『都市伝説の落とし穴』
羽栗明日著
ミステリー
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
赤石紅と緋村桃は麗美女学園に通う女子高校生。夏休みが明けたある日、急に紅が「探偵になりたい」と桃に伝える。二人は学校のオープンチャットで「赤いちゃんちゃんこ」の噂を知り、解決しようと奔走する第1話
屋上には風が穏やかに吹いていた。暦では今日から秋だというのに気温は相変わらず高い。そのじんわりとした熱気を風が吹き飛ばしてくれるおかげで、屋上は過ごしやすい気候だ。
赤石紅は校内で一番のお気に入りの場所でのひとときを久しぶりに噛み締めている。
「ねえ、桃」
紅の横にはいつものように緋村桃が寝転がっていた。二人の付き合いは高校に入学してからであったが、二年生の九月では親友といってもいい間柄になっていた。こうやって二人して屋上で時を過ごすのは、日課の一つになっていた。
「なーに、紅」
「桃って将来何になりたいって決まってる?」
「んー? 私はまだ決まってない、かな」
突然の質問に、桃は少し悩んでいたようだった。
「紅は決まってるの?」
「あたしは昨日決まったよ」紅が待っていました、とばかりに言う。「いや、前世から決められていたと言っても過言では無いかも知れない」
「すごいね。どんな職業?」
「探偵だよ」
自信満々に紅は答える。腕を枕にして空を見上げる彼女の視線は、一点を見据えていた。
「たんていって……探偵? あの謎を解く」
「ずっと探していたんだ。あたしの能力が生かせる場所って何かって」
紅の口調に迷いはなかった。
「で、昨日気づいたわけよ。これで」
そう言って紅は一冊の本を桃に見せた。表紙には、最近出版された都市伝説をテーマにした本格ミステリのタイトルが書かれている。
「これ読んで、どうしたの?」
「探偵って、すごいでしょ。頭も切れるし行動力もある。で、ビシッと犯人を当てたりもできるじゃん。つまりめちゃくちゃかっこいいわけよ。それでお金も貰えるってんだからこれ以上良い商売ってなくない?」
紅はそう言ってふんぞり返る。昨晩姉に借りた本を読んで、彼女はその痛快な話の展開とかっこよさに大ハマリしてしまった。もともと影響を受けやすいのもあり、一晩で探偵思考染められてしまっていた。
「前世から決められていた、って言ってたのもそれの影響?」
「まあそうだけど。この本の探偵の決め台詞『あなたが罪を犯すのは、前世から決められていたと言っても過言ではないのかも知れない』。私はそうやって非日常を経験したいんだよね」
桃が笑顔で見つめているのを見て、紅は苦笑いした。
「なんか変かな」
「ううん。でも紅らしいなって」
そう言って桃は一回転して紅に抱きついた。
「ちょっ、離れてよ!」
「いいじゃん誰もいないし。もし紅が探偵になったら私、探偵事務所の助手やるね」
「いいけどさ! くっつきすぎだって!」
「紅、いい匂いー」
紅が離れようと必死にもがくが、桃は離れない。
ぐいぐいと一分くらい揉み合った後、桃はやっと紅を開放した。
「もう、桃はいつもこうなんだから」
「えへへ。だって紅、ほんとにいい匂いなんだもん。ずっと嗅いでいたいいくらい」
「高校初めての出会いの第一声から変わんないね、ほんと」
呆れた声で紅が言う。一年生のクラスで初めて隣になった紅と桃は、桃から話しかけられた。その時の第一声が「いい匂いですね」だった。最初は変な子と思った紅だったが、それがきっかけで話すようになり、今ではこんなに仲良くなっている。人生何があるかわからないものだ。
「あーあ、なんか丁度いい謎、降って湧いてこないかな。殺人まではいかないけど、あたしの頭脳でさばき切れるやつ」
「たとえばどんな?」
「うーん……都市伝説だとありがたいんだけど」
少し思案して、紅は言った。
「学校の都市伝説だから……学校の七不思議、とか?」
「学校の七不思議」
紅の言葉に、桃が反応した。
「七不思議科……そうだね。そんなのあったら楽しいだろうね」
うんうん、と桃は頷く。
「私、紅が解決しているところ見たいな」
「ありがたいねえ。じゃ桃。この本貸すからさ」
再び紅は桃に本を差し出す。
「感想聞かせてよ。あたしにあってるかどうか」
「おっけ。わかった」
笑顔で桃は本を受け取る。そのタイミングでチャイムが鳴り響いた。
「あ、チャイム」
「やば、始業式始まっちゃう。桃、早く体育館行こ」
紅が慌てて駆け出した直後、屋上の縁にある落下防止のフェンスがガシャンと鳴った。さっきまで穏やかだった風が急に強くなったみたいだった。
「風強くない? 急ぐよ。桃」
慌てて室内に入った紅が振り返ると、桃は外に呆然と立っていた。
「桃?」
紅が声をかけても振り返る様子はない。何かを見つめているようで、紅の声かけに気がついた様子はない。
「桃! 行くよ」
「あ、ああ。うん」
強めにかけられた声に桃は気がついたようだった。急いで室内に駆け込んできた桃と共に紅は屋上を後にした。
第2話
始業式、というものが紅は嫌いだ。
いや、それは始業式だけに限らなかった。一つの空間に何人もの生徒を集めて、一律に同じ処遇にすることに違和感があった。
紅の通う天和女学院には一学年120人、三学年で360人がいる計算になる。つまり自分自身が三百六十分の一になってしまうわけで、個であることが保てなくなってしまう。二年生の紅にとって、一年生も三年生も未知の人間だらけな感覚になってしまう。
その点自分が所属するクラスという単位は気にならなかった。お互いどんな素性かを知っているから、出所不明の個人がいない。しかし他学年や他クラスの自分の知らない生徒や先生がいると、途端に自分が大勢のうちの一人で特別なことなんかなにもない存在だとなんとなく意識してしまう。その感覚を味わうのが嫌だった。
校長先生の話が終わり、体育館に一瞬静寂が訪れる。隣にいる桃をみると、退屈そうにあくびをしていると思えば眠り始めていた。
今は知らない三年生の生徒会長が司会を務めて進行しはじめていた。なんでも夏休み中にスクールカウンセラーの先生が産休になったらしい。そのためこの九月から新しい先生が相談室に赴任するらしく、今から挨拶をするらしい。紅は相談室なんて利用したことがないので、存在を今知ったくらいだった。
壇上に一人の女性が上がる。名前を聞きそびれたが、ぱっと見若い先生だった。二十代後半くらいだろう。柔和な笑みを浮かべながら、こちらを見下ろしている。肩までくらいウェーブがかった髪が印象的だ。毎週月水金は悩み相談室というところにいるらしい。まあ、利用することはないだろう、と思いぼんやりとしている。
ふと紅は、壇上の女性がこちらを見ているような気がした。慌てて確認するがそんなことはない。誰というわけでなく、生徒全体をみて話している。だが、妙にずっと視線を感じる。そんな不思議な感覚を抱えながら、挨拶は終了した。同時に感じていた視線もなくなっていた。
その後もつつがなく式は進み、最後は三階の階段の手スリが老朽化しているので、近日工事がはいるという教頭先生の連絡事項で締めくくられた。
クラスごとに一列になって体育館をでる。紅のクラスは最後だった。
誰もいない体育館を、紅はじっと見ていた。
二学期が始まっても特に事件はなく過ぎた。
紅と桃の元に謎が降って湧いてくることはなく、二人は相変わらず屋上で昼寝をしたり、休み時間に談笑をしたりしていた。
そんな一週間経ったある日。
「ねえ、桃と紅は『あかいちゃんちゃんこ』ってしってる?」
昼休み、桜田牡丹は、弁当のソーセージを箸で持ちながら紅と桃に尋ねた。
「あかいちゃんちゃんこ? あの小学生くらいのときに流行ったやつ?」
紅がそう答えると、牡丹は嬉しそうに話し始めた。
「そうなんだけど、そうじゃないんだよ。今、まさにこの学院で流行っているんだよ」
「牡丹、今朝からずっとその話。私そろそろ飽きてきたんだけど」
牡丹の隣に座る白藤紫が愚痴をこぼす。紫と牡丹は仲が良くいつも二人でいる。紅と桃とは席が近く、昼休みは四人で弁当を食べることが多い。
「いいじゃん紫~。二人にも聞いてもらおうよ~」
紫の呆れ顔を気にもとめない牡丹はスマホを取り出し、有名なチャットアプリを立ち上げた。紅や桃もよく使っている、国内シェアNo.1のアプリだ。牡丹は画面を紅と桃に見せた。
「ふたりともオープンチャットって知ってる? なんかのグループで掲示板みたいに書き込むことができるやつなんだけど。うちの学校のもあるんだよね」
「いや、あたしは読んだこと無いな」
紅が覗き込みながら言う。
「そこで一昨日に面白い書き込みがあってー。内容読むね。『一年生の女子です、昨日夜中に忘れ物を取りに行ったんですけど、三階の女子トイレに寄ったら、血が飛び散ってました。次の日いったら何もなかったんですけど、怖くないですか?』って」
「それ、ただの噂じゃん」
桃が口を挟む。
「違うんだって。それでその後の書き込みで、実はこの学院に昔七不思議があったらしんだよね」
小学生じゃあるまいし、と紅は思った。
「そのうちの一つに、この書き込みと同じようなことがあったんだって! 『深夜に三階の女子トイレに行って奥から三番目のトイレを三回ノックすると、「赤いちゃんちゃんこ着せましょか。青いちゃんちゃんこ着せましょか」と聞こえてくる。赤いちゃんちゃんこを選ぶと首をはねられ、青いちゃんちゃんこを選ぶと首吊りになる』。今回の話と似てない? きっと今回の犠牲者がいたんだよ」
キラキラした目で牡丹が言う。
「はいはい。最近犠牲になった生徒とかいないから。うそうそ、でまかせでまかせ」
呆れ声で紫が流す。
「私もあまり信じられないな」
桃も同調する。
「一年生の教室って一階じゃん。わざわざ三階に忘れ物を取りに行く理由がなくない?」
「うっ、それは」
簡単に論破された牡丹はうろたえる。
「大体話しも曖昧なんだよね、紅もそう思うでしょ? ……紅?」
桃が紅の方を向くと、紅は上の空で虚空を見上げていた。
「ちょっと、紅。どうしたの?」
「あ、ああ。ごめん」
紅は今気がついたような反応をした。この話の途中から、紅はまったく弁当に手をつけていなかった。
「まあ、いいや。もうすぐ昼休み終わりだから、早く食べないとね」
「あ、ホントだ! やばー!」
指摘された紅は進んでいない自分の弁当をみて、急いで食べ始めた。
第3話
放課後。誰もいない教室で、桃は紅を待っていた。いつもは一緒に帰っているが、今日は放課後話したいことがあるというので、わざわざ残っていた。
「ごめーん、桃。待った?」
「ううん。待ってないよ紅」
紅は浮かれながら教室に戻ってくると、桃のもとに来るなり宣言した。
「いやー、ついにデビューの時が来たってわけね」
「デビュー?」
「あたしの探偵デビュー」
桃が聞き返すと、紅は胸を張って答えた。
「昼に牡丹から聞いた『赤いちゃんちゃんこ』あるでしょ。あれ、あたしが解決する」
牡丹から話を聞いた後、授業中ずっとオープンチャットを見ていたが、欲していたところに彗星のように現れた謎に浮かれていた。
「今三階のトイレに行ってきた」
紅は得意げにそう言った。
「で、奥から三番目の扉、誰かが使ってるのか閉まったまんまだったんだよね。一応三回ノックしてきたんだけど、何の反応もなくて。もちろん血しぶきもなかったしね。やっぱ深夜じゃないとだめなのかもなー」
話している間、桃は目を見開いて紅を見ていた。
「桃? どうしたの」
「あ、ああごめん」
桃はごまかすように首を振る。
「すごいなって、思って」
「すごい?」
「うん、私だったらきっとそんなこと怖くてできないから。紅のそういうところ、本当にすごいと思う」
そうかな、と紅は苦笑いした。
「で、桃に頼みたいことがあるんだけどさ」
言いにくそうに紅は切り出した。
「あたしと一緒に深夜三階のトイレに行って確かめに行って欲しいんだよね。さすがのあたしも夜に一人の学校で試すまでは勇気がなくて。こんなこと頼めるの桃だけなんだけど……どうかな」
「いいよ、行かせて」
桃は何の迷いもなく即答した。
「本当! ありがとう桃」
「うん。紅のやりたいことは、私のやりたいことだから」
そう言って桃は紅を抱きしめた。
「ちょっと桃~」
「紅、ホントいい匂い」
いつもなら逃げようとする紅だったが、頼み事をした手前断るわけにもいかず受け入れるしかなかった。
「こうやって紅の匂いを嗅いでるだけでパワーが貰えるよ~。私の鼻に間違いは無いからね」
「そうかい、そうかい」
ふと桃の鼻には何か特別な力があるんじゃないか、と紅は思うことがある。以前一緒に帰っていた時、急に「なんかイヤなニオイがする」と言って立ち止まった瞬間、路地を猛スピードで自転車が通り過ぎたことがある。あんなふうに、良いことと悪いことが桃にとってはニオイとして感じられるのではないか、と考えていた。
「で、いつにする? 今晩でもいいんだけど」
抱きつく桃をひきはがしながら紅は尋ねる。
「じゃあ……明日」
桃はしばらく考えてから言った。
「ちょっと私も準備することがあるからさ。明日の夜八時に夕飯を食べてから集合。お互いの家に行く約束をして、ってことにしよう」
下校中、桃と校門まできた紅は、明日提出の数学の宿題を教室においてきていたことに気がついた。桃にそのことを話すと、「うん、じゃあ校門で待ってるね」と言っていた。
教室につき机の中を探す。プリントがあったので、かばんに入れる。これでオッケーだ。
しかし、と紅は思う。ついに自分に謎が降ってきたのだ。これを解決せずにいられるだろうか。それに桃が手伝ってくれれば万全である。
紅にとって桃は、いつも自分を肯定してくれる存在だった。何を頼んでも嫌な顔せずに自分に賛同してくれる。今回のことも、断られると思ったが桃は二つ返事でOKをしてくれた。それが紅にはこの上なく嬉しかった。だから抱きつかれ匂いを嗅がれても、悪い気はしない。
しかし桃が準備と言っていたことに引っかかっていた。何を準備するのか皆目検討がつかない。以前も、予約即売のケーキを食べたい、と紅が言ったら買っておいてくれるなど、桃が隠れて何かをコソコソやってくれていることがあった。
いずれわかるだろう、と紅は高をくくっていた。
走って校門まで行くと、桃は警備室の目の前に立って誰かと話していた。近づいてみると、その相手が警備員だとわかった。
校門では普段から警備員が見張っている。毎日登校と下校をする生徒に元気に挨拶をしているのだ。これは天和女学院の伝統でもあり生徒たちには当たり前の光景であったが、紅には正直なぜやっていたのかピンときていなかった。
今立っている警備員は姿も名前も紅は知っていた。飯原さんといって、いつもひときわ大声を出している。初老の彼は生徒人気が妙に高く、可愛いおじちゃんとして認知されていた。
「桃、ごめーん」
「あ、紅。それでは飯原さん、ありがとうございました」
紅の声に気がついた桃は、飯原に挨拶をした。
「ん、ああ、さようなら」
飯原はそう言うと警備室に戻っていった。
桃と紅は合流すると、校門を後にした。
「どうしたんだよ、桃。飯原さんと何話してたんだ」
「いや、なんでも無いんだけど」
桃は何のことはなさそうに言った。
「なんか飯原さん元気なかったように見えたから。それに……なんとなく気になる匂いしたかも」
「……ひどくない? いくらおじさんだからって」
「そういうことじゃないって」
空はもう夕暮れだ。オレンジ色の光を受けながら桃は笑って否定する。
「でも何だろ。なんか気になっただけ。それに」
桃は訝しげな顔をして言った。
「飯原さん、職員証してなかったんだよね。なんでだろうね」
第4話
桃と駅で別れた紅は、電車に乗って自宅の最寄り駅からの帰路、ずっとオープンチャットを見ていた。新たな「赤いちゃんちゃんこ」の情報がないかというのと、自分より誰かが先を越してしまわないかと不安だった。
家に帰った紅がリビングを通りかかると、キッチンで母が夕飯の支度をしているのが見えた。
「おかーさん。明日夜ご飯いらないからね」
「えーなんでー?」
こちらを振り返らずにキッチンから声がする。
「桃と遊ぶからー」
「はーい」
母から特に質問がなかったことに安心する。桃のことは母親も知っているし、そもそもあまり詮索しないタイプなので心配する必要もなかったが。
「おかえり」
ソファから声がかけられる。
紅の姉、赤石茜がくつろいでいた。彼女は現在大学三年生で、絶賛就職活動中だ。
夕ご飯を待ちながら本を読んでいた。
「お姉ちゃん、何読んでるの?」
「んー? こないだの新作。あんたに貸したやつ」
茜は本から目を離さずに言った。
「え、ホント。ちょっと読み終わったら貸してよ」
「いいよ。あんたほんとにハマったのね」
紅は明日桃とともに学校に忍び込んで『あかいちゃんちゃんこ』の解き明かすことを言おうとした。
「あたしもこういう謎が解きたいんだよねって思っててさー。そういうの実際にあったらいいよね」
自室に戻るときに紅は姉に尋ねた。
「え?」
紅のつぶやきに茜は信じられないという顔で見た。
「お母さん聞いた? 今の紅の言ったこと」
「なにー? なんて言ったの?」
茜はキッチンで大根を切っている母親に声をかけた。
「紅が探偵になりたいんだって」
そこまでは言っていない、と紅は思ったが、キッチンから聞こえてくる笑い声が聞こえたため口をつぐんだ。
「一つ言っておくけど」
茜は呆れた顔で紅を見た。
「小説のできごとっていうのはフィクションだから実際に起きることは無いんだよ」
「わかってるよ、言ってみただけ」
そう言って紅は自室にもどった。
翌日の夜。紅は校門の前に立っていた。夜中になると流石に校門も扉を閉じている。紅は校門のそばのところに一人でいた。日中残暑だが、夜はまだ冷える。パーカーのフードを被りながら、紅はスマホを見た。
時間を確認すると八時一分。約束は八時のはずだが桃がまだ来ていなかった。
しばらく待っていると、桃が走って向かってくるのが見えた。
「遅いよ、桃ー」
「ごめん、紅。ちょっとてまどっちゃって」
紅が声をかけると桃は申し訳無さそうに言った。
「相変わらずあわてんぼうだなー。よし行こっか」
「あ、紅ちょっとまって」
校門を乗り越えようとする紅を桃が静止する。
「そこから入ると警備員にバレちゃうよ。」
確かに警備室の目の前には警備員が立っている。紅はバレないように隙をついてやり過ごすつもりため、闇に紛れやすいようにパーカーとズボンの色を黒にしてきていた。
「こっちからなら入れるからついてきて」
「う、うん」
桃が妙に知ったような素振りで紅を先導する。警備室の裏を廻ったり、うまく植え込みや木の陰に隠れながら死角を通り校舎の裏口までやってきた。
「ここからなら入れるよ、行こう」
そう言って桃が裏口の窓ガラスに手をかけるとガラリと開いた。どうやら戸締まりのチェックはされていなかったようで、ガラリと開いた。
「いつもは閉まってるんだけどね、今日は開いててラッキーだったね」
桃が周囲を確認しながら言った。
不用心過ぎる、と紅は思った。ここは女子校だ。こんなガバガバなセキュリティで管理していることに不安を感じる。だが、それよりも。
「なんで桃、いろいろ知ってるんだ?」
今、上手くことが運んでいるのは桃が先導してくれているおかげなのだが、なぜ彼女がここまで警備員のルートや侵入口を把握しているのが不思議だった。
「ふふ、内緒だよ」
紅の問に、桃は不敵な笑みを浮かべるだけだった。
「ほら紅、先に入っていいよ。だれもいないはずだから」
そう窓を指し示す桃をいぶかしがりながらも、紅はひらりと校舎内に入った。続いて桃も飛び越える。
ここは校舎の一階の奥の廊下だ、と紅は納得する。普段は一年生の教室が並んでいて、生徒で賑わっている場所だが、今は電気もついておらず真っ暗で静まり返っている。
ふと赤いちゃんちゃんこの噂を思い出した紅は身震いした。昼や放課後に聞く分ならそんなに怖くないが、夜中の校舎のように雰囲気が伴うと不安や恐怖といった感情が湧いてくる。
一方隣の桃は平気そうな顔をしていて紅を眺めている。表情から不安の感情は読み取れない。それどころかワクワクしているような雰囲気さえあった。
そんな桃を見ていると、自分がビビっていても意味がないなと思える。
「よし。桃、行くよ」
「うん! 私、紅についていくね」
二人は足音を立てないように警戒しながら歩き始めた。目指すは三階のトイレである。
第5話
幸運なことに警備員に遭遇することもなく、無事に二階の階段まで到着した。自分たちが侵入できるということなら部外者の侵入も簡単にできるということだが、本当にこの学校のセキュリティは大丈夫なのかと紅は不安になる。
「ここまで何もなかったね、桃」
「うん、そうだね。偶然かな」
嬉しそうに桃が返す。彼女が先程からずっと楽しそうにしている。暗さに対する怖さとか警備員に会うかも知れないという緊張感は一切感じられない。
「あ、紅そこの危ないよ」
ふと桃に声をかけられ慌てて下をみる。足元に木材やら工具やらが散乱しており、あと一歩でペンキの缶を蹴飛ばしそうになっていた。手すりが壊れていると始業式で言っていたことを思い出す。
「……なんでこれ片付けられてないんだろうね」
まだ完全に直ってはいないようだったが、普通に危ない。工事中といえど流石にもう少し安全な状態にしておくべきだろう。
「今日が金曜日だからじゃない? 明日の休みのときに一気に仕上げるみたいな」
桃の考えになるほど、と紅は納得しかけるも、まだ腑に落ちなかった。
「そもそもおかしくない? ここだけペンキの色が新しくなると下の階と違ってきちゃうよね? それはいいのかな」
階段の手すりはすべて赤だったが、おそらく何年も経っているために茶褐色と呼べるような色になっている。そのためここだけ塗り直してしまうと、鮮やか過ぎて目立ってしまうだろう。そもそもこの手摺はそんなに老朽化していたかどうかも疑問だ。直す必要があったのだろうか。
「ねえ、桃」
話しかけようと桃をみると、紅の背後をみて絶句していた。
何事かと慌てて振り返ると、懐中電灯のライトが紅の体を照らしていた。
終わった、と紅は思った。完全に油断をしていた。
「あら、あなた達何をしてるのかしら」
警備員ではない予想外の声。
懐中電灯をもった女性が立っていた。
「生徒よね。だめじゃなーい、こんな時間に」
咎める内容の割に楽しげな声の女性に、紅は心当たりがあった。
「えーっと確か、新しく来たスクールカウンセラーの先生?」
見たことある肩までくらいウェーブがかった髪と柔和な笑顔。遠目だったが妙にはっきり覚えている。始業式のときに挨拶をしていた、スクールカウンセラーの先生だった。
「あら、覚えててくれたのね。今学期から麗和女学院の相談室に赴任してきました、小鳥遊飛鳥です。よろしくね」
ペコリと頭を下げた姿は、深夜の校舎の中とは思えないほどの優雅だった。
「それで、あなた達のお名前は?」
「あ、赤石紅。2Bです」
雰囲気に流され、紅は自己紹介だけでなく自分のクラスまでを暴露してしまった。別人を演じれば知らんぷりもできただろうが、もう後戻りはできない。
「あら、しっかり自己紹介してくれるなんて偉いわね。それとももう観念してしまったかしら」
そう言って小鳥遊は髪の毛を指でくるくるといじる。その仕草がなんだか大人っぽく、漂ってくる匂いも、紅とって初めて感じる薫りだった。
「それで……そちらのもう一人は?」
笑顔で桃が促されたが、不機嫌そうに何も喋らなかった。
「あらら。答えたくないのかしら」
慌てる素振りもなく小鳥遊は微笑む。
「安心して、別に私はあなたたちを糾弾したいわけじゃないの。報告なんてしないわ」
「ほ、本当ですか小鳥遊先生」
このまま怒られるんじゃないか、と不安だった紅は色めき立つ。
「ええ、でも理由を後で聞かせてもらおうかしら。それくらいでいいわ」
「おい、桃。別に責められるわけじゃないから自己紹介だけでもしたほうが良いって」
紅がそう言うなら、とつぶやいた桃は観念した様子で「緋村桃です」とだけ答えた。
「赤石さんに緋村さんね、よろしく。二人とも色が名字と名前に一つずつ入ってるのね」
桃が言ったのを聞いて、小鳥遊は一層柔らかな笑顔になった。
「あの、小鳥遊先生はこんな時間に一体何をしてるんですか?」
「私? 私はね……」
髪をかきあげながら小鳥遊は三階を指差した。
「実は上の階のトイレの噂を調べにきたの。なんか赤いちゃんちゃんこが出るっていうでしょう」
「あ、あたし達もそれを調べに来たんです!」
まさか同じ理由と思っていなかった紅は、がっつくように小鳥遊に話しかけていた。
「あら、同士ってことね。私、こういう七不思議とか都市伝説とかとっても大好きなの。だからそんな噂があるって聞いて、たまらず調べに来ちゃった。そしたら夜の校舎に忍び込んでいるお嬢さん達二人を見つけたのだけど……」
「先生、都市伝説に詳しいんですか?」
「ええ、まあ詳しいと言えば詳しいわね。特に学校のは」
髪をいじりながら小鳥遊は言った。
「トイレの花子さん、深夜の鏡とかテケテケとかね。そういうオカルト大好きなの。謎にふれるのってゾクゾクするわよね。そしてその謎が存在する理由があると思うから、それを調べるのも一興ね。まるで探偵で」
「わかります」
興奮して紅は言う。
「あたしも謎が解きたくてここに来たんです。大人でこういうのが好きな人いないと思ってました。お姉ちゃんにもお母さんにも馬鹿なことを、って言われてたんで」
「全然馬鹿なことじゃないわ。オカルトにはそれが起きるに足る理由があるから起きるんですもの。それを解き明かさなければ、オカルトはオカルトのままだわ……って何かの本で読んだ気がするね」
家で同じ話をしても馬鹿にされ続けていた紅にとって、目の前にいる小鳥遊は初めて彼女を理解してくれそうな大人だ。彼女になら自分のことを話せるかも、と。
「せっかくだから一緒に調べましょう。私が引率でいれば大丈夫でしょう」
小鳥遊はトイレに歩いていった。
「ちょっと、紅」
つられて行きそうになった紅を、桃が背中を引っ張って止める。
「ん、どうした桃?」
「あのさ、紅」
「先生もいるわけだから、もうバレること気にしなくて大丈夫だぞ。ラッキーだったな」
「じゃなくて、なんか……その」
桃はもじもじしてうつむいている。
「なんだよ、はっきり言わんとわからないぞ」
「あの人……イヤなニオイするってだけ」
「匂い?」
「うーん。ニオイ」
桃がうつむいてそれだけ言う。
「そっかー」
紅はどう返していいかわからなったが、仕方なく桃を抱きしめた。
「ほら、こうすりゃいいんだろ? あたしの匂い嗅いで落ち着きなって」
「……うん、ありがとう紅」
紅の胸の中で少し安心したように桃はつぶやいた。
第6話
紅と桃の二人がトイレに着くと、少し苦笑いしながら小鳥遊が待っていた。
「あなた達、同級生よね。今の見てるとなんだか恋人みたいね」
「ち、違いますよ! 私と桃はただの友達です! な、桃」
紅は慌てて否定した。
「う、うん。そうですよ。友達です」
桃も同様に否定をする。
「そう? ならいいけども。じゃあ中入りましょう」
三人は揃ってトイレの中に入る。構造は単純で、扉を開ければ大きな鏡がある洗面所が二つ。その奥に個室が五つ並んでいる。
小鳥遊が懐中電灯の光を。トイレの奥から照らしていった。
「紅、昨日行った時は奥から三番目の扉がしまってたんだよね? それで三回ノックしたら返事がなかったんだよね」
「うん、そうなんだけど……」
そう言って紅はごくりとつばを飲みこむ。
小さい懐中電灯の光ではっきりとは見えないが、奥から数えて三番目の個室のドアは閉まっているように見えた。
「ねえ、桃どうしよ。これやばくない!?」
慌てた紅は桃を見る。桃も驚いて声を出せなかった。
「あら、閉まってるわね。丁度いいじゃない。三回ノックするんだったかしら」
ただ一人、小鳥遊は我関せずと言ったふうにトイレの中に踏み込む。
「小鳥遊先生、危ないですって」
「ノックして何もなければなにもないし、何かがあれば本当に非科学的なことが起きる、どっちも得じゃない」
小声で紅が声をかけるが小鳥遊は構わず個室の前に立つと、コンコンコンと三回ノックをした。
しばしの沈黙
なんの反応もない。小鳥遊がもう一度ノックをしたが、ノックどころか物音一つ返ってこない。
「ほら、何もないじゃない」
紅と桃を振り返り小鳥遊が言う。
「上から見てみましょう。あんなところにちょうどよく脚立があるわね」
「え、先生ちょっと」
紅の静止も聞かず小鳥遊は何故かトイレの奥に置かれていた脚立を使ってするりと個室の上から中に入った。
紅と桃が固唾を飲んで見守る中、五秒ほどたったところで中からカチャリと音がして扉が空いた。
「二人とも入って大丈夫よ」
中から顔をのぞかせた小鳥遊に安堵した紅は、桃とともに個室の前まで向かった。
「先生すごいですね。行動力ありすぎ」
「そんなことないわよ。ただ上から入っただけ。で、中だけど」
小鳥遊は個室内を見回した。小鳥遊の言う通り、中はなんの変哲もないトイレの個室だった。
「特に気になることはなさそうだけど。赤石さん調べてみたらいいんじゃないかしら。私は外で待っているから」
「いいですか? ありがとうございます」
小鳥遊は紅に懐中電灯を渡すと、扉の外に出ていってしまった。
紅は個室内に入って見回す。特に普通の個室だ。三方を上部分が二十cm空いている壁に囲まれて、扉がしまる1m平方の空間だ。ウォシュレット付きの洋式の便座が一つと、トイレットペーパーやらのラックがある。
「ねえ、紅。なんか変な匂いする」
桃が紅に耳打ちする。
「また匂い? 先生も近くにいるんだから我慢しなって」
「違う、それじゃなくて」
桃は首を振る。
「ここ、なんかかすかに匂いがする……これさっきも嗅いだな。ペンキ?」
「ペンキの匂い? 全然感じないけど」
「かすかだけどね。最近誰かがここにペンキをこぼしたみたい。ちょうど便座の裏あたりから」
「ここか? ってあれ、なんだこれ」
便座の後ろを紅が見ると、何かが落ちていた。
「これ、何? めちゃくちゃ赤……って血!? こ、これ」
真っ赤に染まったカード入れがライトで照らされる。
「違う、紅よく見て。これペンキだ。それも赤い」
よく見るとそれは血ではなく真っ赤なペンキだった。カード入れはピン留めするタイプで職員証などを入れるようなものだったが、汚れのせいで誰の名前が書いてあるのか、はっきりしない。一体誰のものだろうか。
「ちょっと洗ってみてみない?」
桃の提案に紅は頷く。紅がカード入れを拾い上げ個室をでたところで、苦笑いした小鳥遊が現れた。
「先生、これ見てください」
「あのー、二人とも……ごめんね、見つかっちゃったわ」
そう言う小鳥遊の背後に影が見える。
「君たちは生徒だよね。こんな時間に校舎内にいるのはよくないよね」
警備員の飯原が怪訝な顔で仁王立ちしていた。
第7話
「警備員さん、この子達は私が連れてきたんですよ。だからその……」
「そういうわけにはいきません」
小鳥遊の必死の抗議にも飯原は首を縦に振らなかった。
「この事はちゃんと報告させていただきます。先生も今学期からいらしたそうですが、同様に報告させていただきます」
紅は動揺していた。先生と一緒ならバレても問題ないと思っていたが、飯原がこんなに頭が固いとは思わなかったのだ。一方で隣の桃は、狼狽しているように見えた。
「な、なんで……この時間は回らないはずなのに」
そうつぶやいている。なにか彼女の中で見つからない確信があったのだろうか。
「おや、そのカード」
飯原が紅の持っている職員証に気がつく。
「あ、これ」
「それはどこで見つけたのかな」
「そこの個室ですけど」
紅が奥から三番目の個室を指差すと、飯原は紅にずいっと近づいた。
「それは落とし物だね。私が回収しておくよ」
慌てて紅が引っ込めたので飯原の手が空を切る。
「どうした、早く渡して」
笑顔で言われても、紅は渡そうとしなかった。どう考えても今回の『赤いちゃんちゃんこ』の事件において重要な証拠になるものだ、という確信があった。
「なんでそんなに欲しがるんですか。怪しくないですか」
桃が突っかかる。
「そういうわけじゃないんだ。ただ私は落とし物を回収しようとしただけで」
「紅、それ誰のカードが確認しよ。そこの水道で洗って」
紅は慌てて水道に行ってカードをあらった。こすって落とすと、『飯原武史』と書かれた表面と、顔写真がでてきた。
「これ、飯原さんの?」
「ああ、そうだよ。ここ三日間探していたんだ」
今度は急に優しい口調で話しかける。
「だから渡してもらおうと思ったんだ。返してもらおうと思ったんだ。みつけてくれてありがとう」
思わず紅は飯原にカードを手渡してしまった。
「さ、とりあえず二人とも警備室来てもらおうかな。見つけたくれたお礼に、二人は不問にしてあげよう。でも小鳥遊先生、あなたは教員としていらしているからね、私も報告せざるを得ません」
「そんな、飯原さん。小鳥遊先生も帰してあげてください」
「そういうわけにはいかないんだよ。これは決まりだからね」
紅、桃と小鳥遊は、結局飯原についていくことになった。
「ねえ、紅」
「なに、桃」
「なんか飯原さんの匂い、変」
「変? ってどういうこと?」
「昨日の飯原さんの匂い、なんかへんだと思ったんだけどわかった。ペンキだ。ペンキの匂いがした。それもさっき嗅いだのと同じ」
「……」
紅は考える。
トイレに落ちていた赤いペンキまみれの飯原さんの職員カード。カード自体は三日前になくしたという。確か書き込みがあったのは三日前だ。三階の奥から三番目の個室から赤い血が流れていた、という。
「桃、私わかったかも」
「え、どういうこと?」
怪訝な顔をする桃の隣で紅は不敵に笑った。
「飯原さん、ちょっとまってもらっていいですか」
急に呼び止められた飯原は、何事かと振り返った。隣の小鳥遊は様子をうかがっている。
「どうしたんだい」
「あたし、わかったんです。さっき飯原さん、カードを失くしたのは三日前って言ってましたよね」
「……そんなこと言ったかな。覚えていないよ」
「それは私達三人がさっき聞いていますそれに、」桃が抗議する。「それに飯原さんは四日前、シフトではなかったはずです。校舎内に入ることはなかったはずです。ましてや女子トイレなんかに」
桃の抗議に飯原は驚いていた。
「なぜ、君が私のシフトを」
「今回忍び込むにあたり、警備員さんのシフトや巡回ルートを調べさせてもらいました。そこから考えると、カードをなくせたのは三日前の夜中だけだったと思います。」
なるほど、と紅は合点がいった。妙にここまでスムーズに来ることができたのも、桃の下調べがあったからこそだったのだ。それにしても、一日でここまで調べているとは思わなかったが。
「でも本来この時間にあなたはここに来るはずが無いんです。だから私も油断しすぎましたが、あなたがここに来る理由はなにかあったみたいですね」
「つまり、三日前に飯原さんはカードを失くしたということですね。それが何故か女子トイレにあった。これは問題ですね」
「それは偶然じゃないかな。私も見回りはするしね。個室の中に偶然落としたものが入ってしまったってこともあるかも知れない」
「あ、飯原さん。いいですか」
紅は得意になって言った。
「あたし、別に飯原さんの罪を告発するとかそういうつもりは一切ないんです。あたしは『赤いちゃんちゃんこ』の謎を知りたいだけです」
そう言って紅は話を続ける。
「『赤いちゃんちゃんこ』の発端になったのは、三日前に女子生徒が三階の奥から三番目のトイレから血が流れていたのを見たと。それは本当に血だったのかなってことです」
「まさか、それがペンキだったってことね。それを見間違えた」
桃が驚く。
「そう。つまり三日前、理由はわからないけど飯原さんはペンキを持って女子トイレの個室に入った。そして扉を閉めたところで、ペンキをこぼしてしまった。そこで運悪く女子生徒が入ってきて、ペンキを血と見間違えてあの噂が生まれた。これで『赤いちゃんちゃんこ』が完成」
そこまで言ってしまって紅は一息ついた。
「ここまでは全部あたしの妄想です。でも、こんな偶然がおきるなんて、前世からの因果を考えざるを得ないですね」
そう言ってやれやれと首を振った。
「紅、決まったね」
「ありがと、桃。飯原さん、どうでしょうか」
今まで黙って聞いた飯原は、急に笑い始めた。
「はは。すごいですね。概ね正しいですよ。まさかそこまで予想されているとは思わなかったけどね」
「……妙にあっさりと認めるんですね」
「別に変に隠す必要もないからですよ。そう、君たちが言う通り、三日前の出来事だね。一人の女子生徒が忘れ物をしたと言って警備室に来た。正当な理由があれば、私は付添いとして一緒に校内を回るんです。そこで探すのを待っていたら女子トイレの前にペンキが置かれたバケツがあって変だと思ってね、中を見たら誰かが個室に入っていったんで不審者と思って中を見たらだれもいない。その後女子生徒が来たのに驚いて扉を閉めたらバケツが倒れてしまってね。女子生徒が大声出して逃げてしまったというわけだ。職員カードもその時落としたみたいだね」
飯原はそこまで行ってしまって観念したように両手を上げた。
「ほ、ほんとにそんなことがあったんですか? そんなミラクルみたいなことが」
「事実なんだから仕方ないね。その後ペンキを掃除するのは大変だったよ。まさかその出来事が『赤いちゃんちゃんこ』なんて名前で呼ばれてるなんてね」
「この時間に女子トイレに来たのは」
「もちろん職員カードを探しにきたんだよ。自分のカードが女子トイレにあるなんておかしいだろう? だから夜勤の当番の日までまっていたわけだ」
「そんな偶然が重なることなんて……」
「どうやら先生も君たちも呼び寄せてしまったのは私の行動のせいみたいだね。なんというか申し訳なかったよ」
苦笑いする飯原は、頭をかきながら言った。紅には実際に彼の行動がなにかの罪になるとは思えなかった。警察に言えば何らかの操作はされるだろうが、わざわざそれをするほどのこともないだろう。
「じゃあ、お互い今日は何もなかったとして片付けるのはどうですか」
桃が飯原に提案する。
「……そうだね。お互い今日のことは秘密にしよう。小鳥遊先生もこのことはご内密に」
一言も口を挟まずきいていた小鳥遊は、コクリと頷いて少し微笑んだだけだった。
「じゃあ、校門まで行こう。その先の引率は小鳥遊先生にお願いしていいですか」
最終話
校門まで送られた紅達は、飯原とそこで別れた。飯原は言ったとおり今日のことは特に問い詰めないので、お互い何も言わないということとなった。
紅と桃、そして小鳥遊は並んで歩いていた。すでに時刻は二十二時過ぎ。終電はまだあるが、最寄りの駅まで連れだって歩いていた。
「紅、すごいね。あんな少ない手がかりから推理しちゃうなんて」
桃がキラキラした目で紅をみる。
「いや、偶然よ。知らない間に点と点がつながっていたというか、前世から決まっていたと言うか……探偵に向いてるかもな、あたし」
「うーん、それはわからないけど」
照れながらも嬉しそうに言う紅に、桃は言葉を濁した。
「私は、赤石さんの推理素晴らしかったと思うわよ。探偵に向いてるとも思う」
一歩前を歩いていた小鳥遊が声をかける。
「え、ホントですか! どういうところが」
「さっき警備員さんに真実を突きつけてもそれを悪用することなく交渉材料に使ったでしょう。そういう強かさって、探偵に重要な要素だと思うわ」
「いやー、先生にそう言ってもらえるとは。あたし、ずっとこんな経験したかったんです。こんな非日常で、ありえないできごとが起きてしまう。それを推理で解決する。サイッコーでした」
「ほんとに私もぞくぞくしたわ。まさか『赤いちゃんちゃんこ』の真実があんな偶然の積み重ねなんて思いもしなかったから」
小鳥遊は髪をくるくるといじりながら言った。
「先生は都市伝説に詳しいんですよね? だったらもしかしてこんなできごともたくさん知ってるとか?」
「知識だけはあるからね。もし聞きたければ相談室に来ると良いわ。毎週月水金で私は出勤しているから、いつでもおいでなさい」
「やった! 桃も行こう」
「う、うん……」
紅の勢いに気圧されながら桃も同調する。その顔は少し暗かったが、紅がそれに気がつくことはなかった。
あたりがだんだん明るくなってきて、駅前の商店街までやってきた。
「あら、もう駅についちゃったわね。じゃあ、また来週の月曜日ね」
そう言って小鳥遊は手をふると、いま来た道を戻り始めた。
「あれ、先生どうしたんですか」
「ちょっと忘れ物しちゃってね。先に帰っててね」
ひらひらと手を動かしながら、小鳥遊はその場を後にした。
「なんか変だけど面白い先生だね、桃。……桃?」
「え、ああ。うん、そうだね」
隣でうつむいている桃に声をかける。さっきから少し様子がおかしいのに気がついていたが、それは単に疲れているのだろうと紅は思っていた。
「紅」
「ん?」
ガバッと桃が紅に抱きつく。そして思いっきり紅の匂いを吸い込んだ。
「んー、いい匂い」
「なんだよ、桃やめろよ」
桃はひとしきり紅の匂いを吸い込むと開放した。
「はあ……、まあ今日桃を無理やり誘ったみたいな感じだったからな。付き合ってくれたお礼みたいなもんか」
「ううん、全然無理やりじゃないよ」
そう言って桃は紅の手を握った。
「紅のやりたいことは、私のやりたいことだから」
桃の笑顔は、引きつっていた。
ー完ー