• 『depth body -高深度躯体-』

  • 平沼 辰流
    SF

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    沈没した駆逐艦から、幻の人体実験のデータがサルベージされた。市民軍所属のオーガストは放棄された海底研究所に潜入し、そこに眠る「完璧な人類」を調査する。だが壁に残された一発の弾痕がすべてを狂わせる……

第1話

海が暖かくなれば殺戮が始まる。

渦巻く銀色の群れに、黄色いヒレをきらめかしてアジが突っ込んだ。噛み砕かれたイワシがぱちぱちと爆ぜるように白い肉を散らし、横合いから丸々としたグラントたちがかっさらう。
上に目を向けると、アジサシたちがダイヴしているのが見えた。
万年筆みたいなくちばしが魚たちを引っ掛けて海面へと連れ去っていく。そうしてかき回されて出来た流れの中でも、やはり無数の死体が身をよじっている。

艦橋の耐圧ドアをくぐった瞬間、壁にゴムボールをぶつけるような音が聞こえてきた。
隣でシャノンが水中銃を構えたので、指圧式パッドに書きつけて教える。

「サメだ」

アーネスト・キング級駆逐艦に入ったのは初めてだったが、前級のズムウォルトと比べるとひどく枯れた設計に感じた。汽缶のせいで突き出た煙突が古臭いのかもしれない。
まったく、さっきから水死体とガラクタばかりだ。
艦橋やガンルームには何も無く、中甲板の食堂にも食い差しのタッパーがふよふよと浮いているだけだった。
シャノンは艦底も見るべきだと言ったが、機関室と洗濯室に何かあるとは思えなかった。

これが合衆国で最後の大型水上艦だったはず。
アークトーチで融けていくCICへのドアを見つめながら、ぼんやりと亡国というものを考えていた。日本から飛行機ごと取り寄せたタイプ93を2発かましたら、ダメコンに失敗して勝手に沈んだらしい。

「吸い出してくれ」
融け落ちた鋼板を蹴破って、シャノンに指示を出す。
彼は手首からUSBケーブルを引き出して、さっさと室内のコンソールの接続口に突き刺した。
その足元を目掛けて扉の穴から水がざばざばと流れ込んでいく。
この部屋にも大量の死体が転がっていた。ピンク色の肌にたかるハエたちが海水をかぶってもがく様を眺めていると、シャノンが空いた手でレギュレータを口から外した。

「サー、誰だって死んだらこうなります。どんなに清潔にした人間でも、その表皮はバクテリアや小さな虫の卵でコーティングされているものです」
「ん……不思議がってるように見えたか」
「本職はそのように解釈いたしました。不適切でしたか」
さあな、と言って僕はアークトーチを軽く小突いた。

「さてと。作戦記録、取得できました」
唐突にシャノンがケーブルを収納する。跳ねた潮が口に入ったらしく、紫色になった舌を出していた。
「早いな?」
「兵器のセキュリティなんてたかが知れています。戦車にもキイは無いでしょう?」
「まあいい。撤収するぞ。向こうの調査隊と鉢合わせたら面倒になる」
「撤収、了解しました」
彼はラフに敬礼をして、レギュレータを噛み直した。

浮上する途中でも、また魚群とすれ違った。イワシたちだ。肉片の散らばった海中めがけて、いっぱいに口を開いている。彼らが魚雷のように艦底に入って行くのを見ているあいだに、減圧時間が終わった。

海上の「モンス・メグ」に戻ると、ボランティアの男がギアを下ろすのを手伝ってくれた。先に上がったシャノンは既にウェットスーツまで脱ぎ終えていて、全裸で甲板に腰かけながら、ヘリウムで甲高くなった声を張り上げていた。
つくづくこの人はそつがない。
イスラエルのオズ旅団ではメカ屋をやっていたらしく、ブリーチングした髪が傷だらけの顔によく似合っていた。アフリカーナのようなシナモン色の肌をしていて、広い背中はあっちこっちで銃創が楕円形に盛り上がっている。

糖分補給のついでに船室に向かってみると、ドアノブに「着替え中」の赤いタグがぶら下がっていた。
構わず開けて、ウェットスーツを壁にかける。しばらくすると背後でごそごそと動く音がして、肩越しにハンドタオルが飛んできた。

「タグを掛けていたつもりでしたが」

振り向くと、第2班のロックスがジャンプスーツを半脱ぎにしたまま腕組みしていた。
洗濯していたお気に入りの眼帯がやっと乾いたらしく、潰れた片目に海賊みたいに引っ掛けている。
「僕も着替えたかったのでね」
「私を待っても良かったでしょうが」
「手と頭の作業だ」僕はうなった。「たかが下半身の機能で遠慮する必要があるか?」
「これまた今日は荒れてますね。首尾はどうなんです」
「ああ」
自分のベッドに腰かけて、食べかけのカロリーバーをかじり割る。かけらを飲み込もうとしたら舌の水分が抜けていて、小さくむせてしまった。

「死体がピンク色をしていた。水をかぶった汽缶が不完全燃焼を起こしたんだ」
「換気前に退避もできないド素人どもが相手なら、ラクで良かったじゃないですか」
「役立たずに情報を握らせる馬鹿はいない。あんなのじゃ期待はできないな」
ロックスは困った顔になって腕組みを解くと、残りの服を脱ぎ去った。背を向けてウェットスーツに袖を通しながら、「じゃあ頼るなら陸軍ですか……」と呟く。
「向こうも人手不足と聞いてる。またライフルを担ぐ羽目になるかもしれない」
「今のNY市軍はマサダでしたっけ?どうせSCARと似たようなものでしょ」

ロックスは鼻を鳴らして甲板に上がって行った。
この人も、ブートキャンプの頃から変わってない。彼女のベッドをちらりと見ると、こっちは散らかし放題だった。むしろ悪化してやがる。

彼女が哨戒に行って数分後、今度はシャノンが下りてきた。
「サー、解析が終わりました……」
言いかけながら僕がペニー硬貨をシーツに落としているのを見て、珍しく苦笑する。

「そいつ、本職の上官もよくやってました」
「殴られただろう?」
「もちろんです。大尉どのは?」
「まあ、ロックスの場合は殴り足りなかったらしいな」
僕は真面目くさった顔を作った。
「あの子は現地で調達された。寝床の作り方を教える暇なんて、とてもじゃないが無かった」
「ニューヨークなのに?」
「だからだよ。自分の名前を書けるってだけで、あの頃は上物だったのさ」

解析は、と尋ねると、シャノンは操舵室の隣に置いたラップトップに案内してくれた。
シャノンが腕に埋め込んだ端子を接続すると、ディスプレイが切り替わってハクトウワシの紋章を映した。
そこからFEMAだのペンタゴンだのと定番の名前がつらつら流れて行って、最後に40ページほどの計画書が表示された。

――『レガシィ・プロジェクト』

しばらく沈黙があった。

「本物か?」
「署名は物理も電子も確認できてます」
シャノンが指の欠けた手でキイを叩く。
「最後の更新日は2149年の5月。カリフォルニアが独立したときですね。知的財産の保護プロトコル更新と受精卵バンクのスタンドアローン化が完了したところで記録が終わってます」
「座標はどこだ」
「ナヴァッサ島の沖合い20キロメートルの海底です」
聞き覚えのある場所だった。
「……バイオスフィア3か」
ラップトップの電源が落とされて、シャノンは船尾の方へと休憩しに行った。

僕も休もうと思ったが、この戦時徴用船には残念なことにタバコも酒も無かった。
クレーンの側でロックスたちのボートが戻るのを待っているうちに、日が傾きだして、水面から一斉に鳥たちが飛び立った。
ロングアイランド湾と比べると、カリブ海の夜はディジタルだ。夕凪が吹いた一瞬で太陽は水平線を落っこちて、あいだの夕焼けはどこか遠くに飛ばされてしまう、
彼方からエンジンの音が近付いてくるのを聞きながら、そっと甲板に腰を下ろした。

『レガシィ・プロジェクト』

もう百年も前になるだろうか。
変わってしまった地球環境に適応できる新人類の創生。
人類のイデアの探求。黄金に輝くゲノムコード。
指を曲げると、かすかにモーターが軋んだ。ノイズまみれの視界にダメージ警告が浮かぶ。

西暦2160年。
人類は、今に至るまで何も変わっていない。

第2話

ニューヨーク市軍総司令フレア=ノイマンが僕のもとに来たのは、駆逐艦の調査から2ヶ月後のことだった。

小隊訓練の報告をまとめ、クイーンズヴィレッジの駅から吐き出されたらバイクでいつものパン屋に寄り、サブサンドイッチ用のロールパンとビターレモンの瓶を抱えて219番街のアパルトマンに戻る。
気分次第で瓶の中身はサケやビーフィーターのジンになるし、パンもガムやマフィンに変わったりするが、その他はここ40年のあいだ目立った変化がないルーティンだ。
この街ではみんな同じような顔をしている。
同じ笑顔を浮かべる店員から、お決まりのメニューを受け取り、似たようなニタつき面を貼り付けた警察に駐車違反を切られる。まったく気が狂いそうで仕方がない。

今日も玄関に野良ネコが座っていたので、頭のてっぺんを掻いてやった。
彼はしばらく気持ちよさそうにしていたが、やがて「みい」と鳴いて暗くなった外に走り出した。かなり前から腎臓を悪くしているせいで、だぶついた腹が重そうだった。
こいつだけはみんなと違って、ちゃんと見分けがつく。名前はまだ無いが。

エレベーターの前にはスーツ姿の女が立っていた。
「お待ちしておりました、オーガスト大尉」
彼女もいつものように柔らかく言って、錆びついた2Fのボタンを押した。
今どき珍しい天然ものの外皮を使っているから、彼女の首すじからはうっすらと汗のにおいがした。まだ睡眠不足が続いているようで、隈を隠すための化粧が分厚い。甲冑のように固く糊を利かせたスーツだって、触れたら指が切れそうだった。

エレベーターのゴンドラに揺られるあいだ、彼女はひと言も発せず、僕が部屋の鍵を開けたときに初めて「入っても?」と言った。
「本官を待っていたのでしょう」
僕はドアを開けて先を促した。
食事はと尋ねると、もう食べましたと言ってきたので、氷入りのグラスをふたつ用意してビターレモンを注いでやった。カウンターに出すと、フレア=ノイマンは上品に口を付けた。

「で、『レガシィ・プロジェクト』の話でしょうか」
僕もグラスを傾けるついでに、戸棚からカシューナッツの缶を下ろした。
「ええ。あなたもニュースを?」
「向こうの遺族団も面倒なことをしやがるもんです。ユニオンは何と?」
ユニオンの名前を出した途端、フレアは眉をひそめた。

西部アメリカ連合。
合衆国を名乗る貧乏自治州の寄せ集めだ。
かく言うこっちもNAFTAの切れ端が関税同盟として繋がっているだけなので、似たようなものだろう。思えば北米大陸もすっかりリンカン大統領の時代に逆戻りしてしまったものだ。

フレアは表情を繕うと、グラスをカウンターに置いた。
「向こうはベクタープラスミドによる遺伝子編集の特許をかさに、『レガシィ』に保管された受精卵の調査権を主張しています。このまま検査する名目で回収して、なあなあで済ますつもりでしょう」
「大したことには感じないな」
僕はナッツをかじった。「今さら周回遅れになった人間のDNAサンプルを取ったところで、根本主義者の客寄せパンダにしかならないだろう。我々には技術と労働力がある。勝手にやらせとけばいい」
「ですが、噂がもし本当なら不味いことになります」
「『超人兵士』か?」
つい鼻で笑ってしまった。

よくある与太話だ。
ヒトゲノムの97パーセントを構成するジャンク遺伝子――形質に寄与しない部分を、すべて『有用な』コードに置換した無駄のない人間。そんな代物がレガシィの実験で造られた、と。

「デッドメディアの見過ぎです。これだから旧来型の資本主義はいけない」
「しかしプロパガンダには使えます」
フレアが足を組み替える。いつもながら、長い分モーメントが大きくて面倒そうな脚をしていると思う。
「無くても『ある』と言えば、彼らは縋ってしまう。そうなれば暴走は目の前です」
「……正直に言う。何をさせたい?」
僕はナッツを掴んで口に運んだ。
カウンターの向かいでフレアが指を組み合わせる。丁寧に塗られたネイルが照明に反射した。

「『レガシィ・プロジェクト』の研究成果を調査して、『何も無かった』と報告してください」
「結論ありきか」
「我々は状況をコントロールしなければなりません」

フレアの義眼の奥で絞りが開く。
「レガシィの遺物が実在しようがしまいが、不確定要素は排除されるべきです」

その後、彼女はビターレモンをもう一杯だけひっかけて帰って行った。
「あなたが必要なのです」という昔の募兵ポスターみたいなセリフが、別れ際の挨拶。たぶん会った人間みんなに言ってるのだろう。
僕がふたつのグラスを食洗機にぶちこんだところで、ドアを引っかく音が聞こえてきた。
外に出てみると先ほどのネコだった。だぶだぶの腹を揺らしながら「うみぁ」と鳴いている。

「またウチで遊んでいくのか? 飯は出さないぞ」
構わないと言いたげにネコは頭を振って、部屋に入ってきた。
適当にくれてやったタオルを彼がもみくちゃにするのを眺めながら、フレアという女性について考えた。

イレギュラーが嫌いなところは彼女の祖父に似ている。
『経済の複雑性なんて、自販機にコインを入れたらスナック菓子が吐き出される程度で良い。
福祉は不公平によって必要とされる。規格化が足りていないからだ。あらゆる人間が、しかるべき入力に対してしかるべき出力を返すならば、全事象はマクロスケールで制御できるようになる』

……なるほど。
ヒトが個性的である必要はない。その結果がこの街か。

無意識に、壁に掛かっているライフルに目が向いていた。彼のもとで働いていた時代のものだ。
手に取ると、非常識な重さで肩が悲鳴を上げた。
そんな僕をネコは興味なさげに一瞥して、前足を舐め始めた。僕もベッドに腰かけて、ライフルのレンジファインダーに付いた埃をウェスでぬぐった。長年使った私物だから、ポリマーの外装はどこもかしこも傷だらけだ。

XM8E1/Fury。
試作型のモジュラーライフルに、口径20mmの炸裂弾ランチャーと火器管制コンピュータ内蔵のマルチスコープを組みつけたハイテク銃。「これが本来の姿だ」と調達したやつは言っていた。
僕に言わせてみれば、戦場じゃ車椅子のように小回りの利かないオモチャだった。

「まーおう」
ネコがベッドの下に潜り込んで、しまっておいたクッキー缶を引っかき出す。
傷が付けられる前に僕が取り上げると、彼は抗議の鳴き声を上げた。
「こいつの中身はお菓子じゃないんだよ」
フタを開けて、ぎっしりと詰まった金属プレートを見せる。ネコはその場で丸くなると、首を傾げた。
「ドッグタグって言ってな、本当は2枚あるんだが、持ち主が死ぬと片っぽをちぎって持ち帰る決まりになってる」
「うみゃ?」
「そうだ。人間の兵隊がこれだけ死んだ」
クッキー缶をライフルの脇に置く。
『最初』の僕が生まれたのは2042年。以来、120年分の軌跡だ。
覚えている中で最も古い記憶は、給食のタフィーをかじったときに乳歯が取れたこと。次に思い出せる範囲ではもうカタールのキャンプでカービン銃を分解整備していたり、幼いフレアと一緒にフロリダの遊園地を訪れたりしている。

超人兵士なんていない。
もしいたら僕はとっくにお役御免になって、今ごろはヒナギクいっぱいのお墓の下でうたた寝しているはずだ。

「みゅっ」
ネコがすっくと立ち上がって、ドアに向かった。どうやら夜食を探しに向かうらしい。
「あんまりジンジャーエールばっかり飲むなよ。腎臓悪くしてんだから」
僕がドアを開けると、ネコは何も言わずに出て行った。彼はいつだってクールに去ってしまう。

静かになった部屋でビターレモンをすすりながら、もう一度ライフルを磨いた。
ハンドガードを元の位置に戻そうとしたとき、ピンをクッキー缶の中に落としてしまった。ごた混ぜになったドッグタグをいくつもかき分けるうちに、ちょっと考え込んだ。
「……超人、か」
取り出したドッグタグをベッドに並べていく。
何十年もほったらかしにしていたせいで、汚れているやつがほとんどだった。

もし超人兵士がいたら、このうちの何枚が消えただろう。
1枚拭いてそっと置く。次のドッグタグも慎重に拭き取った。
今回は意識して丁寧にやることにした。今やらなければ当分は帰れそうにない。

第3話 coming soon