• 『不思議な日常』

  • 鞍馬アリス
    ファンタジー

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    不思議なことが日常茶飯事で起こる街、稀田市。そんな街でルームシェアをしている北野田さんと左海さんの周りでは、おかしなことばかりが起きている。2人は日常を彩る不思議なできごとに時に困惑し、時に苦笑しながら、巻き込まれて行く……。

第1話 雪原冷蔵庫

目が覚めると、いつもカーテンを開けて、窓から外を確認するのが習慣になっている。

太陽の光に照らされて、何の変哲もない街並みが四角く切り取られて見えている。そのことに、私は少し安堵する。でも、その安堵が、後ろめたくもあるのは、どうしてだろう。

答えの見いだせない問いを頭の中でクルクルクルと回転させながら、私はパジャマのまま、リビングへと移動した。

「お、北野田さん、おはよう!」

リビングへ入ると、同居人の左海さんがのんびりとした口調で声をかけて来た。今日は彼女の仕事はお休みなのでパーカーにジーンズという出で立ちのまま、何やらキッチンでゴソゴソしている。

「おはよう」
私は欠伸まじりに答えを返す。

「今、トースト焼いてるからね」
「あれ、今日って左海さんが当番だっけ?」

「ほら、先週、私が寝坊助しちゃって、北野田さんが当番じゃないのに朝ごはん作ってくれたでしょ? それの振り替え日を今日にしてたじゃん?」

「あっ、確かに。すっかり忘れてた」
 コクリと私が頷けば、キッチンでチィンというトースターの音が聞こえた。

「よしよし、順調に焼けてるねぇ」
左海さんはそう言いながらお皿を出して、トーストを乗せてくれる。

「はい、どうぞ。それと、ヨーグルトに昨日買った蜜柑ね」

「ありがとう」
私は左海さんに礼を言うと、朝ご飯を両手で持って、ダイニングテーブルの上に乗せた。

その後ろから、左海さんも自分の朝ご飯を持って、テーブルの上に置いて行く。

「あっ、ミルク忘れてるね」
 左海さんはエヘヘと笑うと、すぐにキッチンへ戻り、二人で割り勘で買った冷蔵庫の扉を開けた。途端に、エッ、と左海さんの驚いたような声が聞こえた。

「どうしたの?」
 私は慌てて、左海さんのもとへと駆け寄る。

「北野田さん、あれ」
左海さんが指差すその先には、冷蔵庫の中身が広がっていた。けれど、それは私たちが見慣れている冷蔵庫の光景ではなかった。

その中は、果てしなく奥まで続く雪原のようになっていた。いや、実際に冷蔵庫の中ではチラチラと雪が降っていて、そのものすごく奥の方、私たちの手をどれだけ伸ばしても決して届かないような場所に、ミルクやジュースなんかがポツンと置いてあるのだった。

「なにこれ」
「さぁ……。雪原、かな?」

私たちは顔を見合わせた。こういうことには慣れっこになっているとはいうものの、不意を突くようにして現れると、やはり困惑してしまう。

「どうしよう。ミルク、無茶苦茶遠いけど」
「いやぁ、入って取って来るしかないよね」
「左海さん、それ、本気?」
「うん、本気だよ」

左海さんは右の親指をグッと立ててみせると、無限に奥まで広がっているんじゃないかと思えるような冷蔵庫の中へと、腹ばいになって入り始めた。

「ええ、ちょっと、危ないよ……」
私は左海さんのまさかの行動に動揺してしまい、彼女のパーカーの袖をクイクイッと引っ張った。

「大丈夫だって。たかが冷蔵庫だもん。それに、あれ取らないと、ミルクとか飲み物が飲めないじゃん」

「もう水でいいよぉ。怪我しちゃうかもよ?」
「トーストに水なんて合わないよ。やっぱりミルクじゃなきゃさ……」
左海さんはそう言って、よいしょよいしょと言いながら、自分の身体を冷蔵庫の中に入れて行く。

そうやってグリグリと膝くらいまで左海さんの身体が入った時だった。
「北野田さぁん……」
冷蔵庫の中から、左海さんの間延びした声が聞こえて来た。

「なぁに、左海さん?」
「その……ううう……出してェェェ……。寒くて死んじゃうよォォォ……」

左海さんの何とも情けない声に、私は驚いてしまい、急いで彼女の足首を掴むと、グイグイッと引っ張った。

そうやって五分ほど頑張ると、何とか左海さんの身体は冷蔵庫から抜けたのだった。

見れば、左海さんは半泣きになっており、髪や顔に粉雪が大量に付いていた。

「ああ、もう、ほら……。だから言ったじゃん。冷蔵庫の中でも雪が降ってたんだからさぁ……そりゃ寒いって。」
「ごめん……雪原ナメてた……」

左海さんは半泣きでそう言いながら、大人しく、私が頭や顔についた雪を払うままにまかせていた。

結局、その日の飲み物は水道の水で我慢することにした。朝ご飯を食べながら、私たちは冷蔵庫がしばらくあのままだったらどうしよう、という件について話し合ったものの、取り敢えず、朝一でモノズキヤに行って水とか清涼飲料水とかを数日分買うくらいしかよい考えは浮かばなかった。

暗澹たる気分になりながら朝ご飯を済ませると、私は二人分の食器を洗うためにキッチンへと向かった。

シンクに食器を置くと、私は恨めし気に冷蔵庫をしばらく見ていたのだけれど、もう一度、確認のつもりでパカリと扉を開けた。

「左海さん、来て!」
私はリビングでションボリしている左海さんに思わず声をかけていた。

冷蔵庫の中には、さっきまで広がっていた雪原は影も形もなくなっていたのだ。

ただ、雪原の名残りか、いつもの場所にお利口さんで収まっている牛乳パックやタッパーの上には、まだ微かに、白い粉雪が積もっているのが見えた。

第2話 隙間の街

カーテンの隙間から見えたのは、どことも知れない街の風景だった。

隙間の横幅は30㎝くらい。縦長の窓が切り取って見せているのはいつもの夕方の風景ではない。煉瓦敷の建物がいくつも聳え立ち、道端には色とりどりの布がはためくテントのような店が並ぶ。人々は緑や橙を基調とした衣服を着ており、蝶や草花の刺繍があしらわれているのが印象的だった。

時刻は夕方頃なのだろうと思うのだけれど、夕陽は紅色ではなく、水底のようなマリンブルー。それでも夕方なのかなと思ったのは、街の奥の方にマリンブルー色に輝く太陽が沈みつつある姿が見えたからだ。

街は人々でごった返していた。音こそしなかったけれど、出店が出ているのはなにか特別な出来事のためなのだろうと思えた。それとも、この街では年がら年中こんな風に出店が立ち並び、人々でごった返しているのだろうか?

「なんだろうね、これ?」

左海さんが茫然とした口調で呟いた。

最初にカーテンの隙間の異変に気付いたのは、他ならぬ左海さんだった。夕飯の後片付けを終えて、いつものようにバラエティ番組を二人で見ようかと話をしている時に、彼女がベランダへと続くカーテンが微妙に開いて隙間ができているのを見つけたのだ。

「あれ? 隙間できてるね」

左海さんはそう言いながら、隙間を閉じようと窓辺に近付いた。けれど、カーテンに手をかけると、そのまま動きが止まってしまった。やがて、こちらに顔だけ向けると、カーテンを掴んでいない方の手で手招きをする。

なんだろうと思って近付くと、カーテンの隙間から先ほどのような光景が広がっていた、というわけなのだ。

窓の向こうにいつもと異なる風景が広がっている。これ自体は、不思議なことが日常茶飯事で起こるこの街ではそんなに珍しいことではない。前にはベランダの向こうが大海原になっていたこともあったし、よく分からない石造りの神殿のようなものがニョキニョキと生えている砂漠地帯が広がっているのを見かけたこともある。

ただ、今回の光景が他の不思議な光景と違っていたのは、ある一定幅のカーテンの隙間にしか存在できないらしいという点だった。

カーテンを全開にすると、この不思議な街並みは消えてしまい、いつもの風景が現れる。逆に隙間を狭くすると、あるところで風景が歪みはじめ、気付くとマリンブルー色の夕日が空を覆う街の風景が再び現れるのだった。

私たちはあれやこれや言いながら、どこから風景が変化するのかを調べてみた。すると面白いことに、きっかり三〇㎝幅のところで風景が完全に切り替わることに気がついた。これは、家にあったメジャーを使って測ったので間違いない。

「それにしても、あの夕日? あれって全然沈まないみたいだね。さっきから全然動いてない気がするけど」

街が現れる隙間の最大幅を出したところで、左海さんがそんなことを言いだした。

確かに、彼女が街を「発見」してから最大幅について解明するまでに三十分くらいはかかっていたのだけれど、その間、街の空は相変わらずマリンブルー色の夕焼けに染まっていたし、街の奥に見える太陽もちっとも動いているようには見えなかった。

「夕陽が沈むのが無茶苦茶遅いんじゃない? 一年に数ミリしか動かないとかさ」

思い付きで言ってみたのだが、この考えは割といい線を行っているように思えた。そう考えれば、いつまで経っても太陽が沈まないのも納得がいくというものだ。

「こっちの世界とは違う尺度で太陽が動いてるってこと?」

「そうそう、百年間ずっと夕焼けが続くみたいなさ」

「なんかすごい世界だなぁ……」

左海さんは疑わし気に腕組みをはじめた。なにか別の解釈を考えようとしているみたいなのだが、いいものは浮かばないようで、やがてフゥッと溜息を吐くと首をグリグリと回しはじめた。

「この不思議な街ってどうする? このまま観察を続ける?」

口調から、左海さんが早くも街の風景に飽きていることが感じられた。顔を見ると、今にも欠伸をしそうになっている。大学時代、詰まらない教授の授業を聞いている時によくしていた顔だ。そういうところは、社会人になってもあまり変わらないなと思う。

「まぁ、ずっと見てるのもあれだし、観察は終わりにしようか?」

「うん、そうしよう! 是非そうしよう!」

私が提案すると、左海さんはブンブンと首を大きく縦に振りながら、シャッと音を立ててカーテンを閉めてしまった。よっぽど飽きていたんだろう。

それから私たちはいつものようにテレビのバラエティ番組を観て、十時過ぎには寝室へ向かうことにした。

テレビを消してよっこらしょと言いながら立ち上がった途端、例のカーテンの隙間から見えていた風景が脳裏に蘇って来た。

「先に寝室に入っててね」

私は左海さんにそう言うと、ベランダへと続く窓のカーテンを少しだけ開けた。

さっき見えていた街や、マリンブルー色の夕焼けが綺麗だったので記念に撮影しようと思ったのだ。

けれど、カーテンを開けると、そこには真暗な夜の闇が広がっているばかり。色々と隙間の幅を調節してもみたのだけれど、結局、あの街並みが再び見えることはなかった。

綺麗だなと思った時に撮影しておけばよかったと後悔したけれど、もう後の祭りだ。  不思議な現象はいつまでも待ってはくれないのだと、改めて実感した。