• 『昨日君と見た群青 明日僕が見る紺碧』

  • 青空野光
    青春

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    本州から南に100キロメートル以上も離れた洋上に私の生まれ故郷はあった。数年ぶりに帰省したその日の夜、島の同級生たちと酒を酌み交わしながら子供時代の思い出話に花を咲かせる。そして――。

第一話 絶海

フェリーの売店で手に入れたコーヒーを片手に甲板へとやってきた私は、船の進行方向に向いて設置されたベンチに深く腰を下ろしながら、見渡す限りに広がる海原に目を向けた。
八月の洋上を吹き抜ける風の心地良さはといえば、国語の成績があまり良くなかった私でも『最高』というたった二文字で表現することができる。
盆休みの期間中とはいえ中日の十五日だということもあり、千人もの輸送能力を誇る客船は空きに空いており、今こうして甲板上を見渡しても私を含め数人の乗客しか見当たらない。

如何にも都市部から来ましたといった風のお洒落な格好をした老夫婦が一組。
やはり都会チックな雰囲気をプンプンと漂わせた三人組のマダム。
それに高校生か大学生くらいの長い黒髪の女性が一人。
そして私。

各々がバラバラにではありながら、同じ場所で同じ景色を眺め――恐らくは――同じような感想を胸に抱く。
それは都会生活ではあまりない不思議な感覚で、私は見も知りもしない彼ら彼女らに一方的な親近感を覚えていた。

今まさにこの船が向かっている私の生まれ故郷は、本土から南に一〇〇キロメートル以上も離れた洋上にあり、日に一便のフェリーで半日も掛かるそこはまさに絶海の孤島だった。
外周一〇キロメートルも満たない小さな島の人口は五百人足らずで、近年更にその数を減らしているらしい。
もっとも、島の手付かずの自然が大半を占める山岳地帯や透き通るような青い海やは、都会の生活に疲れた観光客にとっては心身を癒やしてくれる有り難い存在だったようで、少なくとも夏の間はそんな切実な問題も表面上は覆い隠されている。

島に生まれた子供たちは、中学までを辛うじて複式学級を免れている島の校舎で学び、高校は隣の島に小型の連絡船で通学し、大学に進学を決める時になって初めて島外へと巣立っていく。
そういう私もその一人であり、高校卒業とともに都会で一人暮らしをしながら大学に通い、卒業後はそのまま本土で就職をしていた。
直近で島に帰省したのは確か大学を卒業する数カ月前だったので、もう三年以上も前の出来事になる。
その間ずっと『盆と正月くらいは帰ってこい』と口うるさく言う両親を煙に巻き続け、今年も何かしらの理由をつけて帰らないつもりでいたのだが、先月の末に掛かってきた一本の電話により、その目論見はあっさりと崩れ去ってしまった。
電話の相手は同級生で親友の大幡(おおはた)で、その内容はといえば『盆休みに同窓会を行う』という至極有り触れたものだったのだが、私以外の同級生たちは高校卒業後も島に残っていたため、実際のところは同窓会というより島を去って久しい私に対する『たまには顔を見せろ』というお達しのようなものだった。
私とて故郷が嫌いで出ていったというわけではなかったのだが、一人だけ新天地を求めて都会に旅立ったことに対する負い目のようなものは常々から感じており、今回のような機会がなければ自身の中で島に戻る口実を見つけられなかっただろう。
そういう意味では旧友たちに感謝すべきなのかもしれない。

紙コップの底にわずかに残っていたコーヒーを飲み干すと、大きく背伸びをしながらベンチから立ち上がる。
フェリーの進行方向にはまだ島影すら確認出来ないが、先程の船内放送ではあと十五分程で到着すると言っていたので、そろそろ下船の準備をしておいたほうがいいだろう。

一泊二日分の荷物が入った小さなスポーツバッグを手にして再び甲板に戻ると、ようやく遠くの方にゴルフボール大の島影が薄っすらと見え始めた。
それはやがてソフトボール大、バスケットボール大と徐々に成長していき、わずか五分程で視界の半分をも埋め尽くすと、船はゆっくりと旋回しながら接岸体制へと移行した。

金属製のタラップを渡って三年振りに島の大地を踏みしめると、やはりここが自分の故郷なんだという実感が湧いてくる。
それは船着き場特有の潮の匂いであったり、道を挟んですぐのところにある古びた商店の佇まいであったりと多種多様な理由が思い浮かぶが、何よりも目の前で待ち構えていた旧友の、その懐かしすぎる顔を目にしたことが一番の要因だった。
「やっと帰ってきたな! 涙(るい)!」
日と潮で褐色に焼けた肌に黒いランニングをまとった親友と固い握手を交わす。
「ただいま。大幡(おおはた)は相変わらずみたいだね」
「おうよ!」
この威勢のいい返事も昔の彼のままだった。

ボロボロの軽トラックの荷台に荷物を放り込むと、今にも取れて落ちてしまいそうなドアを慎重に開けて助手席に乗り込む。
彼の愛車たるおんぼろカーは、その見た目に相応しいワイルドな振動を伴いながら走り出した。
「悪いな大幡。迎えに来てもらっちゃって」
「ぜんぜん悪くねえし。そもそも俺らが呼んだんだしな」
開け放たれた窓の枠に片腕を乗せて運転をする彼のガラの悪さは、最後に会った三年半前と何も変わっていなかった。
「そういえば年末に送ってくれた干物、ありがとうな。量が量だったから会社の人たちにお裾分けしたんだけど、みんなとっても喜んでたよ」
「それこそ全然よ。なんせ売るほどあるからな」
大幡はそういうとハンドルから手の離し、こちらに親指を立てながら白い歯を覗かせ豪快に笑い声を上げた。

高校在学中から家業を手伝っていた彼は、現在漁業及び水産加工業並びに海産物の卸売店と、実に三足のわらじを履きこなしていた。
見た目の厳つさと漁師特有の浜言葉のせいで女性受けはとてつもなく悪かった彼だが、その人となりをよく知っている私たち同級生からはよく慕われ、また頼りにもされる存在だった。
直接聞いたわけではないが、今回の同窓会の立案や実行も恐らくは彼によるものだろう。

島の外周を這うように敷設された道路から見える景色は、親友がそうであったように当時と何ひとつ変わっていなかったのだが、久々の帰省だった私の目にはとても新鮮に映っていた。
ところどころが錆びついたガードレールの向こう側に広がる海と空。
風に乗って時折聞こえるカモメやウミネコの鳴き声。
反対側の車窓に目を向けると、かつて火山島だった島の大地に根付いた、本土とは明らかに異なる植生の緑たちが夏を謳歌している姿――――。

島に残った同級生たちにしてれば当たり前の日常が、こんなにも素晴らしい世界の中で営まれていることを羨ましく思うと同時に、それを自らの意思で捨てたのは自分だということを思い出させられる。
「――大幡」
「ん?」
「電話くれてありがとな」
普段より小声で「おうよ」と返事をした彼は、ガラにもなく少し照れているように見えた。

「それじゃ、六時半頃に迎えに来るからな」
荷台から下ろした荷物を地面に置きながら彼はそう言うと、軽トラックのマフラーから黒煙を撒き散らしながら颯爽と去っていった。

「どっこらしょっと!」
海岸沿いの道路脇にポツンと取り残された私は、さして重くもない荷物を大げさな掛け声とともに持ち上げると、背丈よりも高い椿の生け垣の間に続く小道をゆっくりと進む。
やがて突き当たったところにある古びた一軒家こそが、父と母の住まう私の実家であった。

開け放たれたままになっていた引き戸の玄関を潜り、上がり框に腰を下ろして靴を脱いでいると、背後の廊下の奥から人の歩いてくる気配を感じて振り返る。
果たしてそこには母が外したエプロンを畳みながら立っており、私はなぜだか急に恥ずかしいような気分になってしまう。
「おかえり! あんたやっと帰ってきたね!」
「……うん。ただいま」
まるで反抗期の子供のような素っ気のない返事をしてしまい、得体の知れない恥ずかしさが余計に励起されたのだが、私はなんだかそんなことすらも懐かしいような気がしていた。

第2話 coming soon