• 『美藤堂はいから奇譚・弐』

  • 古森真朝
    ファンタジー

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    伯母に連れられ、百貨店へやって来た英莉。休憩に訪れた喫茶店で、飛び出してきた女学生・杏珠と鉢合わせる。付き添いだったカイルと再会し、事情を聴いたところ、奥にある特別室で怪現象が起こっているらしく……

第1話

『たちまち朽ちゆく身なれども なほ恋しきは――』


「――さあ、英莉(えり)! ここにある中から好きなもの、全部選んでいいわよ!!」
「…………はい?」

やたらと気合の入った第一声に、話を振られた当人はきょとん、と首を傾げた。
聞こえなかったわけではない。耳に入ってはいるのだが、内容の理解が追い付かないのである。しばし考えた末、失礼は承知ではい、と控えめに片手を挙げてみる。

「ええと、瑠璃子(るりこ)伯母様」
「うん、なあに?」
「あの、今日は確か、お世話になった方への贈り物を探すっておっしゃってたような……」
「ええ、もちろん。だからこうして百貨店まで来てるんですもの、荷物持ち付きで」
「……うすうす勘づいちゃいたが、やっぱりおれはそういう扱いか。母さん」
「だって、休みの日にまで勘助君と銀次君を付き合わせるわけにいかないでしょう? 書生さんはお勉強が第一よ」
「いや、そりゃそうだけどさあ」

あっけらかんと言い返されて、少し後ろで待機していた相手――英莉の従兄である楝汰(おうた)は特大のため息をついて額を押さえた。言っていることは至極真っ当なのだが、問題なのはその方向性である。

「……母さん、さてはその世話になったひとって身内だな? で、別に急ぎじゃないけど、英莉と出かけるために方便が欲しくて建前にしたろ」
「うふふ、半分だけ当たり! さっすが我が子ね、良い勘してるわ~」
「やっぱりか、おい」

うきうき、という表現がぴったりの、まるで女学生みたいなノリで言い切られてしまい、楝汰がじっとり半眼になる。話についていけず、ひたすら目を瞬かせている英莉の肩をぽん、と叩いて、

「うん、まあ、とりあえずあきらめろ。お前の……えーと、問題が解決したって聞いた一時間後には、いつどこの店に買い物に行くか計画立て始めてたから」
「早い!?」
「当たり前よ、可愛い可愛い姪っ子だもの! せっかくお出かけ解禁になったんだから、どんどんお洒落していろんなとこを連れ回……もとい、いろんな人に会って良いご縁を見つけなくちゃね!
というわけで皆さん、うちの子のために協力して下さいな。まずあそこの浅葱色の紗を見せていただける?」
「はい! 勿論でございます、奥様!!」

(お、伯母様ー!! それ今年の新作で一点もの、って書いてありますよー!?)

よりにもよって一番値が張りそうな反物を迷わず指さした伯母と、元気よく飛んでいく店の従業員の姿に、英莉は恐れおののくしかなかったのだった。
……買い物総額、見た瞬間にぶっ倒れるような数字になったら、どうしよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

東洋に浮かぶ島国、桜華国。

つい先頃、長きに渡った鎖国を解き、諸外国との貿易によって着々と近代化が進んでいる極東の小国である。流れ込む諸々の文物の影響により、国の中心である帝都には煉瓦造りの建造物が並び、洋装に身を包んだ人々が道を行き交うなど、モダンな雰囲気を醸し出すようになった。

英莉はそんな国の、まさしく帝都に住まう身だ。さぞや文明開化の恩寵に浸っていることだろう――という大方の予想を裏切って、彼女はいたって質素だった。

「……ううう、疲れたぁ……」

呉服屋での一件から、約二時間後。百貨店にほど近い喫茶店、その奥まった一席にて、げっそりした風情でテーブルに突っ伏す英莉の姿があった。行儀が悪いとは思うのだが、すでに身を起こす気力も残っていなかったりする。

あの後、元からやる気に満ち満ちていた伯母と、そのやる気が伝染してにわかに活気づいた百貨店・呉服部門の人々が総力を結集。その結果、さんざん着せ替え人形となった挙句、結構かなり大量の品物をお買い上げしてしまった英莉である。

中には今から仕立てに出すとか、さらに予定にはなかったが『あら、これも素敵ね!』と急遽一揃い購入を決めた、とかいう品も何点かあったりして、もはや確実に予算を飛び越しているはずだ。大人買い怖い。

そして今現在、瑠璃子伯母は楝汰を連れて別行動中。おそらくこっちが、出発前に言っていた贈り物の購入だろう。先に済ませてくれていいのにと思ったものだが、今となっては後回しにしてもらったのがありがたい。ちょっとしばらく動けそうにないから。

「失礼致します。お客様、ご注文のレモネードでございます」
「あっはい、ありがとうございます!」

そっとかかった声に慌てて身を起こす。律儀に礼を言う英莉に、注文の品を運んできた給仕の青年はにっこり微笑んで一礼すると、静かに下がっていった。その後ろ姿を見送ってから、細いグラスを持ち上げてそっと口に含む。炭酸がぱちぱち、とはぜる感触と、甘酸っぱいレモンの風味が爽やかだ。

「……えへ、おいしい」

周りの席に人気がないのを確認して、こっそり呟いてみる。自然にふにゃ、と頬がゆるんだ。
いつでも自由に外を出歩ける、例えば瑠璃子伯母のような行動派のご婦人なら、好きな時に飲めるのだろうけれど。こういう何てことのない体験のひとつひとつが、つい最近まで家に籠っていた英莉には、とても新鮮で楽しいものだった。
逆を言うと、だからこそ伯母は張り切りすぎてしまったというきらいが無きにしもあらず、と見ることもできるわけで……

「せっかく連れてきてもらったんだし。伯母さんが満足するまで、がんばろっと」

ただ、もうあんまり散財しすぎないでほしいが。そんなことを思いつつ、再びグラスを口元に運んで、

「――うや~~~~~~~っっ!?!」
突如奥から飛んできた、珍妙な悲鳴(?)に盛大にむせ返った。

第2話

午後も遅い時間帯だったおかげか、幸いにも店内には英莉(えり)以外に人影はない。慌てて懐から手巾を取り出していると、ばたばたばたっとにぎやかな足音が聞こえた。その直後、奥にあった扉が勢いよく開け放たれる。

「で、で、ででで出たー!! ――ふぎゃっっ」

叫びながら飛び出してきたのは、ちょうど英莉と同じ年頃――十五、六歳といったところだろうか、とにかくうら若いお嬢さんだった。西洋人形みたいに品よく整った顔立ちで、ぱっちりとした大きな瞳が可愛らしい。洋風に編んだ髪に大きなリボン、矢絣の着物に海老茶の袴という恰好からすると、学生さんだろうか。

しかし、のん気に観察していられたのはその辺までだった。突如現れたモダンな美少女、履いていた洋靴(ブーツ)が床の絨毯に引っかかり、足がもつれた拍子に思いっきりすっ転んだのだ。よりにもよって顔から床に倒れこむという見事な転びっぷりに、見ていた英莉の方が青くなった。い、痛そう……!

「あ、あの、大丈夫ですか!?」

「うううう、誰だか知らぬがありがとうの……わらわはもうだめじゃ、邸の衣装箪笥に入っておるもの、全部まいべすとふれんどに渡してたもれ~……」

「遺産分け!? ていうかべすとふれんどって!?」

「五月晴れ、小暗き木陰ぞ涼しけれ、……うーんと」

「辞世の句っ!? 待って待って、ちょっとおでこ打っただけです、傷は浅いですからー!!」

早々とこの世に別れを告げようとする相手に、思わず駆け寄って抱き起した英莉の方が必死である。揺すったり叩いたりするわけにもいかず、とにかく励ましていたところ、奥の方からもう一つ足音が近づいてくるのが聞こえた。早歩きだが間隔に余裕があって、どうやら歩幅の広い男性のもののようだ――

(あん)(じゅ)さん、落ち着いて! 店の中で走ると危ないから――って、あれ? 英莉さん?」

「カイルさん!?」

奥からひょっこり現れた人物――つい最近知り合ったばかりの相手と顔を見合わせて、お互いの目が点になった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


――ああ、またやってしまった。

走り去る後ろ姿を見送って、しょんぼりを首を垂れる。申し訳なさで胸がいっぱいだった。

本当に、ここでは迷惑ばかりかけてしまっている。だからとて、自らこの場を離れていくこともできない。なすすべもないとは、まさにこのことだ。

そうなると、残る手段はただひとつ。時が解決してくれるのを、ひたすら待つより他にない。……どれほどかかるかは、己にすらわからないが。

出来る限り気を付ける。だからせめて、その時までは――

初夏の陽気には不釣り合いな、細くわびしい風の音がする。それ最後に、ふっと気配が掻き消えた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「いやあ、まさかこんなところで出くわすとは思ってなかったなぁ。驚かせてごめんね、英莉さん」

「い、いいえ! カイルさんがお元気そうでよかったです、はい」

「はは、ありがとう。おれは健康なのが取りえだからさ」

いろいろと衝撃の展開があってから、時は流れて十数分後。とりあえずの後始末を済ませた上で、喫茶店の同じテーブルについて会話を交わす英莉たちがいた。

労わられて逆に焦る英莉の向かい側で、のほほんと笑っている青年。驚くほど流暢な桜華語で話しているが、短く整えた灰褐色の髪にハシバミ色の瞳、彫りの深い端正な顔立ち。白皙の容姿は、明らかに外つ国のひとのものだ。

彼にはつい先日、それはもう言葉に出来ないほどお世話になった。こうやって今日、普通に出かけられているのもそのおかげである。……なのだが、しかし。

「ところで英莉さん、今日もひとりで?」

「ええと、伯母とおーちゃん、いえ従兄が一緒で……今はちょうどいなくて、よかったですけど」

「うーん、まあ、そうとも言えるかな……」

ひっそり付け加えたところ、相変わらず穏やかなカイルの笑みがやや苦くなった気がした。明るい色合いの瞳が気まずそうに泳いでいる。

……実は初対面の際、親切にも目的地まで道案内を買って出てくれたのだが、そのことを知らずに後を追いかけてきた楝汰(おうた)に誘拐犯扱いされてしまったのである。どうにか誤解は解いたものの、事情の説明もあわせて多大なる労力を費やしたのだから、しばらくは距離を取りたくなっても致し方あるまい。うちの従兄がすみません。

と、

「のう、先生。二人が知り合いなのはよーく分かったが、そろそろわらわにも自己紹介させてくれんかの?」

「ああ、ごめんごめん。杏珠さんはまだ頭が痛いかと思って……大丈夫? コブになってない?」

「ちょっとびっくりはしたが、もう平気じゃ。下は絨毯でふかふかじゃし、給仕の人がすぐ氷を持ってきてくれたしのぅ」

「……えっ? あの、先生って」

二人から見て、ちょうどテーブルの真横に座っている人がおもむろに口をはさんだ。さっき見事なまでにすっ転んでいた、あの可愛らしい女学生さんである。もらった氷を包んで額に当てていた手巾を下してから、目をぱちぱちさせている英莉に視線を合わせてにっこり笑う。

「騒がしくしてすまなんだな。わらわは(べに)小路(こうじ) (あん)(じゅ)、居留地にある(ほう)()女学院の生徒じゃ。そこなミスター・アイビーバーグの教え子が一人だの」

第3話

聞き覚えのある名前だった。それも両方ともに、だ。目を丸くして聞き返しかけたところで、そういえば名乗っていなかったことを思い出して、慌ててお辞儀をする。

「こ、香坂英莉です。ええと、萬橘商会の……」

「おお、ミカン印の萬橘か。舶来の良い品を取り揃えてくれておるから、わらわしょっちゅう世話になっておるぞ」

「あ、ありがとうございます! 伯父様も喜びます! ……えっと、さっき紅小路さん、って」

伯父の貿易会社を気持ちよく褒めてくれる杏珠にひとまず礼を言い、恐る恐る確認する。答えてくれたのは、横手でやり取りを見守っていたカイルだった。

「うん、多分その紅小路さんだな。永代華族で公爵だっけ? 旧都に本家があって、年に何回か集まるって言ってたし」

「言っておくが、好きで行っとるわけじゃないぞ! たまにはちゃんと顔を見せてこい、サボったりしたら問答無用で見合いさせるって大叔母様が脅すんじゃ。背に腹は代えられん」

(やっぱり聞き間違いじゃなかった……!)

お行儀悪く円卓に肘をついて、頬を膨らませている杏珠である。一方、あっさり肯定されてしまった英莉はといえば、若干頬が引きつっていた。とんでもない人に出会ってしまったのではないか、これは。

桜華での貴族の家格は、公候伯男の順に定められている。公爵はその最高位で、国を治める今上帝、および皇族の方々と血のつながりのある家系がほとんど、という人々だ。

わけても紅小路家といえば、遡れば数百年の歴史を持つ名門中の名門。現公爵は貴族院の重鎮として知られ、その子女および孫たちも名だたる政治家、軍人、実業家等として活躍しているという、名実ともに華麗なる一族なのである。ついでに、

「じゃあその、学校の創立者さんって」

「うむ、うちの大叔母様じゃの。今は理事もやっとるぞ」

「うわあ……!」

つい先日訪れた、海辺に広がる外国人居留地。その只中にそびえていた赤煉瓦の建物こそ、杏珠の所属する学び舎で――英莉が、諸々の問題が解決したら通ってみたいな、と思っていた、あこがれの場所なのだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、閑話休題。


「それじゃカイルさん、学校の先生なんですね。外国語とかですか、やっぱり」

「いや、専門にやってるわけじゃないぞ。先輩が寶理で務めてるから、その手伝いって形で入らせてもらってる。作文の添削とか、考査の問題作りとか……いつ『本業』の仕事が入るかわからないからな、この間みたいに」

「ああ……」

心持ち声を潜めて付け加えた一言に、思わず深くうなずいた。英莉が彼に助けられた一件も、まさしくその『本業』の分野だったのだ。忘れられるわけもない。

しかし、ということは、だ。

「もしかしなくても今日、そのお仕事でした……?」

「ん? いやぁ、どうかな。話を聞いただけじゃわからなかったから、とにかく現場に来てみたんだけど」

「なにを呑気なこと言うとるか。目の前でわらわが被害に遭ったじゃろうが、今さっき!」

テーブルの向こう側から身を乗り出すようにして主張してくる杏珠だ。転んだ衝撃からはすっかり回復したようでほっとするが、そういえば何故走ってきたのだろう。

英莉は伯父宅でちょっと、いや、かなり甘やかされているなぁという自覚はある。だからその分、今まで家の中で出来る勉強には精一杯励んできたつもりだ。机についてする学問はもちろんのこと、洋の東西を問わず礼儀作法なども習っていた。

覚える内容は多かったが、面白いことに共通していた部分もあって、そのひとつが『屋内外を問わず、足を上げてバタバタ歩かないこと』。無論走るなんて以ての外である。押しも押されもしない家族のご令嬢が全速力で走ってくるなど、一体何があったというのか。

そんな内心はやはり顔に出ていたらしく、再び視線がかち合ったカイルが微苦笑を浮かべた。軽く頬をかきながら、

「……まあ、そうだな。杏珠さんが走ってきた時点でだいぶ今更だし。

 ここのご店主から相談されたんだ。一番人気の特別室でおかしなことが起こるから、ちょっと調べてみてくれないか、って」

第4話

この喫茶店・海星堂は二階建ての洋風建築で、主に接客に使うのは一階のホールと、吹き抜けになった二階の回廊、ついでにそこから出られる露台。加えて店の奥に、あらかじめ予約が必要になる特別室というものが存在する。
ここはいわゆるお得意様のための一室で、事前に話を通しておけば閉店後でも使えるし、通常の注文表には載っていない料理を頼むこともできる、らしい。

「内装にもこだわってるし、目新しいものが食べられるってことで人気らしい。向こう半年は予約で埋まってて、店としては嬉しい限り、だったそうなんだが――はい、どうぞ」

「お、お邪魔します……」

先に立って扉を開けたカイルに促されて、英莉は何となくひとこと断ってから中を覗き込んだ。

先程までいた一階ホールよりはこぢんまりしているが、それでも十二分に広い。中央に樫材と思しき大きな円卓が置かれ、配された椅子は二脚。どちらも揃いの意匠を施された優美なものだ。床には落ち着いた緋色の絨毯、天井には古めかしいシャンデリアが吊るされており、日が落ちて明かりが灯されたらさぞ美しいだろうと思われた。壁紙は白地にくすんだ黄褐色で連続模様が描かれており、西洋の古城や屋敷を思わせる。

喫茶店の一室にしてはやや重厚な気がしなくもないが、おかしなことが起こりそうな気配もない。どういうことだろう、と視線を戻したところ、こちらから尋ねる前にちゃんと解説が入った。

「おれがご店主に聞いたところでは、だけど……ここで食事とか、話とかをしていると、自分たち以外の気配を感じることがある、って話だ」

いわく、するはずのない衣擦れが聞こえる。視界の端ぎりぎりに誰かが立った。カーテンの裾から女性の着物が覗いていた――などなど。

形態は一定ではないが、とにかくいろいろと怪現象が起こるため、店の者はみんな気味悪がっている。ひどい時は、掃除の割り当てが回ってきただけで泣き出す人もいる。お客への被害は今のところ数例で済んでいるが、何せ人気店のこと、こんな話が面白半分で広まると大変困る。

と、いうわけで。

「その対処をしてほしいってことで、おれたちに話が回ってきたんだ。直接依頼されたのは、本当は別の人――おれの先輩だったんだけど、今手が空いてなくてさ。急遽代理で受けることになって」

「お忙しいんですね……あれ? あの、それじゃ杏珠さんは」

「わらわは善意の協力というやつじゃ。依頼が来た時、たまたま小耳にはさんでのう」

「たまたまおれがテストの採点してるとこに遊びに来てた、の間違いだろ? しかも代返しようとするし」

「先生が煮え切らん返事をするからだろうに。二人は『本業』の界隈では若手筆頭なんじゃろ? どんどん引き受けて経験を重ねるべきじゃ」

「……杏珠さん、本音は?」

「うむ、大層ヒマじゃった! 今週はべすとふれんどが実家に帰っとるし、他の友人らも予定があるというし。面白い案件がないなら作れば良かろ?」

「それ言い切っちゃうんだ……」

つまりは堂々と首を突っ込んだ、というわけか。そして話の流れからするに、杏珠はカイルたちの『本業』についてもひと通り知っているらしい。もしかしたら英莉のように、困っているところを助けてもらったご縁なのかもしれない。ああいった女学校は大抵寄宿制だ。日頃から同じところで生活していれば、授業以外でも触れ合う機会があるだろう――

そう思った辺りで、ふともやっとしたものが過ぎった。視覚に異常があったわけではなく、英莉の心理的な感覚だ。うっすらぼんやりしているが、妙につまらないというか。

ついこの前知り合ったんだから、知らないことなんて山ほどあるのは当たり前だろうに……

「――ま、結論から言うと大正解じゃったな! 英莉と会えたからのぅ」

「、へっ?」

「友達じゃ、友達。いまな、社交界以外で気の置けない相手、というのを作るのに凝っておるのじゃ。わらわの見るところ、お主相当良い子じゃろう?」

「え、えっと、自分ではよく分からないんですが……」

「うむうむ、謙虚で良きかな! そうとなれば善は急げじゃ、ここの問題を一緒に片づけてしまおうぞ。まずは文通とかかのぅ」

「あ、はい、ありがとうございます……?」

――その直後に元気よく話しかけてきた当の杏珠によって、もやっとした気持ちは瞬く間に吹っ飛ばされた。良い子というなら、自分などに普通に笑いかけてくる彼女の方だと思うのだが、どうなのだろうか。

ついでに両手を持ってぶんぶん、と上下に振られつつ、反応に困って(嬉しくないとは言っていない)視線を泳がせる。その目が流れていった先に、円卓の上に置かれたままになっている食器類があった。

第5話

先ほどは全景の把握を優先したから、あまり気に留めなかったのだが。椅子とそろいの意匠を施された円卓は、まだ上にあるものを片付けていなかった。おそらくカイルたちが出ていったときのままになっているのだろうそれに、自然と注意が向く。

(……切子、かな。綺麗な硝子)

円卓の上に置かれた中で、真っ先に目を引いたのは背の高い硝子の器だ。表面に凝った模様が刻まれていて、中にはやや青みの強い紫色の液体が満たされていた。硝子が露を貼り付かせているところからすると、冷やして飲むものであるらしい。

他には紅茶を淹れるときの陶器のポット、小さな硝子の入れ物、そしてこちらも切子模様の刻まれた、口の広い大きな器。最後の一つにはほぼ半分くらいまで水が入っており、小さな氷の欠片がいくつか浮かんでいた。

「――あー、やっぱり溶けてしもうたか。先生が放っておくように頼んでおったからの」
「せっかく遭遇できたからな。氷は勿体なかったけど、杏珠さんの尊い犠牲を無駄にしたくないし」
「そりゃまあそうじゃが。……うむ、後乗せのアイスクリンは無事じゃから、良しとするか」
「……そういえば、具体的に何があったんですか? かなり慌ててましたけど」
「おお、まだ言うとらんかったか。すまんすまん」

改めて聞いてみたところ、再びごく自然に手を引いて案内される。ちょうど人が座れそうな間隔で引いてあった椅子と、背の高い方の切子を指し示して、

「こっちがわらわの座っておった方だの。注文した品が出てきて、いざ飲もうとしたところで……誰かが真後ろに立ったのじゃ」

席は入口に向かい合う位置の、いわゆる上座に当たる。カイルも反対側の椅子に座っていたし、給仕に当たった店の者もすでに退席した後だった。背後には十分な距離を取って壁と柱、ついでに部屋の雰囲気によく合う額縁に入った花の絵が飾ってあるのみだ。
ちなみになぜ、人がいるとわかったかというと。

「まず息遣いが聞こえた。座っておるわらわの斜め上辺りじゃな。ちょうど、肩越しに手元をのぞき込むような恰好か。
それだけなら気のせいかのー、で済んだかもしれんが、あろうことか声まで聞こえたからの」
「な、なんて?」
「うーむ、残念じゃが聞き取れなんだ。歌のように節がついておった気もするが……とにかく、わりあいに高い声じゃったぞ」
「……杏珠さん、意外と冷静に状況を見てたんだな。突然走り出したようにしか見えなかったから、驚いた」
「なにを言うとるか、怖かったに決まっておろう! 怖いからこそ必死で情報を集めて分析して、ああこれはいよいよまずいと判断したから絶叫したんじゃぞ。わらわの悲鳴は安くないぞ!!」
「はいはい、御見それいたしました」

堂々と胸を張って言い切るには微妙な内容を主張されて、なだめるカイルが苦笑している。この慣れた様子を見るに、普段学校でも似たようなやり取りをしているのだろう。そう思えばちょっとうらやましい。

……いや、それは置いておいて、だ。

「過去の証言も合わせれば、少なくともその『何か』は男性じゃないな。比較的若い女性か、それとももっと幼い子どもか。
仮に浮かばれない魂だとしたら、こんなところで取り残されているのは気の毒だけど……」
「けど?」
「んー、どうもそんな感じじゃないんだよなぁ。死霊でも生霊でも、そこに『いる』って認識された状態で放っておくのはまずい。視たり聞いたりして怖がった人の『思い』に反応して、どんどん影響力が強くなる。そうなってくると死霊術師――おれ達の中でも幽霊専門のひとの出番なんだけど……
でも、この特別室って評判が良くて、何か月も先まで予約がびっしり入ってるんだよ。一日に何組も使うはずだけど、その全員が『何か』に遭遇したわけじゃないみたいだし」
「ふむ、出くわす条件があるということか。なかなかめんどくさいれでぃーじゃの」
「れでぃーって……女性で確定しちゃっていいんでしょうか」
「――あら、なかなか良い勘ですこと」
「「うや―――っ!?!」」

考えていたところに突然、第四の声が降って湧いた。思わず杏珠と抱き合って、悲鳴をあげて勢いよく振り返ると、そこには妙に見覚えのある黒づくめの人影が。

「って、マダム月下部ではないか! 驚かさんでくれるかの」
「えっ、杏珠さんも知り合いなんですか!?」
「知り合いも何も――いや、その口ぶりだと英莉も面識があるんじゃな。見た目は死ぬほど怪しいが、うちの学校の教授陣のひとりじゃ」
「英莉さん、お久しぶりですこと。そして杏珠さん、人の顔を見るなり随分な仰りようね? ここでこうしてのんびりお茶をしているということは、前回の課題は全て完遂したという理解でよろしくて?? 提出が楽しみですわねぇ」
「うっ!? いや、その、まだちいとばかり残っておるが……ええい、先生! 声を殺して爆笑しとらんで助け舟を出してたもれ!」

豪奢な巻き毛と妖気すら感じる麗しい容姿、そしてこの初夏に黒一色の洋装姿という強烈な存在感。こんな淑女は帝都広しといえど、カイル共々別件で知り合ったマダムこと月下部千尋女史しかあり得ない。

驚いたことにこちらもまた既知だったようで、言外に課題は済ませたんでしょうね、と尋問された杏珠が目に見えて怯んでいる。……明らかにほったらかしているな、これは。

そんなこんなで英莉ごと背後に逃げ込まれて、何とかしろと視線で訴えられたカイルである。どうにか爆笑の波を鎮めてから、軽く一礼して口を開く。

「どうもマダム、良い日和ですね。英莉さんとはさっき偶然再会したんですよ、杏珠さんは好意で調査を手伝ってくれてまして」
「ええ、そのようですわね。せっかく繋がったご縁ですもの、大切にしなくては。――ところでその調査なのだけれど、わたくしもお手伝いしてよろしくて?」
「はい? それはもちろん有り難いですが……なにか手がかりになりそうなものが?」

唐突な申し出に、はしばみ色の瞳が丸くなる。そんな相手に満足そうにうなずいて、月下部女史は至極楽しそうに続けた。これまた黒いレースの手袋に覆われた片手を、上品に口元に当てながら、

「今日は昔のお友達と、久々に会う約束をしていたのですけれどね。その彼女から面白いお話を伺ったの。
こちらのお店の内装、設えは西洋の古城や屋敷をイメージしているのだけど……古めかしい雰囲気を出すために、わざわざ古材を取り寄せているのですって。具体的には、古都で解体された旧家の邸宅などから」

最終話

古都、すなわち京に都が敷かれて千年余り。この地で帝を奉り、政を動かしてきた貴族たちの家系は、比較的新しくても百年を超すという歴史を誇る。そうした旧家と聞けば、大抵は恵まれた資産を持ち、優雅な生活を送っていると思われがちだ。

そんな世間一般の人々からすれば、家屋敷の解体などと聞いてもぴんと来ないに違いないが、こういった事案は思いのほか多いのが実情だった。ことに帝が御所を構え、この地が帝都と呼ばれ出した御一新以降は。

「ふむ、うちはやり手のおばあ様のおかげで何とかなっておるが、今一つ世間の流れに乗り損ねておるところも多いからの。おおかた跡継ぎがおらんまま当主が没して地方の領地に引っ込んだか、株で大損した借金が返せなくて土地を売るハメになったか、そんなとこじゃろ」

「あらあら、相変わらず容赦ないこと。その洞察力と推理力は大したものだけれど、物言いが率直すぎるのは考えものでしてよ」
「安心してたもれマダム、わらわ一応余所行きの顔は心得ておるぞ!」
「それは自慢していいのか、杏珠さん……とにかく、ここの内装に使われている古材が怪しい、ってことですか」
「そうなりますわね。すでに土台が組み上がったところで、上から適当に切ったものをはめ込んだ、ということでしてよ」

そのまま柱や梁として使うのではなく、雰囲気を出すために装丁の部品として使っているのだ。言われてよくよく見てみれば、年月を経て飴色になった表面は丁寧に磨かれてはいるが、しつこく鉋などでそぎ落としたりはしていないのがわかる。

壁にはめ込まれた形になっている柱には、英莉の頭くらいの高さに小さな洞が残されていた。素材になった木に空いていたのだろう――と、

「――あれ? ここ、何か入ってる」

直径は小豆の粒ほどだが、その洞の中に白いものが見える。爪の先で摘まむようにして慎重に引き出すと、それは細く巻いた料紙の切れ端だった。表面がずいぶんと黄ばんでいるところからして、相当古いようだ。円卓の上にそっと広げると、こちらもだいぶ掠れた文字で書かれたものがあった。

【さみだれに たちまち朽ちゆく身なれども なほ恋しきは ゆかりのよひら】

我知らず息が詰まった。短歌、そしてこの形式は、もしかして。

「……これ、辞世の歌です。たぶん」
「辞世って、亡くなる前に作る和歌とか俳句のこと? どういう意味か分かるか、英莉さん」
「はい、そんなに難しい技法は使ってないので」

五月雨は陰暦の五月に降る雨で、太陽暦では六月の梅雨に当たる。特に主語が明記されていないが、この場合は確実に読み手の視点だ。ゆかりはおそらく、『所縁』と『紫』の掛詞。そして最後のよひらは、桜華の古語で紫陽花を指すことばだ。

「六月の雨に打たれて、瞬く間に朽ちていく私だけれど、それでも恋しいのは所縁のある、美しい紫の紫陽花だ。そんな意味だと思います」
「あじさい? 待て英莉、それなら心当たりがあるぞ」

歌の概要を聞いた杏珠が、円卓の上から取り上げたのは例の切子だ。相変わらず鮮やかな紫色をしている液体を、良く見えるようにこちらに差し出しながら、

「こんな色をしておるが、実は茶の一種での。蝶豆という植物の花を使って作る。本来は花と同じ明るい青じゃが、檸檬の果汁を入れるとこういう色になるのじゃ」
「色が変わる……て、杏珠さん、それ」
「うむ、その名もずばり『紫陽花』でな! おそらく今までそのれでぃーに遭遇した者たち、みなこの茶を頼んでおったのではないか? わらわもさっき、檸檬を入れて色が変わったところで気配を感じたし――」

勢い込んでいた杏珠が、そこでひえっと息を呑んだ。気がつけば、先ほどまでより室内の空気が冷えている気がする。おそるおそる彼女の視線を追いかけていった先に、ぽつんと佇んでいるものがいた。

――多分、英莉たちよりいくらか年下だろう。薄青と薄紫の衣を重ねて羽織り、葡萄色の長袴を着けた小柄な少女だ。袖で口元を隠しているが、その仕草すら重たげに見えるほど華奢だった。かろうじて見えている大きな瞳が、期待とも不安ともつかない想いを抱えて揺れている。

この場面で出てくるのだから、もしかしなくとも先程の和歌を作った本人――つまり幽霊のはずだ。はずなのだが、そうと断じてしまうのが申し訳なくなるほど可憐で、およそ悪意や敵意といったものを感じさせなかった。

「……二人の予想、大体合ってたみたいだな。これなら何とかなるかも」
「や、やっぱり成仏させるんですか」
「先生、いくら依頼だからって無理やり消し飛ばすのはナシじゃぞ! ちょっと震えておるではないか!」
「それは杏珠さんがそういうこと言うからなんじゃ……いや、大丈夫だよ、英莉さん。あの子が苦しいようなやり方はしないって約束する」
「は、はい。そこは信じてます、から」

人生で最大の悩みを、これ以上ない形で解決してもらった身としては、彼のやり方には絶大な信用がある。急いでうなずくと、カイルは何度か瞬きしてから嬉しそうに顔をほころばせた。ありがとう、と律儀に言い置いて、少女に向き直ると軽く両手を広げる。

「《野茨の園 ヒースの荒野 忍ぶ翼に応えて唄え
陰のラズモア 日向の四つ葉 夜の囀りに応えて躍れ》――」

歌うような詠唱とほぼ同時に、足元で花開いた紺碧の魔法陣が輝きを放った。その光がカイルの目の前に収束していき、ひと際強く瞬いたかと思うと、両腕いっぱいの紫陽花の花に姿を変える。青から紫に移り変わる色彩と、見事な球形の花々が宿す露も美しい大輪だ。

「――はい、どうぞ。君の好きな色合いだといいんだけど」
『……! っ!!』 

この世の者でないゆえに話せないのか、想いが溢れて言葉にならないのか。跪いて差し出された花束を、両手でそうっと受け取った相手が唇を震わせる。花を散らさないように抱きかかえた少女は、涙のにじんだ目元で嬉しそうに微笑んで――ふっと、かき消すように見えなくなった。

「――よし、部屋の温度が戻ってきたな。後はあの紫陽花が道を教えてくれるから、迷わず行けるよ」
「よ、良かった……」
「うむうむ、善哉! そうと決まれば早速打ち上げじゃ、さっきの『紫陽花』をもう一回頼むとするかの。英莉とマダムの分も一緒に」
「あら、わたくしもお相伴にあずかってよろしいの?」
「当然じゃろう、二人は功労者ぞ! 特に英莉とは親睦を深めねばならんからの!」
「えっ、――は、はい、喜んで!」

突如嬉しい提案をしてくれた杏珠に、一拍遅れてぱっと英莉の表情がほころぶ。二人を見守るカイルもマダムも、もれなく微笑ましそうな笑みを浮かべている。
やっぱり外に出られるようになると、その度に新たな出会いと事件が運ばれてくるようだ。今日あったことを、後から合流してくる伯母と従兄にどんなふうに話して聞かせようか。二人ともそれを聞いて、どんな顔をするだろうか。
杏珠が引いてくれた椅子に付き、そんなことを考える英莉の視線の先で、初夏の光を受けたカーテンが風に踊った。

ー完ー