• 『支える人』

  • 桃口 優
    恋愛

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    僕のこと、好き?」と彼が突然聞いてきた。でも、それは単純な質問ではなく、その言葉の奥には色々な問題が重なり合っていて……。

第1話 僕のこと、好き?

 冷たさは、心に伝わる。
 彼は、突然「僕のこと、好き?」と私の手の親指に優しく触れた。
 男性にしたら少し小さな手、それに涙で濡れてしまったその目は、人のずるさを知らない小さな子どものようだと私は感じた。悪い意味でそう感じたわけではない。
 流れ落ちていく涙さえ、かわいらしいと感じる。
 彼は、それから下を向いて何も話さなくなった。
 きっとすぐにうまく言葉が出てこないのだろう。
 そんな彼の素直さに私は憧れのような感情を抱いている。
 私は楽をする方法を覚え、いつの間にか大人というよくわかりもしない集団に染まってしまったから。私にはもう彼のような真っ白な心にはなれない。
 彼の言葉には、一つの感情しか込められてない。
 それは、あまりにも純粋すぎる愛だ。
 一般的に言葉とは複雑に感情が入り混じり合って、『言葉』という形になる。だからと言うべきか、人は度々他人の言葉から相手の伝えたいことを勘違いして受け取る。
 言葉とは決して軽くないものなのに、そこについて考えている人が少ない気がする。
 自分の伝えたいことが伝わらなければ、そのコミュニケーションは失敗したことと同じだ。
 私は、彼の目をしっかりと見つめた。目を見て話すことで、そうしないより幸福感が増すと前に読んだ本に書いてあったから。
 私は、彼にのびのびと自由で、いつまでも幸せでいてほしい。
 そして、「うん。凪のことが大好きだよ」と、彼をゆっくりと抱きしめた。
 「大丈夫だから」と背中を優しくとさすった。彼は私よりも頭一つ分背が高いから、頑張っても背中全体をさすれない。私がもっと背が高かったらよかったのにと申し訳なくなった。
 どうすることができないことに対しても、彼のためにできなければ力不足だなと私は考える。こう思うのは、他の人に対してもそうではなく、彼に対してだけだ。
 私は、彼に依存している。
 今は冬で気温はかなり低いのに、彼の身体は服の上からでもわかるぐらい熱をもっていた。彼が体調を崩しているわけではない。いつ触っても彼の身体は熱い。
 その熱さは、彼の心の傷を現しているのだろうか。
 もしかしたら彼は私と出会うまでに、色々な人に傷つけられてきて、その傷が熱さとして表面に出てきているのかもしれない。
 それなら、この熱さは彼の助けてというサインだ。
 彼の心の奥には、どんな感情がいるのだろう。
 それは、なぜか冷たそうと思った。熱さと冷たさは真反対のものなのにどうしてかそのイメージが浮かんだ。
 過去のことを彼から聞けたらいいとは思うけど、心の傷とはデリケートなものだ。私がぐいぐい聞いていいものではない。彼が私を心から信頼し、この人になら話してもいいかなとなる時を待とうと思っている。
 私と彼の間に、急ぐ必要があるものはどこにもないのだから。
 一方で、医療知識のない私に何ができるのかと考える時もある。
 せっかく話してくれたとしても、私が驚かずしっかり受け止めて、彼を支えることができるだろうか。
 いや、できるようになる。
 私のせいで彼がより苦しむ結果にだけはしたくない。
 私は彼が落ち着くまで、何度も言葉をかけ続けた。
 しばらくしてから、「僕も、朱里が大好き」と、彼は満面の笑みを浮かべた。
 さっきまでの暗さは、ほぼなくなっていた。
 私は、彼の笑顔が見れてホッとした。
 でも実は今回と全く同じやりとりを、二ヶ月という短い期間の間に二十回はしている。

 彼は、私に愛されているか頻繁にわからなくなる。
 こんな風に言葉にするとすごく単純になるけど、いろいろなものが絡み合って今の彼の状態になっているのだと思う。
 私とずっと一緒にいても、不安になるらしい。
 わからなくなるのは、脳の記憶を司るところの問題だと思ったけど、それ以外のことを忘れてしまうわけではない。
 彼の年齢は私よりも四歳若く二十五歳で、脳疾患になるには早すぎる。念の為病院でいくつかの検査をしてもらったけど、脳に異常は見つからなかった。
 また、彼のメンタル面が今すごく不安定なわけでもない。
 私と彼は付き合い始めて二年で、今同棲をしている。
 愛されているかわからなくなるけど、基本的に私たちは何をするのも一緒なぐらい仲がいい。
 好きなドラマや映画も同じ。私たちは感性という心の真ん中にある部分が完全一致しているのだと思う。
 それだけでなく、彼はいつも私を楽しませようと、おもしろおかしい話もしてくれる。
 それは誰かを悪く言う類のものではなく、日常にあることについてで、棘は一本もない。
 彼は本来人と話すことが得意なタイプじゃないのに、私のために頑張ってしてくれている。
 確かに私は困っている人を見つけるとほっとけない性格ではあるけど、温かい心をもった彼だから大切にしたいと心から思う。
 彼が時に愛されているかわからなくなっても、二人の間で愛情は一方通行ではないことを私はちゃんと覚えている。どちらかが覚えていれば、それで問題はない。
 たとえ原因がわからなくても私のしていることが効果があるかわからなくても、私は愛を伝え続ける。
 私の行動が彼の心に届いていないことは寂しくはなかった。何度も同じことを言うのも全然苦ではない。 
 私にできることは、何でもしたい。
 そんな些細なことより彼にとって不安な状態が続くことの方が、心がずっと苦しくなるから。

第2話 共依存

 静寂は、いつも誰かや何かに突然打ち消される。
 それは、まるで人生のようだ。
「朱里は、どうしてこんな僕を見捨てないでずっと一緒にいてくれているの? 朱里は思いやりもあるし、頭もすごくいいよね。僕なんかよりもっと相応しい人がいるよ」
 彼は少し震えていた。
 彼のその姿といつもと違う声のトーンに、私はどう反応していいかわからなかった。
 私は人の小さな変化に気づくことがよくある。
 支える覚悟をしっかりもったつもりだったのに、たとえ一回でもちゃんと反応できなかった自分が情けなかった。
 私は彼のために強くならなきゃダメなのに、支えるとはきっとそういうことなのに、どうしてこんなにうまくいかないのだろう。
 私は、決して弱くてはいけないし、自分を責めている場合ではない。
 一方で、誰かの負の感情を聞くだけでも精神的に大変なことでもあることも知識として知っている。
 どんな人でも悩みの一つはある。私にももちろんある。皆それを抱えながら、うまく受け流したりしてなんとか生きている。人によって抱えられる悩みの数は違うにしても、自分の悩みと相手の悩みの二つを同時に抱えることは、簡単なことではないと想像できる。
 また、弱っている相手に「私には無理」と伝えることは私にはとてもできない。それは助けを求めてきたの人の手を強く振り払っているのだから。そんな中途半端なことをするぐらいなら、大変でも一人で抱えた方がいいと私は考える。
 私はもしかしたら完璧主義者なのかもしれない。
 一方で、私だけでなく多くの人が一人で抱えてしまう最大の理由は、支える人も支えられる人と同じ一人の人間なのに、周りの人が支えている人に対して興味がないからだ。きっと面倒なことが自分にもふりかかると思い、積極的に関わろうとしないのだろう。相手が赤の他人ならそれはおかしな反応ではないけど、何らかの関係のあるなら心が痛くならないのだろうか。
 でも、今の世の中は残念ながらそれを完全に悪と思う人は少ない。
 一人で彼を支える大変さを知った上で、それでも私は彼のそばにいたいと強く思っている。
 それに私は、きっと彼がいないとまともに生活すらできないから。
 彼がいるから食事もちゃんとしたものを作ろうと思える。もし一人ならたぶんコンビニでカップ麺を買い、食事を楽しむこともない。
「凪、まずは落ち着いて。大丈夫だから」
 私は、ゆっくりと話しかけた。彼が深呼吸するのを確認して、私は話を続けた。
「私は、凪を絶対見捨てたりしない。私は凪だからそばにいるから」
「でも、僕は朱里の気持ちがわからなくなる。そんな僕のどこがいいの?」
 彼にも愛情がわからなくなる時がいつくるのかわからないらしい。
 だからこそ、わからなくなっていない時の彼は申し訳なくなることが多いのだろう。
 その気持ちはわからなくもない。でも、彼は必要以上に罪悪感を感じ、自分を責めるところがある。
「凪には、私にはない素敵なところがあるよ。それは誰もがもっているものではない。それに、今もこんなにも私のことを考えてくれているじゃない」
「うん。ありがとう」
 彼は安心したのか、甘えてきた。
 私だけでなく、彼も私に依存していることはわかっている。
 私たちは、所謂『共依存』という状態だ。
 私が彼のためなら何でもできるように、彼にも私のために努力していることがたくさんあるだろう。
 今まで彼も私と同じように他人に頼らず生きてきたと思う。彼にそのことを直接聞いたことはないけど、私には直感的に自分と同じだとわかった。
 私と彼は、同じだからこそ惹かれ合ったのだろう。
 私も子どもの頃は、彼のようにどんなことでも信じる子どもだった。
 『疑う』という言葉を、知らなかった。
 子どもの私からしたら、大人は何でも知っているすごい人のように見えていたから。
 人は足りないところが多い生き物だ。
 人を創った神様は、先を読む能力が優れているのか意地悪なのか?
 だって、足りないところをあえてもたせず、一人で生きていける力をもった完璧な人間を創ることはきっとできたはずだから。
 でも、神様はそれをしなかった。
 神様の意思はわからないけど、足りないところを誰かと補い合うことは決しておかしなことではないと私は強く思う。
 『共依存』という言葉がよくない時に使われることが多いだけで、誰もが自分以外の誰かに依存していて生きている。
 自分が我慢しすぎず、相手に無理をさせすぎないちょうどいいバランスのところを見つけることが難しいから、多くの人はそこに時間をかける意味を見出さない。
 支え合うという言葉を知りながら、綺麗事だとかできるはずがないと最初から諦めている。何事も現実的視点で見る。
 そんなの寂しすぎないだろうか。
 私は、彼とそんな風になりたくない。
 だから、私はどんな時も彼の一番の理解者で居続けたい。
 そう思った瞬間に、今までもやもやとしていたあることに対して光が差し込んできた。
 あることとは、人の身体自体の大きさと心の大きさのバランスについてだ。
 『心』は、心臓か脳にあると考える人が多い。そうと仮定として考えると、身体に対して心はあまりにも小さ過ぎると違和感をずっと感じていた。
 そんな大きさじゃ、生きていくうえで避けられない多くの挫折や苦しみや別れなどを全て受け止めることはとてもできない。
 やはり人には、自分一人生きられるほどの強さはない。

第3話 諦めたくない

 『心』が、私の思うように小さく弱いものであるなら、どうして人に心が存在するのだろう。
 もちろん、心には他にも大切な役割がたくさんあるのはちゃんとわかっている。
 わかった上で、心が自分を支えるためのものであるということだけに焦点をあてて考えるなら、心は十分な機能をほとんど果たしていない。
 むしろ、自分の無力さをわざわざ味わうためにあるかのようだ。
 自分の無力さを認めることは、どんな人でも容易いことではないのはわかっている。
 いや、どの生物も自分以外のものに弱さを見せることは危険なことだと本能的に感じる。
 やはり、神様は意地悪で、試練を私たち人間に与えている気がしてきた。
 でも、もし自分の無力さを受け入れられたら、心はかなり軽く減る気がする。
 自分にはどうすることもできないから誰かに頼ることが普通の世の中になったらいいのに。
 私は、どうにも一つのことに対して深く考える傾向があるみたいだ。
 彼がコンビニに寄りたいと言ったから、私は一人葉っぱの落ちた木々を眺めていた。
 立ち止まると、一気に身体の芯が冷えてくるのを感じた。
 彼と一緒にいると冷たさを感じないのにと、私は今さっきまで隣りにいた彼のことをすぐに考えていた。
 彼といると、幸福感で胸がいっぱい寒さなんて全然気にならない。
 私はそれから彼が悩んでいることを自然と考えていた。
 愛されているか突然わからなくなると、どんな気持ちになるのだろう。
 彼がそのなった時プチパニックになっているから、安心させようと私はこれまで言葉をかけ続けてきた。
 でもそれはただの一時しのぎの行動ではないかと最近少し思うようになってきていた。本当に彼にとって私ができる最善の方法なのだろうか。
 だって彼がそうなっしまう根本的な原因を見つけないと、辛さは今後もずっと変わらず現れるだろうから。
 私は、彼の立場になって考えてみることにした。
 今まであえて私の視点から彼のことを考えていた。それは彼とは違う視点で彼を見ることで、彼が気づかないことに気づける可能性があると思っていたからだ。
 でもそもそもその状態がどれほど怖いかということを想像してみなきゃ解決策は見えてこないかもしれない。
 他人の気持ちを完全に理解することは出来ないとよく言われる。 
 なぜなら人は自分の感覚やこれまでの経験から、物事を考えることが多いから。さらには、それを一切疑うこともせず絶対視するところもある。
 感じ方は人の数だけあるのに、そんな風に凝り固まった窮屈な世界にいると、本来わかることでさえわからなくなりそうだ。
 さらには常識に縛られたままでは、見えない景色もきっとある。
 そんなふうに考えていると、私の中でやっぱり彼を理解したいという気持ちが強く湧き上がってきた。
 本気で愛しているからこそ、簡単には諦めたくない。理解する努力を積み重ねていけば不可能なことも変えられるかもしれない。
 愛には、そんな力があると私は信じている。
 私は、ゆっくりと目を閉じた。
 五感を一つ閉ざすと、感覚は研ぎ澄まされる。
 彼の気持ちに同調することだけに、意識を向けた。
 自分の意志とは関係なく、突然一番信頼している人の気持ちがわからなくなる。
 心では信じられる人だとわかっているのに、頭の中ではたまらなく不安になる。
 私なら、そうなったらどうしていいかわからなくなりそうだ。
 きっと言葉を発することも、何か行動することも出来ずうずくまってしまう。
 彼の気持ちを考えることで、「僕のこと、好き?」と聞ける彼がすごいとわかった。
 取り乱さないだけのメンタルの強さがあるだけではなく、戦っているのだとわかったから。
 ただでさえその時は苦しいのに、現状をどうにか変えたくても彼はもがいている。
 もしかしたら愛されているかわからなくなっていない時も、どうしたら今後そんな風にならないか様々な対策を考えて実行しているかもしれない。
 彼はすごくまじめだから。
 私の中であることがわかった時、彼がコンビニから出てきた。
「おかえり」
「うん、ただいま。待たせてごめんね」
 彼は小走りで、私の元まで来た。
 私は、その姿を見て笑みがこぼれた。
「大丈夫だよ」
 私は彼の手をとり、いつものように手をつないだ。
 私は彼の気持ちを考えた結果、あの時彼から冷たさを感じた理由がわかった。
 それは、嫌われることを恐れ、感情に蓋をしていたのだ。
 自分を出すことが怖いことは私もよくわかる。
 また、彼が愛情がわからなくなるのは、きっと親のように本当に近しい関係の人に愛を伝えた時に拒絶された過去の出来事があったからだと私は推測した。
 愛情は、相手に届かなければ突如として痛みとなる。そしてかえしがついた針のように刺さって抜けなくなる。
 でも、私からそのことを彼に聞くことはやはりしないでおく。
 私は、さっきわかったことから前よりも彼を支える方法を探す。きっと方法は一つじゃないから。
 そして、いつか彼が悩みを打ち明けてくれた時には、私の感じていたことを伝えればいいだけだから。
「ねぇ、今日の晩ごはんは何にする?」と私は彼のほつぺを優しくつついたのだった。

ー完ー