【第1回】謙虚=成功を収める条件? 項羽と劉邦、韓信、豊臣秀吉の事例から

古来、「謙虚な者が成功する」というのは、よくいわれていることです。

しかし、辞書を引けば「控えめで、つつましい」「素直に相手の意見などを受け入れること」を意味していることが分かる「謙虚」が、成功のカギになるのは一体なぜでしょうか。

今回は歴史をさかのぼり、項羽と劉邦、韓信、豊臣秀吉などの事例から、大きな成功をつかむために謙虚さが必要な理由を見ていきます。

項羽と劉邦の明暗を分けたのは……

古代中国には、さまざまな王朝が生まれ、また消えていきました。

例えば秦王朝滅亡後、紀元前206年に起こった楚漢戦争は有名です。これは西楚と漢の戦いで、最後には漢が勝利します。西楚を率いていたのが覇王と呼ばれた項羽、そして漢を率いていたのが劉邦です。

古代の英雄は皆、自らが先頭に立って兵を鼓舞し、戦に臨みます。そのため多くの場合、リーダーの武力は軍全体のパフォーマンスに直結します。

項羽は人並み外れた力を持つ天下無双の武将でした。彼は向かうところ敵なしで、自ら先陣を切って敵をなぎ払います。項羽軍の士気はいよいよ高まり、破竹の勢いで進行していくことになります。

一方の劉邦は当時目立たず、無能とまでいわれていました。しかし、なぜか彼の軍には多くの知恵者や猛者が集まり、軍師や宰相、将軍となって劉邦を支え、戦いに勝ち進んでいきます。

司馬遼太郎の歴史小説『項羽と劉邦』にも詳しく描かれていますが、項羽は鬼神のごとき武勇で秦を滅ぼした強権的なリーダー、劉邦は余人にない人柄で周囲の人々に愛され、漢帝国を興した謙虚なリーダーであったといわれています。

項羽は自分がいちばん強いとのぼせ上がっていて、周囲の人々の意見を聞きません。自分に歯向かう者がいれば、すぐに殺してしまいます。その結果、組織内に優秀な人材がいなくなり、無理な政策や戦略がまかり通るようになって組織が弱体化したのです。

一方の劉邦は非力でしたが、謙虚にそれを認め、有能な部下を集めて適材適所で働かせるかたちで組織を運営してきました。人の意見を聞き、権限を積極的に委譲する。世の流れを察知する能力に長け、ここぞというときの決断力や行動力は誰にも負けない。そんな人物だったのだろうと、僕は思います。

「韓信の股くぐり」に学ぶ謙虚さの重要性

次に紹介する韓信は、劉邦に仕え、劉邦の勝利を決定づけるのに貢献した三傑の一人です。

そもそもは貧乏で素行も悪く、放浪したり、あちこちに居候したりしていたようですが、始皇帝の死後、群雄割拠の時代に項羽の叔父や項羽自身に仕えました。ただ、たびたびの進言を項羽に聞き入れてもらえなかったこともあり、秦の滅亡後、項羽のもとを離れ、今度は劉邦に仕えます。

そんな彼があるとき、町のごろつきに喧嘩を売られます。「お前は臆病者に違いない。さあ、その剣で俺を刺してみろ。できないなら俺の股をくぐれ」と挑発されたのです。

韓信は大志があるゆえに、黙って、そのごろつきの股をくぐりました。当然、皆に笑われます。

しかし、「恥は一時、志は一生」と、韓信は気にしませんでした。

「ここでこのごろつきを殺すことはたやすいが、それでは自分の手を汚すだけでなんの得にもならない。むしろ、敵をつくってしまう」と冷静に判断したのだと伝えられています。

「大志があるならば、目の前の些事はやり過ごせ。小さな恥や憤りは忍ぶべし」という戒めとして、この逸話が今に残っています。

謙虚さを武器に天下を獲った豊臣秀吉

豊臣秀吉は戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、天下人です。

彼はもともと貧しい家の生まれで、15歳のときに自立します。最初に仕えたのは今川義元の家臣、松下長則(諸説ありますが)。そしてほどなく彼のもとを去り、織田信長に仕えます。18歳のころです。そこでの初めての仕事は草履取りで、信長の草履を懐に入れて温めたという逸話が有名です。

そのほか、戦においても政治においても、秀吉はその能力と度胸をいかんなく発揮し続けます。そして、気難しい信長に気に入られ、またたくまに出世していきます。

そうしたなか、彼は自分の分をわきまえ、その時々の立場から逸脱しないように(あるいは、逸脱していると皆に知られないように)振る舞い、ツワモノぞろいの組織の中でバランス良く生き抜きました。

ただ単に謙虚に振る舞い、自分の姿を消していたわけではありません。時には前に出ていかんなくその才能を発揮していたのですが、諸先輩方を立てることを忘れず、虎である信長の威をうまく借りていました。

あの恐ろしい信長に対しても、常にイエスマンであったわけではありません。時には理不尽な命令にも背きました。ただ、秀吉は知恵者ですから、背き方もうまかったのです。いつでも死ぬ覚悟を持って、誠意を見せて難局を乗り切る。そうした気概もまた持ち合わせていました。

さらに秀吉は、本能寺の変を受けて「中国大返し」を実現します。まさに、余人に比べる者のない機転と実行力の賜物です。そして裏切り者である明智光秀を打ち滅ぼし、信長の葬儀を取り仕切ることで、自分が信長の後継者であると内外に示します。その後、柴田勝家との権力争いにも勝ち、秀吉は天下人までのぼり詰めます。

近現代の超一流の経営者も皆、謙虚

時代は変わり、近現代の日本でも、成功を収めたのはいつも謙虚な人でした。

例えば、経営の神様といわれる松下幸之助氏もその一人でしょう。

『経営秘伝­­――ある経営者から聞いた言葉』(江口克彦著/PHP研究所)によれば、松下氏は、「二代目はとにかく謙虚であれ」と語ったそうです。

二代目、つまり後継者です。誰に対しても謙虚でなければいけないのでしょう。それはまず創業者や、先輩諸氏に対してです。松下幸之助氏は、彼らに対して腰を低くして敬意を払わなければいけないと言っています。

松下氏の言葉をそのまま引用します。

「みなさんの協力をいただかなければ、僕は経営を円滑に進めていくことはできません、ご指導ください、お力をお貸しください、ご助言ください。謙虚に、そして腰を低くして教えを請うという雰囲気であればかえって、いやいや、きみもしっかりしているし、実力もあるのだから、思う存分やればいいよ、ということになる。それが人情というものやな」

謙虚な者が勝つというのは、万古不易の法則

辞書で「謙虚」という言葉を引くと「控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること(『大辞泉』より)」とありますが、言葉どおりただ控え目に振る舞っても、ビジネスの場面では損をすることも多いでしょう。

「声の大きい人が勝つ」という言葉もあるくらいです。実際のところ、ビジネスの舞台が世界へ広がった昨今、日本人のつつましさが国際競争で裏目に出ているケースは多いのです。

大きな成功を収めるうえで謙虚さが大切なのは、歴史が証明しています。しかし単に相手にへりくだるだけでは競争に負け、損をするばかりです。

そこで提案したいのが、「謙虚力」を磨くという考え方です。

「謙虚力」とは僕の造語で、単にへりくだり相手に譲るのではなく、相手を尊重し立てながら謙虚にしなやかに自己主張をする力です。

ここから始まる全10回の記事で、この「謙虚力」の定義と磨き方、実際のビジネスシーンにおける実践方法などを紹介していきます。

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