船へ浸かった。俺は局部を丁寧に洗うと、彼女を後ろから抱きしめるように湯船へ入る。
 俺は既に堅くしこっていた乳首を掌で軽く抑えるように転がし、さらに親指でそっと撫でた。彼女は鼻にかかった甘え声を出しながらもたれかかってくると、後ろ手に俺の男根を探り当て、軽くもみしごき始める。
 陰茎は自分でも驚くほどの勢いで硬くそそり勃ちはじめた。俺もお返しとばかり、手を下へおろして彼女のへそから太もも、そして陰部へ伸ばす。
 ところが、彼女はそっと俺の手を抑えて「お願いがあるの」と切り出した。
「これから前戯は一切なしで、ベッドでいきなり襲って欲しいの」
「うん、いいけど、ほんとに大丈夫?」
「大丈夫、あなたならお願いできるかなって、そう思って誘ったの」
「そか……」
「嫌だった? こういうの」
「ううん、嫌いじゃない。でも、ちょっと組み立て考える」
「ははは、組み立てね」
「うん、先にフェラして欲しかったんだけど……」
「口に押し込んでも大丈夫よ。歯を立てたりはしないから。でも、大きな声は出さないでね」
「あはは、そうだね。それなら、むしろ無言でやりたい」
「あ、それいいね。じゃ、そろそろ上がろうか」
 そう言うと、彼女は母親らしい豊かな尻をちょっと恥ずかしそうに湯船から上げ、タオルを取って浴室を出た。少し間をおいて、俺も彼女を追う。体を拭いてベッドへ目をやると、タオルハンカチで目隠しした彼女が横たわっていた。
 打ち合わせ通り、無言のまま近寄って彼女の唇にペニスを押し付けた。そこで口が開いたところへ男性器をくわえさせる。
 ++それ++がやがて十分に硬くなったところを見計らった俺は、素早くゴムを被せて彼女を一気に貫いた。既にびっくりするほど濡れていたのだが、それでも最初はちょっときつかったようだ。幸いにも彼女が痛がるそぶりを見せなかったので、腰の角度を変えつつ数回出し入れすると、不意にぐっと奥まで入った。同時に獣じみたうめき声があがり、女体がしばらく痙攣した後にぐったりと弛緩してしまう。
 よほど好きなんだな……と独り言ちて、彼女を裏返すと背中から覆いかぶさるように挿れた。この方が深く入るし、自分も気持ち良い。最初はやや驚いたようだったが、すぐに啼きながらまた軽くひくつき始める。ちょっと早すぎるなと思い、腰をやや引き気味にするなどあれこれしていると、彼女は尻を合わせてきた。やがて、そうこうしている間に自分も高まってきたので、本格的に激しくイキ始めた彼女を抑えこみ、お構いなしに大腰を使って深く突き、そして果てた。
 賢者の世界へ旅立った意識を引き戻し、身体をなんとか彼女から引き離し、ゴムを捨てて立ち上がる。このまま眠ってしまいたいが、恐らくそれは危険だろう。シャワーを浴びて戻ったら、彼女がふらふらと起き上がるところだった。
「びっくりした……こんなに激しいのははじめて……」
「ありがと。いままでこんなことなかったの?」
「うん、ただ乱暴なだけの男が多くて……ひどい目にあったことも……」
「そか……でも、いま楽しんでもらえたなら、それは良かった」
「うん、すごく良かった」
 そう言いながら、彼女は唇を押し付け、舌を入れてくる。
 それから、ギリギリまでセックスし続けた。
 夕方、駅へ向かう車中で彼女は「男はいいな」と、なんども噛みしめるようにつぶやいていた。別れ際、車から降りた後も、つくづく羨ましそうに繰り返していた位だから、よほどだったのだろう。
「男だから、こうして知らない人の車にも乗れたでしょ、女だとそんなことできないからね。最初、あなたの家に誘われたけど、断って呼んだのはそういうことよ」
「うん……じゃ、次はどうする? 部屋に来る?」
「行くわ」
 彼女は少し照れくさそうに笑った。

第2話 再開発地区の片隅で食べる焼き鯖寿司

 雨上がりの青空が広がる大通りを、ターミナル駅へ急いでいた。空には飛行船型のアドバルーンが浮かび、威圧的な太文字で大書された空と陸の競演! 空弁対駅弁なる広告をぶら下げている。アドバルーンを見かけるのは久しぶりと、そんなことを思いつつ、点滅し始めた信号を駆け足で渡った。既に待ち合わせの時間は過ぎている。駅ビルへ走り込むと、ごった返す買い物客をかき分け、エレベータ前の人混みをかわし、エスカレータをいそいそと登る。
 待ち合わせはほとんど最上階の催事場だったが、これほどの混雑で、漫然とエレベータを待つよりマシだろう。それにしても、なんだかやけに人が多い。海辺の町で会った彼女が俺の部屋へ来るのだが、その前に駅ビルで開かれている駅弁空弁市へ寄って昼食の約束になっていた。とは言え、お目当ては弁当じゃなく、会場で食べられる豪華寝台列車のランチやファーストクラスの機内食だった。
 ようやく待ち合わせ場所の催事場へ辿り着いた。だが、人混みで見通しがきかない、なんということだ……。
 とりあえず、メッセでもチェックしようとスマホをいじっても接続しています表示で砂時計が回り始め、溜息とともに端末をしまう。こらあかん、電波まで混んでいやがる。やむを得ず、多少でも混雑を避けようと物販レジの影へ逃げたら、頭半分ほど突き出た栗色のショートカットが目に留まる。もしやと思って近寄ると、うんざりした顔の彼女と鉢合わせした。
 はじめて会った時とは打って変わってフェミニンな淡藤のレースワンピだが、底がやや厚めのジップスニーカが脚の長さを強調しているのは前と変わらない。生足がやけに眩しく、ストールで隠しながらもレースの向こうにチラチラ透ける濃紺の下着が、過剰にセクシーだった。
「ごめん、待った?」
「うん、ちょっとね。この人混みだし、会えないかと思った……携帯もつながらなくて、もう大変」
「すごい人だけど、なにがあったんだろう」
「今朝のテレビで放送されたのよ、この催し」
「テレビ……すごいね……」
「ね……とりあえず、様子見に行こうか」
 催事場の正面へ戻ると、行列は階段から階下まで伸びている。いつの間にか設置されていたホワイトボードには食堂車コーナー90分待ちやファーストクラスランチ60分待ちなどの殴り書きが見え、なんとも言えない気分で互いに顔を見合う。追い打ちを掛けるように、スタッフが「空・駅カレー食べ比べは限定数に達しました!」と告知し始め、こらあかんと諦めることにした。
 エスカレータで降りながら、混雑している駅ビルやその周辺での昼食は避け、地下の食料品店街で弁当か惣菜でも買い、俺の部屋で食べるのが良かろうとなった。エスカレータをグルグル回って地下へたどり着くと、降りた正面の最も目立つところに焼き鯖寿司の特設販売コーナができている。催事企画と連動しているらしく、ここでも焼き鯖空弁と塩こうじ焼き鯖駅弁を並べていた。また、奥にはひときわ大きな若狭の鯖寿司も並んでいる。どうも京都から出店しているらしい。
 正直、ここで焼き鯖寿司に決めてしまいたかった。実際、昼時の食料品店街でだらだら弁当や惣菜を物色するなんて、少なくとも賢明とは言えまい。それに、できるだけゆっくりセックスを楽しみたいのだから、これ以上は少しでも時間を無駄にしたくなかった。とはいえ、彼女の意向も確認しようと、焦る気持ちを抑えつつ「焼き鯖どうかな?」とたずねたら、思いのほか反応が鈍い。
 少し間を置いて、彼女は「ちょっと、小さくないかな」と返した。確かに弁当にしてはやや小ぶりで、空弁に至っては通常の半分程度しかなさそうだ。ただ、値段は両方を足したより高いが、足した以上に食べ出がありそうな若狭の鯖寿司もある。こんなところで食い下がるのもどうかと思いつつ、ダメ元で「鯖寿司でもいいんよ」と重ねたら、彼女は申し訳なさそうに「ダンナが鯖寿司好きなのよ……」とつぶやいた。
「だったら、この大きいのをおみやげにすればいいよ! 今日はこっちへ来るって言ってるんでしょ?」
「うん……なにか、てきとうに買って帰ろうと思っていたけど……」
「好物を買って帰ったら喜ぶよ。大丈夫、俺が買うからさ」
「いやいやいやいや、それだけはダメ! 鯖寿司は私が買うから、気を使わないで」
 結局、お昼用に焼き鯖空弁と塩こうじ焼き鯖駅弁もそれぞれひとつずつ買い、俺の部屋で食べ比べることとした。昼飯を買ったら用はない、ますます増える人混みを尻目に、駅ビルを後にする。
「こっからだとけっこう歩くけど、大丈夫? 電車でひと駅なんだけど」
「大丈夫。ちゃんと歩ける靴だし、そのつもりで来たから」
 そういって彼女は軽く足をあげた。薔薇と拳銃をデザインしたちょっとハードなスニーカが、長い足の先を力強く飾る。ビルの外は思いのほか日差しが強く、俺は立ち止まって濃いティアドロップのサングラスを掛けた。彼女もバッグからサングラスを取り出す。イタリアンブランドのメンズグラスだが、ショートの彼女にはよく似合っている。

 駅から離れると、急に人影もまばらになる。しばらく歩いて行く間に、昼時でもシャッターを閉めたままの店が目につきはじめ、もう少し進むと解体工事中や更地の区画もポツポツ出できた。いつも歩いている再開発地区だが、雨上がりの空が思いのほか美しい。彼女へ「少し待ってて」と声をかけ、立ち止まって弁当と鞄を置き、カメラを取り出す。
「私も撮っていい?」
「もちろん。でも、カメラ持ってきてたんだ」
「へへへ、こんなこともあろうかと、ね」
 おどけた口調で構えるカメラは、単焦点レンズを付けたデジタル一眼レフ、それもミドルクラスのちょっと大きな機種だった。彼女のこんなこともあろうかとに少し驚きつつ、自分も腰を落として一眼レフを構え、シャッターを切る。
 パシャ! キューン
 最近はめったに聞かなくなったフィルムの巻上げ音が青い空へ響いた。
「フィルム!? まだ売ってるの?」
「あ、わかる? 年に数回ぐらい出まわるんだよ」
「へぇ~まだ作ってるんだ」
「うん、イングランドにクロアチア、オランダあたりでほそぼそ作ってる」
「なんだか、サッカーみたいね」

「ははは、そうかも」
 再び歩きはじめながら美大で写真の講座を受けたこと、フィルム現像の選択課程も受けたけど、彼女たちを最後に過程が廃止されたこと。最後の授業で講師が『フイルムばんざい』と板書したけど、ほとんどの学生は理解できずにスルーしたことなど、思い出話をいくつか聞いた。俺は俺で、急に晴れてきたから急いでカメラを準備したこと、それで待ち合わせに遅れたことを白状したが、彼女はごく優しく、こう言った。
「早く行きましょう、あなたがいなくても始めるところだったわ」
 俺は立ち止まり、ちょっと考えて「世界じゅうでいちばん美しい、いちばんはっきりした、いちばん力強い楽しみが待ってるよ」と返す。彼女は、出来の悪い生徒を許す教師のように微笑んだ。
 そうこうしている間に、部屋にいちばん近いコンビニまで来た。飲み物や甘いものでも買うかとたずねたら、特に必要な物はないけど、いちおうみるだけみようと入った。店内の人影はまばらで、特にこれといってめぼしいものは見当たらない。ただ、弁当売場の目立つところに炙りさば寿司なる、やや小さめの焼き鯖寿司が並んでいる。迷わずカゴに入れると、ほんの一瞬、サングラスの向こうで彼女の瞳が大きく広がったように思えたが、慎み深く言葉を抑えたようだ。

 ようやく部屋のあるビルまでたどり着いた頃には、とっくに正午を回っていた。廃業した自転車屋の脇にある古ぼけたドアを開け、ひたすらに階段を登る。いちばん上の四階が俺の部屋だ。部屋に入った彼女は、家具や荷物が思いのほか少ないことをいささか意外に感じたようだが、奥の事務机を占拠しているモニタ三台を見つけて、なにかを納得したように微笑んだ。
「仕事もこの部屋でしてるの?」
「ううん、仕事部屋は三階なんだ。アレはプライベート」
「ネットしながらテレビとか?」
「地上波はまずみないけどね。アンテナもつないでないし……基本はゲームとネットだけど、たまにオンデマのストリーミングや、ペイパービュー流すこともある」
 彼女はやや訝しげだが、特になにも言わない。腹も減っているし、まずは食べようと、買ってきた鯖寿司や飲み物を簡易座卓へならべる。皿や箸を取りに台所へ立つと、彼女が台拭きを求めたので、軽くゆすぎ、よく絞って渡す。てきぱきと弁当の包装を解き、ゴミをまとめ、座卓を拭く彼女の尻を眺めていたら、皿を出す手が止まっていた。

 彼女が上体を起こした瞬間、我に返って皿と箸を用意する。座卓に並べられたそれぞれのパッケージを開け、まずは焼き鯖寿司からつまむ。鯖とシャリと生姜の味、ふつうだ。そう、いわゆる焼き鯖寿司の味。硬くもなく柔らかくもないシャリの食感に、ぷっくりした鯖の身から流れ落ちる旨味とガリの歯ごたえが混ざる。ずいぶん昔に、はじめて食べた時は驚いたが、あれから何度も食べた後では、むしろ安心感さえ覚える。
 さて、次は塩こうじ焼き寿司と炙りさば寿司だが、逸る気持ちを抑えつつ、ペットボトルのほうじ茶で口に残った味を流し込む。ちょっと迷ったが、好奇心に負けて塩こうじ焼き鯖へ箸を伸ばしたところ……あれ? 味、変わんなくない?
 違うといえば違うのだが、鯖の表面でぷつぷつと自己主張している塩こうじの効果は、もっぱら食欲をそそる焼き色とこうじ粒のかすかな食感に限られているようで、味への影響はあまり感じられない。むしろ鯖とシャリの間に挟まれている昆布の甘みと食感が強烈で、寿司全体の印象を大きく左右しているようだ。もし、塩こうじ鯖ではない、単なる焼き鯖がこのシャリに乗っていても、同じような味わいではなかろうか。
 これは「もっぺん焼き鯖を食べんとわからんな」と、箸を伸ばして気がついた。彼女も俺も、食い始めてからは無言だった。彼女も焼き鯖の後で塩こうじ鯖を食べているが、どう思っているのだろうか。
「美味しい?」
「うん、どちらも美味しいわ。でも、あまり変わんないね」
「あぁ、やっぱり! 俺、もう一切れ焼き鯖食べて、思い出そうとしてたぐらい」
「あはは、ますますこんがらがるかも」
 ふたりで笑い、箸先を揃え直して、なら次は炙りさばかと、それぞれが一切れとって口に入れる。
「!?」
「これが、いちばん美味しく感じる……」
「うん、実は私もそう思う。けどね」
「けど?」
「たぶん、みりんとうま味調味料に騙されてると思う」
 どれどれと、残りの寿司を皿へ移してパッケの裏を見たら、醸造酢や食塩、酸味料に混じって、しっかり調味料(アミノ酸)と表記されている。そもそも、コンビニの弁当とターミナル駅の食料品店を単純比較して美味いの美味くないのも大人げないが、それでもこういうタネや仕掛けでごまかしてることを確認すると、なにか妙に安心したような気になってしまう。なにせ、焼き鯖空弁とコンビニの炙りさば寿司はどちらも一パック四切れで、大きさはほとんど変わらないのに値段は大きく違うのだから、誤魔化してなかったら、今度はぼられたような気になるというものだ。
 ふたりで寿司をつまみ、パックの表示を見ながら「あぁ、これは」とか「まぁ、そんなもんだよね」なんて笑いあってたら、彼女は少し安心したように「良かった、楽しくないかと思った」なんてつぶやいたので、少し驚いてしまう。どうも、食ってる時の俺は眉間にしわを寄せ、かなり険しい表情で黙々と口に運んでいるようで、はじめて会った時はちょっとショックだったらしい。
「最初の時、食べたら顔が険しくなったものだから、つい美味しい? って聞いちゃったぐらいよ」
 はにかみながら微笑む彼女に「スマンスマン」と頭をかきながら、そろそろ食器や座卓を片付けようかと持ちかける。彼女は静かにうなづき「勝手がわからないから、お任せしちゃってもいいかしら?」と、礼儀正しく小さな部屋の秩序を重んじてみせる。
 俺が片付けと準備をしている間、彼女にはシャワーを浴びてもらうことにした。
 彼女と入れ替わりにシャワーを浴びようとしたら、顔を赤らめつつ「後でもいいのよ」と声をかけてくる。言葉の裏が読めないほど鈍感ではないが、それでもかすかな不安が芽生える。

 かなり汗ばんでるけど、まぁいいさ。タオル姿の彼女を後ろから抱きしめ、耳元で「わかった」とささやきかけた。そのまま彼女をマットレスに横たえ、喘ぎ声を打ち消そうと「ラジオでも流していいかな?」と声をかけたら、わずかな沈黙の後で「できたら、音は出さないで。気になるなら、猿轡してもいいから」と返ってきた。つい『してもいいじゃなくて、して欲しいだろう?』といじめたくなるが、不用意にそういうプレイを始めるたら後が大変だ。
 猿轡用のフェイスタオルを用意すると無言で服を脱ぎ、まだほうじ茶が残っているペットボトルやゴムなどと枕元へ並べた。
 彼女の隣へ横たわり、軽くキスをして抱きしめ、首の後に手を添えながら口に舌を入れる。彼女も応じつつ、俺を強く抱きしめながら体を起こすと、素早くポジションを入れ替えて上になった。唇を離し、俺の顎から喉、首筋、胸、そして乳首へと舌をはわせる。乳首はくすぐったいからやめてと穏やかに制したら、はっきりと残念そうな表情を浮かべ、今度は男根を口に含んだ。ターミナルへの行き帰りでかなり汗をかいていたので、いささか気にはなったものの、彼女はむしろ嬉しそうに頬張っている。
 大きく息をつきながら、口の中で力強く勃起した肉棒を吐き出すと、カリ裏を舌先でなぞり、鈴口にキスをする。愛おしげにペニスを掌中に包み込みつつ、俺の頭へ顔を寄せてくる。つい反射的に唇を寄せたら「ちょっと待って」と彼女は俺から顔をそらし、ほうじ茶をひと口飲んだ。改めて唇を交わし、また舌を絡め、少し顔を離して見つめ合う。互いにうなづき、俺がゴムを用意し始めると、彼女は俺のパンツを素早くとって咥えた。
 猿轡って、こういうことか。これじゃ、今回も前戯いらないな。
 うっとりと目を細めてパンツの臭いを満喫している彼女に覆いかぶさり、深く突き入れる。くぐもった喘ぎ声とも悲鳴とも付かない叫びが耳元に響き、背中に回った彼女の腕に力がこもる。尻の下へ手を入れ、角度を調整してからさらに腰を使うと、喉の奥から轟々たる低い唸りを上げつつ、太ももと括約筋で思い切り俺を締めあげた末、失神した。
 仕方ないのでいったん抜き、身体を裏返して彼女の口からパンツを取ろうとしたら、あまりに強く食いしばってて取れない。苦い笑いがこみ上げてくるが、半ばやけくそで後ろから突く。身体の中で竿を回すように調節し、いい具合のところで遠慮会釈なくガン掘りする。掘るというと穴が違うものの、気分はすっかりそういうところだ。
 しばらく突いていたら目を覚ましたようで、体の下からくぐもったうめき声が伝わり始める。相手がちゃんと反応するのなら、それに合わせて微調整するのが筋だろうが、彼女の場合は自分勝手に快楽を追求しても問題ない。むしろ、合わせるより好き放題ヤったほうが悦ぶぐらいだ。そんな調子でわがままに気持ちよくなっていると、だんだん高まりを抑えられなくなってくる。相手を気にせずと言いつつも、できればタイミングは合わせたい。彼女の下腹部へ手を伸ばし、そっと陰核の皮をむく。
 気がついた彼女は、ひときわ大きくうめいて激しく反応するが、お構いなしに深く突き挿れ、豆を軽く叩きながら絶頂感を味わう。身体の下から内蔵を振り絞るかのような雄叫びが聞こえ、豊かな尻が小刻みに痙攣して俺の腹を震わせ、やがて静かになった。

 このまま賢者となって幽明の境をさまよい続けていたかったが、彼女に陽根をくわえ込まれたままではそうも行かない。ゴムを外さないよう慎重に引きぬき、処分してシャワーを浴びる。体を拭いて部屋へ戻ると、彼女はマットの上で半身を起こし、ぼんやりほうじ茶を飲んでいた。横に座り、ピアスを外した彼女の耳たぶへそっとキスする。うなじを優しくなで、抱きしめながら再び横になる。
「するの?」
「したいけど、流石にすぐは無理だな」
「私はいますぐでもいいよ」
「ほんと?」
「ウソ。私もちょっと休みたいし、できたら甘えたいな」
 俺が微笑みながら頷くと、彼女は強く抱きしめてくる。結局、気がついたらそのままはじめてしまっていたが、もう少し穏やかで丁寧な交わりだった。
 夜に、彼女から二通のメッセが届いた。最初は「ありがとう! ものすごく喜んでた。買ってよかった!」とあり、自分もほっとしながら喜ばしく感じる。
 もう一通は……。
「ダンナがひとりで全部食った」
 さて、返事はどうしたものか。

第3話 問屋街のロースカツランチ

 簡単な夕食の後、ネットゲームの時間限定イベントをクリア、タイムラインをチェックする。平日の夜、特になにも面白いことはない。うまく肉体関係へ持ち込めそうな相手はなく、ネットのお付き合いだけで進展はなさそうな相手との、興味深くもいささか退屈なやりとりを、輪をかけて退屈なネットニュースを読みながら淡々とこなす。
 少し早いけど、今夜はそろそろ店じまいとするか。
 たぶん、もう少し粘ったらいつもの女や、先週こっちへ来てくれた彼女も上がってくるのだろうが、なんだかどうにも気分が乗らない。こういう微妙な心理状態の時、うかつに粘るとろくなことがない。
 俺はなんども学んだんだ、なにはともあれ、こんな夜は寝るに限るのだ。最後にメールだけ確認しようとマウスを握り直したら、不意にショートメッセのアラートがポップアップした。おっと、彼女からだ。いつもよりちょっと早いな。戦闘ゲームの武装交換と視点切り替え並みの素早さでマウスを操作し、大喜びでメッセージウィンドウを開くと、思いがけない内容だった。
「明日の朝、そっち行っていい?」
 とりあえず、半ば反射的に「いいけど、どうしたの?」と返信しながら、嬉しさよりもかすかに湧き上がる不安感を扱いかねていた。家族持ちが突然、それも朝から来るってのは、いささか穏やかじゃない。もしかしたら、家族となにかのトラブルがあったのかもしれないし、その場合はシェルターを……なんて、考えをめぐらせる暇もなく彼女から次のメッセが届く。
「午後から都心で用事なんだけど、朝イチでダンナを駅まで送るのよ。子供も朝練でいなくなるし、良かったらちょっと寝かせてくれないかな」
 素早く「どうぞどうぞ、駅まで迎えに行こうか?」と入力しつつ、受信ウィンドウに表示された彼女のメッセを再確認する。大丈夫、タイミングが良かったって、それだけのことだな。こっちも入力ミスとかないな、よし送信。
 念のため、到着予想時刻を路線検索するか、と思ったら「気にしないで、道順は覚えてる。でも、カギ開けてほしいから、ついたら電話してもいい?」とさらに即レス。あぁ、この反応はガチだ、マジ楽しみにしてるぞ。
 部屋の錠前はシリンダ錠と暗証番号のダブルなので、錠前を開放してダイアルロックの暗証番号だけ画像で送ると告げたら、ちょっとわかってなさ気だった。念のため「暗号化するの面倒臭いから、気休めでも画像にして送る」と付け足したら、そこでなんとなく察しがついたようだ。ここまで神経質になることもないのだろうが、まぁ習い性みたいなもんだ。
 そんなこんなで「寝てるかもしれないから、電話せずに部屋へ入ってください」と添えて写メも送る。彼女もそれを了解し、他にはおおよその到着予想時間と、それぞれ別に朝食を取ることなどを確認した。明日は早いので互いにさっさとネットから落ち、自分は遅めの風呂に入りゲームもせず寝た。
 年甲斐もなく興奮したせいか、明け方に目を覚ましてしまったが、どう考えても起きていたら台無しなので、目をつぶって無理やり寝る。妙な時間に二度寝したせいだろう、おかげで彼女が部屋に入ってくるまで気が付かなかった。
 枕元に人の気配がしたかと思ったら、耳元で「おはよっ」と、嬉しげなささやき声がする。あぁ、来たんだなと思いながら薄目を開けると、なんだか異常に楽しそうな彼女の顔があった。あっけにとられるようなニヤケ顔。
「キスしていい?」
 半分寝たまま軽くうなづいたら、いきなりネッキングと強烈なくちづけ、もちろん舌も絡めてくる。流れで布団の中まで入り込み、俺がパンイチで寝てるのを察知すると、とろけるような笑みを浮かべつつ「脱がしていい?」と聞いてくる。そう言いながら、既に彼女の手はパンツをずり下げていた。
 朝勃ちに引っかかったパンツをいとおしそうに揉む彼女の手つきに、自分も少しうっとりしながら、軽く腰を上げたらあっというまに足首まで剥がされ、早くも全裸にされてしまった。身体を起こそうとしたら、彼女が「ちょっと待って」と押しとどめる。布団から出た彼女は恍惚の面持ちでパンツの、股間の臭いを存分にかぎ、素早くラフなスウェット上下を脱いで全裸になってしまう。まさかノーパンで来たのかと驚いていたら、脱いだ服の中にベージュのゆったりブラとパンツが見えたので、妙に安心してしまった。
 全裸の彼女は足の方から布団へ潜り込み、指先でペニスの感触を楽しんだ後、おもむろに口へ含む。どうもカリ裏を舐めるのが好きらしいが、くすぐったさが先に立ち、つい悶えてしまう。しばらくして、彼女は肉棒が力を失わないよう指先で刺激しつつ、下腹からへそ、胸へ舌を這わせようとしたが、俺がくすぐったがってばかりいるので諦めた。
「乗ってもいい?」
 そっと顔を寄せ、いたずらっぽく笑う彼女に、俺も微笑みで応える。いそいそと腰の位置を合わせようとする彼女を静かに制し、枕元のゴムを取り出した。ちらっと彼女が心外な表情をみせたような気もするが、このタイミングでゴムがらみのやり取りするほどマヌケなことはない。おもむろに装着し、下から彼女を抱き寄せる。正直、騎乗位は不得意なのだが、乗りたがっているなら仕方ない。
 彼女も素早く位置を合わせ、根本までひと息に飲み込む。
 すべてが終わった時には、さすがにふたりともぐったりしてしまっていた。
 とはいえ、このまま賢者の世界へ旅立つわけにも行かない。彼女にシャワーを浴びさせてシーツを洗濯し、おそらくマットレスも干さなければならないだろう。幸い、外は明るく、気持ちのよい青空を予感させていた。

 枕元のテュッシュとタオルを股間の結合部へ押し込んで潮を吸い取らせつつ、彼女を抱きかかえて床まで身体をずらす。騎乗位だったのが幸いし、腕と腰と脚の力で何とかなった。ようやく起きた彼女がシャワーを浴びている間にシーツを洗濯し、マットレスを物干し場へ広げる。
 風呂場から出てきた彼女はやたら申し訳なさそうだったが、それでもどことなく嬉しそうで、正直ちょっと安心した。恥ずかしそうに「この歳でお漏らしなんて……」と恐縮する彼女に、なんとなく「潮吹きは初体験?」と返す。
 心なしか、いや明らかに血色よく潤いと張りに満ちた肌の艶やかさと、なにかを悟ったように澄み切った眼差しをまっすぐ俺に投げかけ「うん、はじめて……」と応える彼女から、逆説的にそれまで耐えてきた乾きや餓えを感じた。
 俺はまだ朝食を取っていなかったので、シリアルで簡単に済ませると告げたら、彼女もまだだったのでいっしょに食べる。鳥の餌めいた穀物の加工品に干しぶどうやメープルシロップを加え、混ざったところに牛乳を足していくのだが、彼女はシロップを控えて少しだけ。砕いたぬれ煎餅めいた食感の、けして美味いとはいえない乾燥穀物を彼女ともふもふ食べ、食器を洗ったら束の間の甘いひととき。
 なにを語るわけでもなく、身体を寄せあっていれば心地よい。つい乳や首筋を愛撫したくなってしまうが、また始めると、たぶん時間が足りなくなるだろう。
 時計を見ると、軽く目を伏せ、彼女は身支度をはじめる。見事なほど丁寧にたたまれたスーツとブラウスを出し、スウェットやゆるい下着を大きめのビニルパックへ入れる。ふと手を止め「ごめんね。でも、ほんと気持ちよかった、ありがと」なんて、照れくさそうに笑われると、愛おしさが募ってなにかを踏み越えそうになった。
「でもね、いっぺんやってみたかったのよ。寝起きドッキリというか、夜這い。やったらすごく興奮して、自分でも驚いちゃった。自分から襲うのって、興奮するね! 気持ちよかったし」
 スイッチが入ったのだろう「襲われるのも、襲うのもやってみたかった。でも、そういう欲求があっちゃいけないって、そう思い込んでたのよね」など、あれこれ熱く語る彼女の話を聞きながら、距離感があるから彼女は欲求をぶつけられたんだなぁと、そして踏み越えちゃいけない何かは、やはり越えちゃいけないなぁと、柄にもなくセンチメンタルな感情をもてあそんでしまう。そんな感傷を踏み潰すように、彼女が掃除機を使わせてほしいと求めたので、ポンコツの紙パック掃除機を貸す。彼女は先程のビニルパックへセットし、たちまちぺちゃんこにしてしまった。
 大きめのショルダーバッグに圧縮した着替えなどをしまうと、薄いパンスト姿でダークグレーのパンツスーツにブラシをかけ、立ち上がり、ハンガーを鴨居に引っ掛ける。柱にもたれ軽く足を組みながら、あごに手を当て「お昼、よかったら一緒に食べない?」と、全くあさっての方向をみながらつぶやいた。
 俺はあっけにとられてしまい、きれいな切り返しを思いつかない。なんとか「そのカッコで行くのはやめたまえ」と言うのがせいぜい。ごく軽く眉をひそめつつ女教師めいた笑みを浮かべ、俺の額に軽く手を当てながら「ちゃんと服を着たら、いっしょに食べてくれるかしら?」と畳み掛ける彼女は、本当に返しが上手い。これは勝てないな……。
 もちろん、昼食は彼女といっしょだ。
 ターミナルで乗り換え、さらに何駅か過ぎたところで降りる。ロータリーを抜けると古めかしいアーケードに繊維や衣料品店が立ち並ぶ問屋街があり、少し入ったところに駄菓子や玩具、クジを扱う問屋があった。彼女は山積みされたダンボールの脇をすり抜け、店の裏へ向かう。大丈夫か? と怪しみながらついていくと、目の前はコック姿の豚が包丁を掲げ微笑む看板だった。
 揚げ物の匂いが路地裏に満ち満ちている。

 カウンターのみの細長い店内は、大人がひとり通るのもやっと。昼飯時だったが回転は早いらしく、ちょうど奥の席が空いた。カウンターの向こうでは、老人と若いのがせっせとカツレツを揚げている。腹をこすりつつ、なんとか身体を滑りこませると、背後の品書きを見る。ハムカツ定食やハムエッグ定食が猛烈にそそるものの、ここは安定のロースカツランチだろうな。彼女はヒレカツ定食のキャベツ多めだ。
 気がつくと、彼女はしきりに店の奥をうかがっている。聞くと、最近まで老人ふたりで切り盛りしていたらしく、かなりの年だったので気がかりと言う。若者が引っ込んだかと思うと、弁当パックを手に戻り、持ち帰り用のごはんやキャベツを詰めはじめた。少なくとも、今日は若者と老人のふたりだけらしい。
 そうこうしている間に「キャベツとライスはおかわり無料です!」と元気な若者の声が響き、カウンターの向こうからロースカツランチが出てくる。彼女にお先と軽く会釈し、目の前にあるタレツボの柄杓でソースを汲むと、端からやや真ん中寄りの、肉と脂が程よい割合であろうひと切れへそっとかける。コロモは薄く、パン粉も細かい。肉もやや薄いが、まぁランチだし、揚げ時間も短縮したいし、そこはご愛嬌だろうな。
 口に入れると、肉はさほど悪くなく、脂身もほのかな甘さが心地よいが、いかんせん厚みが足りない。コロモが薄くて主張しないから、肉が薄くてもなんとかなっているのだろう。とはいえ、流行りのコロモも味わうカツレツとは距離を置きたいので、むしろ歓迎である。問題は、これじゃご飯が進まないかも……。
 などと、愚にもつかない事をあれこれ考えていると、彼女のヒレカツ定食が出来上がった。見るとはなしに見てしまうと、肉の厚さがぜんぜん違う。これが、ロースとヒレの違いなのか? あっちにはトマトもついてる!
 壁の品書きを再確認すると、ロースカツランチとは別にロースカツ定食なるものがあり、ヒレカツ定食と同じ値段だった。もちろん、ロースカツランチよりもかなり高い。内心では盛大に長溜息しつつも、彼女に悟られぬよう笑顔で食べる。幸い、味はかなり良い。やや甘めのソースも、俺の口にあっている。皿に添えられた辛子をカツに塗り、ソースを掛け、本格的に食べはじめた。カツと飯、キャベツのバランスを深く考えながら、香の物へ箸を伸ばす。

 ナスが旨い! きゅうりもイケる!

 おかずとしても十分な能力と存在感を発揮する香の物が登場したことで、ロースカツランチのバランスは一変する。正直、これは助かった。安心して味噌汁に口をつけると、こちらもかなりの高水準だ。気持よくカツをむさぼりはじめたところに、癖の有りそうな老紳士が店に入るや「親父! 大将いるか?」と大声を出した。
 若いのが奥へ引っ込むと、なにかボソボソ話し声がする。やがて顔を出した老人が、ひとしきり挨拶を交わすと、あっさり「大将はね、今年はじめに死んじゃったんだよ」のひと言で片付けた。彼女の動きが止まる。
 老紳士は顔色ひとつ変えず「じゃ○○は?」と、常連らしき名を告げるも、やはり「死んじゃった」と気のない返事。その後、立て続けに数人の名を出すも、ひとり残らず「死んだ、死んじゃった、死んでる」の繰り返し……。

 やがて「みんな死んだか、寂しいなぁ」と、老紳士が溜息とともに深い闇を吐き出す。そこへ、思い出したように「坊主は? さすがに坊主は生きてるだろ?」と言葉を重ね、瞬間、店に重い緊張が走る。俺も、箸を止めた。
「眼の前にいるよ! 顔忘れたのか? もうろくジジイ!」
 店の親父が景気良く言い放つ。自分は吹き出しそうになるのをこらえるのがやっと。横で彼女も肩を震わせている。若者だけは、何事もなかったように、キャベツを皿へ取り分けている。そのまま、食べながら老紳士と店のふたりとの話を聞いてしまったが、若者は亡くなった大将の孫らしい。和やかな気持ちで彼女と店を後にする。老紳士は、まだ話し込んでいた。

第4話 狐につままれたような丼を彼女と食べた時の流れぬ定食屋

 数日来の熱帯夜が嘘のように涼しく、窓を開けていればクーラーも不要かと思った。とはいえ、パソコンを使うならそうもいかないのが辛いところ。諦めて窓を閉めパソコンの電源を入れ、サーキュレータも作動させる。冷却の唸りと風切り音が室内に響き渡るが、室温が下がると多少はましになるはずだ。温度管理しつつ動画編集アプリを立ち上げ、だましだましプレビューから素材を選ぶ、夏場は熱がこもりやすいので慎重にせざるを得ない。そしてノート機のブラウザやメーラ、ソーシャルサイトのクライアントを次々と立ち上げる。この辺はお遊びだし、なんだかんだでノート機も熱を持つから我慢しても良さそうだが、やっぱ編集中の暇つぶしは必要なのだ。それに、どうせメールやメッセには目を通さなければならない。
 受信メールやソーシャルの通知を仕分けしたところで、メッセンジャのフレンドを確認する。先日、いい感じのとんかつ屋を教えてくれた彼女がログインしているものの、どうやらお友達とやりとりしているような雰囲気だ。こちらからは声をかけず、少し様子でも見ようかと思ったら、彼女からメッセが来た。まずは挨拶に始まってネットのゴシップ、彼女のちょっとした不満やグチ、ペットのことなど、取り留めもない話が楽しい。
 夜も更けて、そろそろお開きにしようかという頃に、彼女がふと「そういや、最近の出会いはどうよ?」と送ってきた。別に隠すようなこともないが、特に面白いネタもなかったので、少し前に猫っぽい感じのショートカット娘といい感じになったものの、色々あってうまく行かなかったことを正直に話した。すると、表示された彼女のレスは、どう考えても挑発的だった。
「若い女は独りで旅に」
 この勝負は受けて立たねばと、ない知恵を無理やり絞ってこちらも返す。
「じゃオレはあんたと旅に出ようか?」
 やや間があって、ちょっと勝った気になった頃に、全く思いがけない文字列が表示された。
「そうだ ほんとに旅しない? ふたりで」
 文字列を確認、内容を理解した瞬間、沸き上がってきたのは驚きや喜びではなく、なぜか優しく抱きしめられるような敗北感だった……。
 
 それからなんだかんだやりとりしてる間に、だんだん彼女との一泊旅行が具体化し始める。いや彼女の都合の便乗というか、仕事で出かけるついでなのだか、勢いというか、少なくとも彼女はかなり真剣だったのは、正直なところ驚いた。 
 ただ、彼女は朝から用事があるので、旅行というよりも出張の前泊だったし、現地でも宿についたら寝るだけ。遊べるのは翌日の昼から午後の二時間程度だけど、それでもかなりときめくものがある。もちろん彼女の用事についてはなにも聞かず、詮索もしない。ただ、午前九時半には目的地へ到着しなければならないこと、そして彼女の家からは始発でも間に合わないということ、そのふたつを教えてもらえれば、それで十分だ。

 そんなわけで、不意に彼女との小旅行が決まった。

 夕暮れのターミナル駅で待ち合わせ場所へ向かう。人混みの中、彼女の姿を探していたら、どういうわけだかみあたらない。場所か時間を間違えたかと、あわててスマホを引っ張り出したところへ、彼女はトイレから姿を見せた。先に来て用足ししてたらしい。
「ごめん、さがした?」

 どことなく疲れた風情の彼女へ「ううん、いまきたとこだから」と返しつつ、駅弁や飲み物でも買おうと持ちかけたら、なぜか少し上の空な声色で「あ、うん。そうね。でも、軽く食べてきちゃったの。ごめん」と、予想もしなかった言葉を雑踏に放つ。
 もしかしたら、家でなにかあったかな?
 そんな不安が頭をよぎる。
 とはいえ、俺になにかできることがあるかというと、たぶんないんだろうな。むしろ、なにもせずそっと様子を見守る、それだけのほうがよほど良かったりもする。それに、彼女が夕食をとって来たのは、ほぼ間違いなく家族の事情だろう。だから、下手に詮索すると、ほぼまちがいなくえらいことがおこる。
 そんなことを考えながら、とはいえ自分の空腹はなんとかしたいところだしと、ターミナルのショッピングモールへ目をやった瞬間、家路を急ぐ人々の群れがうごめく惣菜売り場が視界をさえぎった。いつもならちょっと大げさにため息をついて、彼女を別のどこかへ誘うところだけど、この状況でため息は禁物だよな。
「じゃ、ホームの売店でなにか買うよ」
 できるだけ優しく、ゆっくりと彼女へ告げ、軽く手を握る。思いかけないことに、彼女は驚くほどしっかりと俺の手を握り返した。
 恋人同士のように指を絡ませ、改札を超えて広い通路へ入ると、駅弁をずらりと並べた売店がある。自分だけはしゃいでしまうのもどうかと思いつつ、盛り上がるテンションを抑えきれない。
 メインの弁当に飲み物、それからちょっとお菓子もほしいなと……
 ゆるんだ頬を隠そうともせず、陳列される様々な弁当をみつめていると、彼女が耳元で「ねぇ、私もお弁当買っていいかな? でも食べきれないと思うんだけど……」なんて、ささやきかけた。
「いいよ、もちろん。なんなら、自分が残りを食べてもいいし」
 食欲が戻ったのか、それとも気持ちが落ち着いたのか、ともあれいっしょに食べるのは嬉しいことだ。結局、自分は浮世絵風の紙に包まれた深川稲荷の助六弁当を、彼女は「旅のおともはこれなの」と言いながらシウマイ弁当を選ぶ。さらに彼女は激辛スナックと魚肉ソーセージ、そしてビールまで買い、なんか煽られた気分で自分もお茶とコーラを買ったら、ビニール袋はすっかりパンパンだ。
 手のひらに食い込む袋の重みと反比例するかのように足取りは軽く、彼女に続いて乗車する。車内で荷物や上着を片付けると、席についた彼女はまた俺の手を握った。
「すこし、こうしててくれるかな?」
 俺は無言でうなずき、ほんのかすかに握り返す。
 まさか、家のトラブルでもないだろうが、どちらかといえばクールな彼女からは想像しにくい甘えん坊ぶりと思わなくもない。ただ、こういう時、下手に動くと事態を悪化させるのみなので、手をつないだままタブレットでネットをサーフィンしはじめた。
 俺と彼女を乗せた新幹線は、定刻通り進んでいる。
 いくつかの駅に停まり、俺の腹も限界に達したころ、どちらからともなく「そろそろ、たべよか?」と互いに微笑みかける。
 さっそく袋を開け、それぞれ弁当のつつみをほどくと、楽しげな旅の雰囲気もひろがった。

 彼女が選んだシウマイ弁当は自分も大好きで、俵状に型押しされたご飯や仕切りを隔ててちょこんとならぶシウマイたちの姿が目に入れば、それだけでも気分がウキウキしてくる。そんな、他人の弁当を横目に嬉しがってる自分のさもしさを気取られぬうちに、気持ちを切り替え目の前の深川稲荷助六弁当に集中した。
 ジャンボサイズといっても良さそうなほど大きないなり寿司は上を開いた五目スタイルで、酢飯に乗せられたアサリと刻みネギが強烈な深川感を醸している。となりの太巻き寿司は対照的に卵焼きにかんぴょう、しいたけなどの伝統的な姿だが、かいまみえるでんぶの紅みは、ケチらずていねいに作られたことを示しているように思えた。そして、助六寿司ならかんぴょうの細巻が収まってるだろう場所にはエビフライと唐揚げ、そして小さなにぎり飯まで顔を並べている。
「ほぅ、これはボリューム満点だな……」
 ニヤケ顔を引き締め、まずはいなり寿司と対面する。なにしろかなり大きいうえ、アサリやネギも乗ってるので、慎重に箸でつまみ、片手を添えながらそっと口へ運ぶ。食べた瞬間、アサリの出汁と醤油、そして生姜の味、香りがぱぁっと広がった。覚悟していたよりもはるかに甘さは控えめで、すっきりした味わいが食欲をそそる。とはいえ、やたら大きいので、崩さず食べるのは至難の業だ。
 きれいに食べようなんてのはさっさと諦めて食いちぎり、残り半分を蓋にのせる。バラけた油揚げにアサリやネギが崩れかかり、なんとも無残な有様となったが、まぁやむなしだろう。ともあれ蓋を皿に見立て、崩壊したいなり寿司を平らげる。次に太巻きへ取り掛かるが、こちらは対照的に甘い。よく考えればかんぴょうにしいたけ、でんぶと甘い具が多い上、卵焼きまで甘めの味付けだ。酢飯はさっぱりした関東風だからバランスは取れてるけど、ややまとまりに欠けるような気もしなくはない。ただ、のりが味も香りも良く、文字通り巻き寿司をしっかりまとめ上げているのは、さすがというかなんというか。
 お茶で舌をリセットしつつ、こんどは唐揚げを口に運ぶ。
 うむ、ごく普通の弁当から揚げだ。小さな鶏もも肉にちょっとスパイシーな薄い衣は、ホカベンやコンビニ弁当でもおなじみの味。それでも肉が柔らかめで、鶏ももの味もしっかりしているのは駅弁の矜持かもしれない。ただ、これまた小さなにぎり飯をほおばりながら、ここで急に日常がもどっちゃったなと、そんな事も考える。
 付け合せはガリとポテトサラダか……。
 日常ついでにポテサラをひとくち、再び弁当をざっとながめる。
 ひと通り食べて、これからの組み立てを考えつつ、彼女のシウマイ弁当をちら見した。おや、けっこう快調に食べてるじゃないか?
「どう?」

 彼女はちょっと照れくさそうに笑い「なんかね、食べ始めたら思ったよりおなかすいてたなって。食べたと言ってもちょっとだったし、時間も経ってるし」なんて、妙に言い訳めいた言葉をポツポツこぼす。
「えぇやん、食欲もどったのはえぇことや。たべたべ」
 わざとらしく年寄り口調を真似た俺に、彼女は苦笑とも堪え笑いともつかない表情で小さくうなずいた。
 ということは、シウマイ弁当は計算から外してよいな。さて、こんどはエビフライから太巻きと、逆にたどってみようか。そんなどうでもいい計算をめぐらせながら、俺はまたゆっくりと食べ始める。やがて、コンビニとファミレスの日常から、太巻きがたぐりよせる祝い事の思い出を経て、しょうがのさっぱりした刺激と煮しめたアサリの味わいが心地よく調和する深川いなりの終幕を迎えた。
 さて、となりの客はよく弁当食ってるかな?
 彼女へ目をやったら、待ち構えていたように「干しあんず、いる?」と、いつもの笑顔で迎えてくれる。彼女は弁当箱をかたむけ文字通り杏色の、赤味がかった黄褐色のかたまりを俺に向けるが、ご飯とシウマイが消え失せた一方、やたらとおかずばかり残っているのはかなり不自然だ。
「ありがとう。ちょっと甘いものが欲しかったところだけど、おかずは食べないの?」
 怪訝顔の俺に、彼女はあっけらかんと「あぁ、ビール飲むから、そのおつまみ」なんて言い放つ。あっけにとられる俺を知り目に彼女は弁当の包みを広げ、その上で慎重にビールの缶を開けた。
 プシュッと景気の良い音を響かせ口から吹き出る泡を、ためらいなくじゅぶじゅぶとすすった彼女の口元には、お世辞にも上品と言えないビールひげがまとわりついている。
「だってさ、どう考えてもおかずが多すぎるでしょ。シウマイ弁当って」
 言いながらたけのこの煮物をひとくち食べ、さらにビールをあおる。俺も干しあんずを口に放り込みながら、大きくうなずいて賛意を示した。
 それから彼女は鮪の漬け焼やから揚げ、魚肉ソーセージなどをつまみにロング缶を空にし、俺もコーラを開けて激辛スナックをほおばる。
 にしても、今日のテンションは妙だな……。
 やっぱ、家でなにかあったのか?
 それとなくでも探りを入れようかと思い始めたところに、彼女は俺の方にもたれかかりながら「ごめんね、今日は特に不安定で……男の人にはわからないと思うけど、そんなときは人恋しく甘えたくなるの。わるいけど、すこしつきあってね」なんて、やたら艶っぽい声でささやきかける。
「もちろんいいよ。大丈夫、だいじょうぶ」
 やさしく彼女の手を握りながら、耳元でそっとささやく。
 彼女は不意に俺を引き寄せ、顔を寄せてきた。さっと周囲をうかがい、俺はかすかに唇を当てる。応えるように彼女は力いっぱい俺を抱きしめ、唇をこじ開けるように舌を入れてきた。
「うっ! カラッ!」
 とっさに顔を離し、くわぁっと目を見開く彼女に、俺はただ激辛スナックの空袋を指差す。
 彼女は再び俺と唇を交わし、意味ありげに「ついたらシャワー浴びずにしてね、私も口でするわ」と笑った。

 目的地に到着すると、駅ビル直結のホテルへ急ぐ。
 そして部屋へ入ると、彼女の言葉通りドアの前で互いに舌を絡ませ、あわただしく服を脱ぎ始めた。ベッドへ向かう道中、彼女は当たり前のように浴室のタオルを持ってくる。もちろん、俺はその使いみちを知っていた。
 雑念を払い、無の境地で交わる。やがて、彼女の筋肉が激しく収縮し始めた瞬間、太ももと膣が同時に俺の尻と肉棒を締めあげる。下腹に生暖かい潮の奔流を感じながら、俺も最高のタイミングで放つ。そして、神経を焦がしひりつく多幸感と、妙な達成感に包まれていった。
 快楽に酔いしれ、このまま賢者の眠りへダイブ出来たら、どれほど素晴らしいだろう。
 そんなことをぼんやり考えつつ、呼吸を整えながらだらだらしていると、腹の下でなにかがゴソゴソし始める。
「重い……」
 慌てて彼女から俺の根っこを引きぬき、両腕のタオルを解く。良かった、特にすれてはいないようだ。股間のゴムが垂れ下がって来たので、急ぎティッシュへくるむ。彼女の下腹部へはタオルをあてがい、尻の下へ出来た池にティッシュをかぶせる。俺も股間と内ももを拭き、ついでに陰毛のしずくも拭い去る。
 わずかに目を離したスキを突いて、彼女が丸くなっていた。寝入ってしまう前に立たせて、風呂場へ連れて行く。シャワーを浴びれば、少しは目も覚めるだろう。軽く汗を流した彼女と入れ替わりに、自分もさっと体を洗う。寝部屋へ戻ると、タオルを巻いた彼女がのんびりドライヤをかけていた。
 明日は早いので、俺もパソコンは立ち上げずにタブレットで軽く済ませ、彼女のスキンケアが終わり次第、寝ることにする。電気を消すと、なんとなく甘い雰囲気になって、気がつけば抱き合ったまま眠っていた。
 
 朝、隣に彼女の姿はなかった。
 
 あわてて身体を起こすと、トイレから水の音が聞こえ、枕元の目覚ましも鳴り始めた。お互い「いい腹時計してる」と笑いあいながら、順番に顔を洗って身支度をはじめる。俺は用事があるわけでもないので、簡単に着替えてカメラの電源やメディア、端末を準備すれば、それでほぼ終わり。
 彼女はスツールに陣取り、化粧の真っ最中だ。やがて、グレーのパンツスーツをかっこ良く着こなした彼女と、見知らぬ街へ繰り出す。朝日を浴びる彼女を「おぉ! まるで弁護士か政治家のようだ」と褒めたら、どうもよろしくなかったらしい。珍しく、なにも言葉を返さなかった……。
 彼女はまっすぐ中央口からタクシー乗り場へ向かい、俺を先に押し込むと運転手へ「地裁。本町まわらんで、まっすぐ」と告げた。俺は好奇心を握りつぶし、なんとか無表情を装うことに成功したと思う。車はまだ交通量の少ない表通をすんなり進み、思ったよりもかなり早く着いた。
 地裁の少し手前で車を降り、信号を渡ったところで、彼女が「始まるの一〇時だから少し早いけど、手続きや調べものもあるし、ここでいったん解散にしていい?」と言うので、終わったら電話で連絡を取ることにした。俺は目の前にある公園へ向かい、写真を撮りつつ散歩してなんとなく時間をつぶす。歩いていると休憩所が目に止まったので、スタンドの観光地図をもらい、つらつらながめると由緒有りげなお寺が意外と近い。これは行くしかないだろうと、カメラを担いで歩き出した。
 途中の市役所が良い雰囲気なので、取り留めもなく数ショットほど撮る。道路を挟んで寺があるはずなのだが、大きなビルしか見えない。嫌な予感を抑えつつ信号を渡ると、目の前にそびえ立つのはホテルだった。
 こらあかん……。
 日本人はどうしてこうなんだろうとか、そんなことをあれこれ思いつつ、好奇心に任せてビルの隙間から裏へ回ると、そこには寺がある。もしやと思い案内板を読むと、ここが目当てのお寺であった。感慨というかなんというか、微妙な気分に浸りながら、思いつくままシャッターを切る。どうも宿坊がホテルになったようだが、それにしたっていかにも鉄筋コンクリートでございますってビルを建てなくても良かったろう。
 そうこうしていると端末に彼女から着信あり、出ると声が妙に明るく弾んでいる。よくわからないが、自分もなんだか嬉しくなった。
「いまどこ?」
「市役所前のお寺です」
「え、聞こえない?」
「しやくしょのおてらだよ!」
「わかった、じゃそっち行くわ」
 寺で待ってるといったものの、具体的な場所までは決めていなかった。再び着信あるかと思っていたら、意外にすんなり現れた。ちゃんと決めなかったので、不安だったと話したら、タクシーの運転手に教えてもらったらしい。とりあえず寺の裏から外へ出たら、そこは商店街だった。
 お昼には微妙に早いが、腹も減っているからなにか食べようと、メガネ屋や楽器屋が立ち並ぶ通りを眺めつつ歩く。俺は狐丼が食べたいので、和食か蕎麦屋が望ましいと伝えたら、彼女もにしんそばを食べたがったのですぐに話しはまとまった。
 商店街をあてもなく歩くと、角にいかにも昭和の定食屋然とした食堂が見える。分厚くホコリをかぶったウィンドのサンプルを見ると、にしんそばはあっても狐丼は見当たらない。ただ、衣笠丼と表示された狐丼めいた品がある。彼女はこの手の店が好みのようで、既に入る気持ちが顔一面にみなぎっていた。俺も好奇心をくすぐられたので、ここは衣笠丼でも大丈夫と告げ、煤けた暖簾をくぐる。
 店内は赤いビニルがけの丸椅子に合板のテーブル、油がしみた壁に貼り付けられた品書きと、昭和テーマパークか映画のセットかと思う有り様で、奥にある液晶テレビの違和感がすさまじい。とはいえ、モダンな液晶テレビが映しだすのは高校野球の泥臭い応援合戦だから、やはりここは昭和テーマパークだ。
 彼女は嬉しげに「ここは私がおごるわ!」と言ってくれたので、有り難くごちそうになる。衣笠丼の大盛りとにしんそばを注文すると、あとは待つばかり。彼女はなにか話したげで、自分も好奇心旺盛な猫が脳内でにゃぁにゃぁうるさかったが、口火を切りそこねている間に料理が届く。箸は何処かと探したら、卓上にワリバシとマジックインキで書かれたレバーを見つける。恐る恐るレバーを押したら、青いプラスチックの小箱から割箸がポロリと転がり出た。
 衣笠丼は甘辛の油揚げと九条葱を卵で綴じてあり、どうみても狐丼の別名としか思えない。良く言えば大衆的な、悪く言えば安い料理ではあるが、卵とだしの香りにどことなく懐かしさを感じるのは、店の雰囲気がもたらす魔法だろうか?
 菜っ葉と豆腐の味噌汁をひと口すすって、いよいよ衣笠丼へ挑む。
 あぁ、これは狐丼だよ、ちょっとばかり上品だけど。出汁をたっぷり含んだ甘辛い揚げに絡む、卵の優しくて庶民的な味わいが俺の気持ちを和ませる。ネギの甘味に隠された、そこはかとない辛味も気持ち良い。付け合わせのたくあんもやや甘めだが、ここまで来るといささかくどい。ただ、そのくどさは優しさと隣合わせで、たぶんそういうところも含めて庶民の味なのだろう。
 あっさりと完食し、昭和テーマパークとは思えないほど深い味わいの煎茶を飲み、ふと奥のテレビを見やると、延長二死満塁で押出しサヨナラ四球の瞬間だった。
 彼女が会計を済ませたら、衣笠丼はにしんそばの半額程度だったらしい。思いのほか安かったので、彼女は帰りの新幹線で食べるお菓子までおごると言ってきかない。彼女は彼女で、大きな缶ビールに柿の種やさきイカを買い込み、すっかり出張帰りのオヤジモードだ。
 彼女は上機嫌だったが、帰りの新幹線でも特にその話はしなかったし、俺も訊かなかった。取り留めもない話をして、軽くネッキングして、ほほにキスして、それでおしまい。最後に、彼女は「あなたのそういう所、大好きよ」と言ってくれたのだけど、それがどういうところなのかは、いまでもわからない。
 ただ、別れ際に「弁護士はともかく、政治家はありえない」とぼやいていたのは、後々まで印象に残り続けた。そうか、本気で怒ってたんだ……。

第5話 coming soon