日本では少子高齢化が急速に進み、政治状況も混迷していて、世界における競争力も年々下がっています。それでも、「謙虚力」さえあれば、日本はまだまだ救われるというのが僕の考えです。
本稿のまとめとなる今回は、僕が目指す「謙虚力」の極みである天皇・皇后両陛下、そして上皇・上皇后両陛下の振る舞いと、今後の私たちがめざすべき姿について考えます。
マッカーサー司令官が感激した言葉とは
日本人の「謙虚力」の象徴は、やはり歴代の天皇陛下、そして皇后陛下だと思います。例えば昭和天皇は第二次世界大戦を経て人間宣言をされ、自らの神格化を否定されましたが、終戦後の昭和20年9月にダグラス・マッカーサー司令官を訪ね、歴史的な会見をされました。
当時、通訳のメモを見た藤田侍従長の回顧録によれば、昭和天皇はマッカーサー司令官に対して「責任はすべて私にある。文武百官には責任がない。私の一身はどうなろうとかまわない。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」と述べられたのです。
マッカーサー司令官はひどく感激し、「かつて戦いに敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う」と述べたそうです。
そのマッカーサー司令官の回顧録には、「天皇陛下をして日本で最高の紳士であると思った」と書かれているそうです。こうした昭和天皇の言動は、まさに尊敬すべき日本人の良心であり、「謙虚力」の極みであると感じます。
僕の目指す「謙虚力」の極み
かつて一度だけ園遊会に招かれて、間近で当時の天皇皇后(今の上皇上皇后)両陛下からお言葉をいただいたことがあります。
そのすばらしさは漏れ聞いた情報からしっていたつもりでしたが、あんなお方がこの世にいらっしゃるということが信じられませんでした。それこそ、優しさのオーラに包まれていて、その温かさを感じられるのです。
僕の近くにも来られて、僕が付けていた「同塵会」のバッジを見て、「それはなんですか?」と尋ねられました。素朴な質問だったのですが、僕は正直、どう答えたのかも覚えていません。そのオーラに圧倒されて、舞い上がってしまったのだと思います。
何か簡単に答えて、陛下が笑顔を返されたのです。それだけの話ですが、僕もまた幸せのオーラに包まれた気がしました。
上皇・上皇后両陛下は天皇・皇后時代、東日本大震災の際に、被災者のことを思い、質素倹約を心掛け、一汁一菜の食事を続けられたと拝聴しています。率先して節電も心掛け、毎日、何時間も自主停電をされていたそうです。何も宣伝することなく、国民に呼びかけるのでもなく、淡々とやるべきことをおやりになられていたのです。
被災地の慰問も何度となくご夫妻で行かれています。常に、被災者の方々と同じ目線に立ち、場合によっては床に膝をつき、接しておられたようです。そして、一人ひとりの目を見て丁寧にご質問をされ、励まされていたようです。しっかりと被災者の方々に寄り添われたのです。
そこに他言を費やしたパフォーマンスは一切ありません。淡々と、そして黙々と立ち居振る舞われ、お声を掛けていく。やはり、天皇・皇后両陛下の存在は、日本人の心であり、謙虚さの表れであり、大いなる救いなのだと思います。
令和の天皇陛下、そして皇后陛下もまた、すばらしい方々だと思います。海外の要人をお迎えになった場面でも、英語やフランス語の通訳なしで応対され、あくまで優雅に、凛とされている。まさに、どんな要人にも位負けしない、謙虚でいて力強いお姿です。
僕の目指す「謙虚力」の極みは、天皇・皇后両陛下、そして上皇・上皇后両陛下のそれなのかもしれません。
「皆が謙虚で優しい日本社会」を実現しよう
繰り返しになりますが、謙虚になるというのはへりくだることではありません。譲れないものは譲れない。そこは主張するし、守る。しかし、それは全体の3割程度でいい。あとの7割は相手に譲る。その代わり、下手にでるのではなく、「凛としてそこにある」を貫く。堂々と相対する。
必要以上に自分を守ろうとしなければ、むしろ清々しいはずです。そこは美学です。せこせこするのではなく、優雅に振る舞う。
日本国民の多くがそうなれば、日本という国も、まだまだ安泰です。
なぜならば、一人ひとりが幸せになり、その幸せが共有され、広がっていくからです。皆が力強く、アイデンティティーを持って、それでいて相手のことも敬う。気配りをする。
令和は、そんな時代にしなければいけないと思います。「令和」という言葉は万葉集が出典
ですが、ずばりという意味が確定しているわけではありません。ただ、「令」は美しいとか、清々しいというような意味です。
「和」はもちろん和であり、ハーモニーです。まさに、謙虚であることを大切にするのにふさわしい元号ではないでしょうか。僕にはそう思えて仕方ありません。