• 『一度で掴めたら』

  • 桃口優
    青春

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    川上湊は、ため息をついた。 何をしてもうまくいかず、いつの間にか希望をもてなくなっていた。 そんな時、彼にある出会いがあった。 その出会いが、彼を虜にし、彼自身を変えることとなっていくのだった。

第1話 君に出会うため?

 彼女はきらきらとしていて、僕にはまぶしすぎた。憧れを抱くということはこういうことを言うのかと彼女に出会った時に思った。
 案の定、この後僕は彼女の姿を何度も探すようになる。この出会いにどんな名前がつけられるだろう。ただ簡単に『運命』とは言いたくなかった。
 彼女を初めて見た時、僕の心は激しく揺さぶれたのだった。

 僕は白色のヘッドホンで、音楽を聞いている。
 最近ワイヤレスイヤホンが人気だけど、僕にはあれが『しめじ』のように見えるからどうにも使いたいとは思わない。多少は無理をしてでも友達に合わせることは正直よくある。でも、流行りに乗るのも毎回だと疲れてしまうし、一人の時ぐらいは自由にしたいと僕は考えている。
 僕は今高校に行くために朝いつものように駅のホームで電車を待っていた。ぎりぎりの時間に駅に着くと、バタバタしてしまうのが嫌だから、かなり時間に余裕をもって駅に着くようにしている。それでもホームにはすでに人が結構いる。都心の駅ではないけど、割とこの駅も栄えたところにある。僕は高校三年生で電車通学には慣れているけど、ホームに人が結構いることは、ストレスになる。
 電車が来る時間が近づいてきて、さらに人が増えてきた。
 僕はスマホをタップした。
 僕は音楽を聞きながらスマホで電子書籍を読むと集中ができ、周りの音がきれいにシャットダウンされるから毎日そうしている。それができるのは、僕が本を読むこと自体好きだということが、大きな理由だろう。強く共感したり、時には登場人物に自分を重ねたりと、物語の世界に没入できるから本を読むことは好きだ。本当は紙の本の方が好きだけど、電車内だとかさばるから電車通学を始めてすぐスマホで本を読むように変えた。でも好きなことに対しても、周りに遠慮してしまう自分が本当は嫌だった。
 時計を見ると、八時を過ぎていた。
 いつもならもう電車がきている。
 どうやら運行中の電車に何らかのトラブルが起きて、遅延が発生しているようだ。
 ヘッドホンを外し、電光掲示板見たり、駅のアナウンスを聞いた後、何かを考えるわけでもなくふと駅の反対のホームを見ると、一人の女性が目に留まった。
 その時、その人からきらきらと何かが舞い落ちているのが見えた気がした。駅のホームだから、太陽の光りはほとんど入ってくることはないのにだ。
 その人は、オレンジ一色の新品の服のようにきれいなワンピースを着ていた。たぶん僕よりも少し年上だろう。学生というよりは落ち着いた大人という感じがするから。背はかなり低く、痩せてもいる。ピアスなどのアクセサリーは一つも身につけていないのに、不思議と華やかさがあった。周りにいる他の人とは明らかに違う雰囲気がその人にはあった。
 顔は、かなりかわいい。笑顔がかわいいとか、目が二重でかわいいとかいう次元ではなく、彼女の全てがかわいさでできているぐらいだ。
 正直、僕のタイプの顔だった。

 こんなにもぴったりと自分のタイプに当てはまる人っている? と思うほど彼女は魅力的だった。

 きらきらしすぎていて、一瞬で目も心も奪われた。

 今日彼女に出会うためにここに来たと思えてしまうほど、僕の胸は今熱く、そして高まっていた。

 でも、そんな風に思うのと同時に、少しだけ違和感も感じた。

 最近ずっと何かをしても期待する以上のことは起きず、期待すること自体を僕はいつの間にか諦めるようになっていた。

 希望を持つから、求めすぎるから、がっかりするのだ。僕の人生は、自分が思うほど素敵できらきらしたものではないのだろう。

 そんな風にだいぶ前に悟ったのに、また心が大きく揺らされた。淡い期待を、性懲りもなく僕は抱こうとしている。
 僕は、思い切って声をかけようと思った。
 周りの人は各々何かを大きな声で話している。
 それでも線路を挟んでも、声は彼女の元に届くと思った。そんな確信がどうしてかもてた。
 「僕の名前は川上 湊(かわかみ みなと)って、言うんですが、あなたの名前を教えてくれませんか」という言葉が、喉元まですごいスピードで上がってきた。この言葉が興味を引くかはわからない。でも、何か言いたかった。普段はもちろん、こんな大胆なことを僕はしない。いや、恥ずかしくてとてもできない。僕は人と話したり関わることは好きだけど、自分から話しかけるのは少し苦手だから。
 でもそうしようと思ったのは、きっとこんなにかわいい人に出会えることは今後ないかもと体が本能的に感じたからかもしれない。
 そんな思いを胸に彼女の方を改めてまっすぐ見つめると、彼女と目が合った。
 彼女のぱっちりとしたきれいな目が、僕を捕まえたように感じた。
 でも彼女は、僕を見てからすぐに何事もなかったのように他の方向を向いた。
 彼女と目が合ったけど、彼女から何か話しかけてくることは当たり前だけどなかった。そもそも赤の他人が何の理由もなく、話しかけてくることはないかと僕はまた落胆した。
 話しかけようと思っていたのに、彼女に見惚れて結局何も言えなかった。
 それでも僕はしばらく彼女から目が離せなかった。

第2話 必ずは、会えない

 あの日彼女を一目見てから、僕は一気に無邪気な子どもに戻っていった。
 具体的にいえば、どこに行っても彼女を思い出し、探すようになった。
 ちゃんと用事があって外に出かけているのだけど、頭の中ではいつの間にか彼女のことを考えている自分がいた。彼女のことを考えていると、近くにいないかなと辺りを見渡していた。
 その場所で彼女を見つけられるという根拠はどこにもないのに、僕にはきっと会えると信じられた。
 話はしていないから彼女の人柄などは一切わからない。だから、浮かぶのはいつも初めて見た時のかわいいあの姿だった。
 一体どんな性格の子なんだろう。僕は、ほとんど知らない彼女のことをもっと知りたいと思うようになっていた。
 会えたらこの言葉を言おうというのが、まだ明確には決まっていない。こういう出会いをしたら、なんと話しかけたらいいのだろうか。どう言ったら自然な感じになるのだろう。いや、実際に話せるとなると緊張して、きっとうまく言葉選びなんてできない。
 そんな自分が簡単に想像できた。
 僕が女々しいのは、小学生の頃からだ。当時も初めて好きになった子に話しかけることさえできなかった。
 そんな情けない僕でも、今までは変わりたいとまで思うことはなかった。でも、今は僕が男らしかったらいいのにと強く思っている。
 そうしたらこんなにうじうじせずに、彼女に話しかけられるだろうから。
 もしも偶然出逢えたなら、それはすごくロマンチックだと思った。
 でも、残念ながら朝のあの時間帯の駅のホーム以外で、彼女を見つけられることは一度もできなかった。
 ちなみに、朝のその時間以外に駅のホームに行った時もあったけど、彼女がそこにいることはなかった。
 世の中は広いのだから、偶然会える確率の方が断然低いのはわかっている。
 でも、会いたいと願って会えないのは、そういう巡り合わせなのだろうと残念に感じてしまう。
 そんなことを思い出しながら、今日の朝もまた僕は電車を待っていた。
 僕は学生服の上に黒色のシンプルなコートを着ているけど、それでも風が吹く度に体の芯まで冷えるのを感じた。
 マスクをして、僕は眼鏡もかけているからよく眼鏡が曇って前が見えにくくなる。
 時間が経ち視界がはっきりした時、彼女の姿が目に映った。
 彼女は、また反対のホームにいた。
 線路を挟んでの距離。
 直線にしたらきっと本当に数メートルしかない。
 たったそれだけの距離なのに、僕にはその距離が遥か遠くに感じた。
 僕の女々しさのせいだけでなく、彼女はどこか手の届かないような雰囲気をまとっているから。
 僕が学校に行く時間帯だけは、いつも彼女は反対のホームにいる。
 どこに行っても彼女を見つけられないけど、朝のこの駅のホームにはいつもいる。
 わざわざ今いるところから大きな声を出さなくても、階段を登り彼女のいる反対のホームに行くことはそんなに難しいことではない。
 でも、彼女との初めての会話をそんなありふれた感じのものにはしたくなかった。
 だからといって、僕には他にいい方法が見つからず、またちらっと見ることしかできなかった。
 彼女は今どんなことを考えているのだろう。
 でも、あることにも気づいた。彼女はホームにいるけど、いつも電車に乗る様子はないのだ。もちろん、もしかしたら僕が電車に乗った後に、彼女が別の時間の電車に乗ってどこかに行っている可能性は十分にある。
 でもその考えは、なぜかしっくりこなかった。
 四六時中彼女のことを考えていたり、つい探してしまうことはおかしなことだと、自分でもわかっている。
 そもそも明るく輝いている彼女に比べて、僕は暗い灰色なのだ。全然きれいじゃないし、これまで目立ったこともない。そんな僕が彼女を思っているとクラスメイトに話すと、きっと笑いのネタになるだろう。
 それに、悪く捉えれば僕はストーカーのようなことをしているのだから。
 頭ではそのことをちゃんと理解していても、体はそれに従ってくれない。彼女を探してしまう。行動は何もできないけど、見つけると少しだけ目で追ってしまう。
 僕は本当にどうしてしまったのだろう。
 そんな風に少し暗い気持ちになっていると、僕は今までどんな風に生きてきたかが自然と頭に浮かんできた。
 できれば思い出したくないことだけど、浮かんできてしまった。
 いつからかははっきりと思い出せないけど、もやもやが心から突然消えなくなった。いや、『いつ』かということはきっと僕にとって重要なことではない。もやもやが問題なのだ。
 何か楽しいことなどをして気分転換してみても、寝て休んで次の日を迎えてもずっと心にそれは居続けている。それが僕の行動を妨げる要素に十分になった。実際に、新しいことに挑戦してみようと思う気持ちが日に日に減ってきていた。正直、もうどうでもいいと思う日もある。
 それなのにと言うべきか、だからと言うべきかはわからないけど、僕は今彼女というきらきらした人を追いかけている。
 それは、本当に偶然だろうか? それとも、必然と呼んでもいいのだろうか??
 僕は彼女に自分自身を重ねたいと思っているのかもしれないと今更気づいた。

第3話 もう戻れない

 あの日彼女を初めて見た十二月から一月(ひとつき)が経った。
 寒さは、どんどん厳しくなってきている。
 空気も乾燥していて、なんだか余計に寒く感じる。
 いつものように駅で体を少し丸めて電車を待っていると、「一人ぼっちだね」と誰かに言われているような気分になった。
 一人だということは、やはり心細いしできれば誰かがそばにいてほしいとその時僕は確かに感じた。
 冬は人恋しくなる季節というのが、身に染みてわかった。
 こんな風に感じられたのも、きっと彼女のおかげだろう。
 彼女がただいるというだけで、こんなにも僕は感受性が豊かになった。
 でも、それと同時に僕の心は結構焦っていた。
 僕はあの時から毎朝彼女を駅で見つけているのに、ずっと声をかけることができずにいた。
 機会は十分にあるのに、何も行動ができない自分が本当に情けなかった。
 どうして僕はいつもこうなんだろう。
 人の目が気になって、肝心な時に自分のしたいことができない。
 周りの人は意外と他人のことに関心がないことはなんとなくわかっているけど、どうしても何かをしようと思うと人の目が気になってしまう。
 頭で理解することと実際に行動できるかは、やはり直結しないことだった。
 つい何かをする前に考えすぎてしまうところが僕にはある。
 僕は好奇心が旺盛で様々なことに興味を示す方だ。きっと他の人よりかなり好奇心旺盛だと思う。でも、いつも興味を示すだけで何も行動ができない時の方が断然に多い。
 だから、自分のことを中途半端だなと感じている。
 自信なんてとてもじゃないけど、もてない。むしろ、自己嫌悪する日の方が多い。
 僕はまた考えすぎていると気づき、彼女のことを思い返すことにした。
 彼女のことを考えると、どうしてか温かい気持ちになれるから。
 きっと彼女は意識していないと思うけど、あの時以外にも彼女と目が合う時が数回あった。
 それがなぜなのかはさっぱりわからないし、ただの偶然かもしれない。僕の方にある何か別のものを見ていただけかもしれない。
 そして、そんな時僕はすぐに彼女から目を逸らしてしまっていた。
 目を逸らすほどの大きな理由はないけど、なんだか気まずかったから。
 また、僕には彼女に変な風に思われなくないという思いも心の端っこにあるのだと思う。
 こんな風な行動をしてしまうなら、初めて彼女を見た時に声をかけておけばよかったとずっと後悔している。
 時間が経つにつれて、余計に声をかけるのに勇気がいるようになるから。
 僕は、この一ヶ月の間で誰にもこのことを相談していない。
 親にはこのことを少しでも言おうと思わない。面倒くさいことになりそうだから。
 学校にいけば、友だちは数人いる。でも、恋の悩みなんて今まで友だちに相談したことがないからどんな風にしたらいいかわからなかった。そもそも、今まで誰かに頼ることをほとんどしてこなかったから、適切な距離感を保ちながらどう頼っていいかわからない。『友だち』という集まりの中では変わった行動をすると、すぐに仲間はずれにされるから、行動は慎重にしないといけない。
 また、もし真剣に恋の悩みを相談してちゃかされたり、友だちが他のクラスメイトにそのことをぽろっと話してクラス中に広まるのが嫌という気持ちもあった。残念ながら恋の悩みは、話のネタになるものだから。
 でも、話さなかった一番の理由は、僕はこの思いを、誰かと共有したくなかったからだと思う。
 それほどこの思いは僕にとって特別で、大切にしたいと思っている。
 誰にも相談していないわけだから、当たり前だけど時間が経つごとに話しかけにくくなると誰かに言われたわけではない。
 恋愛経験の少ない僕が、なんとなくそうなものだろうと感じているだけだ。
 そして、今日も反対のホームを見ると、彼女がすぐに見つかった。ホームにはいつもたくさん人がいるのに、どうして毎回こんなに簡単に彼女を見つけることができるのだろう。
 そして、彼女のおっとりとしていて優しげな顔は、もう戻れないと僕に強く感じさせた。
 何が戻れないかというと、今までの自分、そして日常にだ。
 だって僕は、彼女という素敵な人がいる世界をもう知ってしまったから。
 前のように何も考えず生きていくことはできなかった。
 彼女を意識しないことなんてとてもできない。
 彼女は、僕にとって『希望』なのかもしれない。
 それは、手を伸ばせば届くのだろうか。
 僕には彼女はあまりにもまぶしすぎるけれど、光り輝く希望を掴んでみたいと思った。
 そもそもずっとこだわっていた出会い方より、出会った後の時間の方が断然長いと今やっとわかった。
 僕は深呼吸して、もう一度反対のホームにいる彼女をしっかりと見た。
 そして、彼女のいる方に向かって足を進めた。

第4話 初雪

 胸のドクンドクンという音がうるさいぐらい聞こえてくる。
 その音は、僕が足を前に一歩進める度に、さらに大きくなってきているのがわかった。
 足も少し震えている。
 それでも、僕は一度も足を止めなかった。
 止まってしまうと、やっともてた覚悟が揺らいでしまいだったから。

 なんとか反対のホームに辿り着いた時、頭にぽたりと雫が落ちてきた。
 雨かなと空を見上げると、雪だった。
 積もるような重く激しいものではなく、風に揺られるほどのさらさらとした雪が舞っていた。
 その舞う姿は、なんだか彼女に似ている気がした。
 なぜそんな風に思ったかはうまく言葉にはできない。ただ雪を見た時、彼女の姿が真っ先に浮かんだ。
 雪の中で彼女が笑っている姿は、すごく絵になると思った。

 僕の住んでいる地域では、普段雪が降ることがほとんどない。
 だから、雪が降ることはすごく珍しいことなのに、僕は目の前のことしか見えていなくて今まで降っていることに気づかなかった。
 少し心を落ち着かせようと思った。気持ちばかりが前に出ていると、伝えたいこともうまく伝えられないだろうから。
 今年初めての雪をじっくりとみて、心がほっこりとした。

 『きれい』という言葉を、僕は自然と口にしていた。
 雪は、神秘的で美しい。
 そんな雪の魔法が彼女にもかかればいいなと僕は思った。
 ホームに彼女の姿を見つけてさらに足を進めようとした時、彼女は爪先立ちで、片手を空に向かって高く上げていた。その手もめいっぱい開いている。
 手は、きっと成人女性の中ではかなり小さい方だろう。
 でも、その仕草は誰か知ってる人を遠くに見つけたわけではなさそうで、どららかというと何かに困っているように感じだった。
 目もぱっちりと空いていて、手の先に集中しているから。
 周りにいる人は彼女の姿を見て、少しざわざわしている。

 その真剣な姿は、スーパーマーケットで届かないところにあるお菓子を頑張ってとろうとしている幼い子どものようでもあった。
 しっかりしてそうな彼女のイメージとは真逆の姿を見て、そのギャップに僕の胸がまた大きく音を立てた。
 彼女の予想外の行動に僕も周りの人と同様に少しは驚いたけど、もし何か困っているなら力になりたいという思いの方が大きかった。
 急いで彼女の元まで行き、「どうかしましたか?」と僕は静かに声をかけた。
 もちろん、本来言おうと思っていた言葉ではない。僕は、彼女と接点をもつために勇気を出して話しかけようと今さっきまで強く思っていた。でも、困っているような彼女を見るとそんなことは一瞬でどうでもよくなった。
 優先順位が、がらっと入れ替わった。

 彼女は手を上げるのをやめて、ゆっくりと僕の方を向いた。
 彼女の動きは、どうしてこうも優美さがあるのだろう。ただ上げていた手を下ろしただけなのに、僕の心はまたぐらぐらと揺れた。
 さらに、彼女にじっと見つめられて、僕は顔も赤くなってきていた。
 カールされた髪は彼女に一層ふんわりとした印象をもたせ、肌の白さは美しさも感じられたから。
 でも、そんな彼女の顔は、残念さが漂っていた。何度か目だけで空をまだ見ている。
 どうしてそんな顔をするのかと僕は思ったけど、彼女からすぐにその感じはなくなった。
 いつものように凛とした顔に戻っていた。
 そのことについて、初対面の僕は聞けないと思った。
 もちろん、気にはなる。
 『気になる』といっても好奇心からというよりは、純粋に彼女のことが心配だった。
 何か不安なことでもあるのだろうか。
 でも、なんだか直感的に心の深い部分に関係していることのような気もしたし、もしかしたら誰かに知られたくないことかもしれないとも僕は考えた。

「初雪」
 そんな風に僕が頭の中で考えていると、彼女は突然そう言った。
 声の大きさはすごく小さかったけど、透き通っていた。
 この時、初めて僕は彼女の声を聞いた。あまりにも優しい声だったから、たぶんちゃんと反応できなかったと思う。
 僕は今までこんなにも優しい声をだす人に出会ったことは一度もない。
 思いを強く主張していないし、一方的さもない。だからといって弱さもない。語りかけるような感じは少しあった。
 僕の言葉に対する返事ではないだろうからコミュニケーションはうまくとれていない。でも、彼女の言葉に嫌な感じは一切しなかった。
 まるでその言葉が、彼女の周りを丸く包み込みこむような感じがあった。
 不思議な感覚の中にいる僕に対して、彼女は急に違う方向を向いた。どこか先ほどより目が輝いている気がした。
 そして、まるで僕なんか見えていないかのように、何も言わずにその場から歩き出した。
「あっ、待ってください」という僕の声も、雪にかき消されたかのように彼女に届かなかった。
 僕は勇気を出して話しかけたのに、何も変えられなかった。
 彼女が、振り返ることはなかった。 

第5話 coming soon