【著者インタビューVol.1】『謙虚力』を磨いた多くの失敗と自省

横浜市内を中心に、地域密着で医療や介護・保育サービスを提供する医療法人社団 成仁会※1/社会福祉法人 同塵会※2そのトップを務める松井住仁医師は、グループ全体の指揮をとりながら、いまも診療の現場に立ち続けます。

今回の著者インタビューVol.1では、『謙虚力 超一流のリーダーになる条件』著者の松井氏が医師になるまでの歩みや、「謙虚力」という考え方の根底にある経験について聞きました。

「陰徳あれば陽徳あり」。医師である父と地方議員の祖父から学んだこと

――先生はいつ頃から「謙虚力」ということを意識されるようになったのでしょうか。

もの心ついたときにはすでに、そういった意識があったように思います。一番は父の影響です。父が「陰徳」という言葉をよく口にしていました。

誰も見ていなくても、評価されなくても、自分が善いと思うことを行え、という意味です。

父は信州高遠藩(現在の長野県伊那地方)の御殿医だった家系に生まれました。小さいときに父親をなくし、苦労して医師になった後、東京・目黒で開業しました。

昔はいまのように優れた医薬品も便利な治療器具もなく、そう簡単に患者さんを治すことはできなかったはずです。だから常に謙虚に、自分のできる最善を尽くすという意味で、「陰徳」を心がけていたのだと思います。

父が若い頃は救急車もなく、季節の変わり目など急患の多い時期は、夜中に起こされてもすぐ往診に行けるよう、座布団に横になって仮眠していたといいます。

私が医師になって父の代わりに往診に行ったとき、「大先生は夜中の12時に往診に来て、注射を打ったらそのまま柱に寄りかかって眠り、朝の6時にまた注射を打って帰っていきました。そのおかげでいま、私は生きていられるんだよ」とおっしゃったのが印象的でした。

そんな父はまさに生涯現役を貫き、99歳で亡くなるほんの2週間前まで患者さんを診ていました。

もう一人、影響を受けたのは、同居していた祖父です。祖父は地方議会の議員をしていて、選挙になるとよくこう言っていました。「街頭演説では誰も見ていないと思っても、必ずどこかに部屋から演説を見ている人がいる。どんなときも、裏表のある振る舞いをしてはいけない」。

だから僕は、小さい頃から相手が誰であれ、まずは黙って話を聞いたり、何かしてもらったら必ずお礼をいうように努力はしていました。大人になってからも、仕事の内容によって人をランク付けするようなことはせず、誰に対してもきちんと同じように接するようにしています。こういったことは、祖父の影響でしょう。

――先生はどのような経緯で医師の道を目指されるようになったのでしょうか。

父の姿を見て育ったので、小さい頃から医師になるものだと思っていました。小学校の文集にも「将来の夢」としてそう書いていました。兄と姉がいるのですが、二人とも医師になりました。

ただ、僕自身は医師になるまで、かなり遠回りしたというのが本当のところです。

中学から中高一貫の麻布学園に通ったのですが、まわりはみな優秀で、僕はどんなに頑張っても成績は下から3分の1程度。劣等感がどんどん募り、登校拒否になったりしました。

大学受験も上手くいかず、浪人中は家出してパチンコに明け暮れたり、哲学書を読み漁ったり、迷走していました。

二浪目のとき、ささいなことで父と口論になったことがありました。父に怒られたことなんて一度もなかったのですが、いつも家をあけ、患者さんのための働いていた父への反発が爆発し、「こんなの家じゃない!家庭になってないじゃないか!」と暴言を吐いてしまったのです。

その瞬間、僕のため一生懸命働いてくれているのになんてことを言ったんだと自己嫌悪にかられ、そのまま家出しました。

友人宅などを転々として数カ月後に家に帰ったとき、父から「お前、こんな生活をいつまで続けるつもりだ? 医者でなくてもいいから、どこでも受けてみろ」と説得され、昭和大学薬学部を受験したのです。

さらにその後、医師の道を本気で目指したのは、薬学部4年のときでした。同級生の大半は薬剤師として病院や薬局などに就職する中、自分には無理だと気づいたのです。医師以外の職業に就いている自分の姿が想像できず、「僕は医者になるしか生きる道がない。医者になれなかったら死んでしまう」と本気で思いました。

そこからは死に物狂いで勉強し、最後は卒業試験、薬剤師試験、医学部入学試験を立て続けにこなし、すべてクリアしました。僕が医師として診療の現場に立ったのは30歳手前でした。

権威はいらない、「謙虚な医療」を志してきた

――そうしたご経験が「謙虚力」という考えの根底にはあるのですね。

振り返れば、僕の人生は失敗ばかりです。「いつも謝ってばかりいる」と友人にからかわれたりします。自分でも、いつのまにか気がついたら謝っていることがよくあります。

ただ、僕としては、それは真剣に自分と向き合っているような気がします。一生懸命やっても失敗することがある。そこで反省し、次は失敗しないようにしようとしています。

医学部を卒業して循環器内科を選択し、大学病院に勤務していた頃、こんなことがありました。ある難病の患者さんを担当したのですが、診断のため腎生検が必要になりました。腎臓に針を刺す危険な検査であると説明したのですが、「先生がそこまで正直に話してくれるならやります」と言われました。

ところが、検査を依頼した他部門の医師のミスで大出血してしまったのです。1週間以上輸血を繰り返すことになり、僕はほとんど寝ないで対応にあたりましたが、最後は腎摘出で一命をとりとめることができました。

その患者さんが退院後、初めて外来にいらっしゃったとき、僕のせいで死にかけたのに、僕へのお礼だといって、おにぎりを作ってきてくれたのです。後で食べたら、塩と涙でとにかくしょっぱかったことをいまでも覚えています。

人は誰しも、間違いをおかすものです。でも、間違いに気づいたら、3倍努力して取り返す。それが僕の信念です。

――ご著書には、「謙虚力」のあり方として「必要なときには言うべきことは言う、主張すべきは主張することが大事」と書いてあります。

僕は常に「謙虚な医療」を志してきましたが、その基本は自分が正しいと思ったことは正しい、おかしいことはおかしいということであり、自分を良く見せたいとか、能力以上に有能に見せたいとかいう私欲がないから、誤解されようが嫌われようが、「これが正しいと思います」と言えるのです。

以前、2009年に新型インフルエンザ騒動がありました。当時、地元の医師会からも市からも、「熱がある患者さんが来たら、全員、横浜の場合は市民病院に送るように」という指示が出ました。厚生労働省と日本医師会も、同じような指示を全国で出していました。

しかし、僕は県医師会の理事会で、「診察した上でそれらしいと判断した場合に市民病院に送るべきだ。診察もしないで送るのはおかしい。向こうに着いたら胆のう炎でした、ということになるかも知れない。そうなったら医師として恥ずかしいでしょう。やっぱりちゃんと診察して疑いのある人を送るべきです」と主張したのです。

ほかの理事からは「先生のところは医師が複数いるからそう言えるんです」「うちは医師が一人だから死んでは困る」という声が上がりました。しかし僕は、「医者が病気と闘わないで誰が闘うんだ! 患者さんを治していてうつった病気で死んだら、医者の本望じゃないか」と強い気持ちで伝えました。それからは、“変わり者の医者”と呼ばれるようになりました。

挑戦し、失敗し、反省しながら人生を楽しむ。人生を切り開くヒントに

―― 最後に、次の世代へのメッセージをお願いします。

僕たちの若い頃は、ちょうど70年安保の時代でした。時代の雰囲気かも知れませんが、「自分たちがこの国を変えるんだ」という気持ちを多かれ少なかれ、皆が持っていました。それに比べると、いまの若い人たちはやや大人しいというか、何事も波風立てずに無難にやり過ごそうという感じがします。

誰にとっても人生は、たった一度きり。自分のやりたいこと、こうあるべきだと考えることに対しては、まっすぐ向き合うほうが楽しいはずです。そのためには、自分なりの軸や芯がないといけません。自分の軸や芯がない人の方がむしろ傲慢になったり、権威を振り回したりしているのではないでしょうか。

自分の軸や芯というのは、意外に自分では見えないものです。まずは相手の話を謙虚に聞くようにしていると、そこから譲れない自分の軸や芯が見えてきたりするものです。相手に対する謙虚さとブレることのない自分の軸や芯。その間で揺れながら、バランスを取るということが「謙虚力」なのかも知れません。

そう考えると、「謙虚力」とは挑戦し、失敗し、反省しながら人生を楽しむ、ダイナミックな生き方に通じると思うのです。若い世代の皆さんにとって、「謙虚力」が人生を切り開くヒントになれば、これほどうれしいことはありません。

※1医療法人社団 成仁会

長田病院/市ケ尾病院/港南中央医院/さくら通りクリニック/長田訪問看護ステーション

※2社会福祉法人 同塵会

特別養護老人ホーム:
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