『不思議な日常』
鞍馬アリス著
ファンタジー
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
不思議なことが日常茶飯事で起こる街、稀田市。そんな街でルームシェアをしている北野田さんと左海さんの周りでは、おかしなことばかりが起きている。2人は日常を彩る不思議なできごとに時に困惑し、時に苦笑しながら、巻き込まれて行く……。目 次
第1話 雪原冷蔵庫
目が覚めると、いつもカーテンを開けて、窓から外を確認するのが習慣になっている。
太陽の光に照らされて、何の変哲もない街並みが四角く切り取られて見えている。そのことに、私は少し安堵する。でも、その安堵が、後ろめたくもあるのは、どうしてだろう。
答えの見いだせない問いを頭の中でクルクルクルと回転させながら、私はパジャマのまま、リビングへと移動した。
「お、北野田さん、おはよう!」
リビングへ入ると、同居人の左海さんがのんびりとした口調で声をかけて来た。今日は彼女の仕事はお休みなのでパーカーにジーンズという出で立ちのまま、何やらキッチンでゴソゴソしている。
「おはよう」
私は欠伸まじりに答えを返す。
「今、トースト焼いてるからね」
「あれ、今日って左海さんが当番だっけ?」
「ほら、先週、私が寝坊助しちゃって、北野田さんが当番じゃないのに朝ごはん作ってくれたでしょ? それの振り替え日を今日にしてたじゃん?」
「あっ、確かに。すっかり忘れてた」
コクリと私が頷けば、キッチンでチィンというトースターの音が聞こえた。
「よしよし、順調に焼けてるねぇ」
左海さんはそう言いながらお皿を出して、トーストを乗せてくれる。
「はい、どうぞ。それと、ヨーグルトに昨日買った蜜柑ね」
「ありがとう」
私は左海さんに礼を言うと、朝ご飯を両手で持って、ダイニングテーブルの上に乗せた。
その後ろから、左海さんも自分の朝ご飯を持って、テーブルの上に置いて行く。
「あっ、ミルク忘れてるね」
左海さんはエヘヘと笑うと、すぐにキッチンへ戻り、二人で割り勘で買った冷蔵庫の扉を開けた。途端に、エッ、と左海さんの驚いたような声が聞こえた。
「どうしたの?」
私は慌てて、左海さんのもとへと駆け寄る。
「北野田さん、あれ」
左海さんが指差すその先には、冷蔵庫の中身が広がっていた。けれど、それは私たちが見慣れている冷蔵庫の光景ではなかった。
その中は、果てしなく奥まで続く雪原のようになっていた。いや、実際に冷蔵庫の中ではチラチラと雪が降っていて、そのものすごく奥の方、私たちの手をどれだけ伸ばしても決して届かないような場所に、ミルクやジュースなんかがポツンと置いてあるのだった。
「なにこれ」
「さぁ……。雪原、かな?」
私たちは顔を見合わせた。こういうことには慣れっこになっているとはいうものの、不意を突くようにして現れると、やはり困惑してしまう。
「どうしよう。ミルク、無茶苦茶遠いけど」
「いやぁ、入って取って来るしかないよね」
「左海さん、それ、本気?」
「うん、本気だよ」
左海さんは右の親指をグッと立ててみせると、無限に奥まで広がっているんじゃないかと思えるような冷蔵庫の中へと、腹ばいになって入り始めた。
「ええ、ちょっと、危ないよ……」
私は左海さんのまさかの行動に動揺してしまい、彼女のパーカーの袖をクイクイッと引っ張った。
「大丈夫だって。たかが冷蔵庫だもん。それに、あれ取らないと、ミルクとか飲み物が飲めないじゃん」
「もう水でいいよぉ。怪我しちゃうかもよ?」
「トーストに水なんて合わないよ。やっぱりミルクじゃなきゃさ……」
左海さんはそう言って、よいしょよいしょと言いながら、自分の身体を冷蔵庫の中に入れて行く。
そうやってグリグリと膝くらいまで左海さんの身体が入った時だった。
「北野田さぁん……」
冷蔵庫の中から、左海さんの間延びした声が聞こえて来た。
「なぁに、左海さん?」
「その……ううう……出してェェェ……。寒くて死んじゃうよォォォ……」
左海さんの何とも情けない声に、私は驚いてしまい、急いで彼女の足首を掴むと、グイグイッと引っ張った。
そうやって五分ほど頑張ると、何とか左海さんの身体は冷蔵庫から抜けたのだった。
見れば、左海さんは半泣きになっており、髪や顔に粉雪が大量に付いていた。
「ああ、もう、ほら……。だから言ったじゃん。冷蔵庫の中でも雪が降ってたんだからさぁ……そりゃ寒いって。」
「ごめん……雪原ナメてた……」
左海さんは半泣きでそう言いながら、大人しく、私が頭や顔についた雪を払うままにまかせていた。
結局、その日の飲み物は水道の水で我慢することにした。朝ご飯を食べながら、私たちは冷蔵庫がしばらくあのままだったらどうしよう、という件について話し合ったものの、取り敢えず、朝一でモノズキヤに行って水とか清涼飲料水とかを数日分買うくらいしかよい考えは浮かばなかった。
暗澹たる気分になりながら朝ご飯を済ませると、私は二人分の食器を洗うためにキッチンへと向かった。
シンクに食器を置くと、私は恨めし気に冷蔵庫をしばらく見ていたのだけれど、もう一度、確認のつもりでパカリと扉を開けた。
「左海さん、来て!」
私はリビングでションボリしている左海さんに思わず声をかけていた。
冷蔵庫の中には、さっきまで広がっていた雪原は影も形もなくなっていたのだ。
ただ、雪原の名残りか、いつもの場所にお利口さんで収まっている牛乳パックやタッパーの上には、まだ微かに、白い粉雪が積もっているのが見えた。
第2話 隙間の街
カーテンの隙間から見えたのは、どことも知れない街の風景だった。
隙間の横幅は30㎝くらい。縦長の窓が切り取って見せているのはいつもの夕方の風景ではない。煉瓦敷の建物がいくつも聳え立ち、道端には色とりどりの布がはためくテントのような店が並ぶ。人々は緑や橙を基調とした衣服を着ており、蝶や草花の刺繍があしらわれているのが印象的だった。
時刻は夕方頃なのだろうと思うのだけれど、夕陽は紅色ではなく、水底のようなマリンブルー。それでも夕方なのかなと思ったのは、街の奥の方にマリンブルー色に輝く太陽が沈みつつある姿が見えたからだ。
街は人々でごった返していた。音こそしなかったけれど、出店が出ているのはなにか特別な出来事のためなのだろうと思えた。それとも、この街では年がら年中こんな風に出店が立ち並び、人々でごった返しているのだろうか?
「なんだろうね、これ?」
左海さんが茫然とした口調で呟いた。
最初にカーテンの隙間の異変に気付いたのは、他ならぬ左海さんだった。夕飯の後片付けを終えて、いつものようにバラエティ番組を二人で見ようかと話をしている時に、彼女がベランダへと続くカーテンが微妙に開いて隙間ができているのを見つけたのだ。
「あれ? 隙間できてるね」
左海さんはそう言いながら、隙間を閉じようと窓辺に近付いた。けれど、カーテンに手をかけると、そのまま動きが止まってしまった。やがて、こちらに顔だけ向けると、カーテンを掴んでいない方の手で手招きをする。
なんだろうと思って近付くと、カーテンの隙間から先ほどのような光景が広がっていた、というわけなのだ。
窓の向こうにいつもと異なる風景が広がっている。これ自体は、不思議なことが日常茶飯事で起こるこの街ではそんなに珍しいことではない。前にはベランダの向こうが大海原になっていたこともあったし、よく分からない石造りの神殿のようなものがニョキニョキと生えている砂漠地帯が広がっているのを見かけたこともある。
ただ、今回の光景が他の不思議な光景と違っていたのは、ある一定幅のカーテンの隙間にしか存在できないらしいという点だった。
カーテンを全開にすると、この不思議な街並みは消えてしまい、いつもの風景が現れる。逆に隙間を狭くすると、あるところで風景が歪みはじめ、気付くとマリンブルー色の夕日が空を覆う街の風景が再び現れるのだった。
私たちはあれやこれや言いながら、どこから風景が変化するのかを調べてみた。すると面白いことに、きっかり三〇㎝幅のところで風景が完全に切り替わることに気がついた。これは、家にあったメジャーを使って測ったので間違いない。
「それにしても、あの夕日? あれって全然沈まないみたいだね。さっきから全然動いてない気がするけど」
街が現れる隙間の最大幅を出したところで、左海さんがそんなことを言いだした。
確かに、彼女が街を「発見」してから最大幅について解明するまでに三十分くらいはかかっていたのだけれど、その間、街の空は相変わらずマリンブルー色の夕焼けに染まっていたし、街の奥に見える太陽もちっとも動いているようには見えなかった。
「夕陽が沈むのが無茶苦茶遅いんじゃない? 一年に数ミリしか動かないとかさ」
思い付きで言ってみたのだが、この考えは割といい線を行っているように思えた。そう考えれば、いつまで経っても太陽が沈まないのも納得がいくというものだ。
「こっちの世界とは違う尺度で太陽が動いてるってこと?」
「そうそう、百年間ずっと夕焼けが続くみたいなさ」
「なんかすごい世界だなぁ……」
左海さんは疑わし気に腕組みをはじめた。なにか別の解釈を考えようとしているみたいなのだが、いいものは浮かばないようで、やがてフゥッと溜息を吐くと首をグリグリと回しはじめた。
「この不思議な街ってどうする? このまま観察を続ける?」
口調から、左海さんが早くも街の風景に飽きていることが感じられた。顔を見ると、今にも欠伸をしそうになっている。大学時代、詰まらない教授の授業を聞いている時によくしていた顔だ。そういうところは、社会人になってもあまり変わらないなと思う。
「まぁ、ずっと見てるのもあれだし、観察は終わりにしようか?」
「うん、そうしよう! 是非そうしよう!」
私が提案すると、左海さんはブンブンと首を大きく縦に振りながら、シャッと音を立ててカーテンを閉めてしまった。よっぽど飽きていたんだろう。
それから私たちはいつものようにテレビのバラエティ番組を観て、十時過ぎには寝室へ向かうことにした。
テレビを消してよっこらしょと言いながら立ち上がった途端、例のカーテンの隙間から見えていた風景が脳裏に蘇って来た。
「先に寝室に入っててね」
私は左海さんにそう言うと、ベランダへと続く窓のカーテンを少しだけ開けた。
さっき見えていた街や、マリンブルー色の夕焼けが綺麗だったので記念に撮影しようと思ったのだ。
けれど、カーテンを開けると、そこには真暗な夜の闇が広がっているばかり。色々と隙間の幅を調節してもみたのだけれど、結局、あの街並みが再び見えることはなかった。
綺麗だなと思った時に撮影しておけばよかったと後悔したけれど、もう後の祭りだ。 不思議な現象はいつまでも待ってはくれないのだと、改めて実感した。
第3話 シロツメクサ
爪切りを構えながら、私は固まっていた。
目の前には自分の足が見える。五本の指が、爪を切って欲しそうに待っている
けれど、私は爪を切ることができない。目の前にあるのが爪ではないからだ。爪の形にカーブしたシロツメクサの花。それが、私の足の指から現在生えているものだった。
「北野田さん、ついに爪にシロツメクサを搭載したのか」
お風呂上がりのバニラアイスを食べながら、左海さんが感慨深げに頷く。何に対して感慨を持ったのかは謎だ。
「んなわけないでしょ! さっきまでは普通の爪だったの。それが、爪を切ろうとして爪切りを近づけた途端、こんな風になったの」
「ううむ。じゃあ、爪切りを遠ざけてみたら?」
左海さんのやや斜め上を行く提案に、私は不覚にもハッとさせられてしまった。確かに、爪は爪切りを近づけた途端、それこそ変わり身の術のようにシロツメクサに変わってしまった。そして現在、爪切りは爪に近付けたままの状態でキープされている。
「いや、そんなので解決しないって……」
そう言いながら爪切りをそっと指から離したのは、この異様な状況をどうにかして解消したいと思ったからだ。
いくら不思議なことが日常茶飯事で起きる街での暮らしが長くなっていて、そういうことに対する許容範囲が広くなっているとは言え、自分の爪がシロツメクサになってしまうという状態が続くことはあまり喜ばしいことではない。爪がシロツメクサの花になってしまったら、どこをどう切ればいいのか分からないし、さりとてそのままシロツメクサ化した爪を伸ばし続けたら、思わぬ事故に繋がってしまうかもしれない。少なくとも、日常生活に支障が出ることは間違いない。ドアや壁のかどっちょにシロツメクサ化した爪が当たったら……そんなことを考えただけでウヒャァとなってしまう。
そんなことが頭を過り、私は一縷の望みをかけて爪切りをシロツメクサ化した爪から離してみたのだった。
するとどうだろう。
爪切りを数㎝離した途端、シロツメクサ化していた私の爪は元通りに戻ったのだった。
「おお、戻った。なんかマジックみたいだね」
左海さんは暢気にそんなことを言いながら、バニラアイスをパクリと食べる。滅茶苦茶この状況をエンジョイしているようだ。
「クッ……。他人事だと思って……」
私はジトッとした視線を左海さんに向けつつ、再び爪切りを爪へと近付ける。けれど、爪切りの刃が爪に触れようかというところまで来ると、再び爪がシロツメクサの白い花に変わってしまう。悔しいが、左海さんの言う通り、間近でマジックを見せられているみたいだ。
「なんで……。なんで爪がシロツメクサになっちゃうの……」
「きっと爪が嫌がってるんじゃない? 僕たちを切らないでぇ、痛いよぉ、怖いよぉって」
バニラアイスの最後の一口を食べ終えると、左海さんはそのままゴミ箱にポイッとアイスの棒を捨てる。その後ろ姿を見ていると、私の中でとある邪心が爆誕した。
私は立ち上がり、こちらに戻って来た左海さんへと近付く。右手には爪切りを持ち、それを左海さんの足に向けている。
なにか感づいたのか、左海さんがギョッとして構えの姿勢を取る。
「き、北野田さん、何? 何をしようとしてんの?」
「フッフッフ……左海さんだけエンジョイしてるみたいだけど、そんなの許さないんだからね……」
私はそう言うと、立ち竦む左海さんの前にしゃがみ込み、素早く爪切りを彼女の足の爪先に近付けた。爪切りを人の足の指先に近付けるという競技があったとしたら、私は世界選手権の代表として出場できるかもしれない。そう思えるくらい、自分でも満足のいく、無駄のない動きだった。
「そりゃあ! どうだ!」
グッと爪切りを突き出して、私は知らず知らずの内にドヤ顔をしていた。
だが、左海さんの爪先にどれだけ爪切りを近づけても、彼女の爪がシロツメクサになることはなかった。
フゥン、フゥン、と馬鹿みたいに唸りながら何度かやってみたのだが、やはり爪はシロツメクサにならない。
思わぬ事態に、私は顔を上に向けていた。左海さんの顔が見える。口元に手を当てている。滅茶苦茶笑いを堪えるのに必死のようだった
「ウププ……北野田さん、何してんの?」
「あ、え、ちょ……これは、その……」
自分でも顔が赤くなっていくのが分かる。
「ああ、でも、左海さんの爪がシロツメクサにならないってことは、もう私の爪もシロツメクサになるタイムを過ぎてんのかも……」
自分でも何を言っているのかよく分からないまま、私はゆっくりと自分の足の爪先に爪切りを近づけてみた。
爪切りの刃が爪に触れようとした瞬間、パッと綺麗なシロツメクサの花が咲いた.
「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥン! なんで!」
私は恥ずかしさのために爆発しそうになりながら、その場で頭を抱えてしまった。その様子が最後の引き金になったのか、左海さんがキャハハハハハと笑い声をあげはじめる。
「やばい、今日の北野田さん、マジで面白い。年に一度あるかないかってくらい面白い。超レア北野田さんじゃん……」
私の悶絶する唸り声と、左海さんの笑い声がなんとも言えないマリアージュを育む中、その夜は無情にも過ぎて行った。
因みになのだが、その翌日の朝に改めて爪切りを爪に近付けてみると、もうシロツメクサの花になることはなかった。
ただ、爪を切れたことの安堵感よりも、敗北感の方が強く、苦い爪切りタイムになってしまった。
第4話 頭痛釣り
「あうう……頭が痛いぜ、北野田さん……」
左海さんは苦しそうな顔をして、ソファに横になってウンウンと唸っている。私はその前に立って、釣り糸の用意をしていた。
「よしよし……痛いねぇ。頭痛は辛いからねぇ……」
私は左海さんをあやしながら、釣り針に餌を付ける。疑似餌で、白い芋虫みたいなやつだ。本当は生の餌のほうがいいのだろうけれど、虫嫌いの左海さんの頭の上に本物を吊り下げるのも気の毒なので、折衷案として疑似餌にしている。とりあえず、今までの戦績は良好なので、問題はないはず。
左海さんの頭痛は梅雨になると現れる。これは大学生のころから把握はしていたし、そのころから頭痛を和らげる手伝いもしていた。お陰で、釣り糸の扱いも大分慣れて来た。
左海さんいわく、彼女の頭痛は何かが頭の中をグルグルとしっちゃかめっちゃか動き回っているような、そういう感覚と共に訪れる鈍痛なのだそうだ。定期的にズキズキ来るし、グルグルと何かが頭の中を動き回っているしで、気持ち悪いことこの上ないのだとか。今回は左海さんの仕事がお休みである土曜日に来たからまだよかったものの、これが平日に来ると最悪で、早退も余儀なくされてしまうのだから大変だ。
「北野田さぁん、まだぁ?」
いつもは明るく元気な左海さんも、この時ばかりは萎れていて、声にも張りがない。本当に辛いのだ。
「もう少しだから待っててね。よぉし、これで餌が外れることもないでしょう」
私は疑似餌の芋虫が釣り糸にしっかりと取り付けられたのを確認すると、それをゆっくり左海さんの頭上へ移動させる。
「あうう……虫……イヤァ……」
疑似餌だというのに、左海さんはフルフルと首を横に振っている。道端で蟻んこを見てもギャッと叫んでこちらに抱き着いて来るくらいなので、このくらいの反応は想定内。
「我慢しなって。これで頭痛が軽くなるんだから。ほれほれ、疑似餌ですよぉ……美味しいですよぉ……」
私は左海さんの頭にギリギリ疑似餌が当たらないように上下左右に動かしてみる。しばらくそうやっていると、急に左海さんの髪の毛がサワサワと動き始めた。茶髪のロングヘアに波紋がいくつも現れる。まるで水面のようだなと、これを見るたびに思う。
「アウゥゥ……頭の中で跳ね上がってるぅぅぅ……これは大きいかもぉぉぉ……」
左海さんが苦しそうに頭を左右に動かす。私はその振り子のような動きに合わせて、疑似餌を左右に動かしていく。
やがて左海さんの髪に現れていた波紋がピタリと止まった。
「来るよ!」
「ううん……」
左海さんが力なく唸ったその瞬間、彼女の髪の毛からザパァッと水しぶきを散らしつつ、なにかが飛び出して来た。
それはプラプラと揺れている疑似餌に勢いよく食いついた。
「ほい、来たぁ!」
私はそう叫ぶと、疑似餌に食いついたものをしっかり手でキャッチする。ビチビチッと手の中で動いているのは、どうやらヤマメのようだった。左海さんの言う通り、例年のものよりもかなり大きい。
私は正体を確認すると、素早く釣り糸からヤマメを外し、ベランダへと通じる窓をガラリと開けた。ヤマメは必死になって抵抗するが、私も慣れているので落としたりはしない。
開け放たれた窓から外へ出ると、そのまま思いっきりヤマメをベランダの外へ向かって投げつける。
「それ、飛んでいきなさぁい!」
プロ野球選手もかくやと思える勢いで投げつけたヤマメは、そのままベランダの外へ飛び出したが、次の瞬間にはパッとその身体が弾け、薄紅色の花弁に変わり、ちょうど吹いて来た風に乗って、どこへともなく飛ばされて行ってしまった。
ヤマメの最期を見届けると、私は急いで左海さんのところへ戻った。
「調子はどう?」
「ううん……ありがとう。まだ痛いけど、かなり楽になったよぉ。これで頭痛薬飲んで寝ればいけると思う」
答える左海さんの表情は、先ほどとは打って変わって穏やかなものになっていた。私もなんだかホッとした。
「よかったね。このままソファで寝とく?」
「うん、そうするぅ。今のままで楽だし」
「そっか。じゃあ、後は頭痛薬とお水を用意しとくね」
「ありがとう……。助かりますだぁ」
左海さんはそう言うと、スゥッと目を閉じた。どうやら、さっきのドタバタで疲れてしまったようだ。これなら頭痛薬も必要ないかなとは思ったけれど、念のため用意だけしておくことにした。
水を汲んで、テレビ台の下にしまってある頭痛薬を取り出しながら、それにしても、左海さんの頭を使って渓流釣りならぬ頭痛釣りをするのがすっかり梅雨時の風物詩みたいになってしまっているなぁとつくづく思うのだった。
私は静かにソファの前のテーブルに水と頭痛薬を置いた。
左海さんはすでにスゥスゥと寝息を立てている。その頭をヨシヨシしようと手を伸ばしたが、すぐに引っ込めた。
頭痛の時に頭をヨシヨシされて気持ちのいいことなんて、何一つないからだ。
「これは危うく失敗するとこだった」
自分の行動に思わず苦笑すると、私は静かに立ち上がり、左海さんを起こさないように、自分の部屋へと入ったのだった。
第5話 海中喫茶
夏場は極力外へは出たくない。けれど、甘いものを食べたいという欲望に打ち勝つことは並大抵のことではない。結果、私は逡巡した挙句、日曜の午後三時という一番最悪のタイミングで、スイーツを求めて外へ出る羽目に陥ったのだった。
蒸し暑い空気が身体にまとわりつき、ミンミンミンという蝉の鳴き声も暑さを加速させているようだった。
「頑張れ、応援してる!」
道連れにしようとした左海さんからは、そんな素っ気ない返事しか返って来なかった。彼女としては、夏場はクーラーの効いた室内でゲームをするに限る、ということらしい。
ルンルンでゲームを楽しんでいる左海さんをヘッドブロックして外へ連れ出すのもかわいそうだったので、私は仕方なく一人で外へ出ると、汗を拭き拭き、スマーポで近くにある喫茶店やパンケーキ屋などを検索するのだった。
私たちのアパートから近く、しかもスイーツ関係の店が集まっている場所と言うと、必然的に稀田商店街が候補として挙がって来た。
明治から大正時代にかけて活躍した宮美雅という詩人の生家跡があることでも知られているこの商店街には、私のスマーポが示す限り、五つものスイーツ関係の店が確認できた。
だが、時間帯が悪かったのだろうか。午後三時過ぎともなると、どの店も満員御礼で、私を快く受け入れてくれる店はどこにもないのだった。これが一つや二つならまだしも、スマーポが教えてくれた五つの店全てが一時間以上の待ち、それも屋外での待機ということになると、さすがのスイーツ亡者の私もゲッソリせざるをえなかった。
「全然ダメじゃん……」
最後の頼みの綱であった喫茶店「世紀末喫茶 微睡」の入店も叶わずガックリと肩を落として、フッと前方を見やると、左側に見慣れない店が出ていた。喫茶店らしいのだが、スマーポには表示されていない。最近できて、まだスマーポの位置情報には反映されていない、ということなのだろうか。
トコトコと近付いてよく見れば、立て看板には「海中喫茶 潮の詩」と記されている。一緒に外に出されているメニューには、数種類のパフェやパンケーキの記載があった。
立て看板が出ているということはやっているのだろうと踏んだ私は、最後の希望を託して自動扉をくぐり、店の中へと入った。
店内に入った瞬間、私の身体は水のようなものに包まれた。エッと思う間もなく、私は自分が水で満たされた中に立っていることに気がついた。それなのに、普通に鼻で呼吸はできていたし、店内に流れる音楽もちゃんと聞こえた。水に触れている感触はあるものの、衣服も濡れていないようだ。
「いらっしゃいませぇ」
私が立ち竦んでいると、店の奥から同年代らしき女性がやって来た。この店の店員なのだろう。何かしゃべるたびに、口からプクプクと泡が出ている。
「おひとり様ですかぁ?」
「あ、はい、そうです」
「では、ご案内しますぅ」
互いに口から泡をプクプク出しながら、案内されるがままに席へと落ち着く。席にはすでにメニューが用意されていた。私はそこから目ざとく「練乳の海に浮かぶホットケーキ諸島 ココアアイス添え」というものを見つけ出すとすぐさま注文した。
「かしこまりましたぁ。少々お待ち下さいねぇ」
女性はペコリと頭を下げると、まるで海の中を泳ぐようにして店の奥へと消えて行った。
私はフゥッと一息吐いてから、何とはなしに視線を上に向けた。そこには天井があるものとばかり思っていたのだが、そんなものは見当たらず、代わりにどこまでも続く海と、その周りを泳ぐ魚の姿が見えるばかりだった。その先には太陽なのだろうか、白色の丸い光が見えていて、それが店まで届き、明かりの代わりになっているのだった。
私がホエェと思いながら上を見ている内に、頼んでいたホットケーキがやって来た。メニュー名の通り、練乳の海にホットケーキとココアアイスが島のように浮かんでいる。
「お待たせしましたぁ。どうぞぉ」
相変わらず口から泡をプクプクさせながら、女性がホットケーキをテーブルの上に乗せる。その時に、女性の腕に煌めくものが見えた。虹色に輝く鱗のようなものだった。
ギョッとして思わず二度見しようとすると、サッと手を隠されてしまった。
「では、ごゆっくりぃ」
女性はペコリと頭を下げると、再び泳ぐようにして店の奥へと消えてしまった。
海底のような店内で食べたホットケーキはとてもおいしかった。気持ち塩味が効きすぎているようにも思えたのだが、それが店の雰囲気のためなのか、それとも女性の腕に虹色の鱗のようなものを見てしまったためなのか、あるいは全くの気のせいなのかは、私には判断がつかなかった。
まるで夢を見ているようなフワフワとした気分でホットケーキを食べ終えると、そのまま会計を済ませて外へと出た。
「またのお越しをお待ちしておりますぅ」
そう言ってにこやかに微笑む女性の手を改めて見てみたが、なぜかさっきまではしていなかった白色の手袋のために鱗があるかどうかは確認できなかった。
ホットケーキはおいしかった。値段も手ごろだった。なら、たとえ店員の存在に謎が含まれていたとしても、特に問題はない。スイーツとはそういうものだ。 店を出て、再び蒸し暑い空気に包まれながら、私はそう自分を納得させていた。
第6話 蜃気楼
時には気分転換も必要だよねと思い、久しぶりに稀美海岸を訪れた。
稀田市の西側に位置するこの海は、夏場には海水浴場が開かれてたくさんの人で賑わう。私は一度だけその様子を覗いたことがあるのだけれど、回転木馬が海中にニョキッと生えていたり、砂浜の一部を使って大道芸人のショーが行われていたりと、海水浴場というよりは一種のお祭りのように感じた。
ただ、それは夏場だけのこと。秋になると人の姿は少なくなる。左海さんなんかはそんな様子を「寂しいよね」と言うのだけれど、私は逆に静かで散歩しやすいこともあり、秋の稀美海岸のほうが好きだ。元々、そんなに人だかりが好きではなく、海水浴場の様子を見学しに行った時も、一時間ばかりで疲れてしまい、早々に退散してしまった。
砂浜は秋の日差しに白く輝き、まるで白い絨毯を敷いたように見える。近くでは波の音が単調なリズムを刻み、海の彼方から鳥の鳴き声がかすかに聞こえている。
なんとものどかな風景だ。柔らかな秋の日差しも相まって、ついつい座り込んで居眠りをしてしまいたくなる。
私は座り心地のよさそうな場所を物色すると、静かに腰を下ろした。
思わず欠伸をして目を閉じる。
一頻りフワァッとやってから再び目を開けると、海の彼方に何かが見えた。
最初、それは白い山のように見えた。
ははぁ、蜃気楼ってやつか。
地平線の向こう側に隠れて見えない景色なんかが、光の屈折で見えるというあれだ。
けれど、仮に地平線の向こう側の景色が見えているのだとして、あんな白い山があっただろうか? それに気持ちだんだんと白い山はこちらに近付いて来ているようにも見えた。
いや、見えるなんてもんじゃない。明らかに、白い山はこちらへどんどん近付いて来ている。しかも、波音に交じってゴゴゴゴゴゴという妙な音まで聞こえる。蜃気楼に音が含まれるなんて、初耳だ。
白い山を観測してから三分後には、それが山なんかじゃないことが分かった。なだらかな稜線を持つ三角形をしていたので山だと思っていたのだけれど、近づいて来たそれは建物のようだった。
中央部分に小さな入口らしき穴が開いているのが見える。白いばかりと思っていた表面には、何やら薄緑色の線で幾何学模様が描かれている。私はネットサーフィンをしている時に偶々見かけたことのあるナスカの地上絵を思い出していた。あれよりもさらに抽象度は高いように思えたけれど、グルグルッとした渦巻きや線で構成されているその模様は、なにかの動物を現しているようにも見えた。
ゴゴゴゴゴゴという音は大きくなっていて、私は思わず耳を塞いだ。白い建物は、高さが数百メートルはあるように見えた。しかも、近付いて来て分かったのだけれど、それは海の上に浮かんでいた。空を飛んでいたのだ。
白い建物が後数十mというところまで来ると、私は怖くなってしまった。意味の分からないバカでかい存在が目の前に来ると、こんなに恐怖を感じるものだなんて初めて知った。
グルグルの渦巻きや線、それにポッカリと開いた今では数十mはあるだろうと思える入口が、無言の圧力を私にかけて来る。
建物の動く速度はそこまで早くはなかった。だから、立ち上がって全速力で走れば逃げられたのだろうと思う。でも、ダメだった。腰が抜けてしまって立ち上がることができなかった。息することすら忘れてしまい、息苦しくなって激しく咽んでしまう。恐怖のあまり、身体が言うことをきかなくなっていた。
これ以上は見てられない。もう限界。
それが海岸に上陸するまで後数mという段になって、私の恐怖は限界に達した。ギュッと目を瞑って、身体を前かがみにして丸めた。耳を両手で塞ぎ、あの化物みたいな訳の分からない建物がはやく私の真下を通り過ぎてくれることを願った。
ゴゴゴゴゴゴという音は、それでも聞こえていたけれど、少しだけ恐怖が和らいだ。
早く、早く通り過ぎて……。
私は心の中で必死に祈り続けた。
ガタァン、と妙な音が聞こえた。
それが合図だったかのように、ゴゴゴゴゴゴという例の音が聞こえなくなった。
私はそれから心の中で六十数えた。それでも、ゴゴゴゴゴゴという音は聞こえない。
恐々と目を開けた。
目の前には、砂浜と穏やかな波音を立てる海が広がっているばかりだった。白い建物なんてどこにもない。柔らかな秋の日差しの下、気を付けなければ寝入ってしまいそうな陽気だ。それこそ、砂浜に腰かけたらすぐに寝入ってしまいそうな……。
「夢か。夢だったんだ」
私の頭の理性を司る部分が、そんな答えを弾き出した。不思議なことが日常茶飯事で起こる街とはいえ、あんな突拍子もないものが急に現れるというのは、さすがにないだろう。
「いやだなぁ、変な夢を見ちゃったなぁ……」
私は立ち上がり伸びをする。
恐怖が少しずつ薄らぐのがわかった。
そのまま海の彼方へ視線を移す。
白い山のようなものが見えた。
一瞬、世界中の時間が停まったように感じられた。そのまま自分の中で一万年くらい経ったように感じられた後、試しに頬を抓ってみた。動揺して強くやりすぎたからか、自分でもビックリするくらい痛かった。
白い山は少しずつ近付いて来ているようだ。
気のせいか、ゴゴゴゴゴゴという音もする。
私は一つ深呼吸をすると、クルッと海に背を向けて、全速力で稀美海岸を後にした。
その日、夕飯を食べながらローカルニュースを見てみたのだが、稀美海岸に白い山が現れたなんて話は全く出て来なかった。
第7話 ハロウィンがやってくる
居間はたくさんのカボチャで埋め尽くされている。
床から生えているわけではない。もしも床を突き破ってカボチャが生えていたら、私も同居人の左海さんも泣いていたと思う。
よくよく見れば、カボチャと床の間には一cmくらいの隙間がある。浮いているのだ。カボチャは、実以外は見当たらない。つまり生えているわけではなく、収穫されたカボチャということになるのだろう。
もちろん、私も左海さんもカボチャを大量に購入した覚えはない。二人で夕食の洗い物をしていた時に、フッと視線を居間の床に投げかけたら、丸いものが見えた。それでよくよく確認してみたら、居間一杯に橙色のカボチャが出現していた、というわけなのだ。
とりあえず洗い物を済ませてから、私たちはカボチャの検分をはじめた。
左海さんが試しにチョップをすると、カボチャはボンと音を立てて少しだけ揺れた。蜃気楼のような幻ではなく、しっかりとした実態を持って床から一cmのところに浮かんでいるようだった。
「これって持ち上げられるのかなぁ」
左海さんはそう言いながら、チョップしたカボチャを持ち上げようとした。それほど大きなカボチャではなかったのだけれど、左海さんが顔を真赤にして踏ん張ってみても微動だにせず、全く持ち上げることはできないようだった。
左海さんが数分でギブアップしたので、私も持ち上げてみることにした。正体不明のカボチャながら、もしも持ち上げることができれば、カボチャの煮っころがしが作れると思ったからだ。煮っころがし、大好きなのだ。
ところが、カボチャはどれだけ頑張って上に引っ張っても全然持ち上げることができなかった。カボチャ自体が重いというよりは、まるで見えない根が張っているかのようにピクリとも動かない。
私もチャレンジ開始から数分で疲れてしまい、カボチャのない場所を選ぶと、そこに座り込んだ。
「全然動かないじゃん」
「そうだね」
私たちは顔を見合わせた。
どうしてカボチャが急に現れたのか、二人とも薄々理由は気付いているように思えた。
「ちなみに、今日って何月何日だっけ?」
「十月三十一日」
「やっぱり?」
「うん、まぁ、だからさ、そういうことなんだよ、きっと」
左海さんはゆっくり頷いてから、重々しく宣告をした。
「北野田さん、今年もハロウィンがやって来たんだよ……」
「〇〇がやって来る」という言い方を人はよくする。それはもちろん、季節やイベントに足が生えてノシノシと歩いて来る、ということを意味するわけではないのだと思う。あくまでも比喩の世界の話なわけだ。
ところが、私や左海さんが住んでいる稀田市では、少しばかり事情が異なる場合がある。ハロウィンなんかが正にそうで、こちらが参加するしないに関わらず、向こうから勝手にやって来てしまうのだ。
一般的に、ハロウィンというのは私たち人間が十月三十一日にやろうと思って、自発的に参加するもののはずだ。逆に言えば、ハロウィンをしないと決めれば、そのお祭り騒ぎに巻き込まれることはない。そういう参加の自由があるイベントのはずなのだ。
ところが、稀田市のハロウィンは違う。ほぼ強制参加に近い現象が起きてしまうのだ。どうしてそんなことになるのかは分からない。ハロウィンという存在に、この点についてインタビューしたこともないし、できるとも思えない。ただ、間違いなくハロウィンは、こちらがどれだけ厳重に戸締りをして引き籠っていても、いともやすやすと私たちの生活空間に入り込んでしまうのだ。
目の前に出現している大量のカボチャがそのいい例だ。別に私も左海さんもハロウィンが勝手に生活空間に入って来ることに関して、嫌な気持ちを持ったことはない。私も大学生の時に稀田市にやって来てから早十年経つのでこのハロウィンの狼藉ぶりには慣れている。左海さんに至っては生粋の稀田生まれ稀田育ちなので、ハロウィンが勝手にやって来ることに関しては常識だとさえ思っているようだ。
とは言え、慣れていることと、実際にハロウィンがやって来て困惑することが両立するのもまた事実だ。
「毎年、ハロウィンは色々な方法でやって来るけど、カボチャの大群が押し寄せて来ることなんて今までになかったよね」
左海さんはそう言いながら、苦笑いする。私は私で足下にあるカボチャを足でツンツンしながら、このカボチャたちがハロウィンが終わっても消えなかったらどうしようなんて考え込んでいた。
コンコン、コンコンとカーテンを閉め切ってある窓の方から音がしたのは、困惑の空気が居間を満たしはじめた、正にそんな時だった。
先に動いたのは左海さんだった。スッと立ち上がり、そのまま小走りで窓へと近付き、なんのためらいもなくカーテンを開けた。
そこまではよかったのだけれど、ノワッと言いながら左海さんは飛び退いた。
なにごとかと思って私も立ち上がる。窓の外はベランダだ。そちらに視線をやると、煌々といくつもの灯りが空中に浮いている。その灯りに照らされて、頭にカボチャを被った小さな子どもたちが何人も立っているのだった。よくよく見れば、頭のカボチャからは兎の耳のようなものがピョコッと飛び出ている。
こんな子どもたちの姿を至近距離で見れば、そりゃ誰だって飛び退く。私も思わずヒョエッと間抜けな声を出してしまった。
子どもたちは私たちの驚いた様子を見ると、少しだけ肩を揺らした。どうやらおかしくて笑っているようだった。それでも、まだ何か足りないらしく、一頻り笑った後、コンコン、コンコンと窓を再びノックしはじめた。
「うーん、どうしよう?」
「思いっきり不審者だけどね」
「兎耳ついてるから不審者とも言い切れない」
「兎が化けてるってこと?」
「不思議なことが毎日起こる稀田市なんだから、兎の子が人間に化けてハロウィンに参加しててもおかしくないと思うんだよね」
左海さんの説には妙に説得力があった。
ただ、急に窓を全開にして土足で部屋の中に入って来られても困るので、ロックがかかっている網戸の側を少しだけ開けて声をかけてみることにした。
「あのぉ、どちら様ですか?」
隙間越しに左海さんが声をかけると、キャッキャと甲高い元気な笑い声が聞こえて来た。
「トリックオアトリート! お菓子をくれないと悪戯しちゃうぞ!」
一番先頭にいるカボチャを被った子が声をあげた。何か言うたびに兎耳がピクピク動いている様子がなんともかわいらしい。
「ああ、悪戯はイヤだなぁ……。ちょっと待っててね……」
左海さんはそう言うと、後ろを振り向いて私に目配せをする。こちらも合点承知のすけなので、カボチャの大群を上手によけつつ台所へ向かうと、お菓子コーナーにしているカップボードの一角から個包装のキャンディとクッキーを持って窓へと戻った。子どもたちは全部で五人だったので、キャンディとクッキーをそれぞれ三個ずつ渡す。
手は人間のそれに見えるのだけれど、触れるとモフッとしていて暖かかった。
「少ないけど、これでいいかな?」
私が声をかけると、子どもたちは満足気に頷いてくれた。
「お姉さんたち、ありがとう! じゃあ、お菓子をもらったから、悪戯はせずに帰るね!」
さっきトリックオアトリートと言っていた子がそう言うと、クルッと背を向けた。それに合わせて、他の子たちも背を向ける。
子どもたちの見ている先には、手摺があり、その向こうは何もない空間だ。私たちの部屋はアパートの五階にあるので、飛び降りたら大怪我は間違いない。
「大丈夫? 帰れるかな?」
私が心配になってしまい、声をかけた瞬間だった。子どもたちはピョンとジャンプしたかと思うと、そのまま手摺を越え、外へ飛び出してしまったのだ。
私と左海さんは同時にアッと叫んで、慌てて網戸のロックを外し、ベランダへと出た。
手摺越しに下を覗いてみたけれど、暗くて何も見えない。本当に落ちてしまったんじゃないだろうかと胸がザワザワしはじめた時だった。
「ああ、大丈夫だ。北野田さん、あれ」
左海さんが前方を指さした。そちらを見ると、五つの灯りに照らされて、カボチャを被った小さな姿が仲良く一列に並んで真直ぐ飛んでいるのが見えた。
「飛べるんだ……凄いね」
「兎の世界も技術が発達してるのかもねぇ」
ホッと胸を撫で下ろしあいながら、私たちはクルッと後ろを向いた。
「オッ!」
「アレッ?」
二人同時に声を上げる。
なんと、先ほどまで居間を占領していた橙色のカボチャたちが跡形もなく消えていたのだ。まるで、最初からそんなものはありませんでしたよ、といったように。
「ということは?」
「今年のハロウィン終了?」
私はレギンスのポケットに突っ込んであるスマーポを取り出した。カボチャが出現してから、一時間くらいしか経過していなかった。
「今年はわりと呆気なく終わったねぇ」
「そうだね。まぁ、長々とハロウィンに居座られても困るんだけど」
「ハハハ、違いないね」
私たちはそんなことを言いながら、すっかりハロウィンが過ぎ去ってしまった居間へと戻ったのだった。
第8話 メダカ
不思議なことはいつ起きるか分からない。
朝一で起きることもあれば、昼間に職場で起きる時もあるし、かと思えば寝る直前に起きる時もあるから油断がならない。
不思議なことにカレンダーはない、ということなのだろう。
「一日の疲れを取ろうっていうタイミングで、不思議なことが起きなくてもいいのにね」
カウンターキッチンで私の横に立ちながら、左海さんが眠そうな口調でそう言って来た。
目の前にはキッチンの蛇口がある。そこからは通常、水が流れることになっている。
けれど、今、その蛇口からは大量のメダカたちが出て来ているのだった。ただし、それは本物のメダカではなかった。身体が水でできていたのだ。水が外に出た途端、メダカの姿に変わった、とでも言えばいいのだろうか。
メダカたちは蛇口から出ると、キッチンやリビングを自由気ままに泳ぎ始めていた。
一日の終わりに水を飲んで寝ようとしていたタイミングだったので、私は多分、疲れていたのだと思う。しばらく、左海さんと一緒にボンヤリと水で作られたメダカたちを眺めていたからだ。けれど、あることに思い至って、ゾッとしてしまった。
「左海さん! 早く、メダカを捕まえないと!」
「ほえ? なんで?」
完全におねむの顔になっている左海さんは、キョトンとしている。
「なんでって……これ、メダカとは言っても水でしょ? もし不思議な現象が終わってしまったら、きっと元の水に戻るんじゃない?」
私はそう言いながら、慌てて蛇口を閉じた。すると、メダカたちが蛇口の中から現れることはなくなり、水がポトンと一雫、シンクに垂れる音が響いた。
「つまりはさ、このメダカたちを放置して朝になったら、キッチンとかリビングが水浸しになってる可能性があるんじゃないの?」
そこまで言うと、左海さんもようやく事の重大さに気付いたようで、おねむの顔が急にシャッキリとした。ついでに、深刻そうに額に皺も寄せはじめた。
「確かに……それは完全に思い至ってなかったよ。でもさ……」
左海さんは額に皺を寄せたまま、キッチンやリビングを見やる。すでに、そこでは大量のメダカたちが上を下への大騒ぎを繰り広げていて、二人だけで収拾がつくのか、とても不安な状態になっていた。
「左海さんの言いたいことは分かるよ。私もボンヤリしてて、水……じゃなくて、メダカを出しっぱなしにしちゃってたしね。でも、このまま放置するよりは、一匹でもメダカを少なくしたほうがいいんじゃないかな」
「う、うん。そうだよね。そりゃそうだ。でも、どうやって?」
「飲む」
私は自分でもびっくりするくらい力強い一言を発していた。正にパワーワードだ。
「飲む?」
左海さんが目をパチクリさせる。
「うん、飲むしかないよ。取り敢えず、メダカは本物じゃなくて水でできてるっぽいし。ということは、私たちが飲もうとしていた水と同じってことでしょ? だったら、飲んでも問題ないんじゃない?」
「なるほどねぇ。まあ、言いたいことは分かったけど……」
左海さんはそう言いながら、目の前を通過しつつあるメダカへ向かってパクリと噛みつこうとした。けれど、メダカはそれを優雅に避けて、リビングの方へと行ってしまった。
「ううん……ちゃんと上手く捕まえられるか心配だなぁ……」
「でも、やらないよりはマシだよ」
私はそう言うと、率先してキッチンの周りを泳いでいるメダカたちを、口を一杯に開けて飲む作業を開始したのだった。
それからの三〇分は、傍目からみたら「おかしい」を通り越して「ヤバい」と思われそうな行動の連発だった。
私たちはキッチンとリビングを駆け回り、口を大きくあけてメダカ達をパクパクと飲み込もうと必死だった。
最初の方はメダカたちの動きが読み切れなくて全く上手く行かなかったのだけれど、作業を始めて二〇分もすると、何となくタイミングが掴めるようになって来た。
メダカは口に入れると一瞬、ジタバタと動くのだけれど、すぐに普通の水になってすんなりと入ってくれた。ただ、水になるタイミングが掴みきれなくて上手く呑み込めず、咳き込んでしまうこともしばしばだった。
そうやって、涙の滲む様な努力をして、少しはメダカの数も減ったかなぁと思えるようになったころ。
それまで気ままにあちこち泳ぎ回っていたメダカたちが一斉にキッチンへと戻って来て、シンクの中にダイブし始めたのだった。メダカたちはシンクの中にダイブすると、そのまま水に戻って流れて行く。
その様子を、左海さんと私は呆気に取られて見ていた。
時間にして五分くらいで、最後のメダカがダイブして水になってしまうと、私たちはゆっくりと互いの顔を見合わせた。
「北野田さん、マジか……」
「マジ……みたいだね」
そう答えると、ドッと疲れてしまった。けれど、今までの努力が全て無意味だったのではないかと思うと、何だか妙におかしかった。
「フフッ、何だか変だね。結局、放っておいてもシンクに戻るんだったら、今までのあれ、全部無駄じゃんね」
「ハハハ……確かに。何か、アホくさいや」
私たちはそこで一頻り笑い合うと、リビングとキッチンの電気を消して、そのまま寝室へと向かったのだった。
第9話 インスタント美術館
左海さんいわく、元々はカップラーメンを食べようとしていたらしい。
「真夜中にカップラーメンという時点でちょと待とうかってなるけどね。しかも明日は仕事だというに」
「こ、小腹が空いちゃったんだよぉ。いつもはこんなことはしないんだってば」
左海さんは湯気の立っているカップラーメンを前にして、ブンブンと首を横に振って見せる。私はそんな左海さんにジトッとした視線を投げかけると、改めて、私が左海さんに叩き起こされる原因となったカップラーメンの中身を見てみた。
カップラーメンの名前は「チャルメラ~メンメ~ン 醤油味」という、どこでも売っているものだ。これは確か、前に左海さんがモノズキヤで買っていたように記憶している。
今、この「チャルメラ~メンメ~ン 醤油味」は蓋を剝がされた状態になっている。普通であれば、湯気の立ったスープと麺、それに加薬が入っているはずなのだけれど、私が見る限りでは、そんなものは見当たらない。
その代わりに見えたのは、麺やスープを建材にして、なぜか中心部が吹き抜けになっている建物だった。ちょうど、住宅模型を上から覗き込んでいるような塩梅なのだけれど、そこはどうやら普通の家ではなさそうだった。
よくよく中を覗いてみると、内部は加薬で作られたライトで明るく照らされていて、壁にはこれまた加薬や麺で作られた絵や彫像などが展示されているようだった。
それは間違いなく、カップラーメンで作られた美術館だったのだ。どんな展示内容なのかは、それが加薬と麺で作られているのでよく分からなかった。ただ、何かしらの絵や像なんだろうなぁということが薄らと分かる程度だ。
「うん、状況は分かった。カップラーメンを作ろうとしたら、美術館ができあがってしまった、というわけだよね。けど、これをどうしようっていうの?」
スヤスヤと熟睡中のところを叩き起こされたものだから、私は少しばかりムスッとした顔をしつつ、左海さんに尋ねる。すると、左海さんも負けじと、というわけでもないのだろうけれど、口をへの字に曲げて鼻息をフゥンと出して見せる。
「それを相談しようと思って北野田さんを起こしたんだよ。これは食べてもいいものなのか、それとも捨てたほうがいいものなのかって」
「えっ? 食べるって選択肢はあるの?」
私が思わず突っ込みを入れると、左海さんは大きく頷いてみせる。
「あるよぉ。だって、この建物を構成している物体は、麺とスープと加薬だよ? きっと食べれると思うんだけど」
「いやまぁ、確かにそうなんだろうけれどさ……。こんな変な状態になっちゃってるんだし、これは捨てて、もう一個作り直したら?」
「それってすごい勿体ないじゃん。それに、また作り直して同じ様な美術館ができあがっちゃったら、泣くに泣けないし」
「た、確かに……」
左海さんの言葉には一理あったので、私も頷くほかはなかった。
左海さんや私が経験する不思議な現象というのは、どこからが始まりでどこからが終わりなのかがよくわからない場合が多い。
もちろん、始まりと終わりが分かりやすい場合もある。けれど、大抵は不意打ちのように不思議なことが始まって、アワアワしていると終わってしまう、という場合が多いのだ。
今回だって、左海さんはきっと不意打ち的にカップラーメンが美術館になるという現象を経験したはずだ。というより、そんな現象の前触れを察知できる人なんて普通はいない。
よく分からないまま不意打ちで不思議な現象が始まったのであれば、それがいつ終わるのかも分かるわけがないのだ。
今、確かに目の前のカップラーメンは美術館になっている。普通の感覚なら、これで不思議な現象に一区切りがついたと思うだろう。私もそう思ったからこそ、目の前のカップラーメンは捨てて、新しいカップラーメンを作ればいいのではないか、と提案したのだ。
けれど、左海さんの言うことも一理あるというのは、目の前のカップラーメンが美術館になっているからと言って、次に作ったカップラーメンが無事にカップラーメンになる保証はどこにもない、ということだ。仮に五個これから連続してカップラーメンを作ったとして、それが全て美術館や他の建物、あるいはカップラーメンではない何かになってしまう可能性はゼロとは言い切れない。
左海さんは正にその点を危惧しているのだ。そして、この危惧は私の経験則に照らしても確かにと思えるものだった。
ここに来て、ようやく私は左海さんと同じ悩みの土俵に自分が立ったことに気が付いた。
「なるほどね。だとしたら、食べてみる価値もあるってことか……」
「でしょ? さっきも言った通り、これは形は美術館になっているけれど、構成物はカップラーメンなんだよ。だから、食べれるかどうかと言われれば、食べれるんだと思う」
左海さんはそう言うと、パッとテーブルに置かれていた割り箸を持って、パキリと割り、カップラーメンの中に突っ込んだ。
「あっ、左海さん! 気が早すぎだって!」
私が慌てて声をかけるも、左海さんは動きを止めることなく、カップラーメンで作られた美術館の壁の部分を一欠けら箸でつまむと、パクリと口の中に入れたのだった。
「ううん、これは正真正銘、間違いなくカップラーメンだよ」
そう言ってニコニコで美術館を食べる左海さんを見ながら、結局、私ってこの決定に必要じゃなかったのでは、という疑問が頭の中で渦巻いてしまうのだった。
最終話 不思議おさめ? 不思議はじめ?
「今年も一年が過ぎて行くね」
「うん、いつものことだけど、早かったよね」
左海さんと私は、リビングにこたつを引っ張り出して、年の瀬を迎えていた。互いに湯気の立つ年越しそばの入った丼を前に置き、テレビも付けずに静かにその時が来るのを待っている。
何気なくスマーポで時刻を確認すると、午後十一時五五分とディスプレイに出ていた。
五分後には年が変わるのかと思うと、毎年のことながら、何だか不思議な気分になる。
「やっぱり、二人で何の気兼ねもなしで食べる年越しそばが一番美味しいねぇ」
左海さんはそう言いながら、ズルズルッとそばを一口食べて、フゥッと息を吐いた。すると、その息が白い湯気となって、部屋の中を漂いはじめる。
部屋の中はヒーターがついているので、湯気が出るような寒さではない。
そこでオヤッと思い、何気なく目で湯気を追っていたのだけれど、中々消えない。
もしやと思い、私もそばを一口食べて、フゥッと息を吐いてみる。
すると、私の口からも白い湯気が出て来て、左海さんが吐き出した湯気と一緒になった。
「ヘヘッ、あの湯気、もしかすると今年最後の不思議になるかもね。不思議納めってやつ」
「ああ、左海さんもそう思う?」
「うん。だって、寒くもないのにあんな白い湯気が口から出てさ、ずっと同じ位置でゆうらりと漂ってるなんて、おかしいでしょ?」
「確かにね。今は午後十一時五十七分だから、どうだろう、今年最後じゃなくて、もしかすると新年初不思議になるかもね」
私がそう言うと、左海さんは確かにねと頷いて、さもおかし気にクスクスと笑った。
私は湯気を見ながら、他の人達はどんな年の瀬を過ごしているんだろうと考えた。
一人、あるいは家族や恋人と一緒に過ごす、ということもあるだろう。
けれど、左海さんと私のように、目の前で不思議な現象が起きているのを見ながら年越しをしている人というのも、割と珍しいんじゃないだろうか。
そんなことをボンヤリと考えていたら、急に私達二人が吐き出した湯気が形を変えた。
そして、数秒後には、大きな帆に「宝」と描かれた白い船が一艘現れていた。よく見れば、その船には湯気でできた弁天様や大黒様が乗っていて、なにか楽し気に踊ったり、歌ったり、跳ね回ったりしている。
「お、現れたね」
左海さんがそう言った途端、ピピッと私のスマーポが鳴った。
見れば、ディスプレイには午前〇時〇分という時刻が表示されている。
そのことに気付いた途端、目の前に浮かんでいた宝船がゆっくりと動き始めた。
宝船からは、七福神たちが身を乗り出して、湯気でできた金銀財宝を私たちの部屋へバラバラと投げ込んで行く。
財宝はフローリングの床に当たると、チャリン、という音を立てながらフワッと消えていく。それでも、縁起のいいことこの上ない。
宝船はリビングの窓までゆっくり近づくと、そこをスゥッと通り抜けてしまった。「アッ! ちゃんと最後まで見ないとね」
左海さんがそう言って立ち上がり、窓のカーテンをサッと開ければ、私たちの部屋から出て行った宝船の他にも、あちらこちらから、湯気でできているらしい、白い大小の宝船が、雲一つない夜空へ向かって飛んで行くのが見えた。
「ああ、行っちゃったね」
「うん、そうだね」
さすがに窓を開けるのは寒かったので、私たちは窓越しに飛んで行く宝船たちをしばらく見守っていた。
やがて、白い宝船たちがすっかり見えなくなってしまってから、私は年が明けてすでにかなりの時間が経っていることに気が付いた。
「あっ、左海さん! 明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします」
「えっ? ああ、言ってなかったね。こちらこそ、明けましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いします」
そう言い合いながら、私たちは何度もペコペコと頭を下げ合った。
「そう言えば、例の宝船って、結局、不思議納めの不思議なのかな? それとも、不思議初めの不思議なのかな? どっちになると思う?」
頭を下げ合った後、椅子に戻りながら、私はふと疑問に思ったことを口にした。
「さぁ、どうなんだろう? 宝船になったのは新年になったのと同時だったみたいだけど、その前に湯気は出ていたからねぇ」
「じゃあ、納めて始まったってことかな?」
「アハハ、北野田さん、ナイス! 本当にそれだと思う。けど、それって納まったり始まったりしてるのかな?」
「さぁ。まあ、私たちの不思議に始めも終わりもないってことなんじゃない?」
「かもねぇ」
私たちはそこでフッと口を噤んで顔を見合わせた。
妙な間ができあがる。けれど、何だかその間ができあがってしまったこと自体がおかしく思えてしまって、私たちはプッと噴き出してしまった。
「まあまあ、今年も一年、仲良くやってこ。お互いもそうだけど、不思議ともね」
「うん、そうだね。上手にやっていければいいんだけど」
私は左海さんに向かって頷くと、まだ残っていた年越しそばを口に運んだ。
新年あけましておめでとう、今年も、左海さんと一緒に楽しく過ごせますように、と心の中で願いながら。
ー完ー