• 『エルフと夢を』

  • 蒼生光希
    ファンタジー

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    キラキラネームの高校生が、世界を襲う災厄に巻き込まれる。そこにエルフの美女が現れて……!?前世の記憶を巡る、現代アクションファンタジー!

第1話 

「千年経っても、あたしじゃダメなんですよね」

崩れ落ちた古い石造りの宮殿。玉座の間に置いた棺の前で、あたしはつぶやく。きっと、情けない顔をしている。

故郷から遠く離れた星に流れ着き、追っ手を警戒して移動すること十数回。三十年前から住み着いた宮殿にあたしはいた。床には雨水が溜まったのだろう、ところどころ小さな池ができている。波紋は起きない。崩れた天井から月の光が床に円を描く。

声に答えるものはいない。ここにはあたしの他に、棺の中に横たわる彼女だけ。それも、ずっと眠り続けている。

はぁ、とため息をつく。嫌になる、あたしのこの想い。

やるべきことはわかってる。魔王との戦いに勝利し、世界を救うためにどう動くべきか。

あたしは予言を支える駒であり、決して主人公ではない。冷静に行動しなきゃ。あたしにはその頭も手段も力もある。やれる。それはわかってる。

だけど、駒にだって感情はある。それがたまらなく嫌だ。心なんてなければいいのに。

ふと胸騒ぎを覚え、あたしは棺を背に歩き出す。王の間を抜け、階段を降り、宮殿の入り口へと向かう。ここの天井はとうの昔に崩れたのだろう、吹き抜けた先の夜空に星がきらめいている。

見上げたタイミングを測ったかのように、青い流星が落ちた。
合図だ。方角を確認する。星は極東の国を示した。

――さて、またあの馬鹿を迎えに行かなきゃ。

空間を歪ませ、宮殿に施した結界を抜ける。石畳の広場には、とっくに枯れ果てた噴水の残骸が打ち捨てられている。横目に通り過ぎる。

この星で一番速い馬が欲しい。そう思って、かざした右手から地面に魔法陣を出す。風が起き、木の葉が舞う。静かだった周囲の森がざわめき始めた。

魔法陣を構成する銀の光がまたたく。魔力を込めるごとに、光がいっそう強くなる。

次の瞬間、何も無い空間に音もなく大型バイクが現れた。新品の漆黒のボディ。偶然この髪、そして服と同じ色だ。

彼女が見たら、似合うと褒めてくれるだろうか。

宮殿を振り返る。返事はない。

バイクに跨り、崩れた門までの道を見据える。エンジンをふかす。

「……あの野郎、今度こそ幸せにしないと許さないからな」

静かだった森に轟音を響かせ、鉄の馬を門へと走らせる。

『出でよ、転移の扉』

言葉と共に、門の位置に光の扉が出現する。開かれた先の、真っ白な異空間へ。

あたしはバイクもろとも突っ込んで行った。




















昨日もおかしな夢を見た。もう1週間になるだろうか。夢の内容はいつも同じ。気になって昼間も思い出す。

空がどんよりと暗い。不穏な雰囲気。

俺は白い石の階段に横たわっている。視線は動かせず、鎧に覆われた右手を見つめている。傍らの剣は折れていて、役に立ちそうにない。

赤黒い血がついているところを見るとさっきまで勇ましく戦っていたのだろうか。

しかしもう指一本動かす力さえ残っていない。視界がだんだんと暗くなる。

女の子の泣き叫ぶ声が意識と共に遠ざかっていく。

どうか泣かないでほしい、と夢の中の俺は思う。

白いドレスを着た――あれは。

「――い、おい、永岡!」

俺は我に返った。

「手が止まってたぞ、大丈夫か?」

 晶が俺の前で振っていた手を止める。心配だ、と顔に書いてある。

「……え、ああ、悪い。ぼうっとしてた」

ケータイを握り直す。そうだ、友達の晶の部屋だった。目の前に鮮やかなグラフィックのスマホゲーム。せっかく通信対戦してたのに画面には「YOU LOSE」の表示。

「悪いな、もっかいやろうか」

「いいよ。なんか疲れてるんじゃないか? ほら飲め飲め」

親切な小太りの友人はジュースを勧めてくれた。「食え」とポテチも出してくれる。

BGM代わりにつけっぱなしのTVではボクシングの試合をやっていた。激しい打ち合いで選手が脳震とうを起こしたらしく、中断している。

テーブルの上にはたくさんのお菓子。今日が誕生日の俺に晶が奮発して買ってくれたものだ。いい奴だな、と思う。

ポテチをパリ、とかじりながら俺は再び物思いにふける。目はケータイの画面に釘付けだ。

身が入らないのは夢のせいだけじゃない。こういうゲームの世界観は自分には合わないのだ。

ファンタジーの類は全てそうだ。漫画、アニメ、映画、ゲーム……気になる点を挙げるとキリがない。

「エルフの耳はここまで長くない」

「オークの肌はもっと毛深い。近づくと独特のなんとも言えないニオイがする」

「スライムのぷよぷよ感が足りないしこんな可愛くねぇよ」

そんな、細かいことが気になる。馬鹿みたいだ。

晶がケータイから顔を上げた。

「あのさ、ジュリアン」

「下の名前で呼ぶなよ」

俺の名前は永岡樹里庵。これで「じゅりあん」と読む。いわゆるキラキラネーム。下の名前を呼ばれるのは嫌いだ。

真面目な両親がなんで命名のときだけとち狂ってこんな名前をつけたのか。意味がわからない。ただ救いは俺みたいなキラキラネームは今や珍しくないということだ。「名字か、ジュリって呼んでくれ」と言えばそれで済む。

たまにこうやって晶がからかって呼ぶくらいだ。

「……永岡お前さ、こうやって俺とゲームしてくれんの楽しくていいんだけどさ。中学のときは剣道でいい線いってたって聞いたぞ。高校でやらなくてよかったのか?」

俺はうーん、とうなる。なんて説明したものか。

「……剣道って一対一だろ」

「うん?」

「対戦してると周りから攻められないか気になるんだ、いや、一番気になるのは横かな」

「横?」

「なんか相棒がいないと物足りないっていうか」

「誰だよ相棒って。しかも周りから攻められたら乱闘になるじゃないか、それもう剣道じゃねえよ」

「だろ? 俺そうやって余計なこと考えてるんだ。命を守る戦いってこんなんじゃないよなー、って頭のどっかで思うんだよ。そういうの気になるから高校ではもういいかなって」

「……」

晶の視線を感じて顔が羞恥で赤くなる

「変だとは自分でも思ってるよ」

「……厨二病?」

「かもな」

俺はがしがし、と頭をかいた。

「あー、なんか急に恥ずかしくなってきた。忘れてくれ」

「気にすんな。誰だって第3の目とか力が封印された左腕とか夢見るお年頃だろ」

それもだよ、第3の目って額より後ろについてた方が効率いいし実際そうだよ、なんて言おうと思ったけど。さすがに自分でも馬鹿らしくてやめた。なんだ「実際そうだよ」って。見たことあんのか俺。ないだろ。

今朝の夢みたいなファンタジーがリアルにあってたまるか。

そんな冗談はこのふざけた名前と――この指輪だけにして欲しい。服の上からそれを握る。

俺の首には、チェーンに通した金色の指輪がかかっている。俺が生まれた時に握っていたと聞いた。指輪の内側にはなにやら文字が刻まれている。英語ですらない謎の文字。細すぎてもう指にははまらない。身につけていると安心するので、手持ち無沙汰なときは触るのがすっかり癖になってしまった。

第2話 

 11月の空は暗くなるのが早い。ケータイは18時15分を示している。駅前は帰宅ラッシュと、飲みにいく会社員たちで混雑していた。俺もいつかあんな大人になるんだろうか。

手に持ったビニール袋が歩く度ガサガサ音を立てる。中身は晶からもらったお菓子がつまっていて、明日何を食べるか優先順位をつけていると、スーツ姿の背中にぶつかった。

「あ、すみません」

ところがその人はこちらに目もくれず、固まったようにどこかを見つめている。視線を追うと街頭ビジョンがあった。ひどく慌てた様子のアナウンサーが映っている。次々と横から差し出される紙に対応しきれていない。

「速報です! 世界各地の主要都市で謎の爆発がありました。確認されたのはロンドン、パリ、北京、モスクワ……どんどん増えています!」

画面が忙しなく切り替わる。火に覆われ、煙が上がっているのは、いずれもニュースに出てくるような建物ばかりだ。もれなく火の手が上がり、人々の悲鳴をBGMに壁が崩れ落ちていく。

俺の周りには、足を止めて画面を見上げる人が増えてきつつあった。

「テロ?」と誰かがつぶやく。

「こちらホワイトハウス前です!」

半ば怒鳴るように現地の実況が始まった。

ホワイトハウスが燃えている。向こうはまだ陽も昇っていない。白い壁が真っ赤に照らされ、必死の消火活動が行われている。だが、様子がおかしい。放水があらぬ方向に向けられ、人々が何事か叫び、逃げ惑っている。空を指さす人もいる。その先に。

「嘘だろ」

今まさに星条旗のポールをへし折り、地に向かって炎を吐いている怪物がいる。翼を持つトカゲのような。

「ご覧下さい! 信じられませんがドラゴンです! 『何も無いところから急に出てきた』という証言があります。さらにここには……あっ!」

カメラの映像が乱れる。アナウンサーが必死に呼びかける。

「ああー!」

絶叫と共に画面に血が飛んだ。俺の近くにいた女性から「ヒッ」と声が漏れる。獣のような赤い眼が映り込み、何かを振り上げ、カメラが壊される。

あのシルエットは……狼男?

――やめてくれよ、ハリウッド映画じゃねぇんだから。

これだけ人が多いのに、皆静かに画面を見上げている。人は信じられないものを見ると消化するのに時間がかかるらしい。この場所と、報道されている世界があまりにも違いすぎる。ケータイをいじると、困惑した皆のつぶやきが流れてきた。

「映画の宣伝?」

「ついにファンタジーの時代到来!」

「ヤバいヤバいヤバい逃げなきゃ」

「どこ行ったらいいの」

「エイプリルフールとっくに過ぎてるんですけど」

この街頭ビジョンだけのドッキリでもないのか。日本中がファンタジーな話題でいっぱいだ。

どよめきが聞こえた。街頭ビジョンの映像が乱れている。壊れたのか、と思った途端、キィーン、と耳鳴りがした。

頭がガンガンと痛む。立っていられない人もいる。

『無力な人間たちに、24時間の猶予を差し上げましょう。

予言の少年《《ジュリアン》》を差し出しなさい。おっと! 死体は受け付けませんからお気をつけて。王の楽しみを奪ってはいけません。

差し出さない場合、この星を蹂躙します。どちらを選ぶもお前たちの自由! 既に世界の運命は我が王の手のひらの上です。ヒャハハハ!』

声が頭に響く。ふざけてるとしか言いようがない、ハイテンションな男の声。妙な抑揚をつけて、笑い声を最後にプツンとそれは途切れた。

「今の、聞こえた?」

「ジュリアンだって」

「日本にいないっしょ」

「いたらウケるわ。キラキラネームじゃん、ははっ」

後ろの女子高生たちがしゃべっている。平静を保とうとしているのだろうが、どちらも声が震えて逆効果だ。

恐怖が伝播し、俺の顔を冷や汗が伝った。

そのキラキラネームの奴がいる。ここに。

……いや、でもまさかな。

指輪を握る。

動悸が激しくなる。火災、そして人が襲われる映像。ドラゴンと獣の姿。頭に響いたメッセージ。まるで下手な映画の序章。

ひょっとしたらマジかも、なんて思うんじゃない俺。寝て起きたらリアルが待ってるはずだ。学校行って友達と騒いで、飯食って寝る。そんな繰り返しの日々が。そうだろ?

これは夢だ。ああきっと夢だ。

こんな時は――早く帰って寝るに限る。

そうだろ?

こんな時でも電車は動いていた。非日常に浮き足立った人々が習慣に従い乗り込んでいく。頭に鳴り響いた『24時間の猶予』という言葉と、東京が襲撃を受けていないという点で奇妙な安心感があった。

あれは遠い国の出来事、対岸の火事。印象深い映画を観た時みたいに、時間が経てばきっと元の生活に戻る。自分は大丈夫。とにかく、家に帰ろう。

ただ一人、俺だけは自分の名前が呼ばれたことに動揺していた。車内で誰かが「そいつがジュリアンだ! 捕まえろ!」と言いやしないかビクビクしていた。捕まって、そして怪物の餌食になる。想像すると目の前が真っ暗になった。夢だ夢だと言い聞かせる。

ビニール袋の音が気に触り、リュックに入れる。腕が当たってしまいオッサンに嫌そうな顔をされた。この人は俺の名前を知ったらどんな反応をするだろう。

駅を出てケータイをチェック。「東京駅すごく混んでて遅くなりそう。誕生日なのにごめんね」と母親からのメッセージ。あの男の声を聞いてないんだろうか。こんな時に誕生日のことなんて。

うちまでもう少し。いつもの帰り道がこんなにも不気味だ。街灯の明かりが届かないところから何か出てきそうで早足になる。自宅は駅から徒歩10分。寝静まるには早い時間なのに人気がない。やはりあのニュースの影響か。

「ジュリアン!」

突然、上から呼びかけられた。三階建てマンションの屋上に人影。月光を背にして顔が見えない。

名前を、呼ばれた。それだけだが、俺が走り出す理由には十分だった。

嫌だ、捕まりたくない。白い息を吐きながら急ぐ。リュックの中のビニール袋がガサガサとうるさい。

家まであと少し。角を曲がって、突き当たり。

もうすぐだと思ったのに。

見たくなかった光景が目に飛び込んできた。

怪物の集団。

スライム、ゴブリン、狼男、オーク、その他もろもろ……が、勝手知ったるうちの町内の道路いっぱいに広がり、俺の方に向かってくる。ゲームではない、質量を持った恐怖。

ゴブリンがマンホールの上に足を踏み出し、オークが棍棒で力任せに電信柱を薙ぎ倒し、スライムが触れた鈴木さんちの花壇がみるみる溶けてゆく。

「おい、冗談だろ……」

足がすくんで動けない。やばい。

こんな時はどうしたらいい。警察? 警察で対処できんの?

ケータイを取り出そうとして手が滑り、落とした。

「あっ」

声を上げたときには、スライムが吐いた液がペシャッとかかった。煙をあげてケータイが溶ける。

やめてくれ、機種変したばかりなんだ。

くだらないことが頭に浮かぶ。そんな間にもどんどん怪物たちとの距離は縮まり、腰が抜けて座り込む。すがるように胸の指輪に触れようとして、気づいた。

指輪が光っている。

目が眩みそうな黄金の光が訴える。叫べ、かの者を呼び寄せろと。

意識するより早く、言葉が口からまろびでる。

「エルザ!」

静寂。

敵は警戒し、動きを止めたが。

一秒、二秒、三秒。

何も起きない。

ああもうダメだ。

驚かせやがって。そう言いたげなオークが豚に似た鼻を鳴らす。先陣を切って走ってくる。 

ドスドスと地面を踏み荒らし、独特の嫌なニオイが近づく。棍棒が振り下ろされる。

ぎゅっと目をつぶる。

――夢だろこんなん、起きろよ俺!

第3話

「ギャアアア!!」

悲鳴を上げたのはオークの方だった。

おそるおそる目を開ける。
怪物の体が持ち上げられている。胸を貫いているのは……槍だ。オークは突き刺さった槍ごとブン! と後方に投げられ、怪物の集団に衝突した。

「久しぶりだな」
黒ずくめの美女が立っていた。
SF映画で見るような、顔以外の全身が覆われたライダースーツ。エメラルドグリーンの眼差しが俺を見下ろす。夜風に長い黒髪がなびく。
一番特徴的なのは、耳だ。黒髪の間から生えているそれは、人間にしては長すぎる。

「……エルフ?」
美女は呆れたように顔をしかめた。
「またそこから説明がいるのかよ。めんどくせぇ」
「あっ、あの、後ろ!」
駆けてきた狼男が跳躍し、彼女の背後から斧を振りかぶり――消えた。

ギャン! と叫んで狼男が転がる。美女は長い脚を下ろすと間を開けず、襲ってきたゴブリンを殴り飛ばす。
スライムに向けて指を鳴らすと炎が上がり、ジュッ、と音がして蒸発。

あれって……魔法?

彼女の動きはどんどん速くなる。
殴り、蹴り、燃やして倒す、倒す、倒す。あれだけ恐ろしかった怪物の一団を蹴散していく。駆け回って戦う姿は踊るように華麗に、一分の隙もなく。
もちろん怪物たちも反撃している。しかし全て避けられ、カウンターをくらっている。倒された怪物は黒い塵となって消えていく。
永遠に辿り着けないのではと思った自宅への道が、一人のエルフによって拓かれていく光景を俺は呆然と見ていた。
何者なんだ、彼女。目で追うのが精一杯だ。いやもう目も追いつかない。

集団は完全に総崩れだ。このまま美女の完全勝利、と思いきや一際大きい緑の体躯がゆらり、と現れた。3メートルはあるだろうか。一つ目の巨人、サイクロプス。雄叫びが住宅街に響く。

彼女は後ろに跳びながら下がる。俺の横にあった一時停止の道路標識の柱を掴んだ。まさか。
「ちょっとそれはマズイんじゃ」
「死ぬよりマシだ」
彼女は標識の根元を蹴った。いともたやすく切られる標識。何事かつぶやくと「止まれ」の部分が銀色の光に包まれ、つぶれ、ねじれ、先端が鋭く変形し刃になった。
グッ、と全身を大きく引くと即席の槍をブン投げる。衝撃で風が巻き起こった。
どこにそんな力が。

サイクロプスが払い落とすより速く槍は胸を貫く。巨体が倒れるのを、残り数匹となった怪物たちが慌てて避ける。地響き。俺の手に振動が伝わる。
彼女はこの機を逃さなかった。広げた両手の前に銀色の光が煌めき、コンバットナイフが出現。
敵の間を縦横無尽に駆け抜け、最後にピクピク動いていたサイクロプスの喉を掻き切った。怪物の体は黒くなり、塵となって消え失せる。刺さっていた標識が道路に派手な音を立てて転がる。
住宅街は平穏を取り戻し、突き当たりの自宅が見えた。彼女が髪をかきあげて一息つく。
俺は立ち上がって彼女に駆け寄った。

「助けてくれてありがとうございます! あの、さっき『久しぶり』って……どこかでお会いしましたっけ」
こちらを睨む迫力に圧倒される。見た目が若いのに重々しい雰囲気の佇まいには隙がない。

「これで7度目だ、この馬鹿」
「……は?」
つかつかとこっちに寄ってくる。距離が近い。
「誰かと間違えてません?」
「指輪」
「え?」
「指輪持ってるだろ、それで呼んだだろうが」
彼女はぶっきらぼうに言い放つ。


俺は慌てて首にかけた指輪を引っ張り出した。指輪は未だに黄金の細かい光を放っている。
「ってことは……エルザ、さん?」
「エルザでいい」
彼女の口角が上がり、表情がやわらかくなった。張り詰めた雰囲気が緩み、俺はほっとする。
しかし、この状況は……。

俺は再び指輪を握りしめる。もしかして魔法のランプと同じ原理なんだろうか。エルザと名乗ったこの女性が願いを3つ叶えてくれるとか。こんな手の込んだ夢を見せるなんて俺の頭もなかなか捨てたもんじゃないな、と妙な方向に感心する。
「あの、本当にありがとうございました。じゃ」
帰ろうとしてぐい、と首根っこを掴まれた。
「どこ行くんだ」
「いや家に帰ろうと思って。夢でしょこれ。起きないと」
「いい加減にしろ死にたいのか」
「うっ!」
「か」を言うか言わないかのところで顔を殴られた。グーで。崩れ落ちる俺。頬が痛い。じんじんする。

オーケー、わかった、これは現実だ。
その上であえて言いたい。自分の部屋で寝たい。この現実から目を背けたい。また殴られそうで口には出せないけど。

「せっかく来てやったのに馬鹿なこと言ってんじゃねぇよ」
命の恩人は口が悪い。どうして助けてくれたのか、なんで世界はこんなことになったのか。聞きたいことは山ほどある。
だが一歩踏み出すと、スニーカーの先がサイクロプスに刺さっていた槍に当たった。鋭利な切っ先、重そうな武器。対応を間違えば彼女の力は俺に向かうかもしれない。
いや既に一度殴られた。
「あの……俺、これからどうすれば、いいですかね?」
「姫の元に連れて行く。話はそれからだ」
「姫?」

エルザは右手を地面にかざす。アスファルトに銀の光で描かれた魔法陣が現れた。直径3メートルくらいだろうか。ゲームのグラフィックより何十倍も綺麗で思わず見とれた。
キラキラと立ち上る光の粒子が空中に収束し、大きな光になり――そこに、漆黒の大型バイクが現れた。俺はバイクに近づく。これまでと違う動悸がする。見覚えがある、これは。

「ハヤブサじゃん!」
ネットで見た、時速325kmを叩き出した世界一速いバイク。エッジが効いたイカついフォルム。触れると車体は冷たく、街灯の明かりにボディが艶やかな光を放つ。……かっこいい。
「これ、エルザの!?」
「この星のものだ。召喚しただけ」
「すっげぇ……!」
俺の興奮をよそに、召喚した本人は冷静だった。
「こんなん走ればなんでもいい。早い馬なら長い距離でも転移しやすいってだけだ」
エルザもバイクに歩み寄る。俺はなんとなく彼女の足元を見て――固まった。

第4話 

彼女の影、頭の部分に、一対の目があった。エルザを見ている。にやりと細くなった。
笑った。
ぞくり、と総毛立つ。水面から出てくるように、人の顔が地面から覗く。頭が、上半身が、瞬きする間にすうっとその場に現れていく。
胸の指輪が再び光を増した、と思った時には俺の体は勝手に動いていた。

エルザが振り向く。
俺はそこにあった槍で敵の体を振り抜いた後だった。胴を打ち抜く軌道を描いた、はず。
なのに、間一髪で避けられた。

「おやおや、なかなかのご挨拶ですねぇ」
街灯のスポットライトを受けて恭しく両手を広げる男。教科書で見た西洋の昔の貴族のような黒いコートにベスト、いずれも金の刺繍が入っている。
頭に生えた山羊のような二本の角。硬そうな尖った黒い耳。全身から発せられる禍々しい雰囲気。指輪から伝わる振動が全身に警告する。
こいつは、敵だ。

パン、と乾いた音が響く。二度、三度。
銃声だとわかった時、既に男は民家の屋根に立っていた。まるで瞬間移動。

「ハハハ!」
この声。街頭ビジョンの前で聞いた。あいつだ。ジュリアンを探していると言った、あの声。

「……魔王の手下か。24時間の猶予はどうした」
いつの間に召喚したのか、エルザが銃を構えていた。映画で観たことがある、アサルトライフル。横目で確認して、俺は槍を持つ手に力を込め、腰を沈めた。じりじりと脚を前に出す。
彼女の隣は妙な安心感があった。それは、いきなり動き出した体の違和感を超えるもの。
ああ、そうだ。前にもこんなことがあった気がする。周りを囲まれ、しかし彼女が隣にいたことで存分に力を振るえた遠い過去が。

「おや、真に受けたんですねぇ。あれは我が王へのプレゼントですよ」
「なんだと?」
「猶予を与えると人は安心しますからねぇ。まだ大丈夫だと思っている時に襲われるとひと味違った驚愕、恐れ、そして悲鳴が生じる。どれも我が王の大好物です。今頃お楽しみですよ、きっと」
「クズが」
エルザが銃を打つ。男は瞬間移動する。当たらない。だが。
目の前の空間に、ほんのわずかな紫の光。
気づいた俺は地面を蹴り、槍を光が生まれた地点に突き出した。合わせたかのように男が現れる。
「おや」
槍を薙ぎ払う。
ぼとり。男の右腕が地に落ちる。
血は出なかった。

「……痛いですねぇ。ひどいことしますねぇ! 面白くなってきましたねぇ!!」
声は隣から聞こえた。既に男は左手の剣でエルザに突きかかっている。紫の光を纏った細身の剣の切っ先が、彼女がとっさに構えた銃本体に止められ、2人は膠着状態にあった。――いや。
初めてエルザが圧されていた。足がじりじりと下がっていく。
「くっ……!」
「ハハハ!」
片腕で男は哄笑する。どこかのネジが外れているのか。
「エルザ!」
助けに入ろうとした俺は男の眼光に圧せられた。目眩がする。息苦しい。身動きが取れない。睨むと男はにこりと笑い、さらに瞬間移動して街灯の上に立つ。
力を向ける対象を失い、俺とエルザは同時にがくり、と体勢を崩した。

「――もっとお相手したいのですが、今夜は魔力切れです」
男の剣には斬った右腕が刺さっていた。バーベキューで串に刺さった肉のように。

「これは我が王への手土産にしましょう。お口に合うといいのですが。エルフの姫君の味には劣るでしょうねぇ。ざんねーん」
「お前……!」
姫君、という言葉にエルザが怒気を放つ。
「あ、お前ではなくイアロスと言います。よろしくぅ。はいリピートアフターミー、イアロス!」
指揮棒のように剣を振る。
「ふざけんな殺す」
エルザは取り合わない。銃を撃つ。
「ハハハ! また会いましょうジュリアン、そしてエルフの戦士よ!」
イアロスと名乗った男は高笑いする。足元から消えていき、最後ににこりと笑って――消えた。

エルザが膝をつく。手から落ちた銃が消える。
「大丈夫ですか!?」
駆け寄って背中に手を当てた俺を、彼女はしばらく無言で見つめた。不自然な間。
「――記憶、取り戻したのか」
俺は頭を振る。
「でも、エルザが銃を打ってくれたから観察できました。あいつが瞬間移動するとき、移動先にわずかに紫の光が現れるのに気づけました」
「……ちょっとは勘を取り戻してきたみたいだな」

その体がふらつく。よく見ると腹から出血している。イアロスの剣に何ヶ所か突かれたらしい。
「あの、傷の手当を」
「姫の元に行けば治る。行くぞ」

美女は腹を押さえながらバイクに跨り、エンジンをかける。
「乗れ」
ためらったが、エルザの顔色の悪さに俺は覚悟を決めた。これからどうなるかわからないけど、今は彼女の傷を治したい。そのために必要なら。
槍を捨て、後ろに乗る。
エルフはエンジンをふかし、バイクは唸り声を上げる。

「転移ゲート、オープン」
突き当たり、自宅前の空間に光の扉が現れ、音もなく開く。向こうは真っ白で見えない。

「しっかり掴まってろ」

衝撃と共に、バイクが扉へと走り出す。
日常には今度こそ戻れない、そんな予感とともに俺は彼女と扉の中に飛び込んで行った。その先に、「エルフの姫君」がいるんだろう。

彼女と出会って、その先は?
これは……もしかして俺が世界を救う、というやつなんだろうか。


真っ白い空間に視界を奪われながら、俺はさっきのなんとも言い難いエルザの視線を思い出していた。そこには敵が去った安心だけではない、俺に対する恐れのようなものが見受けられた。

第5話

白い空間は突然終わった。気づくと古びた宮殿前、石畳の広場にいた。バイクを降りる。枯れた噴水が目に入った。
宮殿は森に囲まれ、夜空には星が瞬いていた。空が高く、広い。

「ここは……」

惚けていると背後でうめき声。バイクのハンドルにエルザがもたれかかっている。慌てて彼女を支えて降ろす。その途端バイクが光と共に消えた。
「悪い、奥の部屋まで連れて行ってくれ」


「わかりました。掴まって下さい」

首に手を回してもらい、横向きに抱き抱える。俺とそう変わらない身長のエルフは思いの外軽かった。
息が荒い。大丈夫だろうか。

噴水の広場を通り、建物の中へ。入った途端、一瞬不思議な感覚があった。プールに潜った時のように耳に入る音が鈍くなり、一歩踏み出すとすぐ元に戻る。

「今のって……」

「結界だ」

石造りの宮殿はあちこち苔や草が生え、とても人が住んでいるようには見えない。お姫様とやらはどこにいるんだろう。

まっすぐ進んだ先に、一際大きい部屋があった。玉座の間だろう。ただし奥にあったのは豪奢な椅子ではなく、真っ白な棺だった。

「え……?」
てっきりお姫様が出迎えてくれると思ったのに。

「下ろせ」
エルザが言う。棺の前で彼女を下ろすと、腹をかばいながら起き上がり、棺にすがりついた。
その姿はまるで大切な人の死を悲しむ宗教画のように神々しかった。

「ふぅっ……」
エルザが息を吐く。

棺が光りだし、彼女を包んだ。エルザの力かと思ったが、彼女の魔法の光は銀色だ。棺の光は、俺の指輪と同じ黄金だった。
一呼吸ごとにエルザは楽になっていくようだ。血の気が引いていた顔が元に戻っていく。ほっとした。

「大丈夫ですか?」

「ああ。傷ももうふさがった」

エルザは立ち上がる。さっきまで弱々しくなっていた彼女は、また凛とした雰囲気を纏っている。
これが魔法の力か。

「すごい……」

俺は棺の前に膝をつき、なんとなく表面に触れた。

ただ、それだけなのに。さっきまで白かった棺が、俺が触れたところからさぁっ、と色が変化した。ガラスケースのように透明になっていく。
俺は中の人物に目が釘付けになった。

――なんて、綺麗なんだろう。

棺の中には少女が眠っていた。
その胸は僅かに上下している。生きている。
波打つ長い金髪、真っ白な肌。頬と唇には薔薇色がさし、金色のまつ毛が嘘のように長い。レースがあしらわれたドレスが彼女の高貴さを引き立てている。指輪を通したネックレスをしていた。

とっさに自分のものを確認する。よく似ている。どちらも光を放っている。
指輪を強く握りしめた途端、頭に衝撃が走った。
なんとも言い難い感情の塊が、胸を抉る。

俺は、彼女を知っている。

長い金髪のやわらかさを、白い手に触れるとあたたかいことも。
青と緑が混ざった目が、蝋燭の光に照らされた時、宝石のように煌めくことを。
跳ねた魚にびっくりして、笑った声の高さを。

頬が濡れた気がして触れると、自分の涙だった。なぜ泣いてるのかわからないのに胸が痛む。

「守りきれなかった」
その言葉が頭の中でリフレインする。どんどん大きくなる。

――そう、だから転生を重ねて、使命を果たして、結ばれるために……。




「ジュリアン!」
揺さぶられている。気づくとエルザの顔が心配そうに覗き込んでいた。

「エルザ。あれ、気を失ってた……のかな」
起き上がる。棺は透明のまま、眠る少女――姫の姿が見えた。そこは変わっていないことに安堵する。

「……俺、彼女と会ったことがあります」
エルザはこれまでにない真剣な顔をして俺を見ている。

「そうだ。お前と姫、そして私ははるか昔、共に過ごした。――お前が、忘れてただけだ」

子供に言い聞かせるように一語ずつ力を込めて言う、エルザの強い眼差しの奥が揺らいでいる。過去になにがあったか、彼女は全て知っているらしい。そして俺は忘れていた、という。
とても大切な記憶だという感覚だけはある。

「なんか……すみません、あの」
言いかけた時。

ぎゅるる、と腹が鳴った。そういえばいつもなら夕食を食べている頃だ。しかも本当なら誕生日の豪華な夕食だったはず。

「……ちょっと待ってろ」

さっきまで真っ青になってたとは思えないくらい、エルザはすたすたと歩き出し、宮殿のどこかに消えていった。残された俺は、棺の中の姫を見つめる。
彼女はいつ目覚めるのだろう。
俺が忘れている過去を思い出したら、今世界に起こっていることに納得できるんだろうか。疑問は尽きない。

「こんなもんしかねぇよ」

袋を差し出される。保存食らしい硬いパンと缶詰だった。

「あの、魔法で食べ物とか」

恐る恐る言い出すと、エルフに一瞥された。

「あたしは見たことあるものしか召喚できない。銃やバイクならともかく、お前が望むような食事は大体誰かの腹に収まってる」

「いつもこんなもん食べてるんですか」

「食べなくても魔力で死にはしない」

エルフは栄養ドリンクを飲み始めた。俺の視線に気づいてバツが悪そうに「これは嗜好品」と言う。
それで思い出した。棺の傍に置いていたリュックを探る。中からは晶からもらったお菓子が出てきた。

「なんだ食料持ってたのかよ」

「いや、これは嗜好品というか……食べてみます?」

コーンポタージュ味のスナック菓子を投げてよこす。彼女が袋を開けると辺りにいい匂いが広がった。

「……うまいな」

缶詰には異国の文字が書かれていた。開けて味見するとミネストローネのようだった。硬いパンをつけながら食べる。

なかなか奇妙な絵面だ。落ち着かない。体に染み付いた習慣で何度もスマホをいじろうとして、ないことに気づく。宮殿にはテレビもない。しばらくお互い無言で食事の音だけが響く。
腹が満たされるにつれ、少しずつ気持ちも穏やかになってきた。

食事を終え、さあエルザを質問攻めにしようとしたところで、俺の体に疲労感がどっと押し寄せてきた。ものすごく眠い。エルザが何枚も毛布を投げて寄越した。くるまると暖かい。

「ジュリアン、今夜はさっさと寝ろ。話なら明日してやる。姫はいずれ目覚める。その先、ゆっくり休む暇はないぞ」

「……わかりました。あの、エルザも休んで下さい」

「あたしは寝なくても平気だ」

「そう……」

言いながら瞼が落ちる。

夢を見た。
遠い昔、姫の記憶を。

第6話 

「姫と騎士、運命の二人が試練を乗り越え、再会した時、騎士は魔王を倒す。――エルフに伝わる予言です」

教会を思わせる建物の中に、2人のエルフがいた。ヴェールで顔を覆っている女性が、棺の中にいた少女に教示している。

俺は突っ立ったまま見ていた。声は出ないし体は透けている。姫の記憶を元にした、干渉できない前世だと直感した。

「それが、私?」

鈴を転がすような声。少女は青と緑の混じった美しい目で女性を見つめる。

「ええ。フローレンス様が17歳を迎えた昨夜、星々の予兆がありました。予言の姫は貴女です」

姫は神妙な面持ちで話を聞いている。

「魔王の力は凄まじいと聞きます。ありとあらゆるものを倒す。交渉も降伏も無意味だと。今は隣の大陸が被害に遭っていますが、やがてここにもたどり着くでしょう。

――姫様の類まれな強大な魔力も、魔王と対になっているからこそ。貴女が生まれてから続く豊穣、100人を同時に癒す力も、裏を返せば相手にも同等の力が備わっているからだと私たち神官は考えています」

「戦うのは騎士だけ? 私は?」

首を傾げる姫。可憐な見た目は、争い事から程遠い存在に思えた。

「姫様は聖女です。自らの手で命を奪うことはできません。貴女の力は魔王を倒す騎士に捧げるものです」

「……騎士には、いつ会えるの」

「しばらく時間がかかるかと」

「そう」

姫はテラスに出た。神官も続く。眼下に大きな川がうねるように流れ、いくつもの街や村が見える。近くに王宮、その向こうに小高い丘。
緑豊かで美しい、エルフの国。

「なぜ私と魔王は生まれたのかしら。争いたくないのに」

「神々はこの星に生きる者を試そうとしているのかもしれませんね。

――姫様、予言では今後貴女には試練が訪れるでしょう。私を始め、民の心はいつも貴女と共にあります。そのことを忘れないで下さい」

「ありがとう」
姫は微笑んだ。

場面が飛び、やがて騎士が姫と対面する。
王宮の広間に呼び出されたのは俺そっくりの少年、ジュリアンだった。金髪、美形ぞろいのエルフたちの中で、黒髪で耳が短い少年は明らかに浮いていて、居心地が悪そうに立っている。
浮いている人物はもう1人いた。王の隣、姫の後ろに黒髪のエルザが控えている。
姫は物珍しげに潤んだ目でじっと少年を見つめる。
少年は姫よりもむしろ同じ黒髪のエルザを見て安心したように見えた。

少年と姫は急速に親しくなった。人間はエルフより身分が下らしく、陰口を叩かれるものの、予言の2人を邪魔するものはいなかった。
姫は少年への想いを募らせていく。

王宮を案内し、美しい庭園を見せに連れて行き、エルフの伝承を語る。お礼に少年は遠い国の話を面白おかしく語って聞かせた。彼も姫に惹かれていき、2人が恋に落ちるのにそれほど時間はかからなかった。姫は神殿で祈り、少年はエルフの戦士団に入って鍛錬を重ねる。その合間に2人は逢瀬を重ねた。

エルザはいつも少し離れて姫を護衛していた。
陽の光に煌めく湖のほとりで、姫は少年に語りかける。

「私、これまでも祈りを捧げるとき、民のことを想ってきたわ。でもあなたと出会ってから祈りがさらに深くなったの。人を愛するってどういうことかわかった気がする。世界が違って見えるようになったの。全部キラキラしてる。あなたの存在が世界を輝かせるのよ」

「もったいないお言葉です、姫」

「もう、そんな他人行儀な話し方はやめて、ジュリアン」

「いや、しかし……」

姫の手が少年に触れ、彼は赤面する。

「予言には感謝しています。……本当なら貴女に近づける立場ですらなかった」

「……その予言では、何が待ち受けているかわからないのよ?」

「貴女がそばにいて下さるなら、どんな事でも乗り越えます」

少年は逡巡したのち、姫に宣誓するように言った。

「貴女を愛しています」

時は流れ、いよいよ魔王が近づいてきた。抵抗した一族は魔王に喰われ、吐き出され、意のままに操られる手駒になるという。エルフは国の守りを固めていた。予言の2人への期待はさらに高まっていく。

ある夜、少年は姫を花いっぱいの庭園へと連れ出した。長椅子に置いたカンテラの明かりが互いの顔を照らす。

「予言について神官長から話がありました。俺とあなたは再会する運命にある。だとすれば、一度は別れることになる。……神官長は、死別だろうと言っていました。魔王は2人が再会した後に倒される。それまでに姫が死ぬとは考えにくい。一方人間の俺は、寿命もある。魔王の侵略がなくても、あなたより先に死ぬ」

姫は震える声で反論する。

「嫌……嫌よ。そんな話しないで。寿命の違いなんてわかってる。ほんとうは予言も魔王もどうでもいいのよ」

「姫」

「ひどい子でしょう?」

「そんなことは」

「ただあなたがいればいいのよ……ジュリアン」

涙がこぼれ落ち、姫は両手で顔を覆って静かに泣き始めた。少年は彼女をそっと抱きしめる。

「俺、貴女と再会するために、転生します」

「……え?」

「約束します。貴女の前に、必ず現れる。神官長が言っていました。今の俺は姫の力を受け止める器ではない、人間の人生1、2回では見合わない。転生することが試練だろうと。俺は貴女にふさわしい騎士になるため、何度だって生まれ変わってみせます。一緒に魔王を倒しましょう。……そして役目を果たした後は、予言の2人ではなく、ただのフローレンスとジュリアンとして生きましょう」

2人は見つめ合い、お互いを強く抱きしめた。

俺の胸にこの時の心境が蘇った。
正直不安だった。戦う術をどれだけ磨いても魔王を倒せる自信にはならなかった。
だが姫の前では虚勢を張りたかった。頼りがいのある騎士になりたかった。全ては姫のため。彼女への想いが、胸にじんわりと広がっていく。

少年は姫に指輪を渡した。
「再会した時にお互いの指にはめましょう」と。

姫は喜び、「私たちを導いてくれるように」と、力と祈りを込めてくれた。
それから程なくしてエルフの国は襲われた。
急襲だった。ドラゴンの炎が退路を塞ぎ、惑う民に魔王軍が襲いかかる。
俺の頭に街頭ビジョンの映像が浮かぶ。まるでデジャヴだ。
姫は王宮にいた。俺とエルザは近くの丘で手合わせ中に魔王軍に囲まれたが突破し、姫の元へと駆けていった。
戦士団に守られ姫は無事だった。

「ジュリアン!」

「姫!」

俺は彼女の手を取る。

「神殿へ!」

エルザが先導し、隠し通路を抜けていく。

神殿前に一行が出た時、既に魔の手は迫っていた。喧騒の中、後続の守り手たちが次々と倒されていく。姫が癒しの祈りを捧げようとするが、立ち止まる暇はなかった。一行は必死に逃げた。

神殿前の階段で敵に追いつかれた。果敢に戦うも、飛んできた矢が脚に刺さり、少年は覚悟を決めた。

「エルザ、姫を頼む!」
奮迅し、持てる力全てで敵を押し返す。遠くで姫がやめて、と泣き叫ぶ。

その時、神殿から神官たちが出てきて防御魔法を唱えた。神殿の階段、下の広場へと魔法の紋様が浮かび上がり、魔王軍が門まで押し戻されていく。

「ジュリアン!」

エルザを振り切って、姫は少年の元に駆け寄った。少年にはもうその姿も見えない。死がそこまで来ている。

「……生まれ変わって、貴女に会いに来ます。さよなら、姫」

少年の体にすがって動こうとしない彼女をエルザが引き離す。
泣き声が遠ざかる。そう、それでいい。

「約束よ、ジュリアン!」

最期に愛しい人の声を聞いて、少年は死んだ。

第7話 

アラームが鳴らないな。

そう思って目を開けると、見覚えのない天井が遥か上にあった。鳥の声が聞こえる。

「そうか、ケータイ、スライムに溶かされたんだっけ……」

自分で言ってて内容がおかしい。昨夜からの出来事が思い出される。やっぱり夢じゃなかった。
エルザが見当たらない。俺の横に、棺の蓋だけが置いてある。

物音がして棺の方を見ると、今まさに姫が半身を起こしたところだった。
「ジュリアン……?」
俺を呼ぶか細い声。スローモーションのように長い髪がふわりと広がる。朝の光が壊れた壁から射し込み、金髪と美しい目をさらに輝かせる。

その目にみるみる涙が浮かび。
「ジュリアン!」
彼女は棺から出て、俺を抱きしめた。ふわりと花の香りが漂う。
愛しい人。全て思い出したわけではないけど、それだけはわかる。抱きしめ返すと確かに体温があって、俺は泣きそうになった。

こんなに大事な人を、忘れていたなんて。

「……姫、俺思い出しました」
「会いたかった……ずっと」
俺は姫の涙を拭った。互いに微笑む。

「ずっと眠っていたんですね。体はなんともありませんか?」
制服のブレザーを脱いで姫にかける。

「大丈夫よ。……あなた、時が経って服装が変わっても、中身はちっとも変わってないのね。昔も私の事ばかり気にかけてくれた」
そして姫はブレザーを掴み、「あなたの匂いがする」と頬を赤らめた。俺は胸がつまって何も言えない。

再会の喜びに満ち溢れた、平和なひと時。
遠くからの大きな音で、それは終わりを告げた。
武器がぶつかる音、銃の音。魔物たちの唸り声。

――エルザが戦っている。

「様子を見てきます」と立ち上がると服を引っ張られた。
「もう離れたくないの。連れていって」

ためらったが、姫の眼差しに負けた。彼女を抱き抱えて入り口へと走り出す。身のこなしが前世を思い出した影響で俊敏になっている。
俺たちを引き裂いた魔王への怒りがふつふつと胸に湧き起こり、何でもできそうな気がした。

階段を降り、噴水の広場へ。
広場には土煙が上がっていた。既に戦いは終わったらしい。

「エルザ! 大丈夫!?」
「当たり前だ」
エルザは健在だった。こちらに背を向けてマシンガンを構えている。剣道でいうところの残心だろう。

「今のは斥候だ。居場所がバレた。すぐ次が来るぞ」
土煙が収まり、やっと振り返ったエルザの目が見開かれる。

「姫! 目覚めたのですね!」
「エルザ」
俺は姫を降ろした。銃を投げ捨て、エルザが姫の元に走り寄る。片膝をついた。

「お久しゅうございます! よくぞ……ご無事で」
そこまで言って、泣きそうになるのをグッと堪えているようだ。
「あのまま目を覚まされなかったらどうしようかと……」
姫を見上げる視線は、これまでになく優しい。
「心配をかけたわね。今戻ったわ、エルザ」
「はい……! お帰りなさいませ」

感動の再会に俺は目頭を熱くしていたが、次の瞬間、頬への衝撃でよろめいた。
エルザに殴られたのだ。またしても。
「いった……」
ご丁寧に昨日とは反対側の頬だ。なぜ。

「馬鹿お前、なんでこんなところに姫を連れてきた! 危険極まりないだろうが!」
「うう……」

反論しようとしたが小さく唸ることしかできなかった。さっきまで勇んでいたのに情けない。
「エルザ怒らないで、私が頼んだの」
「そうでしたか」
急に大人しく納得顔になるエルザ。切り替えが早い。

「エルザ、俺に対する態度と全然違うんじゃないか?」
「うるさい自分の胸に聞け」
前世でも今世でも共闘した仲。そう認識して話し方も昔のそれに改めた。だけど彼女は相変わらず俺に手厳しい。

過去になにかしたんだろうか。
前世の、姫との記憶は戻ったというのに。
なんだろう、なにかが足りない気がする。

「エルザ、俺、姫と過ごした前世を思い出して、それで」
「おしゃべりは後だ。――来るぞ」

夢に見た前世を語ろうとしたが、エルザは構わず召喚魔法で剣を出して渡してきた。抜くと前世で使っていたものに近く、手に馴染んだ。
彼女が立っている向こう、晴れていた空が、門の方角から急速に灰色の雲に覆われていく。

「ジュリアン」
「はい」

振り返ると姫が俺を見上げていた。愛らしい顔。その瞳に決意があった。

「時がきたわ。力を授けます。――指輪を」
姫と俺は、ネックレスに通していた指輪を外す。

「指輪を交換し、魔力の回路をつなげます」
俺から指輪を彼女の指にはめる。戸惑っていると左手の薬指を差し出された。姫も俺の手に指輪をはめる。

「ふふ、これで私の力はあなたのものよ」
姫は心底嬉しそうに微笑む。まぶしいくらいだ。

「あ、ありがとうございます」
鼓動が鳴り止まない。これから敵が襲ってくるというのに、まるで結婚式だ。

2人の指輪が黄金の光を放っている。

「魔法を使いたいときは指輪に念じて。私が形にするわ」

俺は頷く。
姫の顔を見て、新たな覚悟を決める。
ゲーム、映画で触れてきた物語。姫を救い、魔王を倒し、平和をもたらす主人公のように。

「俺、守りますから、今度こそ」
今度こそ、彼女を守り抜く。二度と悲しい顔はさせたくない。

「私も、あなたを守るわ」
姫は宮殿の奥へと手を伸ばす。瞬きする間にさっきまで眠っていた棺が宙に現れた。姫の口から歌のように呪文が聞こえる。棺が無音で粉々になり、風と光と共に俺の全身を包む。


「これは……」
金の縁が目立つ、中世の騎士のような形の赤い鎧。
「私を千年もの間守ってくれた、世界に一つの棺。それを元にした鎧よ」
体を動かしてみる。軽い。これも魔法の力か。

「でも、姫を守るものが」
言った時、宮殿を囲んでいた空間が歪んだ。結界だ。大きく形を変え、姫をシャボン玉のように包む。白い指が膜に触れた後、きょとんとした顔が笑顔に変わった。

「ありがとうエルザ」
「姫はその中にいて下さい」

エルザはこちらを見もしない。   
すっかり暗くなった空が不気味だ。黒い霧が立ち込めて門が見えなくなる。寒い。重苦しい雰囲気に息がしづらい。

まさか。

「おや、姫が目覚めましたか。ご機嫌麗しゅう。これで姫と騎士を一度に葬ることができます。いやぁ実に都合が良い! 拍手! おっと片腕がないんでした! ざんねーん!」

魔王軍ではない。イアロスだ。霧の中からニコニコと笑い歩いてくる。霧が晴れる。その後ろに現れたモノに、俺は目を奪われた。

――あれが、「魔王」?
とてつもなくでかい狼だと、最初は思った。次によぎったのは「禍々しい」という言葉だった。


見上げる程の黒い化物。長身のイアロスがミニチュアの人形のよう。
獣にしては輪郭がおかしい。
俺は硬そうな脚を注意深く見つめた。毛が生えているのか、いや。
歪な輪郭の正体に気づいてぞっとした。

それは、突き刺さったありとあらゆる武器だった。
剣が、斧が、槍がくい込み、鎖が巻きついている。それは脚から上へと続き、魔王の全身に残されていた。
だが、持ち主はいずれもここにいない。 
昔は輝いていただろう武器は一本残らず黒く変色し、魔王の一部と化していた。戦いに敗れた戦士たちの無念の叫びが見えるようだ。

もはや門は見えず、広場へと続く道の両脇の木々は恐ろしい魔物の王によっていともたやすくなぎ倒されていく。動く度、鎖の音がジャラジャラと聞こえる。
仰ぎ見れば、顔には何十、何百と赤い目があった。どこを見ているかわからない。

――あんなものを、倒す? 俺が?

強大な存在を前に、俺は動けない。  姫は怯えていないか、いや振り返ったらその隙にやられるのでは。恐れが体を強ばらせる。

第8話 

魔王がゆっくりと頭を下げ、口を開く。乱杭歯の間から黒い泥が流れ出し、地に落ちて広がる。そこからスライムが、ゴブリンが、狼男が、オークが立ち上がり赤い目を光らせながら向かってくる。

イアロスは怪物たちを従えるように前に出た。優雅な手つきで魔王を指し示す。

「ご紹介しましょう! こちらが魔王です! 巨悪の権化、世界の災厄、滅亡の象徴! 今こそ予言を覆し、全ての星に君臨し」

イアロスが言いきらないうちに、耳をつんざく銃撃音。エルザのマシンガンだ。
彼女の魔法、銀の光が弾道を描き、魔王軍に向かう。悲鳴と土埃が上がる。だが、さらに泥が落ち、軍勢が増える。キリがない。

「馬鹿、早く行け!」

装填の合間の声で、俺の脚はようやく動いた。

――エルザが戦っている。俺のために、また道を拓こうとしてくれている。

全速力で走る。一歩ごとに速度が増す。勢いをつけて、襲い来る魔王軍を飛び越える。体験したことのない滞空時間。前世で聞いた声がフラッシュバックする。

『戦う時はまず相手を知れ。どんな武器を持っているか、どう動くか。ただし悠長に観察してる暇はないぞ、戦いながら学べ』

エルザだ。そうだ、戦い方は最初に彼女から習った。
着地し、さらに走る。魔王を見上げた。

――あそこまで届くためには、翼でもないと。

思った時には、背中に光の翼が生えた。「飛びたい」と思うだけで叶う。そこに姫の存在を感じる。心強い。
俺は真上に飛んだ。耳元で空気を切る風の音がする。もっと高く、魔王より高く。
やっと全身が見えた位置で抜刀する。剣は黄金の聖なる光を纏う。優しくあたたかい、姫の髪と同じ光。
瞬間、てんでばらばらの方向を向いていた魔王の目が一斉にこっちを向いた。敵意がビリビリと鎧から伝わる。
頭をもたげ、その口から黒い霧が広がり、中からドラゴンの群れが向かってくる。怖い。
怖いけど、やるしかない!

「あああああ!」

最初の1匹をすれ違いざまに切り捨て、続けて2匹、3匹。昨夜のエルザの無駄のない動きを思い起こす。炎を吐かれるもなんとかかわして斬る、斬る。
戦いながら思考する。相手を知れ。考えろ。
このままたどり着いても魔王の皮膚は硬い。変色したおびただしい数の武器が、その有様を語っている。何か手を考えないと、俺とエルザの武器があの葬列に加わるだけだ。ゲームだったら攻略サイトで弱点がわかるのに。

ああ、余計な思考がすべて邪魔だ。
背後に気配を感じて、振り向きながら一閃する。翼を斬られたドラゴンが落ち、消えていく。
集中しろ、俺。先人の絶望を学ぶな。倒そうとした遺志から学べ。
武器は刺さっている。弾かれてはいない。無駄な攻撃ではない。そしてさっきの反応からするに、この黄金の光は魔王にとって脅威だ。きっと届く。

歯を食いしばる。魔王はもうすぐそこだ。

どこを斬る?
どうやって倒す?
考えろ、考えろ!

最後の一匹を倒すと、魔王は黒い霧を吐くより先に巨大な口を開けた。鎧ごと噛み砕けそうな鋭い歯が迫る。

――食べられる。いや……。

俺は半回転し、頭から光の速さで口の中へと飛び込んだ。間一髪、後ろで歯がぶつかり、激しい音を立てた。
口内は暗く、きつい臭いが充満していた。剣の光があたりを照らす。高校の教室を二つぶち抜いたほどの広さ。足元にぶよぶよとした感触。魔王の舌だろう。
舌が異物を捉えようと動き出すのを斬る。勢いよく赤黒い血が流れ出す。やはり、外皮よりは弱い。しかし俺の狙いは違うところにある。
剣の光で、凸凹した並びの歯を見つけた。そこを目がけて走る。走りながら攻撃をイメージ。

――力を込めた剣先の衝撃を、遥か先に届かせる!


歯を足場に、ダン! と思い切り蹴る。身を翻し、翼の威力を勢いに上乗せする。
その場の天井――口蓋に光を増した剣先を向けて。力を全て込める。

「届けぇー!!」

その先の、脳髄をドン!! と突いた。

ほんのつかの間、視界が攻撃の余波、黄金の光でまぶしくなった。すぐに暗くなる。
口蓋は斬れなかった。だがこれでいい。突いた遥か先の脳を、聖なる光で揺らすことができれば。
静寂の後、恐ろしい咆哮が全身を打つ。口が開いた隙に俺は脱出した。耳鳴りがする。
眼下でエルザとイアロスが戦っている。エルザを助けたいのに、攻撃の反動で全身に疲労感があった。飛ぶ速度が落ちている。

遠くには一等星のような光――姫は無事だ。

ヒントは、晶の部屋で流し見ていたボクシングの映像。アッパーカットを食らって脳震とうを起こし、倒れる選手。
巨大な体、数百の目。「姫を味わう」と言ったイアロスの声。魔物といっても、獣のような器官を持つ以上、そこには必ず神経が通っている。脳がある。拳を剣に代えてそこを突いた。
光の翼が突然消え、俺は墜落した。すぐさまエルザの加勢に向かいながら、魔王の様子を窺う。
魔王に刺さっていた無数の武器は楔となり、内側から黄金の光が亀裂をつないでいく。次々と全身に伝播し――巨体は爆ぜた。

しかし。
イアロスはエルザの攻撃をいなしながら余裕の表情だった。

「なかなか考えましたねぇ……ですが、なんといってもまぁ、『魔王』ですからねぇ」


依然として暗い雲の下、飛び散った魔王の欠片は静止し――粉々になった後、地上の一点に集約し始めた。


現れたのは、電柱ほどの高さの戦士。黒い鎧に黒い大剣を背負い、兜で顔が見えない。棘のついた尾が鞭のようにしなり地面を打つ。
本能が、あれは魔王の「核」だと告げる。

「そんなん、アリかよ……」

俺は地を蹴った。走り込んで剣を構え――魔王にたどり着く前に、見えない壁に弾き飛ばされた。全身に鋭い痛み。結界だ。
何度打ち込んでも破れない。剣の光が弱まり、俺は攻撃をやめた。

――これじゃ、無理だ。


「馬鹿!」

エルザの声。気づくと、細身の剣がすぐそこにあった。イアロスだ。

「よそ見は感心しませんねぇ!」

切っ先が、俺の、心臓に。


「ぐっ!」

ガシャンと鎧が鳴る。倒れた。刺されてはいない。

「エルザ!」

遠くからの姫の声に、はっと意識を戻す。イアロスがエルザの体を蹴飛ばしたところだった。受け止め、のぞき込んだ顔には血の気がない。
俺をかばったのか。

「エルザ!? おい、しっかりしろ!」

「うる……さい、はやく、ひめとにげろ……」

「でも」

「ジュリアン」

俺の鎧に小さな手が触れた。姫だ。

「――引きましょう。今の私たちでは倒せない」

敵を見る。
魔王が、大剣を抜き振り下ろした。地面が割れ、衝撃波が俺たちに襲いかかり――。

「転移」

姫の声が、やけにはっきり聞こえた。
目を開くと荒野だった。赤みがかった土地がどこまでも広がっている。

「ここは……」

「人がいない場所を選んだわ。早く治癒しないと」

エルザの胸に姫が両手を当てる。みるみるうちに顔色が良くなっていく。

「すごい……」

俺の感心をよそに姫は落ち着いていた。

「魔王が追ってくるわ。それまでにあなたの力を完全なものにしないと……本当なら魔王を倒せていたはず」

俺は拳をぎゅっと握る。

「すみません。……どうして倒せなかったんでしょう」

「何かが足りない気がするの。……あ、エルザったら、まだ」

「治りました」

エルザが姫を制し立ち上がる。支えようとして顔を見て、また殴られるかと思った。そのくらい険しい顔だった。

「……お前、あと何をしたら全力が出せるんだ」

両肩をつかまれ、揺さぶられる。

「千年も待たせて、このザマか!」

これまで冷静だったエルザが、取り乱している。彼女の怒りが、俺の胸に刺さる。

第9話 

「やめて!」

「いいんです、姫。エルザは、ずっと戦ってくれていた。……俺が不甲斐ないだけです」
エルザは無言で俺を突き飛ばした。

千年。想像しても重みは測りきれない。
予言を信じて彼女は待っていた。俺と姫が再会すれば魔王は倒せると信じて。それなのに俺の力不足で、がっかりしたはずだ。
でも、どうすれば。


「――エルザ、あなたの記憶を彼に見せてあげて」

姫の唐突な提案に俺たちはぎょっとした。当の本人は自信に満ちた顔をしている。

「あなたは前世からずっと私と、ジュリアンと共に過ごしてきた。7度の転生も見守ってきた。きっと……最後の鍵はあなたの記憶よ」

「……」

エルザの様子がおかしい。姫の頼みならすぐ聞き入れそうなものを押し黙っている。瞳の奥に以前見た、恐れで揺れる感情があった。

「お願い……世界を救うために」

エルザは、恐れと、切なさ、怒りが入り交じった複雑な表情をしていた。真一文字に結んだ唇から思いがこぼれることはなく、逡巡した後、頷く。

「姫の、願いとあらば」

「ありがとう!」

「ありがとうエルザ……すまない」
俺がそう言うと、

「お前のためじゃない、姫のためだ」
俺に怒りを向けたまま、エルザは吐き捨てた。

姫は俺たちを跪かせ、両者の額に手を当てた。
つかの間、俺たちは見つめ合う。

「これで姫と世界を守れなかったら、あたしがお前を殺してやる。……いいか、一つ約束しろ。
秘密を守れ」

意味はわからないけど、それがエルザにとって大事だということは伝わった。俺は誓う。

「約束する」

姫の手を通じて、エルザの過去、そして想いが俺の中になだれ込んでくる。

俺は再び、前世の傍観者になる。


「ねぇエルザ、私、運命の相手がいるんですって!」

神殿からずっと深刻な顔をしていた姫は、自室に入るなり、ぱあっと顔を輝かせて言った。

「誰ですか」

「それがね、教えてもらえなかったの。まだわからないって」

喜んだりふくれたり、姫の表情はころころ変わる。一通り話を聞いたエルザは眉をひそめた。

「そんなに喜ぶことですか。世界の命運をかけた予言になど関わらない方が良いのでは」

「エルザったらいつも冷めてるんだから。ねぇ、運命の相手がいるって素敵じゃない? 心が躍るわ! きっとどんな試練もその人となら乗り越えられるのよ!」

姫はくるくると部屋の中を回る。花が咲くようにドレスが広がる。エルザはその様子をじっと見ていた。

しばらくして、予言の騎士が判明してからは全てが一変した。姫も少年も、その日を境に顔つきが変わった。力を増していく。
やがて2人は仲睦まじく過ごすようになった。
エルザはいつも少し離れて護衛していた。

少年と会った後の姫はいつも頬を薔薇色に染め、暗い夜でもきらきらと輝く光をまとっている。一方護衛の表情は、姫と対照的に暗かった。

いつもの丘。エルザはジュリアンを呼び出した。

「話って、なに」

「予言の時が近いと聞いた。――手合わせ願おう」
言うなり斬りかかる。

少年は戸惑いながらも打ち返す。

「エルザ、俺なにかしたか?」

「これは八つ当たりだ。――あたしの大事なものを、お前は手に入れた」

「大事なもの……?」

「あたしは姫を愛している」

少年は目を見開き、反応がやや遅れた。弾かれた剣が転がる。

「わかってる。お前に当たったって事態は変わらない。今更姫の心があたしに向かうことはない。
でもせめて戦ってくれ。全力で。それでお前が勝てたら、あたしの気持ちに踏ん切りがつく」

「……エルザ」

少年は迷いを見せたが、ややあって剣を拾い、構え直した。決意を瞳に、彼は駆け出す。
しばらく打ち合った後、エルザは倒された。喉元に少年の剣先が当てられる。

「あたしの負けだ。姫を幸せにすると誓え。今誓え。……誓え!!」

まるでエルザの方が勝者のような、強い口調。

「……わかった。誓う」
少年はエルザの涙から目を逸らした。


運命の2人が庭園で将来を誓い合った次の夜。エルザは神殿に呼び出された。神官長が、威厳に満ちた顔で広間に立っていた。真っ白なローブ、手には大きな杖。エルザは跪く。

「我々は予言に全てを託すことにした。可能な限り魔王の手の届かない聖域に民を収容する。来るべき時に備えて眠り、魔力を姫に送り続ける。エルザ、お前は……」

「わかっています」

聖域は神殿の地下にある空間。エルフしか入れない。

「すまぬな。我々が身を隠す間、お前には頼みがある。――ジュリアンを守って欲しい。彼は人間だ。フローレンス様の莫大な魔力を受け止めるには転生を重ね、力をつけなければならん」

「転生を……重ねる?」

「そうだ。1回や2回では足りぬ。転生した少年が17歳を迎えたら合図を送る。少年が17になり姫と再会したら、運命の歯車は再び動き出す」

「その転生は……いつ終わるのですか。彼が魔王を倒す切り札となるのはいつです」

「我々の予測では、転生できるのは7回までだ。それまで姫の棺を守り抜け。あれは特別製だ。お前は魔力の恩恵を受けられる。

本当なら魔王の手が届かない聖域に置いておくつもりだったが……先程、姫に聖域に入ってもらおうとしたところ激しく抵抗された。再会は約束されているのに、騎士の最期を見届けるというのだ」

理解出来ぬといった様子で神官長は頭を振った。

「――なぜあのような幼い姫が予言に定められたのか、王が心配されるのも当然だな」

「そうでしょうか」

言ってエルザはしまったという表情をした。従順な戦士の発言に神官長は驚きつつも、続きを促す。

「あの2人は17になったばかり。私から見ても確かに幼い。ですが」

エルザはしばし沈黙し、再び口を開く。

「心を通わせ、成長する姿は我々にない、熱いものを感じます。エルフは長命であるがゆえに時を持て余しがちです。ジュリアンが毎日鍛錬するのを『どうせエルフより早く死ぬ』と冷ややかな目で見る者もいます。しかし翻ってその者はまるで成長していない。生涯の尊さとは、単純に生きた長さで推し量れるものではないと思うのです」

神官長はエルザが熱を持って話すのを、押し黙って聞いていた。
やがて口を開く。

「……お前がそのように饒舌にしゃべるとはな」

「申し訳ございません。口が過ぎました」
神官長は構わず、王宮の方角を仰ぎ見た。

「ふむ。混血のお前が、2人をつなぐ架け橋のように共に生きているのは、運命なのかもしれんな。今、エルフ史上最強の戦士はお前だ。我々は姫を通じてお前を支えよう」

「ありがとうございます」
神官長は目を細めた。

「確かにあの2人はまぶしい。私もいたずらに歳を取りすぎたのかもしれぬ」

下がれと言われ、エルザは深く礼をして、その場を辞した。


そして、運命の2人が引き裂かれたあの日。
愛する少年の亡骸を置いたまま神殿へと連れて行こうとすると、少年の名を何度も叫び、姫は気を失った。エルザはその涙を指先でそっと拭った。

姫は生き残りのエルフたちによって棺に寝かされる。エルザに後を任せ、彼らは聖域へと去った。黒い棺を名残惜しく撫でていたが、そのうち敵が入ってきた。エルザは姫の棺とともに異空間に転移し――そこから千年の逃避行が始まった。

幾度も陽は沈み、幾度も月は欠け。
エルザは姫の想い人を待ち続けた。

魔王軍にかぎつかれる度に殲滅し、転移を重ねた。姫の棺はいつでもエルザを癒す。聖域に眠るエルフたちも、力を送り続けてくれている。愛しい人の顔が見えなくても、いつか少年が蘇り、旅が終わると信じていたから頑張れた。

最終話 

少年を待つ間、鍛錬を重ねた。その時ふさわしい姿で世界に溶け込み、傭兵として戦場に出た。武器に魔力を上乗せする術を編み出した。
剣で斬り、銃を撃ち、戦闘機で空を駆けた。
死ぬ訳にはいかない。時には仲間を見捨てた。仲間より、未来で目覚める姫をとった。

少年が転生して2回目まではこちらの話も通じた。しかし予言は魔王軍にも知られていた。17歳を迎え、合図の星が落ちてすぐ殺されることが続いた。
3回目は違う星に転生した。故郷から遠ざかったせいか、前世の記憶をなくしていた。
4回目は姫の棺を前にして、再び魔王軍に葬られた。5回目は徴兵されていて、戦いの中死んだ。6回目は病で死んだ。姫の元に連れていくことすら叶わなかった。

墓地の前で、エルザは怒りをぶつけた。

「なんでお前は人間なんだ。なんて脆いんだ。なんで覚えてないんだ。誓ったじゃないか!」

毎夜、空を見上げる。7度目の星が落ちる。今度こそ。

「ジュリアン」

声をかけると逃げられた。舌打ちして追いかけ、ついにやり遂げた。姫の元へ連れてこられた。指輪の力で棺が透明になる。エルザは愛しい人の姿を千年ぶりに見た。一晩眺めて過ごした。

翌日、少年の朝食を用意して王の間に入り――エルザは固まった。
姫が目覚め、少年と抱き合っている。愛する人しか見えていない、感動の再会。

エルザは逃げ出すように外に出た。噴水の広場で声をあげて泣いた。
結界が揺らぎ、嗅ぎつけた魔王軍が現れた。

そこまでエルザの記憶を見て、俺は目覚めるものだと思っていた。秘密――彼女の姫への愛を知り、約束を果たすために目覚めるのだと。

違った。
エルザの記憶が鍵になり、俺の前世が全て、鮮やかに呼び起こされた。

山村で、砂漠で、渓谷の村で。
俺は生きてきた。親に愛され、友に囲まれ、どの時代でも剣術を磨いた。
涙が出るくらいに懐かしい日々。
満足に食事をとれないときも、長く病床にいた人生もあった。
それでも、ずっとずっと、生きたかった。

魔王に刺さった無数の黒い武器を思い出す。
予言がなくても、力が及ばなくても、皆きっと、愛する人達のため、愛する世界のために戦った。生きたかったはずだ。
あの武器は、負けた証ではない。最期まで希望を捨てなかった者があんなにもいたという証だ。だから魔王の外殻を破ることができた。

心の底から、力が湧いてくる。
もう怯える暇なんてない。
長い戦いに終止符を打ち、新たな未来を切り拓くのは、俺の役目だ。

姫との愛、エルザとの誓い、平和を願い、散った戦士たちの想い、全て守りたい。
いや、守ってみせる。
俺が、やるんだ!

時は来た――目覚めろ!


「ジュリアン!」

伸ばした右手を姫が握っている。鎧が赤から黄金に変わり、全身を光が包んでいる。力を感じる。

エルザは既にイアロスと戦っている。
その向こうに、黒い霧が生じ――今、魔王が現れた。手を一振りすると、魔王軍が次々生まれ、エルザを取り囲む。





「エルザ!」

「いいからお前は魔王を倒せ!」
ジュリアンに怒鳴った途端、あたしの頬を剣がかすめた。血が流れる。

「どうしました? 腕が落ちたようですねぇ」

「それは貴様だろ」

「ハハハ! 違いない!」
片腕のイアロスは哄笑する。

「少年が覚醒して、いよいよ貴女の出番はなくなりましたねぇ!」
ぴた、と手が止まる。まさか。

「そうでしょう戦士よ。お前はあの姫に恋焦がれている。予言の仲間外れ」
にやり、と敵は笑う。

知られた。あたしの秘密。あたしの想い。よりにもよってこいつに。

「想いは届かないのに哀れなものですねぇ! 千年! 千年も姫を守っておきながら報われないとは! 哀れ哀れ!」
ゲッゲッゲッ、と魔物たちが嘲笑う。
視界が歪む。全身に満ちた魔力がぐつぐつと沸騰するようだ。余計な力が入る。よくないと分かっているのに。

「愛しの姫様が知ったら、どんな顔をするでしょうねぇ」
にやり、と悪魔は笑う。

「黙れ……黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ!!」

あらゆる武器を召喚し、攻撃する。笑い声が瞬間移動する。ああ、魔王軍が邪魔だ。視界の端に、叫びながら必死に結界を押し切ろうとしているジュリアンが映る。手には神々しい黄金の大剣。結界にヒビが入りつつあった。
その隙にイアロスは姫に迫っていた。ジュリアンの方に両手を伸ばし、魔力を送り続けている姫。あと数秒もすれば剣先が届いてしまう。
気づいた姫のおびえる表情を、あたしは見た。

――そんな顔をさせるためにあたしは頑張ってきたんじゃない。貴女の頼もしい守護者であるために、ここにいる!

全てが一瞬で起こった。止めようとする魔王軍を一掃し、翼は光の速さで姫の元へと飛ぶ。背後で、結界の割れる音がした。振り返るイアロス。アサルトナイフが、その首を刈る。

「ばかな……」

「あたしの姫に手を出すな」

イアロスの全身が黒く染まり、消えた。すぐさま姫を残して舞い戻る。
魔王はあの馬鹿にしか倒せない。その他は、あたしが。
雄叫びをあげて駆ける。

「エルザ」
優しい呼びかけに目を開けた。気を失っていたのか。魔王軍は消え失せていた。

「見て」

騎士が、太陽のように眩しい光の剣で、真正面から魔王を切り裂いたところだった。美しい、と思った。一筋の涙が、流れた。

あたしは言った。
「あいつの元に、行ってください」



抱き合う姫と騎士。敵を倒して、急激に空が晴れて。感極まった姫が彼にキスをする。
決定的瞬間は、魔物の大群にだって負けないあたしを打ちのめすのには十分で。
「幸せそうな顔しちゃって」
そうつぶやくしかなかった。


「エルザー!」
姫が嬉しそうに走ってくる。ああ、ジュリアンの顔の情けないこと。顔に「ごめんな」と書いてある。また殴りたくなる。
ムカつくけど、しょうがない。
愛する騎士の隣にいる――それが姫の一番の幸せなんだから。

姫はあたしに抱きついてきた。ぱっとあたしを見上げた顔は明るく輝いていた。
硝子細工を扱うように、そっと頭を撫でる。金の髪が指の間をすり抜けていく。姫はあたしの手を両手で包み込んだ。

「彼と再会できたのはあなたのおかげよ、エルザ。心から感謝してるわ。決して折れないでいてくれてありがとう」

姫の声があたしを呼ぶ。あたしを褒める。こみ上げるものがあって、でも、あいつの前では泣けない。

「光栄です」そう言うのが精一杯だ。



「で、これからどうする?」
空気を読まないもう1人の騎士が頬をかきながら言う。

「そうね。故郷の聖域を開きにいかなきゃ。それに、脅威が去ったことを星々に伝えてあげたいわ。今も魔王に怯え、不安がっているはずよ。
――ねぇ、この星の代表はどなたかしら」

「えっ」
ジュリアンがきょとんとする。

「星の代表? アメリカ大統領? いや国連のトップとか?」

あっという間に挙動不審になる姫の恋人。気づいたら手が出ていた。

「いてっ」

「しっかりしろ馬鹿」

「エルザったら」と、姫がたしなめる。

「いいんです姫。俺が思いつかないのが悪くて……ええと、どうしよう」

姫は戸惑う恋人を優しく見つめる。彼が居るのが嬉しくてたまらないようだ。


「愛しています」とは言えなくて、胸に秘める。きっとこのまま。貴女はあたしのことを、そんな目で見てはくれない。
千年かけて、また振られて。
でも愛する貴女のことを、あたしは見守り続けたい。

「どこまでもついていきますよ、姫」
心のうちでつぶやく。
失ったもの、奪われた土地、全てはこれからで、魔王との戦いより厳しいものがあるだろう。

それでも。
見上げた空は、どこまでも青かった。

完ー