• 『掌の宇宙』

  • 星埜まひろ
    青春

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    僕は宇宙人というあだ名で呼ばれている。でも何も言い返さない。だって本当の事だ。僕は宇宙人なんだ。ただ宇宙から迎えを待つ僕の前に「私も宇宙人なんだ」と名乗る少女が現れる。2人の宇宙人が迎える世界とは

第1話

「やーい、宇宙人」
  まつ毛の長い男の子が、僕のことを冷やかす声が聞こえる。
 過去の話だ。でも、今も変わらない。
 
 物心ついた時から今までずっと、宇宙人というあだ名で僕は呼ばれている。僕があまり感情を表に出さないというそんな些細な理由でだ。
 
「悔しかったら地球人になってみろよ」
 
 そう言われても、僕は何も言い返さない。何を言っても無駄な気がした。否定をしても、肯定をしても、彼らは僕のことを馬鹿にするだろう。
 
 無表情のまま黙っている僕を見て、また誰かが僕を宇宙人と呼ぶ。
 
 だって本当の事だ。僕は宇宙人なんだ。だから言い返す必要なんてない。皆が気づく少し前から、僕はそれを知っていた。
  
 本当の僕は宇宙の生命体で、なんらかの理由で人間の皮を被って生活させられているのだ。12年もこの世界で生きているのは、周りに宇宙人だと勘付かれているから。僕がもっと人間らしく生活できるようになれば、きっと大きな宇宙船が僕のことを迎えに来て、本当のパパとママ、そして本当の友に会えるはずなのだ。
 
 そうでなければ、僕の人生は……。
 
 
 
 宇宙人にも平等に朝は来る。
 
 布団から起きて、パジャマのまま部屋を出る。
 
 リビングのダイニングテーブルの上には、コンビニの菓子パンと、パックジュースが1つずつ置いてあった。
   
「今日はメロンパンか」
 
 椅子に座り菓子パンの袋を開け、黙々とメロンパンを胃の奥に押し込む。人の気配はしない。母らしき人間は、もう働きに出たようだ。
 
 父に値する男は、僕の9歳の誕生日に居眠り運転のトラックに轢かれ、あっけなく死んだ。
 
 僕が母と呼ぶ女は、その日から昼夜問わず働き詰めの日々を送ることになった。母らしき人間と会話ができるのは、僕の学校の休みの日と、あの女の仕事の休みが重なった日だけだが、最近はそういう時間もなくなってきている。
 
 成長期の僕の体は、菓子パン1つでは残念ながら満足できなくなっている。だがあの女はそれに気づかない。僕もあえて伝えない。
 
 僕が成長していることを、あの女に伝えたら、何かが壊れてしまうような気がした。母らしき人の中では、父に値する男が死んだあの日から、時間が止まっているのかもしれない。僕はそう思っている。
 
 菓子パンを食べ終え、学校の身支度をする。いつも決まった時間に決まったことをする。おまじないみたいなものだ。洗顔、歯磨き、着替え。少しでも順番が狂ったら気味が悪くて仕方がない。
 
 今年の春から、僕は中学生になった。
 
 小学生だった頃とは違い、制服を着て登校しなければいけなくなった。
 
 制服はどうも苦手だ。こんなものを着ていたら、仲間たちに僕が宇宙人だと気づいてもらえない気がして怖い。でも規則を破るつもりはない。面倒ごとはもっと苦手だ。
 
 仕方なく、今日も学ランに袖を通す。少し大きめの黒い衣服を纏うと、僕はどこにでもいる地球人の中学生のように見えた。

 大抵、僕は誰よりも早く登校する。誰もいない教室が好きだからだ。
 
 自分の席につくと、教科書がたっぷり入ったリュックから、文庫本を1冊取り出して、読みかけのページを開く。
 
 本は嘘みたいだから好きだった。いや、嘘みたいな本が好きだと言った方が正しいかもしれない。
 
 今読んでいる本の内容は、神様から嫌われてしまった天使が人間にされてしまい、天界に戻るために孤軍奮闘するという話だ。
 
 主人公の天使の境遇が、僕と似ていて共感できる。
 
 軽く10回は読んだと思うが、何度読んでも飽きない。
 
「それ、『天乞い』でしょ」
 
 背後からいきなり声をかけられて、思わず振り向くと、そこにはセーラー服を着た見知らぬ少女が立っていた。本に集中しすぎて、彼女がすぐそばにいることに全く気がつかなかった。
 
「その本、図書館のやつ? それとも君が買ったの? あー、でも図書館に置いてあるやつより少し古い気がする」
 
 少女は屈託のない笑顔で、立て続けに僕に質問してきた。まるで以前から僕と知り合っているかのように。気がつくと彼女は僕の前の席の机に腰掛けていた。
 
「あの、」
 
 口がうまく動かない。
 
「ん?」
 
「君さ、誰なの?」
 
「ああ、私は紺野歩希。君の隣のクラス」
 
 紺野と名乗る少女はそれだけ言うと「で、その本は君の?」とさっきと同じ質問を僕にぶつけた。
 
「そう、だけど」
 
 小さな声で答えたが、誰もいない教室では響きすぎてしまった。
 
 こういう時、どういう反応が正解なのかわからない。彼女は、僕に何を求めているのだろうか。僕は今どんな顔をしているのか。本物の地球人だったら、一体なんて返すのだろう。
 
「教えてよ、君がどうやってその宝物を見つけたのか」
 
 頭の中でぐるぐると考えている間に、紺野歩希は既に僕に新しい難題を問いかけている。

第2話

 すうっと息を吐く。呼吸を整えないと、うまく頭の中を整理することができない。
 
「最初は、図書館で見つけたんだ。黒い表紙の本が好きで、『天乞い』もそうだったから。それで、そのまま読んで、それで」
 
 それでも言葉がうまく出てこない。やっぱりだめだ。どうしても人間の言葉は僕には合わない。早く喋ろうと焦れば焦るほど、思ってることは声にならない。
 
 紺野歩希の顔をチラッと見ると、僕が思っているよりもなんともない顔をしていた。急かしているようでもないし、待っているようでもない。その顔を見て、もう少しだけならなんとかなるかもと思えてきた。
 
「それで、話の内容も面白かったから、手元に置いておきたくなった。でも、近所の本屋さんには置いてなかった。だから、ネットで調べてみたんだ。それでもなくて、だけど、たまたま入った駅前の古本屋さんに置いてあってそこで買った」
 
 なんとか、言いたいことを全部言い終えることが出来た。紺野の顔色はさっきから全く変わることなく、ただ微笑んでいる。
 
「赤鬼の看板のお店?」
「うん、そう、それ」
「おかしいなあ、私もそこのお店は何度も通ってるのに」
 
 紺野は僕の話を最後まで聞き終えると、独り言なのか僕に話しかけてるのか全くわからない声音でブツブツと呟き始めた。
 
 それにしても、僕以外に『天乞い』を知っている人がいるなんて。元々僕は人付き合いをしない方だが、それにしてもこの本はあまり有名ではないっぽい。ネットで調べてもレビューどころか本紹介さえ書かれていない。著者は滝川克彦という名前らしいのだが、彼の情報もどこを探しても見当たらなかった。
 
「君、これは読んだことある?」
 
 紺野は人とおりブツブツと唱え終えると、リュックの中から一冊の文庫本を取り出した。その本には『ぱらぱらぱれりん 著 滝川克彦』と書かれている。
 
「い、いや、読んだことない。この本の存在を知ったのも初めてだ」
「私も最近これを見つけたんだよ。それこそ、あの鬼の看板の古本屋で。でも、共有できる人がずっといなかった。そりゃ、こんなマイナーな本を読んでいる人なんていないもん」
 
 滝川克彦の素晴らしさを知っている人が身近にいるなんて、僕も思いもしなかった。そもそも、こうして人と本の素晴らしさを語ることも、僕にとっては不思議なことだった。
 
 なんとなく紺野という存在にも慣れてきたので、初めてまじまじと彼女の顔を見てみる。さっきまでは全く気づかなかったが、とても大きな瞳の女だ。宇宙の向こう側のようで、この世の全てを吸い込んでしまいそうだった。その綺麗な藍色の瞳を、それ以上直視することが出来ず、視線を髪の毛にずらす。肩まで伸ばした髪は、よく晴れた日の夜空のように透き通っていた。 
 
「君は滝川克彦の本を読んでいた」 
 
 僕の視線を全く気にすることなく、紺野は話を続ける。
 
「君って、宇宙人って呼ばれてるんでしょ」
 
 急に紺野が話題を変えた。
 
 いくら聞きなれたあだ名でも、初めて会う人間にその話をされるとは思ってもみなかった。
 
「そうだけど」
「そっか、噂が本当で良かった」
 
 何が良かったのか。紺野はさっきからすごく楽しそうに笑っている。僕の話を聞いている時よりもずっと。
 
「私も実は宇宙人なんだ」
 
 何を言うかと思えば。こいつが宇宙人? 僕をからかっているのだろうか。でも、紺野の目には一点の曇りもない。
 
「だから君を見つけられたのかな。それとも、滝川克彦の本が宇宙人の教科書とか?」
 
 僕の反応を気にすることなく、また紺野は自分の世界に没頭している。
 
「ほ、本当に宇宙人なの?」
「うん、多分ね。」
「じゃあ、証拠は?」
「あ、疑ってるねえ。いいよ、放課後私の家に来なよ。いいもの見せてあげる」
 
 呆気に取られているうちに、話はとんとん拍子で進み、紺野は「じゃあ、放課後にね」とだけ言ってそのまま教室から出て行った。
 
 どれくらいの時間僕らは話していただろうか。すごく長い時間話していたような感覚だが、教室にはまだ誰も来ていない。ということは、ほんの5分程度しか会話をしていないということだろう。
 
 母らしき人物以外の人間(彼女は自分を宇宙人と呼んでいたが、とりあえず今は人間ということにしておこう)と長い会話をしたのは初めてだった。
 
 もしかしたら、紺野は本当に宇宙人なのかもしれない。そうじゃなきゃ、僕がこんなに話せるはずもない。いや、やっぱりそんなことあるわけがない。同じ学校に2人も宇宙人がいるなんておかしい。
 
 僕は、紺野歩希が放った一言に惑わされながら、長い1日を過ごそうとしていた。

第3話

 その日の放課後は、人生で1番騒がしい放課後になった。
 
 ホームルームを終え、席から立ち上がった瞬間、ドアの向こうから「宇宙人君! 帰ろう!」と大きな声で叫ぶ声がする。顔を見なくても、その声の主が紺野歩希だとわかる。6歳から学校生活を送ってきたが、一度も誰かに帰ろうと言われたことなんてなかった。そんなことを言う奴は、今日初めて話しかけてきた紺野以外いるはずがなかった。
 
 そう思っているのは僕だけではない。クラスメイトたちは僕と紺野を交互に見比べてはコソコソ話にもなっていない声量で話し始める。
 
「おい、紺野歩希が宇宙人に話しかけてる」
「なんであんな美人があいつなんかに」
「パシリにでもされてるんじゃねえのか」
 
 実際、クラスメイトたちが不思議がるのもわかる。僕と紺野にはなんの接点もない。
 
「おい、宇宙人君」
 
 ドアの向こうにいる紺野だけが、この意味深な空気の中で異質な存在だった。
 
「人間がうるさいから早く行くぞ」
「う、うん」
 
 周りの目など気にすることなく、紺野はさっさと玄関まで歩く。未だに教室はざわめいていたが、僕も教室を後にした。急いで玄関まで向かうと、紺野はもう上履きからローファーに履き替えていた。
 
「遅いよ宇宙人君。時間は無限にあるわけじゃないんだよ」
「わかってるよ」
 
 今にも走り出しそうな紺野に置いていかれないように、急いで外靴に履き替える。
 
「そんなことより」
「なんだい宇宙人君」
「その宇宙人君って呼び方やめてくれよ。僕にだってちゃんとした名前があるんだ」
 
 まるで何を言っているかわからないというような顔で、紺野は僕の顔を見つめる。
 
「私は君の名前を知らないから、仕方ないじゃないか。私が君について知っているのは、君が宇宙人と呼ばれていることと『天乞い』を知っているということだけなんだよ」
 
 確かに、そう言われてみれば僕はまだ紺野に名乗っていなかった。
 
「晴山若葉。僕の名前だ」
「よし、じゃあ晴山。早速私の家に行くぞ」
 
 いきなり呼び捨てなことも気になったが、まさか紺野の家に行くなんて思っても見なかった。
 
「晴山も気軽に紺野って呼んでよ」
 
 紺野は楽しそうに言い捨てると、玄関のドアを開け、早足で歩いていく。
 
 なんてマイペースで自分勝手な奴なんだ。それでも、なぜか反論する気は起きなかった。重いドアを体全部を使って開ける。外は夏の日差しに照らされ、ジリジリと僕の視界を揺らす。
 

 紺野の家は学校からそこまで遠くはなかった。無言で歩いていたが、気まずくなる前に到着した。
 
 紺野の家は、どこにでもありそうな一軒家で、宇宙人の住処とは到底思えない外観だった。
 
 紺野が家のドアの鍵を開けると、玄関には靴がまばらに散乱していた。靴箱の上には見たことのない置物が陳列されていて、生活感で溢れている。
 
「おじゃまします」
「はいどうぞ。今は誰もいないけどね」
 
 靴を脱ぎ、揃えてから紺野の後ろをついていく。掃除が行き届いたリビングを通過し、少し狭い階段を登ると、紺野の部屋らしき場所に案内された。部屋には小さなテーブルと簡易ベッド、それと本棚しか置かれていなかった。とりあえず鞄を部屋の隅に置き、テーブルの近くに腰掛ける。
 
「ここで待ってて、今お茶を用意するから」
「そんなものはいい」
 
 急いで部屋から出て行こうとする紺野を咄嗟に呼び止める。
 
「僕の質問に君はまだ答えていない」
「答えるまでもないよ」
 
 紺野は僕に背を向けたまま、真剣な声で呟いた。
 
「答えるまでもない。君ならわかる」
 
 紺野は振り返り、僕の正面に座る。
 
 僕の目を、覗き込むようにずっと見つめる。逸らせない。いや、逸らす必要がないと僕にはわかった。その目は、宇宙色に輝いていた。
 
 しばらくの間、僕らはお互いを見つめ合っていた。一言も言葉を交わさず、瞬きをすることすら惜しんだ。それはきっとほんの少しの時間だったろう。だが、僕たちがお互いのことを信用に値する存在だと認識するには十分すぎる時間だった。それは愛し合う人同士の逢瀬のようなものではない。もっと、遠くにあるような軌跡だ。
 
 小さい頃、宇宙人と人間が人差し指と人差し指をくっつけ合って友情を確認し合う映画を見た。でも、僕たちは触れ合わなくてもわかった。映画の登場人物は異種同士だったが、僕と紺野は同じなんだ。同じ星の生命体。
 
「紺野、君は孤独なんだね」
 
 交信を終え、最初に言葉を発したのは僕だった。
 
「晴山、君の目を見て私は確信したんだ」
 
 続けて紺野も口を開いた。2人の間にはさっきまでとは違う風が流れている。
 
「あの本はきっかけに過ぎない。私たちは出会うべきして出会ったんだ」
「君が僕を見つけた」
「私が見つけたんじゃない、君が光っていたんだよ。煌々と、まるで宇宙の中の1つの惑星のように」
「君の目が宇宙色だったから僕のことが見えたのかもしれない」
 
 しばらくお互いを見つけた感動に浸っていると「そうだ、見せたいものがあった」と今度こそ紺野は部屋を出て何かを探しに行った。

第4話

 紺野はすぐに部屋に戻ってきた。たくさんの小さな球体を抱えている。紺野は、それらの球体を壊さないように、そっとテーブルの上に置いた。
 
「これは、何?」
「見ればわかるよ」
 
 紺野に促され、球体の1つを手に取る。その球体は少しも歪みのないまんまるで、質感はビー玉に似ていた。はっきりとした紫色に、無数のキラキラが散りばめられている。一見スーパーボールのようだが、目を凝らして見つめると、その中は無数の星々がまるで息をするように煌めいていた。
 
「これは」
「晴山にはどう見える?」
「宇宙だよ、本当の宇宙みたいだ」
「やっぱり、そう言うと思ってた。私は、これを宇宙の球体と呼んでいる。何でできているかは全然わからないけど、家の押し入れの奥に入ってた。これを見つけた日から、私は宇宙人なんだと確信したんだ」
「宇宙の球体……」 
「私は、宇宙の球体は宇宙人の魂なんじゃないかと思ってるの」
「魂?」
「うん、他の球体も見てくれる?」
 
 手に持ってる球体とは、別のものを手に取ってみる。それは、さっき持っていた球体とは全く違う輝きを放っていた。さっきまでの球体は、紫色の中に黄金の星が煌めいていたが、今手にしている球体は、オレンジ色の中に灰色の隕石みたいなものが散らばっている。
 
「まるで、生きているみたいだな」
「そうでしょ。私はこの球体が、宇宙人の生きた証として残したものなんじゃないかって考えてるわけ」
「もしそうだとしたら、僕たちも宇宙の球体になれるのかな」
「当たり前じゃん、宇宙人なんだから」
 
 それから、僕と紺野は会話をやめ、宇宙の球体を観察した。金色のものもあれば、少しの輝きもない漆黒の球体、どれも全く違う輝きだった。
 
「あ、これ」
 
 僕は1つの球体を見つけた。その球体は、全体は濃い藍色なのだが、小さく黒い粒子がふわふわと浮いている。
 
「この球体、まるで紺野みたいだな」
 藍色の球体を紺野に渡す。
「ふうん、晴山には私がこんな風に見えているんだ」
 
 紺野は藍色の球体を持ちあげ、食い入るように眺めるとそれを傍に置き、テーブルの上の球体を物色し始めた。
「じゃあ、晴山はこれだ」
 
 今度は紺野が1つの宇宙の球体を僕に渡した。
 その球体は深緑色で、透明な霧が全体を覆っていた。
 
「晴山は絶対にそれだ。きっとその球体は晴山の子孫の魂だよ」
 
 紺野は得意げに笑う。手渡された深緑色の宇宙の球体を見つめてみる。紺野の宇宙色の目には、僕が別の色の宇宙に見えているのか。そうだとしたら、僕はこんなに綺麗な色をした宇宙人なのか。
 
「その球体、晴山にあげるよ」
「え、でもこれは紺野の大切なものだろ」
「大切なものだから、晴山に持っていて欲しいんだよ。それに、その球体は晴山に似合ってるし」
 
 紺野は僕の手から深緑色の球体を奪い取り、無理やり僕の鞄の中に詰め込んだ。
 
「私はこれを入れておこう」
 そう言うと、藍色の宇宙の球体を自分の鞄の中にしまう。
 
「そろそろ帰ろうかな」
「わかった、気をつけて帰って」
「そういえば、なぜ僕が宇宙人と呼ばれてるって知ってたの?」
「笹野君が教えてくれたよ」
「そっか、じゃあまた」
「うん、また明日」
 
 あのまつ毛が異様に長い男は、クラスが変わっても僕のことを宇宙人と読んでいるのだな。
 
 そんなことを考えながら、家までの道を、ゆっくり、ただゆっくりと歩き続けた。 
 
 
 紺野の家で交信をしてから、僕たちはほぼ毎日一緒にいた。気がつけば夏も終わり、秋に差し掛かろうとしている。紅葉色の街並みは、紺野の家で見たオレンジ色の宇宙の球体によく似ていた。
 
 僕たちは、昼休みになるとロビーに集まり、宇宙の球体について話した。くだらない話もたくさんした。宇宙人は物理的な衝撃では死なないこと、宇宙食は食べないこと、血は黄緑色をしていて、暗闇でも見つけられるように光るということなど、お互いが知っている宇宙人について話し続けた。そして、何度もお互いの色をした宇宙の球体を見せ合った。
 
「宇宙の球体の話は誰にもしちゃダメだよ」
「僕に話し相手がいると思うか?」
「確かに」
 
 休みの日には図書館に行き、宇宙の本を読んだり、小説を読んだ。紺野からもよく本を借りた。前に話をしていた『ぱらぱらぱれりん』は、内容のほとんどが頭に入ってこないほど、とち狂った話だった。紺野は僕に本の感想を求めたが、「気持ち悪かった」と言うことしかできず、紺野は不満げに頬を膨らませた。
 
 放課後には紺野の家に行き、様々な宇宙の球体の観察に勤しんだ。周りの人類は急に親しくなった僕と紺野を見て、ヒソヒソと噂をしていたが、何も気にならなかった。
 
 僕は生まれ変わった気分だった。迎えを待つ宇宙人から、仲間を見つけた宇宙人になり、気持ちは高揚していた。僕と紺野のことは僕らだけにわかっていればいい。心からそう思えた。
 
 紺野の家では、一度も家族の姿は見かけなかった。それに、家族の話もしなかった。特に興味はなかったし、紺野の方も僕に何かを質問してくることもなかった。
 
 僕たちはただ、いつまでも宇宙の球体を眺めていた。紺野の家から自分の家に帰っても、僕はずっと深緑色の球体を手に持って過ごした。すっぽりと掌に収まるその球体が、僕が紛れもない宇宙人であるという証拠な気がして、寝るときでさえ握りしめていた。そうすると、安心して眠ることができた。
 
 紺野も、そうしているのだろうか。そうであったらいいなと思う。紺野は、僕とは違う。多分、友達もいて、きっと宇宙に帰らなくても、そのまま生きていける。でも、どうしようもない孤独が襲ってくる夜があるのなら、それを拭い去るように、あの紺野によく似た藍色の球体を抱きしめて、布団の中でうずくまっていて欲しい。
  
 布団の中から腕を出し、球体を持ったまま、掌を天井に伸ばす。早く惑星に帰りたいな。願いを込めて、目を閉じる。紺野が待つ朝に着くように。

第5話

 冬になっても、僕と紺野は変わらないままだった。ただ、変わらなくても変わっていくものはある。
 
「おい、宇宙人」
 
 廊下を歩いていると、背後から聞き慣れた声が飛んできた。振り返ると、そこにはまつ毛が異様に長い笹野恭平が立っていた。僕を憎々しげに睨みつけている。
 
「やあ、久しぶり、笹野君。中学に入ってから話すのは初めてだね」
「お前、調子に乗るなよ」
 
 それだけ吐き捨てると、笹野は大股で立ち去った。一体何だと言うのか。
 
「晴山!」
 笹野がいなくなり、すぐに紺野がいつものように僕の肩を強く叩く。でもいつもよりもその力は強い気がした。
 
「おう、なんだ」
「大切な話がある」
  
 いつものふざけた薄ら笑いは紺野の顔には浮かんでいない。「あとで家に来て」とだけ言って、紺野は僕を置いて先に玄関へと向かった。
 
 もう紺野の家にも通い慣れたものだ。1人で行っても迷うことはない。
 歩いて10分くらいで紺野の家にはついた。ドアノブに手を回す。鍵はかかっていない。
 
「お邪魔します」
 内側からドアに鍵をかける。部屋で待っているであろう紺野の元へ向かう。部屋のドアを開けると、紺野はベッドに腰掛けていた。その顔つきは、どこか憂いを帯びている。
 
「遅かったね、晴山」
「君が帰るのが早すぎるんだ」
 
 お決まりの軽口を交わしながら、僕もテーブルの近くに腰掛けた。
 
「それで、大事な話ってなんだ」
「うん、実はこれを晴山に見せたかったんだ」
 
 紺野は徐にベッドの下から何かを取り出した。
 それは、小さな果物ナイフだった。
 
「りんごの皮でも剥くのか」
「そんなことが大事な話なわけないだろう」
 
 僕の冗談に呆れつつ、紺野は手の中で果物ナイフを弄ぶ。
 
「人間は危険だ」 
 果物ナイフを見つめながら、紺野はポツリと呟いた。
 
「人間は、私たちを物理的に攻撃する。自分の醜さを棚に上げて、気に食わないものに刃を向ける。だから、私たちにも武器が必要なんだ。自分を守るための小さな武器が」
「何かされたのか」
 紺野は首を横に振る。
「何かされてからじゃ遅いんだ。晴山、君もわかっているでしょ。私たちが孤独だったのは、人間の見えない刃が私たちを苦しめてきたからなんだよ」
 
 紺野の言いたいことはわかる。直接的じゃないにしても、僕は周りの人間から避けられて生きてきた。親と呼んでいる人は、今の僕を見ようともしない。今でこそ、それらのことは僕にとってどうでもいいことだが、もし、どれか1つでも埋まっていたら、僕の心は空っぽじゃなかったかもしれない。宇宙人じゃなかったかもしれない。
 
 でも、紺野は僕が知っている限り、そんな悩みとは無縁の人間に思えた。紺野の宇宙色の目は確かに孤独を訴えているが、彼女の孤独の理由を僕は知らないままだ。
 
 紺野は深く息を吸った。
 
「今朝、母に宇宙の球体を捨てられた」
 
 今にも雫がこぼれ落ちそうなその瞳は、空虚を見つめていた。
 
「こんなくだらないもの、いつまでも持っていないで勉強しなさいって。母はそう言って、燃えるゴミに宇宙の球体を全て捨てた」
 
 紺野は、僕と出会ってから初めて母親について語った。
 
「紺色の球体は……?」
「あれは私の鞄の中に入っていたから、気づかれずに済んだ。だからもう宇宙の球体は2つしかないんだ」
 
 僕たちの間に重たい沈黙が流れる。でも、僕の言いたいことはとっくのとうに決まっていた。
 
「2つあれば充分だよ」
「え?」
 その日、紺野は初めて僕の目を見た。
「僕と君の2つの球体があれば、それで充分じゃないか」
  
 リュックから深緑色の球体を取り出し、紺野に渡す。紺野の大きな宇宙から、雫が一粒流れ落ちた。
 
「そうだ、そうだったね」
 
 紺野は小さく笑い、今度は自分の鞄から紺色の球体を取り出して僕に渡してくれた。2つの球体は、静かに、時に力強く僕と紺野を照らした。
 
「このナイフは晴山にあげるよ」
「いや、いらないよ」
「りんごの皮でも剥けばいい」
 
 紺野が僕にナイフを押し付ける。いつものように楽しそうな笑顔で。
 
 僕たちはその日、床に寝転がってずっとお互いの球体を見ていた。紺野の部屋はいつにも増して音が無く、まるで世界に2人しか呼吸をしていないみたいだった。

第6話 coming soon