【第4回】いま思い出さなければならない日本人の謙虚さとは

よく日本人はおとなしいとか、おしとやかとか、自己主張しないとか、丁寧とか、それこそ、謙虚な国民だといわれます。これは光栄なことです。

しかし、それはどこか前近代的な意味の「謙虚さ」です。

村社会のなかでは隣人に嫌われないように顔色をうかがい、余所者には本心を見せずにニコニコしながらその実、排他する……。それが本当に、日本人の謙虚さでいいのでしょうか?

今回は、私たちが忘れてしまった日本人本来の「謙虚さ」について考えます。

皆の顔色をうかがって暮らす日本人

僕たち日本人は、良くも悪くも島国の人間です。だから村社会を守ろうとするのが行動原理になっています。

村の掟を破った村人を、ほかの村人が申し合わせてのけものにする「村八分」という言葉がありますが、これは残念ながら過去形ではありません。

いまでも学校や職場におけるいじめの構図に相通じている可能性もあります。

つまり、農耕民族の特性として、村という共同体のルールを守ることを一義とするわけです。一人ひとりが皆に合わせようと、顔色をうかがって暮らす。

そのために、昨今話題になった「忖度」が起こります。欧米の基本は自己主張ですが、日本人は自己主張をしない。流されるといわれるゆえんがそこにあります。

さらに、村の外から来る者に対して実は排他的です。旅人には、本当に胸襟を開いたりはしません。当然、外国の方の受け入れも簡単ではありません。

僕の専門領域の一つである医療・介護の現場でも、すでに外国人の助けがなくては成り立たなくなっているのに、「介護や看護を外国人には任せられない」とする人がまだまだ多いのが実情です。

僕はこれを、とても残念なことだと思っています。

日本人はグローバリズムに長けた民族だった

古来、はるか海峡を渡って日本にまで移住してきた私たちのご先祖たちは、おとなしくもおしとやかでもなく、どの民族にも負けないくらいに好戦的だったのでは? と感じます。

そのうえで、古代においては渡来人そのもの、またその文化や宗教の受け入れが盛んに行われました。日本は、どの民族にも負けない包容力を持った国だったのです。それこそ日本人はグローバリズムに長けた民族だったのだと思います。

僕たちは、そのころの、日本人本来の謙虚さを思い出さなければなりません。

「謙虚力」を持つとは決して弱腰になることではありません。しっかりした覚悟と決意がそこにはあります。戦えるだけの強さがあります。ただ、視野を広く持つがゆえに、その時々の自分の立場を知り、状況を正しく把握し、どうすることが未来のためにいいのか、皆のためにいいのかを考えることができる力なのです。

だから「謝る」「相手を立てる」「逃げる」という選択肢もそこにはあるわけです。素直に謝れるのも強さです。下唇を噛みながら、相手を立てるのも強さです。すっぱりと退却できるのもまた、強さです。まさに兵法です。

そんな強さと優しさ、賢さ、我慢強さを持った人間になりたいものです。

武士道というは死ぬことと見つけたり

「武士道」という言葉があります。

はっきりとした定義があるわけでもありませんし、時代により、その意味も変遷しているようですが、この言葉は少なくとも日本人の求める理想的な日本人像を表していると思います。

「武士道」で有名なのが、『葉隠』という1716(享保元)年に佐賀藩鍋島家の元家臣である山本常朝が公述した本でしょう。

何が有名なのかといえば、そのなかの一句、「武士道というは死ぬことと見つけたり」です。この句の真意は、死ぬことが大事だとする教えではなく、死ぬ覚悟を持ち続けることで、武士としての本分を全うできるというものです。

また同書では、「忠義とは、もし主君が間違った方向に進もうとしているときは、それを諫める努力をすることだ」とも言っています。

武士道という言葉が最初に出てきたのは戦国時代のようですが、『甲陽軍鑑』という武田流兵学の書が有名です。

当時の武士道は、戦場で活躍する武士の姿を表していました。しかし、そうした武士道という言葉の意味も江戸時代という太平の時代を迎え、変質していきます。戦いぶりではなく、人間としての内面的な強さや徳の高さを重視するようになるのです。

1642(寛永19)年に出版された『可笑記』では、「嘘をつかず、軽蔑をせず、こびへつらわず、表裏がなく、欲張らず、礼を重んじ、自慢せず、驕らず、そしらず、不奉公ならず、朋輩と仲良く、慈悲深く、義理を重んじ、云々」を武士道の意味としています。

死ぬ覚悟という強い下支えはあるものの、理想的な侍像を示しているとされる武士道は、まさに謙虚さを重んじる教えだと思います。実際、武道においては勝者も敗者も試合が終われば礼をし、お互いに称え合います。

すべての侍が、ましてや町人が武士道を重んじていたわけではないとしても、日本人が理想とする姿がそこに投影されていると僕は思います。

それは、力強く自らを律した謙虚さなのではないでしょうか。

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