『叶わないとしても』
桃口 優著
恋愛
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どうやったら、あなたと運命が結ばれますか? 僕は、最初はこの感情が何だかさえわからなかった。 そして、わかっても何もすることはできなかった。 でも、今は…。 運命の結ぶことの大変を描いた物語です1話
あなたはこれまで運命を感じたことはありますか?
その時、その運命を結ばせることが出来ましたか?
もし結べたなら、それはどうやって結んだか説明できますか?
これは一途な思いが、運命に辿り着く物語。
「もっと一緒にいたいな」
そんな小さな思いから、この思いは始まったのだと思う。
私がこんなロマンチックなことを考えるようになるとは、この時の私は一向に思ってもいなかった。
太陽の光りが、大きな窓から入り込んできている。
部屋の中は、温かさで満たされる。
その先には、白いキッチンがきれいに広がっている。
部屋はいつもきれいに掃除されている。
その光りは、温かくて心地よい。
季節は春ぐらいで、今は昼間だ。
窓の下の方には、小さな日向ができている。
私はその日の当たる床で、目一杯体を伸ばしていた。
「しらたま。またいい寝どころ見つけたの?」
私は青色の目を眠そうに開いて、声をかけてきた相手を見つめる。
相手の名前は、|坂本 美彩《さかもと みあや》という。
年齢はたぶん十代後半ぐらい。長くさらさらした黒い髪と優しそうな細い目が印象的だ。
女性の平均身長より、より少し背が低い。
でも、スレンダーな体をしていて、年齢の割には大人っぽく見える。
いつも彼女は私が一人でのんびりしたい時に、声をかけてくる。
悪い人ではないけど、彼女はいつもタイミングが悪い。
私はというと、そもそも人間ではなくて、猫だ。
しかも、まだまだ子猫だ。
全身真っ白の毛を舐めながら先ほどの温かい光りをまだ味わっている。
本当はもっとのんびりしていたい。
それでも呼ばれたら、ついそちらにいってしまう。
彼女のそばにいるとなぜか心が温かくなる。
なぜそうなるかはわからない。
でも少し前から彼女と一緒に過ごしているけど、ずっと一緒にとかそんな難しいことは考えたことはない。
ただ居心地がいいからそこにいるだけだ。
私は自由で気ままな典型的な猫だろう。
この頃の私は人間になりたいと考えたことなどなかった。
それに、みあやがいつも忙しそうにしているのを見ると、猫の方が気楽でいいとその時は思っていた。
彼女は朝になると、バタバタとしだして、紺の上下の服に着替えて何処かに行ってしまう。それから夕方まで帰ってこない。
少し寂しい気持ちになる。彼女は一体どこに行っているのだろう。早く帰ってきてほしいなと思う。
寂しい?何でそう思うんだろう?そんな気持ちを私は特別に彼女に抱いているのだろうか。
この気持ちはなんだろう。
そんなことを考えてながら、彼女と初めて出会った時のことが思い出した。
それは、私がまだ野良猫だった頃のことだ。
その日は、夜で土砂降りの雨だった。
灯りもなく、暗い一本道だ。隣の川からは水が勢いよく流れている。
猫にとって、少しの雨でも体力が奪われる。
先っちょの少し曲がった尻尾が雨で濡れて重さを増す。
どこか休めるところはないかとよたよたと歩いていると、いきなり人に声をかけられた。
「えっ、子猫!?大丈夫?」
その言葉の意味はもちろんわからず、私はだだ「にゃー」と鳴いた。
鳴いた後で驚いた。私の声には力はなどなく、弱って震えていたから。
いつの間にこんなに弱ってしまったのだろうか。
このままではまずいなと感じ始めた。
どこか休めるところを探さなきゃと辺りを再度見回した。しかし、目の前にはただ長い道が広がるばかりで、これといって雨宿りできそうなところはない。
すると、突然抱き上げられて、こう言われた。
「ねえ、あなた、私の家に来ない?」
彼女はそう言って、確かに笑った。
その言葉の意味もわからなかったけど、どうしてだろう。その顔を見て心がすごくきゅーっとした。
言葉にできない思いになった。
その感情がなんなのかその時はわからなかった。
ただこの人は、変わり者だということはすぐにわかった。
だって、その人は自分が雨に濡れることも気にせず、私のことをくるくると何か布のようなもので包んでくれたから。
自分のことよりも私のことを優先してくれてるの?
なんで?
正直戸惑った。
今までこんなふうに接してくれる人や動物はいなかった。
物心ついた頃から、ずっと一人だった。
一人で、厳しい世界を生きてきた。野良猫の私を誰も助けてなどくれなかった。そんな優しいものはいなかった。味方などいない。自分がやられてしまわないようにしながら、自分の分の少しのご飯を手に入れる。
それが当たり前だった。
この時、彼女に出会い私は確かに何かの感情が生まれた。
それがなんなのか知るのかはもうしばらく後のことだ。
今思えば、衰弱していた野良猫である私を彼女は救い出してくれた。
あのままだったら、あの感情を知らないままだった。
そう思うと、本当に彼女には感謝している。
「今日からあなたの名前は、『しらたま』ね」
それから数日後に、彼女は、私の目をみて、そう言ってきた。
私は元気になって、体型も子猫の標準体型ぐらいになった。正確には元々少し痩せ形体型なのか、少しほっそりしている。
汚れも取れて、白い毛並みも綺麗になった。
彼女はその後も私を方を向いて、『しらたま』と何度も呼ぶので、きっとこれは私のことを呼んでいるのだとわかった。
これが『名前』というものだろう。
今まで当たり前だけど、名前などなかった。
必要ないかと思っていた。
生きていくことに、名前など必要ないとさえ思っていた。
私にとって人生とは、その日生きていければ、それで十分満足のいくものだった。
「そして、自己紹介が遅れたけど、私の名前は坂本美彩ね。みあやね」
ゆっくりと彼女は話してくれた。
きれいで優しい声だなと感じた。
私は猫だから大きな声や高い声が苦手だ。
「にゃー」と鳴くと、「そうね、しらたまの鳴き声に似てるね」と言いながら突然みあやは笑い出した。
みあやはよく笑う人のようだ。その笑顔をみるとなぜか私もほっとした。
確かに私自身、『しらたま』という名前よりも『みあや』の方が覚えやすかったし、親近感も湧いた。
みあやという名前も、本人が何度も教えてくれたので覚えたのだ。
それから、完全にみあやの家の中だけで生活するようになった。
私の生活はガラリと変わった。
野良猫の時に比べれば、確かに格段に良い環境にはなった。
爪を研ぐのによさそうなところ、登ると楽しそうなところ。
襲ってくる敵はもちろんいない。
みあやは私のためにいろいろ用意してくれたようだ。
ご飯はいつも用意されていて、食べ物の心配もそさそうだ。それが一番嬉しかった。野良猫の頃の私はいつもお腹を空かしていたから。
でも、みあやが、それだけしてくれるのがなぜなのかはわからなかった。
それに、最初はなんだか落ち着かなかった。
そもそも今までと全く匂いが違うから。
まずは家の中をくまなく歩いた。危ない場所はないか調べた。
その度に「大丈夫だよ、しらたま」とみあやは声をかけてくれていた。言葉の意味はわからないけど、私に優しく声をかけてくれているのはわかった。
前まではその日生きていくのだけで精一杯だった。気持ちが休まる時などなかった。ゆっくり寝れたことなどなかった。
でも、今は寝るところがたくさんあって、気にせず寝れる。
安心して寝れることは、猫にとってかなり重要なことだ。
猫は本来1日の大半を寝て過ごすのだから。
初めはみあやのことも信じていいのかわからなかった。
でも、みあやが何度も何度も私の名前を呼んでくれた。
近くに行くと、美味しいものをくれる時もあれば、遊んでくれる時もあった。たまに何にもないのに呼ばれる時もあった。
でもどの時にも、みあやは笑顔で、私を見つめてくれた。
その笑顔を見ていると、私はだんだんとこの人は悪い人じゃないと思えてきた。
そうして一緒に暮らしていくうちに、徐々にこの家が私にとって安心できる場所となった。
最初は名前も必要ないと思っていたけど、今ではみあやから『しらたま』と呼ばれることが、嬉しくなっている自分がいた。
自分でも不思議だけど、今ではしらたまという名前が気に入っている。
しかし、一方で最近なんだか体調が悪い時が多い。
どうしたのだろう。
2話
「お願い、入って」
次の日私がみあやの布団の上で寝ていると、突然みあやに小さな箱の中に入れられた。
それは猫が入っても窮屈だと感じるほど小さな箱だ。完全に外の様子がわからないわけじゃないことが唯一の救いだった。
それから私はそのまま大きなタイヤ? が四つついた巨大な乗り物に乗せられた。
そして、それはすごいスピードで動き出した。
一体みあやは、私をどこに連れていく気だろう。
不安がどんどん込み上げてきて、「にゃー!」と大きな声で鳴いた。
「怖いよね。あと少しだから」と聞こえてきたけど、その言葉の意味もわからない。
ただいつものみあやと違うことはわかった。
でも、私にはどうすればみあやが元気になるかわからなかった。
しばらくして、それは止まった。
そこは白い建物で、古ぼけた看板がついていた。けれど、私は日本語が読めないからここが何をするところなのかわからなかった。
やっと箱の中から出られたと思ったら、知らない年老いた男の人が私の体を触ってきた。突然痛いこともされた。
この人は何者だろう。全身白い服を着ている。
「猫エイズです」
その人は、みあやに話しかけていた。
「猫エイズって、なんですか?」
みあやの顔が、不安そうになった。
「それは猫の病気の一つで、罹るともう治療の手立てがないものです」
この人はみあやのことを気にせず、しゃべり続けている。
一緒にいてわかったことだけど、みあやは感情が顔に出やすい人だ。だって、それが猫の私にもわかるのだから。
みあやを不安にさせないでと思って「しゃー」っと威嚇してみるけど、なぜか全然相手にされない。
「ちょっと待ってください。じゃあしらたまはもうすぐ死ぬんですか」
「はい。残りの時間を大切にしてあげてください」
みあやがすごく悲しそうな顔をしていたから、私は「にゃー」と鳴いた。
すると、みあやが「苦しいよね、ごめんね」と泣きながら私の頭をなでてくれた。
みあやと過ごして半年ぐらい経つけど、こんなみあやの顔は初めて見た。
本当にどうしたのだろう。
それから、家に帰ってきたけど、みあやはかまってくれなかった。
私が「にゃーお」と鳴くと、いつもはすぐに近くに来てくれるのに、今は反応がない。
「元気を出してね」という気持ちを込めて再び鳴いた。
すると、突然みあやに抱きあげられた。
みあやから甘い香りがした。私の好きなみあやの匂いだ。
「しらたま。本当にごめんね」
そのまま、みあやは私の目をじっと見つめてきた。
「少しだけお話をさせて。私がしらたまと出会った日、すごい雨だったよね? あの日のこと今でも覚えているよ。あの日、しらたまが懸命に生きる姿を見て、守ってあげたいと思った」
みあやの目から涙が流れている。
「どうして泣くの?」と私は思った。
「でも、守ってあげられなかった。今の私には、しらたまの病気を治してあげることができないみたい。もっと一緒にいたかったよ。しらたまももっともっと生きたいよね」
私は、「にゃーにゃー」と鳴き続けた。
みあやには、ずっと元気でいてほしい。
そんなふうに最近思うようになってきた。
「そうだよね。私がしっかりしなきゃね。ありがとう、しらたま」
みあやはそう言って、私を床に下ろして、涙を拭いて笑顔を見せていた。
もしかして、私の思ってることが伝わったのだろうか。そうだといいなあと思った。
その時、私にとってみあやってどんな存在なんだろうかと不意に思った。
私はそれからいつもの寝床であるみあやの布団の上にも行かず、お気に入りの高いところにも登らなかった。
理由はわからないけど、みあやのそばにくっついていたいと思った。
「最期まで一緒にいるからね」という優しい声が聞こえてきた。
「しらたま、しらたま!」
みあやの辛そうな顔を見てから、一ヶ月後のことだ。
私の体は、なぜかどんどん元気がでなくなってきていた。いつもならすぐに元気になるのにおかしい。
みあやが大声で私を呼んでいるのが聞こえてきた。
「しらたま、聞こえる?」
みあやが、近づいてくる。
私は体を動かそうとするけど、もううまく力が入らなかった。
突然今までみあやと過ごした日のことが、頭の中ですごいスピードで浮かんでは消えた。
そして、そのあとでみあやが私にとってどんな存在なのかぱっとわかった。
みあやは、私にとって『幸せ』をくれる人だ。
みあやのそばにいると、みあやのことを考えると、心が温かくなっていた。
それは、『幸せ』という感情だったのだ。
『幸せ』という感情があることは知っていたけど、野良猫の頃にはそれをくれるものはいなかった。安心できる時なんてなかった。
みあやが初めて私に『幸せ』をくれた。『幸せ』とは、こんなにも素敵なものだと教えてくれた。
しかし、こんな風に思い出が一気に浮かぶのは一体なぜだろう。
「しらたま、無理に体を動かさなくていいよ。私はそばにいるから」
みあやは私の肉球を優しく触り、ずっと声をかけてくれている。
もどかしい。
こんな時、みあやの言葉の意味がわかったらどんなにいいだろうか。
私にはどんなに考えても、みあやが話している言葉の意味が全くわからない。
猫と人間では、どうしてもコミュニケーションがとれないようだ。
せめてみあやが今何を言ってるかだけでも知りたい。それを望むことさえも許されないのだろうか。
この時私が人間であったならよかったのにと激しく思った。そんな風に感じたのは初めてだった。
みあやのために、人間になりたいとまで思った。
自分のことしか考えていなかった私が、誰かのために何かをしたいと思うようになるとは想像もつかなかった。
みあや、今なんて言ってるの?
どうしてそんなに悲しそうな顔してるの??
一つ願うと、他にも願いはでてきた。
感謝を自分の言葉で届けたい。
みあやに感謝したいことは本当に山ほどある。
もしかしたら、これでみあやとお別れかもしれない。
自分の体のことだから、なんとなくわかる。
みあやと少しでいいから、心を通わせたい。
叶うなら、もっと一緒にいたい。
「しらたま。いつも私のそばにいてくれてありがとう。私、しらたまからたくさん元気をもらえたよ。だからね、もう頑張らなくていいんだよ」
みあやが、泣いている。
私は元気づけるために声を出そうとする。私が鳴くと、みあやはいつも喜んでくれていたから。
体からゆっくり力が抜けていく。
意識がどこかにいってしまいそうになる。
みあや、もう泣かないで。
私はみあやのことが好きだよ。
みあやと過ごして、『幸せ』って感情をたくさんもらった。
ありがとう。
「しらたま、しらたま!」
みあやの声が、ずっと響いている。
やっとみあやへの気持ちがなんだったのかわかったのにもうお別れなの?
またみあやに会いたいと強く願った。
もし今度会うことが叶うなら、人間同士がいいな。
そこで私の意識は、なくなった。
3話
当たり前にそばにいる人が、実は自分にとって特別な存在だとふとした時に気づくことってありませんか?
気づいた時、あなたならどんな行動をしますか?
「|洸、ちょっと待って」
僕は、今お家から近くにある大きなスーパーマーケットに来ている。
そこは、僕にとって『遊園地』のようなところだ。
まだ小学校にも行っていない僕には、このスーパーマーケットはびっくりするほど広いし、たくさんのものがあって走り回るのが楽しい。僕は走ることが大好きなんだ。
それに大好きな人も一緒だから、もっと楽しい。
その人の名前は、坂本 美彩っていうんだ。かわいくてきれいな僕の自慢のママだよ。
パパは、遠くにいる。ママとパパは、僕が生まれてすぐ「りこん」ってのをした。「りこん」って言葉の意味は知らなかったけど、ママが何度も優しく教えてくれた。パパは近くにいないけど、ママがたくさん優しくしてくれるから僕は全然寂しくないんだ。
そして、僕はママのことを『みあや』と呼んでいる。
ママが「そう呼んでいいよ」と優しい声で言ってくれた。
『みあや』って音が、猫の鳴き声みたいでかわいい。
だから、ママにぴったりな呼び方だと僕は思っているし、僕もすごく気に入っている。
それにそう呼ぶと、不思議だけど幸せな気持ちになるんだ。
でも、そのあとでどうしてかわからないけど、いつも白猫がちょっとの間頭に浮かぶ。
みあやと外を歩いてる時に猫を見かけても「かわいい」とは思うけど、家で猫は飼ってはいないからどうしてか僕にはわからないんだ。
でも、すぐにその白猫は頭から消えるから、そんなに気にしていなかった。
「ねえ、僕の足速いでしょ」
「うん、洸はすごいね。でも人にぶつかったりしたら危ないから、ここで走るのはダメだよ」
「平気平気。僕は強いから」
「私は、心配してるのよ」
「ごめんなさい」
みあやが辛そうな顔をしていたから、僕はすぐに謝った。
そんな顔を見ると、心がなんだか痛くなる。
怒られているわけじゃないのに、どうしてだろう。
「洸は、えらい子ね」
そんな僕をみて、みあやはすぐに笑顔で僕の頭をなでてくれた。
僕は、みあやの笑顔が好きだ。心がほわほわ温かくなるから。
「うん!」
「そんなえらい洸には、今日は特別にお菓子を2個買ってあげるよ」
「ホントに?」
「ホントだよー」
みあやも、すごく楽しそうな顔をしていた。
「やったー! でも、あれもいいし、これもいいなあー」
「ゆっくりでいいよ」
迷っている僕にみあやが優しい声でそう言ってくれたから、僕は楽しみながらお菓子を探すことができた。
今日は、みあやと公園に遊びにいく日だ。
土曜日は、みあやが僕を公園に連れて行ってくれる。
僕が走るのが好きと言っていないのに、どうしてみあやにはわかるのかな?
それとも、何か別の理由があるのかな。
とにかく、僕は土曜日をいつも楽しみにしている。
「みあや、早くー」
僕は家の玄関で、大声でみあやを呼んだ。
「ちょっと待って。今帽子探してるのよ」
がちゃがちゃとみあやがものを探す音がする。
「帽子なんていいよー」
「ダメよ。お外は暑いんだからちゃんと熱中症対策しなきゃ、」
「はやくはやくー」
僕は、みあやの言葉を最後まで聞かずまた話しかけた。
「人の話は最後まで聞こうね」といつもみあやに言われているけど、なぜか楽しみな気持ちがどんどんでてきてしまったのだ。
「あっ、やっと見つけた」と、みあやは僕に野球帽をかぶせてくれた。
みあやは、黄色の丸くて大きい帽子をかぶっていた。
いつもの大きな鞄も持っている。
みあやは外にいく時、いつもこの大きな鞄を持っている。
何が入っているかわからないけど、「持たせてー」と僕が言っても、「洸にはまだ重たいから無理かな」といつも持たせてくれない。
早くその鞄が持てるぐらいの力持ちになりたい。
それは僕がみあやを大好きで、少しでもみあやの力になりたいと思うから。
みあやの笑っている顔を見ていると、いつの間にか僕まで笑っている。
みあやって、おもしろくて大好きだ。
おしゃべりをしていると、もう公園に着いていた。
公園は、いつもと同じところだ。
ジャングルジムや滑り台があって、さらにたくさん走るところもある。
他の子もいるけど、いつも僕はその子たちには話しかけず、一人で遊んでいる。
友達と遊ぶのも楽しいけど、それよりもみあやに走ってるところを見てほしいって思うんだ。
僕は力いっぱい走り出した。
みあやは、木陰のベンチに座って僕のことを見てくれている。
みあやのことを振り返りながら、僕はたくさん走った。
公園の端まで行くと、突然目の前に野良猫が飛び出してきた。
かわいいなあと近づくと、急に頭がくらくらして僕は足を地面についた。
みあやが、すぐに駆けつけてきてくれた。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫! ちょっと走りすぎたのかな」
本当に痛いところなどはなかった。
ただ、頭の中に突然あることが入ってきた。
それは、たまに頭に浮かんでいた白猫の正体についてだった。
あの白猫は、よくはわからないけど僕が生まれる前の姿だったらしい。
さらに、その白猫が楽しそうにみあやと遊んでいるのが、頭の中にどんどん浮かんできた。
僕が走るのが好きなのも、白猫が関係していたようだ。白猫もみあやが喜んでる顔を見ながら、楽しそうに走っていたから。
「えっ、みあや!?」と心の中でびっくりした。
どうして白猫とみあやが一緒にいるの?
みあやは白猫のことを知っていたのだろうか。
その野良猫のおかけで、僕はみあやに『幸せ』という感情を教えてもらい、白猫の時みあやとたくさんお話したいと思っていたことを思い出せた。
みあやの笑顔を見ると僕も笑顔になるのは、白猫が関係していたのだ。
僕は、人間として生まれる前からみあやと出会っていて、その時からずっとみあやのことが大好きだったのだ。
前世のことを思い出すと、みあやへの思いがどんどんでてきた。
みあやに再び会えてすごくすごく嬉しかった。
神様って、いるのかもしれない。
だって祈ったら、今度は人間としてみあやと出会うことができたのだから。みあやとコミニュケーションがとれたのだから。
そして、白猫の時死んでしまう前に、みあやに悲しい顔をさせたことも思い出した。
そのことを思い出すと、胸が苦しくなると同時にみあやに聞きたいことがたくさん浮かんだ。もっともっとお話したいとも思った。
でも、僕はそれらをすぐうまく言葉にできず、泣きながらみあやに抱きついたのだった。
4話
「どうしたの?」
みあやは僕が泣いているのを見て、すごく心配そうな顔をしていた。
白猫の頃も、みあやっていつもこんな風に優しかったなあと思い出して僕は心がぽかぽかしてきた。
「みあやに、また会えたのが嬉しくて…」
僕はどう言葉にすればいいかわからなかった。
言いたいことも聞きたいこともたくさんある。それはわかっているのに、子どもの僕にはどうしてたらそれを伝えられるか思い浮かばなかった。
白猫の頃に感じた『幸せ』という気持ちと、もっと一緒にいたかったという思いは心にしっかりある。
それだけじゃなくて、白猫の頃のことを思い出して、今までよりもっともっとみあやのことが好きになった。
いつものように『大好き』と言うのはできそうだけど、なんだかそれだけじゃ足りない気がする。
足りないのはわかるけど、それをどんな風に言葉にすればいいのだろう。
人間に生まれ変わって、みあやとコミュニケーションがとれるようなったのに、心がなんだなむずむずする。
僕がもっと大人だったら、すっきりできるかな? もし大人なら、この気持ちや思いをみあやに上手に伝えられるのかな??
「何言ってるの。いつも会ってるじゃないの」
「うん、そうだけど、そうじゃなくて…」
「よくはわからないけど、お母さんのことを思って泣いてくれたてね」
みあやは、そっと頭をなでてくれた。
「あっ、待って。僕もう少し話したい」
今どうしても話したいと僕は思った。
白猫の時、悲しませて「ごめんね」と言いたい。
毎日なんて話しかけていたのか聞きたい。
白猫が死んでしまった後、どんなふうに暮らしていたかも聞きたい。
うまく言葉にできないけど、どれもこれも今すぐ話したくたかった。
でも、なんでこんなにもみあやのことが気になるのだろう。
僕のこの気持ちは、何というものなのだろう?
「仕方ないわね。じゃあ、あそこの自販機でジュース買おうか」
みあやは、公園の外にある自販機を指差した。
「あっ、僕一人で行ってくるよ。それぐらいできるよ」
みあやに「えらいね」とまた頭をなでてほしかった。
いつもみあやは笑顔でそう言ってくれる。
もしかしたら、白猫の時も同じような言葉を言ってくれていたのかな。
「じゃあお願いしようかな」
「待っててね。絶対だよ。話したいことがいっぱいいっぱいあるんだからね」
「大丈夫よ。あっ、車には十分気をつけるのよ」
その声を聞かず僕は、走り出した。
近くの自販機まで行くだけで、簡単なことだ。
ジュースを買って、みあやの元にいくんだ。
そして、たくさんお話しする。
僕の頭の中は、みあやのことでいっぱいだった。
走っていると突然、何かが僕の体に当たった。
体がふわっと飛んでいくのを感じた。
そして、痛いと思う前に、体が動なくなった。
何とか目を開けると目の前に車があって、その先にみあやがいた。
僕はどうしたのだろう。
みあやが、近づいてくる。
「みあや」と声を出そうとしても、声が出ない。
せっかく前世のことも思い出し、話したいこともたくさんあるのに、また話せないの?
これじゃあ人間として生まれ変わった意味がないよと思った。
「洸、聞こえてる? 大丈夫よ。お母さんがそばにいるからね」
みあやの声がだんだん聞こえなくなってくる。
みあやが、悲しい顔をしている。
僕はあの時と同じ顔だとわかった。僕が白猫だった時、最期に見たみあやの顔だ。
僕はみあやに再び同じ顔をさせるために、生まれ変わったんじゃない。
どうして声も出ないし、体も動かないの。動いてよ。
僕は、『幸せ』をくれたみあやを幸せにしたくて、みあやとただずっと一緒にいたいだけなのに。
もしもこれで僕が死んじゃうなら、どうか神様もう一度だけ僕にチャンスをください。
今度は絶対にうまくやるから。
そう願いながら、僕は目を閉じたのだった。
ずっとそばにいたい。
でもそれはどんな思いがあれば、どんな行動をすれば、叶えられるのだろうか。
あなたは、真剣に考えてみたことがありますか?
僕はまた生まれ変わることができたようだ。
しかも、また人間の男の人だった。
こんな奇跡ってあるだろうか。
強く思えば、望みは叶うのかもしれない。
そして、僕の思いをみあやに届けたい。
名前は、坂本 優斗という。
ちなみに、みあやと同じ苗字だけど、前のようにみあやの子どもではない。なんの関係もなく、僕には別のお父さんとお母さんがちゃんといる。
僕は、すでに白猫の頃と洸の頃のことを思い出している。前と同じように頭の中に突然情報が入り込んできた。
これが普通でないことはわかっている。でもたとえ神様のいたずらだとしても、僕はこのことに感謝している。だってみあやとの思い出を思い出せるのだから。
そして、今度こそ、ずっと一緒にいられる方法を探そうと思った。
思うだけでは、届かないようだから。
僕はこれまでずっとみあやのことを心の底から思い続けた。その思いがどんなものか少しだけわかってきた。それでもずっと一緒にいることはできなかった。
じゃあ、どうすればいいのだろう。
その時、『運命』という言葉が頭に浮かんだ。
人は運命で結ばれたら、ずっと一緒にいられることが多いそうだ。
みあやの運命の人に、僕はなりたいなと思った。
でも運命ってどんな時に感じるのだろう。僕の今の思いは、『運命』とは別物なのだろうか。
本当は前世の記憶を思い出した時、すぐにみあやに会いにいきたかった。
でも、僕はあえて二十歳になるまで待っていた。
それは、ちゃんと思いを伝えたかったからだ。
前のように子どもだとうまく言葉にできず、伝えることさえできないから。
みあやは今四十歳ぐらいになっているだろう。
そんな女性とどのように接点をもとうかと考えた。生まれ変わればまた会えるけど、みあやはその分歳をとる。
もしもみあやが前と同じ家に住んでいるなら、みあやのいる場所はわかる。
でも突然おしかけても、怪しい人だと思われるだけだ。
でも、手がかりはみあやがかつて住んでいたところぐらいしかない。
こんなにみあやのことを思っているのに、今のみあやのことを知らないなんて、なんだか悲しくなってきた。
どうしてもみあやをずっと遠くに感じてしまうから。
僕は、考えることをやめて、みあやが前にいた家に向かうことにした。
行動しなければ、何も変わらないから。
僕は、遠くから姿を確認するだけでもいいと思った。
しばらくすると、ある女性が家に入っていった。
その女性の顔は、はっきりとは見えなかったけど僕の目からは涙がこぼれ落ちていた。
その人は確かにみあやだった。いくら年月が過ぎていようと、僕にはすぐにみあやだがわかったのだった。
5話
「隣に越してきました坂本 優斗と申します。引越しの挨拶に来ました」
僕はあの日からずっと様々な方法を考え、みあやの住んでいるアパートの隣の部屋に住むことにした。
みあやの家は、一軒家ではなく賃貸だ。築年数も三十年と古く、外観はお世辞にもきれいとは言えない。
でも、駅近で、スーパーやコンビニも近くにあって生活するには困りなさそうだ。
隣の部屋に越してくるなんて突拍子もない考えだと自分でもわかったけど、今まで伝えたいことも伝えられずに命を落としてきた僕にとって迷っている時間はないと思った。
それに、今の僕とみあやの間になんの接点もない。白猫の時や洸の時はあった。
接点のない人と接点を作り、関係性を深めるには少しばかり強引な方法も必要かもしれない。もちろん、みあやの嫌がる方法はとらない。
人と人が自然に縁を結ぶことは、本当は奇跡のなせるものだから。
それを僕たちはいつの間にか当たり前のように感じてしまっている。僕はこれまでの経験から縁を結ぶ難しさはよくわかっているつもりだ。
僕は、今の思いが『運命』かどうかはまだわからないけど、みあやへちゃんと届けたいと切実に感じていた。
僕は高校を卒業してからすぐに働いたので、お金には少しは余裕があった。
それも、みあやのためにとった選択の一つだ。
みあやとずっと一緒にいるためには、僕が自立していないとそれはできないと思ったから。
僕はみあやと会っていない期間もみあやのことをずっと考えていた。もちろん、僕も生きていく中で、様々な人と出会った。
でも、みあやほど感情が揺さぶられる人は不思議と一人もいなかった。みあやのことをひと時も忘れたことはなかった。
「それはご丁寧に、ありがとうございます。私は坂本 美彩と言います。苗字、同じですね」
みあやは、ふにゃっと笑った。
みあやは何も変わっていなかった。かわいらしい雰囲気も、きれいな髪型も、白い肌も、すべて前に見た時と同じだった。
男性の平均的な身長ぐらいの僕だけど、同じ目線の高さになれて嬉しかった。
今までは、いつもみあやを見上げていたから。
そんな些細なことさえも、幸せに思えた、
目線の高さが同じになったところで、何かが劇的に変わるわけではないことはわかっている。
でも、二人の間の距離が少しだけ近づいた気になれたから。
「いえいえ。すごい偶然ですね。この辺は初めてですので、いろいろ教えてくれると助かります」
「本当にすごい。はい、わからないことがあれば気にせず聞いてきてくださいね」
「ありがとうございます。よろしくお願いしますね」
そう言って扉を閉めようと思った時、みあやは「ちょっと待って」と声をかけてきた。
「どうかしましたか?」
僕は予想外のことに内心びっくりしていた、
「あっ、大したことじゃないんだけど、同じ苗字だからなんて呼んだらいいかなと思って」
「あー。確かにそうですね」
『優斗君』で、いいですか?」
「はい、それで大丈夫です。僕は『みあやさん』と呼ばせてもらっていいですか?」
「はい、あっ、呼び止めてすみません。それではまた今度」
当たり前のことだけど、みあやは僕が前からずっとみあやのことを知っていることに気づかなかった。
でも、それでもよかった。
こうやってまたみあやと関係を持つことができたから。
僕はその時、みあやの隣の部屋が空いていたことに何の違和感も感じなかったのだった。
「優斗君、いますかー」
みあやの声が耳に入ってきて、僕は飛び起きた。
部屋にかけてある黒い時計をみると、まだ朝の八時だった。今日はしかも土曜日だ。
僕の仕事は、土日が休みだから今日は休みの日だ。
僕は朝には強くなく、特に休みの日となると遅くまで寝ていることが多い。起きてからもすぐに行動できない。
でも、みあやの声が聞こえたら、不思議とすぐに体が反応した。
僕は、みあやに何かあったのかと思った。
急いで「はい、いますよ」とドアを開けると、そこには小さい猫がたくさんプリントされたかわいいパジャマ姿のみあやが立っていた。
意図せずプライベートな姿を見てしまい、僕は下を向いた。
異性で、まだ関係性が全然築けていない僕なんかがそんな姿を見ていいのだろうかと思ったからだ。
「いてよかったー」
そんな僕の気持ちはお構いなしに、みあやは安心した顔でさらに話を続けた。
その時、ふと気づいた。
みあやが今まで他人とどのように接してきたか、僕は知らない。前世も猫や、みあやの子どもだった。
僕に接するみあやは、とても無邪気で社交的だ。
新しいみあやを知れた気がして嬉しくなった。
ふと僕だから特別にこんな表情を見せてくれているのかなと思ったけど、そんなことはあり得ないとすぐに自分自身の言葉を否定した。
だって、みあやは僕のことを全く知らないのだから。
「どうかしましたか?」
僕は頭を振った。
みあやに変な人だ思われたくないと感じた。
「優斗君、お酒飲めます?」
「えっ、まあ一応飲めますけど」
「じゃあ、今から飲まない?」
突然のタメ口に、僕はドキッとした。
「今からですか? 何かあったんですか」
話が一向に読めなかった。昨日悲しいことがあって、愚痴でも聞いてほしいのだろうか。
だって一般的に朝から他人とお酒が飲みたいなんてなかなか思わないだろうから。
でも、どんな形であれ、僕はみあやの声には応えたかった。
もしかしたらこれも僕たちが運命を結ぶことにつながることかもしれない。
まだ運命について全然わかっていないのだから、何が関係してくるかわからない。
「歓迎会よ」
「歓迎会??」
僕は予想外の言葉にみあやの言葉をそのまま繰り返してしまった。
「そう。優斗君がこのアパートに越してきた歓迎会。なぜか、ずっと私の隣の部屋は誰も引っ越してくることはなかったのよ」
僕はとうとう堪えきれずお腹を抱えながら笑ってしまった。
「えっ、どこか笑えるところあった?」
みあやは細い目で不思議そうに見つめてくる。
「いやだって、こんな朝早くに呼びにきて何かなあと思ったら、いきなりお酒飲もうって言うから」
僕も自然とくだけた感じで話していた。
「いや、私はただお酒が飲みたいわけじゃないのよ。優斗君を歓迎しようと、」
みあやは、わかりやすく慌てた姿を見せる。そんな姿もかわいらしかった。
「わかってますよ。じゃあ今からお酒一緒に買いに行きますか?」
「本当に? やったー」
みあやはまるで子どものように喜んでいた。
幼い一面があることも、僕は知らなかった。
僕はこんなにも知らないことが多いのに、みあやとずっと一緒にいたいと思っていたことにその時気づいた。
それは、はたからみればおかしなことだろう。
ずっと一緒にいたいと思うほどの強い感情を、性格などその人のことをほとんど知らないのに抱いているのだから。
その時に、ふと白猫として初めてみあやに出会った時のことが思い出された。
雨が激しく降る中、みあやが白猫の姿の僕を見つめて、僕もみあやを見つめ返した。
その時、重なる視線の先に光りを感じていた。
それが、運命を感じたということだと今やっとわかった。
僕は初めて会った時から、みあやに運命を感じていたようだ。
「あっ、うん。でもちょっと待って。さっと着替えてくるから。少しだけ外で待ってて」
「ゆっくりでいいですよ」という僕の声も聞かず、みあやはバタバタと自分の部屋に入っていった。
6話
「優斗君、ハイツさくらへようこそー」
僕たちはあれから近くのコンビニの一緒に行き、今みあやの部屋で乾杯をしている。
「あっ、ありがとうございます」
突然の歓迎会に僕は戸惑っているけど、同時に嬉しくもあった。
みあやとたくさんお話できるのだから。
みあやの部屋は、洸として一緒にいた時のままだった。
僕がよく遊んでいた車のおもちゃもまだあったし、僕のお気に入りのかわいい大きなクッションもそのまま置かれていた。
本当に何一つ変わっていなかった。
僕はそのことが気になったけど、今は優斗として会っているわけだから、子ども部屋のことをいきなり聞くことはできなかった。
もどかしいけど、グッと我慢した。
「まあ、私はこのアパートの管理人じゃないんだけどね」
みあやは、おちゃめにそう言った。
まだ胸がドキッとした。
「やっぱりそうですよね」
僕は動揺しながらも、しっかりとツッコミをいれた。
「まあ細かいことはいいじゃない。とにかく、私は隣人ができて嬉しいのよ」
「あっ、そこの話をもっと詳しく聞かせてくださいよ。僕が来るまで本当に誰も僕が今借りている部屋に越してこなかったんですか?」
「そうだよー。借りにくる人は本当にいなかった。それに私の部屋は角部屋でしょ? 隣の部屋は優斗君が今借りてる部屋しかないし、ちょっぴり寂しかったんだから」
みあやは、そう言いながらお酒を勢いよく飲んでいた。
お酒を飲む姿に色気を感じたのは初めてで、正直どう反応していいかすぐにわからなかった。
「だから私は今すごく幸せなのよ」
「それは、僕もよかったです」
「えっ、優斗君も? どうして??」
みあやは、少し驚いた顔をしていた。本当にコロコロと表情が変わるなといい意味で思った。
「それは、えっーと、これからお世話になる隣人さんが喜んでいると、僕までなんだか嬉しくなるというか…」
かなり無理のある言葉だったけど、みあやは「そうだよね!」とそれ以上追求はしてこなかった。
僕たちはそれからも色々な話をしたけど、不思議さはどうしても消えなかった。
だって僕が洸としてみあやとこのアパートに住んでいたころから、もう二十年は経っている。
その間、誰もみあやの部屋の隣に越してこなかった。
また、みあやもここから引っ越しをしていない。
そんなことってあるのだろうか。
でも、そのもやもやを言葉にすることはできなかった。
また僕は聞けないまま終わってしまうの?
「ねぇ、優斗君、聞いてる?」
考え込んでいると、みあやの顔が近くにあった。
「あっ、ごめんなさい。少しぼーっとしてました」
「もぅ! 今、優斗君がここに越してきた理由を聞いていたのよ」
顔がだいぶ赤くなったみあやがじっと見つめてくる。
まだお酒は、二本ぐらいしか飲んでいない。
どうやらみあやはお酒にあまり強くないらしい。
「あー、そうでしたね。理由ですよね」
そう聞かれて、僕は何と答えようか迷った。
ありのままのことを伝えてもきっと理解されないだろうし、むしろ気持ち悪がられるだろう。
洸だった頃の僕は、何も考えられずすぐに伝えたいと思っていた。
でも、優斗としての僕は、もう大人でそんな風に何も考えずに話すことはできない。
物事には順序があるのだ。まずは優斗である僕がみあやと仲良くなることが先決だ。
その先どうしていいかはわからないけど、まずはそれをしようと思った。
「理由は、先に言っておきますが、何も面白い話はないですよ? 家賃は安いし生活しやすそうなところだったからです。アパートの近くにコンビニやスーパーがたくさんありますよね」
僕は、ありきたりな理由とわかりつつ、そう答えた。
「本当にそれだけ?」
みあやから怪しんでいる様子は感じられなかったけど、さらに聞いてきた。
「それだけですよ」
僕は、嘘をついている自分が段々心苦しくなってきた。
しばらく部屋に沈黙に包まれた。
結局みあやはそれ以上そのことを聞いてこなかった。
それから一時間ぐらい話をして、僕は、自分の部屋に帰っていったのだった。
その日から、みあやは何かと理由をつけて、僕を呼び出しにくるようになった。
それはどれも緊急性がなさそうなものだったけど、僕は毎回それに応じた。
一般的に近所付き合いとは、これほど交流はないものと僕でもわかっている。
でも、みあやに声をかけられると断れない僕がいた。
それは前世の負い目なのか、みあやをもっと知りたいからなのかはっきりとは自分でもわからなくなってきた。
わかっていることは、出会う回数が多いほど運命が結ばれる確率が高いということだけだ。
みあやからすれば、きっとただ珍しいから声をかけているだけだろう。
でも、今は僕に気持ちがなかったとしても、それでもいいと思えた。
今はなくても、これから先興味をもってもらえばいいだけだ。
一方で、みあやの話や考え方にすごく共感できると僕は思っていた。
これは決してみあやのことを昔から知っているからではない。きっと今の優斗の性格と合っているのだ。優斗としての自分とみあやはもしかしたら似ているのかもしれない。
ある日のことだ。
太陽が沈んできて、僕はそろそろいつものように帰ろうかなあと思っていた。
最近は前よりたくさんみあやとお話しするようになった。これを仲良くなったと捉えていいのだろうか。
ふとみあやは少し遠慮がちにこちらを見ていることに気づいた
「どうかした?」
「今日、よかったら晩ごはん食べていかない?」
「えっ!?」
僕たちはよく話はするようになったけど、晩ごはんを一緒に食べたりはしたことがなかった。
それに、その言葉の裏には違う意味もあるのではないかとつい妄想してしまった。
「そうだよね。四十歳過ぎのおばちゃんと一緒にごはんは食べたくないよね」
みあやはくしゃっと笑う。
「いや、そう言う意味じゃなくて、今まで言われたことがなかったから単純に驚いただけだよ」
僕は、妄想を吹き飛ばして、早口でそう言った。
「もう少し一緒にいたいの。ダメかなあ?」
僕が返事をする前に、突然後ろから抱きしめられた。
「みあやさん?」
僕はまさかの行動に固まってしまった。
「少しだけこうさせていて。少しでいいから」
みあやの声からは、なぜか深い寂しさを感じた。
一体どうしたというのだろうか。
「うん」
僕はゆっくりとみあやを抱き返した。
しばらくの間、時間が止まっているように感じた。
みあやは、今何を思っているのだろう。
こんな時僕が何か聞くのが、スマートな対応だろう。
「ありがとう。優斗君が喜びそうな料理作るね」
そう考えているうちに、みあやは抱きしめいている手を離した。
そして、いつものようにニコッと笑ってキッチンの方に走っていったのだった。
第7話
僕は、あの日も次の日もどうして突然あのようなことをしたのか、みあやに聞くことができなかった。
みあやのことをすごく思っているのに、情けないなと思った。
僕はみあやと向き合うことをしなかったのだから。
こんな中途半端な気持ちで、一緒にいたいとよく口にできたなと思った。
誰かと一緒にいるということは、その人の辛いことも一緒に抱え込む覚悟が必要だ。
僕はそんな当たり前なこともできなかった。
でも、今度からは必ず向き合うと心に決めた。もし前のことをみあやが再び話してくれたなら、その時はしっかりと支えようとも思った。
みあやの苦しみも、嬉しいこともすべて僕が受け止める。
できるわけないと誰かに笑われてもいい。
僕はみあやに運命を感じて、ずっと一緒にいるために何度も転生という奇跡を起こしているのだから。
僕はみあやにお詫びをしたいと思った。
そう思うと、体はすぐに動いていた。
「みあやさん、今度の土曜日、どこかに出かけない?」
みあやの部屋のドアをノックすると、みあやが顔を半分のぞかせた。
かわいいなあと僕は思った。
お詫びをしたいと言うときっと「そんなのいいよ」と優しいみあやは言うだろうから、僕はこのような言い方をした。
「えっ、私と二人で?」
みあやの声が、突然いつもより少し高くなった。
「うん、そうだよ。今度の土曜日は何か予定あった?」
なぜか僕の胸はドキドキと音を立て始めた。
「それはダメだよー」
みあやは、大きな声を出した。
「えっ、どういうこと?」
「だってそれは、デートみたいじゃない。私みたいなおばさんが隣にいると優斗君が周りの人から笑われちゃうよ]
『デート』という言葉を聞き、僕はなぜ胸がドキドキしたのかやっとわかった。
僕は、みあやと外で二人っきりになるという状況をちゃんと理解できていなかったのだ。
そして、僕はみあやにいつの間にか『恋』という特別な感情を抱いていたようだ。
みあやのことはずっと思ってきたけど、その気持ちとはまた違うものだ。
僕はいつからみあやに恋をしていたのだろう。
そんなことを考え出すと、急にどんな言葉をかけていいのかわからなくなった。
「僕は、笑われても構わない」
結局、全然うまく言えなかった。
「でも、」
「みあやさんが嫌じゃなければだけど。前にご飯を作ってくれたお礼もしたいし、それでもダメかなあ?」
みあやは僕の目をじっと見た後で、「いいよ」と小さな声で言った。
僕は少し強引だったかなと思ったけど、みあやはそのあとすぐに「楽しみにしてるね」と顔を赤くしているのを見てホッとしたのだった。
「お待たせー」
太陽は高くにあがっていて、暑い。
そんなことを忘れるぐらい、みあやは今日もきれいだ。
お隣だから、一緒に出てくることも僕らはあえて別々に出て、待ち合わせした。
みあやとの恋を成就させるために、僕は非日常感やドキドキ感を出そうと思った。
みあやは、落ち着いた色のシャツに淡いピンクのロングスカート姿だ。
ピアスは、小さくてかわいらしいのをしている。
いつもとガラッと違うみあやの姿に、僕の胸はまたドキッと音を立てた。
こんなの反則だ。
「うん、大丈夫」と僕が下を向いて答えると、「どうかした?」とみあやは肩をゆっくり触った。
僕が「みあやさんがすごく素敵だから」と言うと、「あっ、ありがとう」とみあやまで下を向いてしまった。
僕は、「じゃあ行こうか」と声をかえた。
「ねぇ、優斗君、どこから回る?」
目的地である水族館に着いた。
ここは最近できたところで、外観は白と黒で統一されていて、水族館というより美術館を思わせるような落ち着いた感じだ。
みあやは目をキラキラと輝かせていた。
見た目は大人っぽいのに、こんな無邪気でかわいらしいところが、年の差を僕に感じさせれない。これは、みあやの魅力の一つと言えるだろう。
このギャップにやられた人は、これまでたくさんいるのだろうなあとふと頭によぎった。
それでもいいと思えた。こうして今僕がみあやのそばにいる。もしこれから先は僕がみあやを守ることができるなら、みあやの過去の恋は不思議と気にならなかったのだ。
「そうだなー。ペンギンからみていく?」
水族館に行くと大抵の人は、入り口に近くに展示されている生き物から順に見ていくだろう。でも、僕は見たいものから見ていけばいいと思っている。
「うん、ペンギンかわいいよね」
ペンギンのいるエリアに来た僕たちは、そこで足を止め水槽を二人でじっと見つめた。
ペンギンたちは次々に水の中へ飛び込んでいた。そして、素早く泳いでいた。
「ペンギンって、あんなに素早く動けるんだね。優斗君知ってた?」
「確かにゆっくりしてるイメージだよね。でも、そのギャップがまたいいんだよね」
僕はそう言いながら、みあやの手にゆっくりと触れた。
一番ギャップがあっていいのはみあやだとは、言えなかった。
みあやは、そっと握り返してくれた。
静かな水族館の中で、僕たちは手を初めて繋いだ。
「優斗君、あそこ見て」とみあやが指を差した。
そこには水の中になかなか飛び込めずわたわたしてるペンギンがいた。
「ペンギンの中にも、不器用な子がいるんだね」
「ホントだね。あのペンギンは、『みあやペンギン』かな?」
僕はそう言って笑った。
「えー、それは私が不器用と言ってるの?」
みあやの顔がぐっと近づいてきた。
「えっ、違った?」とすまして笑ってみたけど、僕の顔はたぶん今真っ赤だ。
「まあ、確かに不器用だけど。でも、私一人じゃ寂しいな」とみあやがさらに僕を見つめる。
近づく距離とその眼差しに、僕は期待していいのだろうか。
「じゃあ、その隣にいるあのペンギンを『優斗ペンギン』にしようよ」
僕は結局何もできず、そう言った。
「うん、それならいい」と、みあやは笑顔になった。
その顔が見れて、僕はホッとした。
僕は今までみあやには悲しい顔ばかりさせてきたから。
前世から、僕はみあやに伝えたいことと聞きたいことがあった。僕が幸せにしたいとも思った。
でも全てうまくいかなかった。悔しい思いをたくさんした。でもその分いろいろなことに気づき、みあやへの思いも膨らんだ。
一緒にいるために何が必要かも少しずつだけどわかってきた。
全ては今につながっていたと、僕は信じたい。
今度こそ僕は、みあやに思いを伝える。
「次は何を見る?」と、僕はみあやに声をかけたのだった。
第8話
「イルカショーが見たい」と、みあやが言ったから、僕たちは次はそこに行くことにした。
水族館といえば動物たちのショーが盛り上がるだろうし、僕も正直ワクワクしていた。
でも、今日は僕よりもみあやに楽しんでもらいたかった。
前世の僕は、みあやに辛くて悲しい思いばかりさせてきたから。
その時々でみあやの意見はもちろん聞いたことはない。でも、僕は今そんな風に考えている。
僕も大人になり、いろいろできるようになった。
僕が、少しでもみやあにとって楽しい思い出を作りたい。
ショーが始まると、みあやは派手にいるかに水をかけられた。
「大丈夫?」と僕はタオルを渡した。
「うん、びっくりしたけど、楽しい」とみあやは満面の笑みを見せていた。
「迫力が、本当にすごかったね!」
ショーを見終わって、みあやはかなりハイテンションで声をかけてきた。
そんな姿を見て、僕はただ嬉しかった。
これまでいろいろなみあやを見てきたけれど、みあやには、幸せそうな顔が一番似合っている。
みあやが幸せなことが、僕の一番の幸せだとその時にわかった。
それがわかることで、今までみあやのことを強く思っていた理由もわかった。
僕はみあやを幸せにしたくて、そして二人で幸せになりたくて、ずっとみあやのことを考えていたのだ。
その思いには、確かに『恋』も含まれている。
でも、『恋』だけでは説明できない複雑さもあった。
「それはよかったよ。でも今日はまだ終わりじゃないよ」
「まだ何かあるのー?」
みあやは僕の手を強く握りしめた。
「それは、着くまでの秘密ー」
「えー、早く知りたいなあ」
みあやは、甘えた声でさらにくっついてきた。
「秘密だから、ダメー」
僕が少し前を走っていくと、「待ってよー」とみあやは追いかけてきた。
こうやってずっと追いかけっこをしていたいと思った。
幻想的な海月と赤や紫などのプロジェクションマッピングが調和している。
「綺麗」
「そうだね」
「優斗君は、この水族館にこんなエリアがあるって知ってた?」
「うん、知ってたよ。だってさっき秘密と言った場所はここなんだから」
「そうだったんだね。こんなにも素敵なところに連れてきてくれてありがとう」
みあやは、さらにガラスの近くに歩いていった。
僕も急いで隣についていった。
そして、再び手を握り、ゆっくりと話し始めた。
「僕はここを、みあやさんと二人で見たかったんだ」
胸の鼓動が激しくて、頭が真っ白になりそうになる。
「私と二人で?」
きっとみあやは今不思議そうな顔をしている。
でも、僕はその顔を見ることができなかった。
「そう。みあやさんは、前に赤色が好きだと前に言っていたから」
「前に一度言っただけなのに、それをわざわざ覚えてくれていたの?」
みあやは、僕をじっと見つめてきた
「そうだよ。僕にはみあやさんとの会話はどれも大切なものだから」
その言葉には、前世からの思いもあるけど、それらはもちろん口にしなかった。言いたい気持ちはあふれそうだけど、僕にはまだ言う自信がなかった。みあやに嫌われるのが怖かった。
感情って本当に難しくて、もどかしいものだ。
「ありがとう。優斗君がそんな風に私のことを思ってくれていて、すごく嬉しい」
みあやは、そう言って顔を赤くしていた。
僕の思いにみあやはもちろん気づくことないけど、少しは僕の思いが届いたようだった。
「僕はみあやさんには、いつも幸せな顔でいてほしいんだ」
「えっ!?」
「みあやさんのそんな顔を見れると、僕も幸せな気分になるから」
全てを話すことはまだできないけど、僕は自分の思いをできる限り伝えた。
「うん」
みあやが僕の方を向き、近づいてきた。
「でもこんな年上な私で、優斗君は本当にいいの? 優斗君の周りにはもっと若くてかわいい子がたくさんいるよね?」
みあやは少し下を向いた。
「『こんな』じゃない! 僕はきれいで、子どものようなかわいいもあるみあやさんを好きだよ」
「私も、本当は優斗君のことが大好き。でも、こんな思いを優斗君に抱いて迷惑じゃないかなとずっと悩んでいた」
「一人で悩まないでいいよ。僕はいつだってみあやさんのそばにいるから」
海月が光に照らされて、ゆらゆらと泳いでいた。
付き合うことになってから、僕たちは、毎日会うようになった。
いや、正確には毎日会いたくて仕方がなかった。
少しの時間でも、みあやに会いたかった。
みあやのことをもっと知りたいし、僕のことも知ってほしかった。
そして、付き合って一ヶ月記念など、僕たちは記念日を祝いあっていった。
記念日にはいつもプレゼントを用意して、お互いに交換した。
プレゼントの中にはペアのものもあり、「ペアルックしよっ」とみあやがかわいく言ってきたのを今でも覚えている。
僕もいろいろなサプライズをした。
驚くみあやの顔を見たかったから。
何もかもがキラキラしていて、素敵だった。
こんな日がずっと続けばいいなと思う。
でも、なぜか理由がわからない不安がついてまわっていた。
人はどれぐらいの時間を共にすれば、運命だと感じるのだろう。
僕は確かにみあやに運命を感じた。
でもそもそも、みあやは僕のことを運命の相手だと感じているのだろうか。
片一方だけ運命を感じていても、運命が結ばれることはない。
それをみあやに確かめなければいけない。
そのためには、そろそろ前世の話をしなければいけないと僕は思った。
洸の時はうまくいかなった。簡単なことではないと思う。
でもそれが運命を結ぶ最後のパズルのピースかもしれない。
ある日、みあやの部屋にいつものように行くと、みあやは涙を流していた。
「どうしたの?」と聞くと、「いや、ううん」とみあやはすぐに涙を拭いた。
「なんでも聞くよ」
僕はもう前の時のように向き合うことを避けなかった。
「本当にたいしたことないから」
みあやは、明らかに話題を変えようとしていた。
「僕は、どんなことでもみあやの力になりたいな」
僕の言葉を聞いた後、みあやは何も言わずに押し入れから円柱型の白い箱を二つ出してきた。
それらは何度もみあやの部屋に来ているけど、見たことのないものだ。
「これらは、私の何よりも大切なものよ」
真剣な表情でみあやはゆっくりそう話しはじめた。
「大切なもの?」
「そう。付き合う前のことだけど、あのこと覚えてる? 私が優斗に突然抱きついた日のこと」
「うん、覚えてるよ」
その日は、僕がみあやと向き合えなかった日だ。
そのことをみあやはまだ悩んでいて、解決できていないのだろうか。
そして、そのことと目の前の白い二つの箱はどんな関係性があるのだろうか。
「あの時、この子たちのことを思い出して寂しくなった」
「この子たち?」
「そう、この中には私の大切な存在の思い出が入っている。その話を聞いてくれる?」
みあやはゆっくりと僕の前に静かに座ったのだった。
第9話
みあやは円柱形の白い箱のうち、小さな方から紐を解いた。
「この子は、しらたま。すでに火葬してるから骨でごめんね。私と一緒に暮らしていた猫よ。病気で亡くなってだいぶ経つ。亡くなったのは、私が高校生の時だった」
白い箱の中には、骨と一緒に猫のおもちゃとみあやとしらたまが写った写真が入っていた。
いきなり骨を見せられたら普通はびっくりするだろうけど、僕は前世でしらたまだったからなんだか不思議な気持ちになった。
「私はいつもこの箱を押し入れから出してきては眺めている。本当はちゃんと見えるところに置いておきたいんだけど、辛くなる時があるから」
「しらたまちゃんは、みあやにとって大切な存在だったんだね?」
僕は自分の願いも込めて、そう聞いた。
「うん、とても大切な存在だったよ。私のことをいつも元気にしてくれていたから。しらたまがいたから私は毎日楽しかった。当時辛いことがあっても、それをしらたまに話すと気持ちが楽になった。言葉でのコミュニケーションはとれないけど、私としらたまは心で通じ合っていた気がした。しらたまが病気で苦しいだろうときも、しらたまは私のそばにずっといてくれた。しらたまは本当に優しい子だった。しらたまが、私に優しさを教えてくれた。一緒にいたのは短い時間だったけど、しらたまがいたから今の私があると言えるよ」
僕は涙が出そうになるのをグッと堪えた。
次に、みあやはもう一つの箱の紐も解いた。
こちらも同じように骨が入っていた。
「この子は、坂本 洸。私の子どもよ。私がかつて結婚していたことは前に話したけど、その人ととの間に子どもがいたことは優斗にまだ話していなかったよね、洸は五歳の時に事故で亡くなった。いや、正確には私の注意が足りなかった為に死なせてしまった」
みあやは、胸を苦しそうにしていた。
前世で洸でもあった僕は、洸としての最期の時みあやがパニックになっているのを覚えている。
みあやの苦しみを、僕はよく知っていた。
「洸は、誰かを幸せにしたいと思う気持ちを私に教えてくれた。我が子だからかわいいのは当たり前だけど、それだけじゃなかった。子どもって本当にエネルギーにあふれているのよ。そのエネルギーは、近くにいる人を明るくすれほどのものだよ。しらたまが亡くなってからずっと落ち込んでいた。でも、洸が私の元にやってきてくれたから、私はまた元気になれた。こんなにも私のことを求めてくれる人に今まで出会ったことがなかった。必死に何かを伝えようとする姿を見て、この子を守って幸せにしなきゃと思った。洸の存在が私を救い、私に誰かを幸せにしたいという気持ちを強くもたせてくれた」
みあやは、そう言って箱を静かに閉じた。
僕は何も言わず、みあやの手に自分の手を重ねた。
「どちらも亡くなった時はすごく悲しかったし辛かった。でもそれよりももっとしらたまや洸と共に生きた時間は、私にとってなによりも幸せでかけがえのない時間だった」
みあやは涙を流していたのだった。
僕はみあやの話を聞いて、正直驚いた。
でも、決して悪い意味で驚いていない。
みあやがしらたまや洸にたいして、これほどまでに強い思いを持っていたを知らなかったから。
そして、僕がみあやに救われたように、みあやもしらたまや洸に救われていた。
僕たちは同じだった。
僕は今前世の話をしないでいつするのだと思った。
なぜ僕に前世の記憶が残り続けているか、はっきりとはまだわからない。考えたけどわからないし、もうわからなくてもいいとさえ思えた。
だって二人が思い合っていることは、何よりも確かなことだから。
それを確認し合えばいいだけだ。
「みあや、まずは大切な話を僕にしてくれてありがとう」
自分の苦しかったことを人に言うのは、勇気のいることだから。
みあやは、僕を信頼して話してくれた。
まずはそのことに感謝を伝えたかった。
「そして、実は僕はずっとみあやに隠し事を一つしていた。その話を聞いてほしい」
「隠し事?」
みあやの声のトーンは少し上がっていた。
「そう。信じられないかもしれないけど、僕は、しらたまの生まれ変わりであり、洸の生まれ変わりなんだよ」
僕はできるだけゆっくり話した。
「生まれ変わり?」
「そう。前世の記憶を持っていると言ったほうがわかりやすいかな。なぜずっと前世の記憶が残っているのかわかないけど、僕には前世の記憶がある」
「そういう人がたまにいるとテレビで聞いたことがある」
「でもこれは嘘じゃなくて、本当の話なんだよ。信じられないなら、しらたまや洸の話を何か僕に聞いてくれてもいい」
みあやは何も言わずうなづいてくれた。
僕はみあやに思いを打ち明け始めた。人は思っているだけでは相手には伝わらないから。言葉にして初めて相手に届く。
相手に届くことで、何かが変わることがあるかもしれない。
「まずは、みあやに謝らせてほしい」
僕はみあやの目を見つめた。
「僕はしらたまや洸の時、みあやを大切にしたいと思っていたのにそれができずに辛い思いばかりさせてきた。みあやはさっきあんなふうに言ってくれたけど本当にごめんなさい」
しらたまとして生まれた意味、洸として生きた意味は、みあやにとってはあった。みあやの成長や生きる糧となっていた。無意味じゃなかった。これまでの僕はら何もできていなかったわけではなかった。
けれど、僕の中で申し訳なさがなくわけではない。
「謝らなくていいのよ。さっきも話したように私はあなたたちからもらったものの方がたくさんあるのだから。しらたまも洸も、私を支えてくれていたよ」
「そう言ってくれてありがとう」
みあやは「優斗も今まで辛かったね」と言ってくれた。
「次に聞きたいことは、しらたまの時、いつもなんて話しかけてくれていたかだよ。僕はあの時人間の言葉が理解できなかったからいつもすごくもどかしかった」
「ふふ、他愛のない日常の話よ。嬉しかったことや悲しかったことなど全部しらたまに聞いてほしかったからよく話しかけていたのよ。あと、しらたまに病気がわかってからは『私が力になれずごめんね』とひたすら謝っていたわ」
「そうだったんだね。やっとすっきりしたよ」
僕はみあやの言葉を聞き、心が温かくなった。
「言葉の意味がわからないのに、私のことをいつも考えてくれていたの?」
「そうだよ。言葉はわからなくても、僕のことを大切にして思ってくているのはわかったから」
僕はそこでふーっと息を吐いた。
「そして、今からみあやに一番伝えたいことを言うね」
「僕はみあやとずっと一緒にいたい。僕は転生しみあやに会うたびに、みあやともっともっと一緒にいたいという思いが強くなっていった。それがどんな感情からくるのかもわかった。そのためには覚悟が必要なこともわかった。みあやが幸せでいることが僕の幸せだとわかった」
「優斗、私に何度も会いにきてくれて本当にありがとう。私もこれからも優斗と一緒にいたいよ」
この瞬間、運命が結ばれた音が確かに聞こえたのだった。
最終話
「そのことについて、私もまだ大事な話があるよ」
みあやは僕の目をまっすぐ見つめてきた。
「さっきの優斗の生まれ変わりのお話を、実は私はずっと前から気づいていたよ」
みあやは、僕がしらたまであり、洸でもあったことを知っていた?
僕は話が予想外の方向に進み出し、すぐに言葉が出なかった。
「まだそのタイミングじゃなかったから、知らない体で話をずっと私は合わせていた」
「なんでわかったの?」
僕はなんとかそう聞くことだけできた。
普通はわからないはずだ。僕もバレないようにおかし行動をしないように注意していた。
「それは、優斗が纏っている空気としらたまや洸が纏っている空気が同じから」
「纏っている空気?」
彼女はもしかして霊感のような不思議な力があるのだろうか。
「そう。まず私に不思議な力があるわけじゃないよ。うまくは説明できないけど、あなたと会うときはどの時も初めて会う感じがしなかった。そして、亡くなってしまったものたちの面影を感じた」
たとえ姿が変わっても、思いは完全には消えないんだと僕は感じた。
「でも、なんでみあやは僕の正体をわかりながら、何も言ってこなかったの?」
そのことが不思議で仕方なかった。
「待っていたから」
みあやはそう、静かにそう言った。
「待っていた?」
またしても意外な言葉に、僕の頭はどう答えていいかわからなかった。
「そう。優斗を信じ、優斗がいつか『ずっと一緒にいたい』と言ってくれるのを待っていた」
「それを待っていたの?」
僕はまだ頭が追いついていない。
待つことで運命が結ばれることは難しくないだろうか。
彼女にはどんな考えがあったのだろう。
「さっき話した通り私も優斗とずっと同じ気持ちだった。しらたまと出会った瞬間から、私は『運命』を感じていた。そして洸、優斗に同じ雰囲気を感じた時、これはなんの巡り合わせだろうと正直驚いた。私も今度こそ運命を共にしたいとずっと思っていた。でも、洸の時はうまくいかなかった。あなたと同じように私はあなたとずっと一緒にいる方法を探していたのよ」
みあやの口から『運命』という言葉が出てくるとは思ってもいなかった。
みあやも僕と同じ気持ちだった。
僕たちは知らず知らずのうちに初めから思い合っていたのだ。そして、それからずっと思い続けていた。
でもそれなら一層なぜみあやは何も行動しなかったのだろう。
「何か話してみようと思わなかったの?」
「もちろん、思わなかったわけじゃない。ただ私はその選択をしなかった。運命ってきっと複雑にできている。今までどんなに思っていても、結ばれなかった。もうそうなることが私は嫌だった。私はしらたまの生まれ変わりである優斗と運命を共にしたい。実は、私は優斗がしないだろう方法で運命を掴みとろうとした。そして優斗がもし『ずっと一緒にいよう』と言ってくれたら、私の思いやしてきたことを全て話そうと決めていた。それなら、うまくいきそうな気がしたから」
みあやはそれから僕のためにしてきたことを全て打ち明けてくれた。
みあやはみあやのやり方で、僕と運命を共にしようと頑張ってくれていた。
僕が偶然だと感じていたことは、全てみあやが僕のためにしてくれていたおかげで起こっていた。
例えば十五年間みあやの隣の部屋が空き家だったのも、みあやがそうしてくれていたからだった。
そして何よりも何年もの間、僕をずっと信じて待ってくれていたことに感謝してもしたりない。
信じ続けることは難しいことだ。
不安になった時もあったと思う。それでもみあやはずっと僕が訪れることを信じ続けてくれていた。
みあやがもし諦めていたら、僕たちの今はないのだから。
僕たちは、二人で一途に思い信じ続けたから、運命を結ぶことができただろう。
「僕のことをずっと待ってくれていてありがとう」
「いのよ。優斗こそ私を迎えにきてくれてありがとう」
みあやはいつものように笑ったていた。
それからみあやは、少し残念そうな顔をした。
「どうしたの?」
「確かに私たちの運命は今結ばれたよ。でもずっと一緒にいることは、物理的に無理だから」
「どういうこと??」
お互いの思いがわかり、これからの未来が明るくなったのに、何がダメなのだろうか。
「一緒にいても、どちらかが先に死ぬじゃない? 死ぬことがダメと言いたいわけじゃない。ただ同時に死ぬなんて現実的に無理だから」
みあやは、また一人のなることが怖いのだろう。
これまで辛いこと思いをしてきたみあやのその言葉は、とても重みがあった。
でも僕の思いも、何にも負けないぐらい強かった。
「ねぇ、みあや。運命の先には何があると思う?」
「運命の先? 運命は結ばれたら、終わりじゃないの?」
「うん。そう思う人が多いよね。でもこういう風にも考えられない? 確かに自分か相手が先に亡くなる。でも、運命で結ばれた二人なら、相手が亡くなったら終わりじゃない気が僕にはする」
「相手が亡くなった後にできることって、どんなことがある?」
彼女は僕の考え方を否定しているのではなく、僕の言葉から何かを見つけ出そうとしているようだった。
「もしみあやが僕より先に亡くなってしまったら、きっと僕のことを探しにきてくれるよね? 僕も絶対に何度だってみあやを見つけ出す。運命で結ばれた二人に、死というものを超えられると僕は思う」
「ありがとう、優斗。優斗がいればもう心配事はしなさそうね」
彼女は、胸を撫で下ろしていた。
「大丈夫だよ。僕たちの思いは、前世の記憶を消すことを拒んだ。すでに神様の定めたの原理を超えたのだから」
僕は今まで叶えられなかっだ分も、これからの人生の中でみあやを愛そうと強く思ったのだった。
完