• 杜撰な完全犯罪

  • 安貴佐和渡流士
    ミステリー

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三崎薫の章

 例えば、デジャヴ、と言えば伝わりやすいだろうか。あー、そうそう、なんかこのシーン、見たかも。結局こうなるよねー。だから僕はこうやっておけば大丈夫。そうやって僕は上手く身を処すことができるのである。これが何度か繰り返される。説明としてはそんな感じなのだけど、

実際のところ、これはデジャヴではなく、1回目も、2回目も全て現実なのだ。だから僕にとっては同じ日を何度か繰り返していることになる。特に人に話すことはないのだけど、個人的にこの現象をループと名付けている。

 なぜループが起こるのかはわからない。僕の意思で起こすこともできない。一度ループの期間に入ってしまうと1日の終わりに眠りに落ち、翌朝目が覚めると、また前日と同じことが繰り返される。

 最初にこの現象に遭遇した時は小学5年生の時だった。その日は掃除の時間に箒と上履きをアイスホッケーのスティックとパックに見立てて友達とふざけていたら、振り回した箒で誤って教室の窓ガラスを割ってしまったのだ。掃除の時間までは取り立てて特徴のない日だったのだが、あれ、なんか時間割変だな、この授業聞いたぞ、と違和感を抱いたのだが、掃除の時間に友達がアイスホッケーを始めた。まさかループなど想像もつかないからその時は、奇跡的に同じ出来事が2日連続して起こるのか!と思い、また僕がガラス、割っちゃたりしてなどと思っていたらその通りになった。その日はまだ日付や曜日が”昨日”と同じであることに気が付かなかった。しかしその次の日、今日は土曜で学校が休みだ!と思ったら、まだ木曜だったことから、どうやら同じ日を2度体験し、今日が3度目なのだと理解した(その日も掃除の時間にアイスホッケーをしたがガラスを割らないよう注意して箒を振った)。そして周囲の言動などから、それを認識しているのが僕だけであること、その後、何度か発生したループは僕にとって不都合な日に発生していることから、ループの原因が潜在的に僕にあるのだと思い至った。

一巡目

 さて、今、僕は猛烈に今日をやり直したい。なぜならば人を殺してしまったからである。今朝からもう一度やり直すことができるのであれば、当然、殺人など犯すことなく今日をやり過ごす。否、そうではない。今日の殺人を完全犯罪に仕立てるのだ。そう、殺意はあった。だからそれ自体に後悔はない。あわよくば、もっと用意周到に完全犯罪に挑戦すべきであったと後悔しているのだ。

 自身の名誉のために言うと、僕、三崎薫は蜂須賀中央高校の二年生で、少し素行は悪く優等生ではないが、当たり前だけど決してむやみに人を殺すほどのワルではない。僕が殺してしまった相手は化学教師の田浦。僕が奴に鉄槌を下すにはそれなりの理由がある。田浦は生徒に対しパワハラとセクハラの限りを尽くしてきた。そう、田浦こそが加害者なのだ。これまでこいつの被害を受けた生徒は何人もいる。標的にした生徒への攻撃的且つ人格否定の発言、成績の評価を恣意的に下げる、少し気に入らないことがあるとすぐに担任や学年主任に事実を歪曲してチクる、極めつけは(詳細はあえて書かないが)女子生徒へのセクハラ、というかもはや犯罪だ。そんな事情で生徒の間では沸々と不満と嫌悪が募っていた。

 そんな中、バスケ部の三崎香織が―双子の妹なのだが―あろうことか田浦に盗撮の被害に遭ったと言うのだ。そしてその怒りが爆発するキッカケが今日の僕へのパワハラだ。化学の授業での僕への集中砲火。問題に答えられないと馬鹿だ屑だと暴言の数々。イラっときて反抗的な態度を取ると、放課後、化学室へ来い、と呼び出し。いいだろう、化学室でもどこでも行ってやるよ、と息巻いて化学室に乗り込んだ。

 時刻は16時。僕は化学室の扉を開けた。入室するなり、ノックもなしか、素行が悪い、教師に対する態度がなってない、親の顔が見てみたい、妹の顔は知ってるがな、お前は碌な大人にならない、などなど、とにかく罵詈雑言が続く。ひとしきり罵詈雑言が出し尽くされ、少し田浦がトーンダウンした時、ここを機と捉え「そういや、先生、盗撮してるらしいじゃないですか」と直球を投げ込んだ。僕もこの際、田浦に対する不平不満、不信感、怒りを全部ぶちまけてやろうと思っていた。

「は?盗撮。このことか?お前もこの写真見たら共犯だぞ」

と言って悪びれもせず、一枚の写真を僕に放り投げた。バスケ部の部室と思しき場所の女子生徒の写真。顔は写ってないが、おそらく香織だ。

「顔は写ってないから問題ないだろ」

と、どす黒いニヤけた顔を向けてきた。これでキレた。顔じゃないとこが写ってるから大問題なんだろ!近くにあったメノウの乳鉢を手に取り、座っている田浦の頭に正面から思いっきり叩き込んでやった。田浦はうぐっと音を立てて倒れた。時刻は16時20分過ぎ。

 これがことの顛末だ。もともと、いつかぶん殴ってやると思っていたが、無計画に勢い余って撲殺してしまった。こんな奴の命と引き換えに自分の人生を棒に振るなんてまっぴらごめんだ。せめてもう少し計画的にことを進めていれば、と言うのが目下の後悔であり、猛烈に今日をやり直したいと思っている所以であるのだ。

 これまでの経験から直感的に今夜は戻れる、と感じた。やり直せなかったら仕方ない。甘んじて現実を受け止めよう。奴の犯罪行為も白日の元に晒そう。しかしもし仮にやり直せるとしたら、その時は完全犯罪の下、田浦に正義の鉄槌を下す、と決めた。

 そこで僕は何食わぬ顔で、そのまま全てを放置し化学室を出て部室に行った。この状況で警察は何に注目するのか手の内を知りたかったからだ。僕の所属するサッカー部は、サッカー部とは名ばかりで、部室はちょっと素行が悪い生徒たちの溜まり場となっている。そこで友人とたわいのない雑談をしながら、何が起こるのか待つことにした。待つこと約20分、時刻にして16時40分頃、サッカー部顧問の三浦が

「三崎!いるか!」

と怒鳴り込んできた。

 ここに至る経緯はこうらしい。第一発見者は化学部の生徒の逸見。16時30分頃(つまり僕が田浦を殴打した10分後)、部活に来たら田浦が倒れてたので、とりあえず職員室に駆け込んで、田浦が倒れていることを教師たちに伝えた。そこに僕の担任教師の富岡がいて、「そう言えば田浦先生が放課後、三崎を指導するって言ってたな」と情報を吐き出し、さらには騒ぎを聞きつけて化学室前の廊下に集まった吹奏楽部の野次馬の中から「化学室に三崎くんが入るのをみた」「私は三崎くんが出て行くのを見た」という複数の目撃証言が出てきた(吹奏楽部の奴らは楽器別の練習を廊下や空き教室で分散して行うから神出鬼没なのだ)。当然、化学室の状態を見て教頭が警察に通報した訳だが、警察の到着を待たず、あっという間に容疑者として僕に行き着いた訳だ。

 職員室にてしばらく待つと、警察が到着した。時刻は17時だ。僕は警察に被疑者として扱われ取り調べを受けることになった。学校の駐車場でパトカー内に拘束された後、警察署に着いたのが20時。取り調べの相手の男は

「弘明寺豪、刑事だ。お前には黙秘権がある」

と言ってきたので、とりあえず何を聞かれても黙秘します、と答えることにした。

 被害者の頭部の打撲痕から凶器はメノウの乳鉢と特定され、凶器から指紋を採取しているようだ。凶器は化学室にある器具なので、授業や部活でたくさんの生徒が触る。その中から僕の指紋を見つけ出さなくてはならないが、優秀な警察は難なく一致する指紋を確認。これが21時。これで少なくとも凶器に触れた事実は立証された。僕の指紋が他の人の指紋の上に重なっていることから比較的最近、僕が触ったことまでわかるようだ。

 犯人像については、被害者の打撲痕から腕力の強い人物、おそらく男であること、上から頭部を殴打していることがわかったが、被害者が椅子に座っていた可能性があるため、犯人の身長までは推定できないようである。もっともそんなプロファイリングなど不要で目撃証言から既に僕が犯人だとわかっているのだけれど。動機については不明だが、

「なんか先生の評判は悪いらしいな」

と弘明寺が言ってきたので、そこは黙秘せず、

「そうですね」

と答えた。

 取り調べは、確たる物証があるせいか、案外とあっさり終わった。てっきり勾留されるのかと思っていたが、法的な拘束力はないようで今日は家に帰っても良いとのこと。無論、見張られるのだろうが。

 あまりにも僕の犯行が杜撰なので、完全犯罪を考える段階には程遠い。警察から得た彼らの手の内もあまり参考にはならない。もしループが起きたら、明日から完全犯罪に向けて取り組むとしよう。

 また今日をやり直せるだろうか?突発的な犯行であったので戻れればラッキー、戻れなければ仕方ないと覚悟を決め、その日は、戻れ、戻れ、戻れ・・・と祈る様に念じながら眠りについた。

二巡目

 翌朝、スマホで日付を確認する。戻ってる‼︎ ループだ‼︎ やり直せる。昨晩、作戦は練った。まず、今日はそれを実行に移そう。やり直しのループが起こるとなぜか朝ぐったりと疲れている。恐らく潜在的に僕がループに関わっているせいなのだろう。しかし疲労など関係ない。何としても田浦を完全犯罪で葬り去らなくてはならない。僕は自分を鼓舞し学校に向かった。

 田浦の授業は耐えに耐えた。わかりません、すみません、そうですね、とできるだけ反抗せずに受け流した。放課後の呼び出しを回避して、吹奏楽部の練習が始まる前に化学室に潜り込んだ。これで富岡からの情報漏洩と目撃証言はないことになる。今15時50分。化学部の逸見が来るのは16時30分だが、田浦はいつ来るのか?奴が僕を呼び出す事象が消えてしまったので行動が読めない。とりあえず急がなくては。さっさと作戦を実行する。シャープペンの芯を2本、コンセントそれぞれの穴に差し込み、そこにもう1本の芯で橋渡しショートさせた。ブレーカーを落とす作戦だ。見事、ブレーカーは作動し、化学室の電源はオフになった。

 化学室のブレーカーは教室の後ろの壁の上方に設置されている。ここのブレーカーを再起動するため田浦は、なにかを台にしてそこに載るだろう。台上の田浦を後ろから引き落とし、事故を装うのだ。16時15分頃、田浦が来た。照明のスイッチを何度かパチパチ動かし、壁に埋め込まれたエアコンのスイッチを何度か押して、作動しないことを悟った田浦はいよいよブレーカーの前に立った。さすがにそのままでは手が届かない。実験台の椅子、いかにも不安定な丸椅子を持ってきて、ブレーカーを再起動すべく椅子に登った。チャンス到来。用意していた布製の手袋をはめ、後ろから忍び寄り、シャツの襟首の後ろを掴み思いっきり引き倒した。運良く実験台に強烈に後頭部を打ちつけ、またもや田浦はうぐっと音を立て、それ以降、微動だにしなくなった。

 退室時も細心の注意を払い、人気のないことを確認し、部室に行き、ことの成り行きを見守る。16時35分ごろ様子を見に化学室付近に向かうともうすでに廊下には人だかりができている。

野次馬に紛れ高みの見物を決め込む。16時40分頃、教頭が化学室に来て、目を見開いたまま微動だにしない田浦を見るなり、警察、警察、と叫びながらスマホを取り出す。17時頃パトカーが到着し、制服の警官数名と弘明寺刑事が現着した。弘明寺はひとしきり現場を見て廊下に出て、野次馬の僕らに向かい、皆、手を見せてくれ、言った。そして一人一人の手のひらを確認し始めた。僕も手を見せる。

「君の指の第二関節付近にあるこの赤い擦り傷はなんだろうか?」

ヤバい、言うまでもなく田浦を引き倒した際にシャツの襟首との摩擦でできた擦過痕だ。手袋をしていても摩擦は相当だったようだ。

「教頭先生、この生徒から話を伺っても良いでしょうか?」

「は、はい。もちろん。えっーと担任の」

「はい、教頭。私です」と富岡。教頭も冨岡もオロオロしている。

「担任も同席してもいいでしょうか」と教頭が刑事に聞く。

「ええ、もちろん構いませんよ、教頭先生」

 これから僕への聴取が始まるのだろうが、早くも僕は悟った。このやり方では駄目だ。僕の体に他殺の痕跡が残る。でもなぜこの刑事は事故ではなく他殺と考えたのか。知っておく必要があるだろう。ここは聞かれたことに素直に答え、弘明寺刑事が何に注目したのかを聞き出さなくては。

 弘明寺の違和感は次の点にあった様だ。ベルトをしっかりしているにも関わらず田浦のシャツがズボンから出ていたこと、シャツの第二ボタンが外れていたこと、そしてわずかに田浦の首の前側に擦過痕があったこと。そこに違和感を抱き、誰かが後ろに引っ張り倒したのではないかと推定したようだった。

 その後警察署に行き、取調室に連れて行かれた。弘明寺は、

「弘明寺豪、刑事だ。お前には黙秘権がある」と告げ、改めて調書を取るから質問に答えてほしいと言った。今回はもはや自白だ。そのまま逮

捕となった為、勾留され一夜を明かすことになった。何度戻れるかはわからないが、一度ループに入ると状況が僕にとって好転するまでは戻るのがこれまでであった。恐らく今夜も戻れるだろう。

三巡目

 翌朝、スマホで日付を確認するまでもなく、目が覚めたら家だったので、一安心した。戻れている。勾留されて一晩を明かすつもりが家で寝ている状況に変わったためか、今日は比較的体が軽い。いつもの倦怠感の半分程度といったところか。よかった。昨晩、作戦は練った。今日はそれを実行に移す。

 授業はなんとか耐えた。この時間を繰り返すのはこの上なく苦痛だが、ここでキレると全てが水泡に帰す。我慢、我慢だ。

 ブレーカーを落とし停電させるアイデアははいいだろう。問題はその後だ。自分で手を出してはダメだ。事故を作為的に起こすため、椅子から落ちるような仕掛けがないといけない。単純だが、椅子が壊れるように仕込むことにした。古い木のタイプの丸椅子を選び、継ぎ手の部分を外れやすく細工する。そしてそれをブレーカーから一番近くに置き、田浦が台としてこの椅子を選びやすくしておく作戦だ。

 放課後、(僕にとっての)昨日と同じように化学室に潜り込み、椅子に乗った田浦が倒れることを想定して後頭部付近に実験台の角が来るよう少しずらしておく、と思ったができない!実験台は床に固定されている!昨日は田浦を台上からひっぱり倒したからなんとか実験台の角に頭が届いたが、自然に後ろに倒れるとすると、少し距離が遠い。仕方ない。バーナー用の三脚やスタンドなど金属の実験備品をあたかもそこに一時的に保管しているかのように置いておくか。そこに頭をぶつけてもらおう。金属製の実験備品はしばらく使ってなかった様子で埃まみれなので、不自然に埃を落とさぬよう注意を払い移動した。なんとか準備完了だ。

 

16時15分頃田浦が来て、照明のスイッチを何度かパチパチ動かし、エアコンのスイッチを何度か押して、田浦はいよいよブレーカーの前に立った。さすがにそのままでは手が届かない。近くにある木製の丸椅子を持ってきて、ブレーカーを再起動すべく椅子に登った。その瞬間、田浦がバランスを崩して、後ろに倒れる。床に置いてある金属製の三脚の角に後頭部を打ち付け、またもや田浦はうぐっと音を立て、それ以降微動だにしなくなった。

 人目を避け現場から去り、部室で時間を調整し、折を見て様子を伺う。他殺を疑われ、詳しく調べられれば早晩バレるだろう。他殺を疑われているかどうか、ここで判断しなくてはならない。戻れるのは、決まってその日の朝なのだ。決断を翌日に先送りすることはできない。17時頃パトカーが到着し、制服の警官数名と弘明寺が現着した。弘明寺はひとしきり現場を見て廊下に出てきた。

「事件性、ありですね」

と教頭に告げる。

「被害者が頭部を打ちつけた部分だけに金属製の実験器具が置いてある。作為的なものを感じま

す」

 そしてしばらく野次馬の生徒たちの足元を観察する。弘明寺はまっすぐ僕を見つめ、

「君の話を聞きたい。教頭、署でこの生徒から話を聞いてよろしいでしょうか」

もちろん教頭は断らない。僕は警察署の取調室に連れて行かれた。弘明寺は

「弘明寺豪、刑事だ。知ってると思うがお前には黙秘権がある」

と告げ、調書を取るから質問に答えてほしいと言った。

「現場の床にうっすら埃が積もっている所があってね。そこに上履きの靴跡があった。ところで、三崎くん、君はいつも上履きの踵を潰して履いているのかな?」

だからなんだ?靴跡?上履きは学校指定だから靴跡がついてもそこから、僕に行き着くことはないと思うが。黙秘する。

「サイズはもうあってないんじゃないかなぁ。ま、それはいい。ポイントはそこじゃあない。だいぶ長い間、その上履きを履いているようだね」

つまり、どういうことだ?視線を下げ表情で黙秘の意を告げる。

「さぞ、靴底もすり減っていることだろうね」

そこかぁ!盲点だった!同じ靴跡でも、靴裏の滑り止めパターンがすり減っていたってことか!野次馬の大部分の吹奏楽部はなぜかサンダルで練習する習慣がある。犯行推定時刻は練習時間なのでその時もサンダルだったであろう。残りは化学部の連中と僕。上履きの使用感を比較したら消去法で僕になる、という訳か。

「君の上履きは回収させてもらったよ。鑑識が現場の靴跡と照合すれば、確たる証拠になるだろうね」

やられた、やり直しだ。

「だんまりを決め込んでいるようだし、今夜は帰っていいよ」

 今回もあっさりと家に返された。

 靴跡対策は容易だ。靴跡が残らないよう床を掃除でもするか。金属製の実験器具も置き場を変えればなんとかなるだろう。よし、明日、また今日をやり直そう。

四巡目

 翌朝、かなり体が重い。この疲労感であれば恐らく戻れているのだろう。スマホで日付を確認する。よし、戻ってる。昨晩、作戦は練った。今度こそ上手くいくはずだ。今日はそれを実行に移す。

 田浦の授業はもはや苦行だ。これを耐えていると殺意が増幅する。耐えに耐え、なんとか放課後の呼び出しを回避して、吹奏楽部の練習が始まる前に化学室に潜り込み、目撃者も回避した。今15時50分。田浦が16時15分頃くる。手際よくやらなくては。

 まずは床の掃除だ。うっすら積もった埃をはらい靴跡がつかないようにする。化学室の片隅に雑然とある、三脚やスタンドの類の実験器具は、今度は不自然に見えないように壁際に整列させて、あたかも、ここに整理しておいてます、という感じを醸し出す。壁側に器具を置くことで田浦が登る椅子と実験台を近づける作戦だ。次に椅子が壊れるように仕込む。古い木のタイプの椅子を選び、前回と同じ様に細工を施し、ブレーカーの近くの実験台に置いておく。それから漏電だ。シャープペンの芯を2本使い、見事、ブレーカーを作動させ、化学室の電源をオフにした。これで準備はなんとか間に合った。

16時15分頃田浦が来て、照明のスイッチを何度かパチパチ動かし、エアコンのスイッチを何度か押して、作動しないことを悟った田浦はいよいよブレーカーの前に立った。さすがにそのままでは手が届かない。近くにある木製の実験台の椅子を持ってきて、ブレーカーを再起動すべく椅子に登った。その瞬間、田浦がバランスを崩して、後ろに倒れる。今日は実験台の角に後頭部を打ち付け、またもや田浦はうぐっと音を立て、それ以降微動だにしなくなった。

 人目を避け現場から去り、折を見て様子を伺う。17時頃パトカーが到着し、制服の警官数名と弘明寺刑事が現着した。弘明寺がひとしきり現場を見て廊下に出てきた。

「第一発見者は、えっと逸見くんと言ったっけ。一つ教えてくれ。金属製の実験器具はいつも、あのように教室の後ろにきれいに並べられているのかな?」

「あ、いや。後ろの方にはありますが、いつもはもっと雑然と並べられています。でも先生が片付けたり、化学の授業で使った後整理したのかも知れません」

「そうか、ありがとう」

よし、よし、少し焦ったが、上手く行きそうだ。弘明寺は

「停電の原因はわかったのか?」

と制服の警官に質問する。

「過電流でブレーカーが上がっているようです」

「そうか。なにかショートしている電気機器はあるのか?それとも作為的な停電か?」

「今はまだわかりません。調べてみます」

「椅子の方はどうだ?なんか不審な点はあるか?」

「老朽化で壊れやすくなっていたようです」

「見せてみろ」

「こちらです」

「うむ・・・・?椅子の脚にあるこの傷を見てみろ。マイナスドライバーのようなもので、てこの原理で脚の継ぎ手を外そうとしたように見えるな。普通、修繕などで外すなら木槌で叩いて外そうとするだろ。外す際になにか音が出るとまずい事情があったのか。この事件のために細工されたと考えるべきだな」

「つまり刑事は事件性あり、と?」

「その可能性は排除しない。この椅子も徹底的に調べてくれ。停電の原因調査も忘れるな」

と部下に指示を出す弘明寺。次いで教頭に向け

「それから、教頭先生、しばらく我々は現場を調べます。まずは野次馬、いや失礼。生徒さんたちを速やかに帰宅させてください。くれぐれも周囲のものは触らないように」

「は、はい。わかりました。そうします」

 決定的なものはないが疑わしい点が複数ある。これは徹底的に調べられたらヤバい。リスクを冒さず、やり直すべきだ。停電の原因と椅子の細工に対策を打たなくては。どうする?考えろ、考えろ・・・。

五巡目

 翌朝、スマホで日付を確認する。よかった、戻ってる。疲労感が昨日ほどではなかったので、もしやループを抜け出したのか、と不安に思ったが、まだループは継続されている。今度こそ、今度こそは上手くいくはずだ。今日はそれを実行に移す。

 田浦の授業が始まる。もはや何も感じない。ただただ時間が過ぎるのを待つ。なんとか放課後の呼び出しを回避して、吹奏楽部の練習が始まる前に化学室に潜り込み、目撃者も回避した。今15時50分。田浦が16時15分頃くる。それまでに手際よくやらなくては。

 まずは靴跡がつかないように床の掃除。そして三脚やスタンドの類の実験器具を壁際に整列させる。次に椅子が壊れるように細工しブレーカーの近くの実験台に置いておく。これは前回同様だが、一つ対策を打っておく。しかしそれは後だ。そして停電だ。ここは工夫しなくてはならない。室内にある古そうな機器の電源コードを見る。被覆している絶縁体にひび割れや亀裂があるものを探す。亀裂の部分を広げて、導線をショートするよう触れ合わせておく。それをコンセントに差し込み、亀裂の部分でショートさせ、ブレーカーを落とす。よし、上手くいった。これで実験室の機械由来の停電となった。

 

16時15分頃田浦が来て、照明のスイッチを何度かパチパチ動かし、エアコンのスイッチを何度か押して、作動しないことを悟った田浦はいよいよブレーカーの前に立った。さすがにそのままでは手が届かない。近くにある木製の丸椅子を持ってきて、ブレーカーを再起動すべく椅子に登った。その瞬間、田浦がバランスを崩して、後ろに倒れる。今日も実験台の角に後頭部を打ち付け、またもや田浦はうぐっと音を立て、それ以降、微動だにしなくなった。今日はここでさらに対策を追加する。倒れている椅子の組み込み部分を素早くはめ込み、化学室の前の方の席に置く。代わりに同じ形の木製の椅子をその場に倒し、実際に田浦を転倒させた椅子とすり替える。すり替えた椅子の座面はうっすら埃が積もっているので、これを利用し、座面に田浦の足跡をつけておく。あまりやりたくないが田浦の靴を履き、実際に僕が奴の動作をトレースして自然な足跡を付けた。田浦に靴を履かせるのは物凄く不快な作業だ。一方で本当に使用した椅子からは田浦が登った痕跡を消しておく。

 人目を避け現場から去り、折を見て16時35分ごろ、現場の様子を伺いに野次馬に紛れる。17時頃パトカーが到着し、制服の警官数名と弘明寺が現着した。弘明寺はひとしきり現場を見て廊下に出てきた。

「実験室の機器がショートしてブレーカーが落ちたようだ。それを復帰しようとして椅子から転倒し、運悪く頭部を打撲したようだな。そう考えて特に不自然な点はなさそうだ。念の為、教頭先生、第一発見者の生徒から話を聞いてもいいですか。ご心配には及びません。手続きみたいなもんです」

「あ、はい。もちろん構いません」

やった!遂に、遂にやったぞ。パワハラ、セクハラ教師に正義の鉄槌を下した!今夜はゆっくりと寝れそうだ。

六巡目

 今朝はこれまでの疲れが出たせいか少しだるいが、気分が爽快だ。これまで自覚はなかったが、上手く田浦を消すことに相当ストレスを感じていたようだ。テレビのニュースで日付を気にする必要もなく、のんびりと朝ごはんを食べる。学校に行き、気分良く教室に入ると、クラスメイトが

「おっす、三崎!田浦の話聞いたか?」

「おう、田浦のことか。なんか昨日、化学室で転倒して死んだらしいな」

「は?何言ってんだよ。逮捕だよ。今朝、逮捕されたらしいぞ。クスリ、してたらしいぜ」

「えっ!逮捕?クスリ?」

「ま、学校でも盗撮の噂とかあったしな。結局、ろくでもない奴なんだよ」

 クラスメイトの言葉が入ってこないほど動揺している。どういうことだ?生きている?今朝、逮捕されている?今日はいつだ?慌てて教室の黒板の日直欄で日付を確認する。えっ?もう一度、スマホでも日付を確認する。昨日だ!戻ってきている!まだループの最中だ。ただし状況は全く違う。

 残念ながら僕は意図的にループを起こすことはできない。一度、このループに入ってしまえばあとは抜け出るのを待つだけなのだ。これまでの経験では自分にとって状況が好転したらループが終わっていたので、てっきり今回も田浦の事故死を偽装できた時点でループから抜け出せると思っていた。なぜループが続いているのだろう?そもそもなぜループが始まるのかも解らないのだから、なぜ終わらないのかも解るわけはない。少なくとも田浦は生きているわけだから、僕が殺人容疑で逮捕されることもない。田浦に鉄槌を下すことはできないが、僕にとってはリスクのない一日となるということだ。今日は大人しく過ごし、このままループが終わるのを待つしかない。

弘明寺の章

 ようやく田浦の尻尾を掴んだ。3ヶ月前、蜂須賀中央高校の女子生徒から盗撮されてるかもしれないとの相談を受け、内偵をしてきた。学内での犯行は抑えられないが、駅や商業施設などでも余罪があると踏んで田浦を調べてきた。しかしなかなか盗撮の現場は抑えられない。しかしその過程で田浦が全く別の犯罪に関与していることがわかってきた。クスリである。こちらの方が所持の物的証拠や頭髪や尿の検査から薬物の検出による使用の証拠が押さえやすいと考え、方針を切り替えた。そしてようやく売人と思しき人物との接触を確認できた。このタイミングで踏み込めば所持で現行犯逮捕ができるだろう。

 近日中に令状を取り逮捕に踏み込もうと思っていたが、そんな矢先、蜂須賀中央高校から110番の通報があった。田浦が学校で殺害されているとのこと。いち早く状況を確認するため、現場に向かった。

 現場を確認すると、どうやら田浦は化学室で椅子に座っていたところ、頭を殴打され亡くなったようだ。被疑者はこの学校の生徒のようで既に職員によって確保されていた。三崎薫という男子高校生だ。

 署に連れて行き事情を聞くことにした。

「弘明寺豪、刑事だ。お前には黙秘権がある」

と名乗り黙秘権があることを伝える。すると反抗期のせいなのか、何を聞かれても、黙秘します、の一点張りだ。唯一、田浦について、

「なんか先生の評判は悪いらしいな」と聞いた時だけ黙秘せず、

「そうですね」

と答えてくれた。田浦先生よ、突発的に生徒に撲殺されるなんて、よっぽど嫌われてるんだな。

 しかし、俺は田浦の罪を暴き罰を与えなくてはならないから死なれると困るんだがなぁ。あまりこの能力は使いたくはないが、仕方ない、1日、やり直すか。この事件に計画性は見られない。突発的な事故みたいなもんだ。改めて今日をやり直せば三崎少年も思いとどまるかもしれな。あまり無駄に三崎少年を拘束をしても仕方ない。今日はもう解放してやろう。さて、今日をやり直すとしよう。

 翌朝、スマホで日付を確認する。よし、戻れている。

 今日は、なんとか三崎少年が思いとどまってくれたらいいのだが、と考えながら職務に従事をしてると蜂須賀中央高校から通報があった。ああ、駄目だったかぁ。今日もやりやがったな。仕方ない、現場で状況を確認するか。

 現場に赴くと今日は前回とは状況が異なっている。ま、もとよりあまり計画性がない事故みたいな事件だから、そっくりそのまま前回を再現してなくても不思議ではない。しかし、まあ、今日も酷いなぁ。前回ほど突発的な犯行ではないにせよ、杜撰な犯行だ。今日も三崎少年を署に連れてきて話を聞くことにした。

「弘明寺豪、刑事だ。知ってると思うがお前には黙秘権がある」

と告げ、調書を取るから質問に答えてほしいと言った。

「現場の床にうっすら埃が積もっている所があってね。そこに上履きの靴跡があった。ところで、三崎くん、君はいつも上履きの踵を潰して履いているのかな?」

黙秘しているが、質問の真意が見えず動揺しているな?

「サイズはもうあってないんじゃないかなぁ。ま、それはいい。ポイントはそこじゃあない。だいぶ長い間、その上履きを履いているようだね。さぞ、靴底もすり減っていることだろうね」

致命的ミスを指摘されているのに、なにか合点のいった表情に変わった。ちょっと変わった生徒なのかな。

「君の上履きは回収させてもらったよ。鑑識が現場の靴跡と照合すれば、確たる証拠になるだろうね」

 折角、1日をやり直したのに、また犯行を犯しやがって。俺としては田浦に死なれてしまうと困るんだ。ここはズバリ指摘して三崎少年に殺人を諦めさせるか。いや、それは無理か。もう一度、今日がやり直された時、やり直しているという認識は俺にしかないのだから。もう一度だけ戻って彼が思いとどまってくれることに期待しよう。 翌朝、同じようにスマホで日付を確認する。よし、戻れている。今日は三崎少年、思いとどまってくれるといいのだが。しかし夕刻、またもや蜂須賀中央高校から通報が入った。やっぱりやってしまったのか?いや、予断は禁物。まずは現場に向かおう。

 現場には田浦が倒れていた。不謹慎だが状況を見て少し安心した。どうやら事故と考えて特に不自然な点はないようだ。調査の結果、停電の原因も分かった。化学室にある機器がショートしていたようだ。それによって落ちたブレーカーを復旧しようとして椅子に登った田浦が、転落して、運悪く亡くなったようだ。室内に不審な靴跡はない。田浦が台として使用した椅子も特に不審な点はない。田浦にも引き落とされたような痕跡はなく、自分でバランスを崩して転落したようだ。あとは運が悪いとしか言いようがない。たまたま置いてあった器具に頭を打ち、たまたま打ちどころが悪く亡くなってしまった。その間、誰も化学室へは出入りしていないようだしな。

 それにしても田浦という男は本当に不運なやつだな。生徒に殺される世界線を回避しても今度は転落死とは。これで三崎少年が罪を犯すことはなくなったから、その点についてはめでたし、なのだが、俺にとってはまだ田浦の逮捕が達成されていない。仕方ない。もう一度だけやり直そう。今度は令状を取り、朝イチで田浦を逮捕して事故死を回避するとしよう。

再び六巡目

 翌朝、つまりやり直しの今朝、俺は令状を持って出勤前の田浦の自宅に赴き、奴を逮捕した。朝の通勤時間で奴の自宅前は通行者もいる。SNSが発達した昨今、あっという間にこの逮捕は高校生たちの耳に入るだろうな。今頃高校ではちょっとしたニュースになってるかもな。三崎少年も、田浦の逮捕で、溜飲を下げた事だろう。

 田浦を今朝、逮捕したので、当然ながら今日は夕方になっても蜂須賀中央高校からの通報はなかった。よし、今夜は久しぶりにゆっくり行きつけのバーで飲んで過ごすか。

 仕事を終え、一人、バーでウィスキーのロックを味わいながら、四巡させた今日1日の出来事をぼんやり反芻してみる。三崎少年の殺人を二度も回避し、田浦の事故死を回避して、田浦を逮捕できた。この能力はあまり使いたくはないんだよな。やるたびに抜け毛がひどくなる気がするし。抜け毛がおさまるまでしばらくは能力を封印しよう。ま、今回は下衆な田浦に罪を償わせることができそうなのでヨシとしよう。

 それにしても田浦はついてないな。田浦にとっての今日は、殺されるか、事故死するか、逮捕されるか、という選択肢しかないんだもんな。殺人を回避してやっても事故死か・・・。本当に事故だったのかな?事件性を疑う痕跡はなかったけど、あまりに何もなさ過ぎるような気もする。もしかして、三崎少年の偽装工作がレベルアップした?いや、ないな。やり直を認識できるのは俺だけなのだから。いやでも、もし他に同じ能力を持つ者がいたら?そして俺が認識していないやり直しがあったのだとしたら・・・。無駄な妄想だな。検証のしようが無い。あなたは時間を戻せるんですってね、いや実は俺もなんですよって、関係者に聞いて回るのか?馬鹿馬鹿しい。誰も取り合ってくれないだろうな。酔いの回った頭でぼんやりと考えていたが、こんな事を考えていては折角のウィスキーを味わえない。もう考えるのはやめにしよう。

(終わり)