• 『メゾン・ド・キュー!!』

  • 牧野 楠葉
    現代文学

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    売れない小説家のきゅーへい。彼は保育士の仕事をしながら、コンカフェに通い推しの女の子に課金する日々を過ごす。そんな中、彼が暮らす歌舞伎町のマンションにマッチングアプリ中毒の千幸が越してくるのだが……。

第1話

猫を衝動買いした。

コンカフェの推しの()と映画を観る予定があって、でも俺は二十分早く着いてしまったから、TOHOシネマズ新宿のすぐ脇にあるペットショップに入った。そんで、アオを見つけたって訳だ。二十一万五千円。保育園の雇われ園長をやっている俺の拙い貯金がぶっ飛ぶ額だ。一年前に地方文学賞を獲ったときの三十万も女の子につぎ込んでなくなっちまってたし。でも可愛いんだなマンチカン、灰色と白のミックスで、掌に乗るサイズで、生後二ヶ月。アオ、って名前はすぐ決まった。ペットショップのライトがその大きくてまんまるの瞳を青く映し出して見せたから、それで、アオ。

でもまだ一回目のワクチンをアオは打っていなかったから、引き取りは一週間後の二月十八日になった。俺は急いでその待ち合わせまでの二十分の間に書類を書いて、支払いを済ませ、女の子とウェス・アンダーソンの新作を見た。その後、まん防が出ている中、酒出して闇営業している絶品のレバ刺しを出しているところで俺は女の子に語った。

「極めて自閉症的な映画だね。でもまあそれがいいんだな。完璧だ。自分の作った箱庭だよ。ウェス・アンダーソンは物語を細かく細かく弄り回すのが好きなんだな、きっと。いや、三話あったけど、どれも機械みたく動いてるんだなこれが」

「……ねえキューヘイくん、口からポテサラ溢れてるよ」

「あ、ごめんごめん。で、ユリちゃんは映画どうだった?」

「うーん……わたし、芸術とかわかんないから、全然だったなあ」

バカの女は可愛い。

「そうかそうか」

俺はユリちゃんのバカ頭を撫でた。酔いが回っていた。

「じゃ、俺んち来る?」

「え」

「何」

「行く行く! キューヘイくん、格好良いからずっと家行きたかったんだぁ」

バカの子はこれだから可愛い。
その夜ユリちゃんは俺に抱いてとせがんできたが、結局眠いと言って断って、朝、部屋——歌舞伎町のボロマンションから叩き出した。ウェス・アンダーソンの映画をわからない女なんて願い下げだ。

有給を取って二月十八日の朝、アオを引き取りに行った。そんでマンションに帰ったら、管理人とハッとするような美人が怒鳴り合っていた。アオがキャリーの中で心配そうに泣いたから俺は見て見ぬふりをしようとして通り過ぎようとしたが、その女にガシッと腕を掴まれてビビッてしまった。

「なにして……ちょっと離してくださいよ」

今、猫を飼おうとしているのがバレたらまずかった。
美人は俺を見下すように上から下まで見て、それからアオの入ったキャリーを見て不敵な笑みを浮かべた。俺は嫌な予感がした。

「あなたには協力してもらいます。このイカれた管理人が、私が会釈して通り過ぎたとき、『おはようも言えないのか、このバカ女が』と言ったんですよ。おかしいですよね。管理人としてあるまじき罵詈雑言ですよね。今から管理会社に電話するから、あなたもクレームを一緒に言ってください」

「なんで俺が」

女はキャリーを突いた。俺はもうなにも言えなかった。管理人が疲れたように言った。

「もう勝手にやってください。オレはただ挨拶しただけですから」

「挨拶と一緒に『バカ』って言う管理人がいますか? 入居したばっかりなのに私が出て行ったらあなた、確実に解雇されますよ。それでもいいんですか?」

「オレは解雇されない。貴様のクレームなんかで。雇い主はオレの友人だからな」

「本性見せたわね!?」

その瞬間女が血眼で管理人に殴りかかろうとしたので、俺は流石に止めて、そのままエレベーターに無理やりに引っ張っていった。

「……何階ですか」

「……三階」

「あ、じゃあ俺と一緒ですね。俺、桜木って言います。どうも」

「どうも。私は昨日引っ越してきたばっかの潮田千幸(しおだちゆき)……」

千幸と名乗った瞬間、千幸は本気かよと思うぐらいに大号泣し始めた。

「ちょっとちょっとあなた情緒が不安定すぎ……」

「だって私は悪くないじゃん。あいつが全部悪いんじゃん!」

千幸の怒り顔は信じられないほど美しかった。
エレベーターが開いた。俺はそそくさと自分の部屋の鍵を開けたが、なんと千幸は俺の部屋まで上がり込んできやがった。

「不法侵入!! あんた自分の部屋に戻ってくださいよ!」

「猫飼ってるってバラすわよ!!」

「無茶苦茶な女だなあ、もう……」

俺は玄関で崩れ落ちている千幸をもう放って、あらかじめ用意してあった猫砂とケージなどを準備し始めた。ぎゃあぎゃあうるさくて俺がイヤフォンを耳に突っ込んだ瞬間、何故か半裸の千幸に俺は背後から襲われて、そのままベッドに押し倒された。

「あんたの前立腺、開発すっから」

「なんだよテメエ……!!」

もう俺は腹が立つのと欲情するのとで訳がわからなくなって、めちゃくちゃに千幸を抱いた。

第2話

これまで何人の男を食ってきたかもう、わからない。私は隣で眠りこけている男の苗字、つまり、桜木、というのしか、知らない。

しかもこいつは私の隣の部屋に住んでいる男だ。これから気まずいったらありゃしない。桜木の部屋の窓は開け放されていて、歌舞伎町に常に響いているパトカーの音がガンガン入ってくる……

性的逸脱は、双極性障害一型の、れっきとした症状だ。

私の人生に、「平凡な日常」なんて、ない。多分、これからも、ジェットコースターに乗ってるみたいな感じで生きていくんだろう、っていう、気だるい諦め。

私は、自分のことを捨てられるんだとしたら、真っ先に、自分のことを捨てるだろう。

今日は、精神薬を飲んでいないってか、そのままなし崩しにセックスしてしまったから薬を飲めておらず、大変体調が悪い。私は、ベッドの上でスマホをいじりながら仕事のスラックに「今日は在宅勤務で九時から仕事を開始します」とだけ打って、休むことにした。私は情緒不安定ながらも、ファッション雑誌の編集の仕事をしている。いまは校了まで全然時間があって仕事的には暇だから、助かった。

そもそも、だ。そもそもこの歌舞伎町のボロアパートに越してこざるを得なかった理由ってのが、ちゃんと存在する。それは、私が前住んでいた下北沢でのゴタゴタ。わざわざ下北沢から新宿に追い出された理由。それは、結婚まで考えていた十二歳上の男と、血みどろの喧嘩をしてから別れてからも、そういう関係を続けていたのだが、そいつに最近なんと私と同じ年齢、つまり二十八歳の彼女ができたそうだ。下北沢の飲み屋コミュニティで仲の良かった役者のひとから教えてもらったのだが、やっぱ顔のいい男はいつまでも若い女を食えるんだと驚いた。

その男は、昔、有名俳優の運転手だかをやっていて、Vシネとかにもちょこちょこ出ていたくらいには、顔がよかった。一度そいつの出たVシネを観たのだが、演技が下手すぎて酒片手に爆笑してしまった。笑うなよ、と言われたが、無理だった。確か、温泉旅館のエロ女将に好きだと言う若い調理人の役だった気がするんだけど、肝心のセックスシーンが緊張によるものなのか真剣すぎて、全然自然じゃないのだ。「お、女将さん、き、き気持ちいいですすかぁ……」と噛み噛みで、こんな作品がよく世に出たなと逆に感心したぐらいだ。

まあそいつのVシネの話なんかどうでもいいのだが、私はそいつに「おめでとう♡彼女とお幸せに♡」とLINEして、この関係を精算するつもりでいた。そいつ、別に、セックスそこまでうまいって訳じゃなかったし。惰性で繋がっていただけだ。

ただ、ここからが問題なわけで。そいつのNEWカノがスマホを勝手に見るカス女だったらしく、おいこの女誰だよと責められたらしく、私が夜中眠剤で爆睡しているときに、酔っ払ったそいつから電話が来た。

「テメー!! 二度とLINEしてくんじゃねーぞ!!」

深夜四時の怒声。
そいつが酒を飲むと口調が荒くなるのは三年半付き合ってたから、知ってたんだけど、私はマジで衝撃を受けた。

え? 私、なんかしました?

急に私は予期せぬ怒声を浴びたことへの怒りで、しばらく呆然としてしまった。

そしてどうやらそのNEWカノは飲み屋コミュニティでもそいつの彼女であるってことを武器にブイブイいわせて自分の存在をアピールしているらしく、私は、普通に居場所を失った。

だから、更新と合わせて、新宿に越してきたってわけなのだ。まあ、引っ越したことで、お金が六万ぐらい戻ってきたから、まあ、いいっちゃいいんだけど……。

私は、桜木を跨いで、床に散らばった服を身につけ始めた。勢いよく足を突っ込んだからか、網タイツが派手に破れて、私は、あー、と頭をぐしゃぐしゃにかいた。大体、網タイツって、そもそも穴空いてんだから、普通のタイツよりもっと頑丈に作っとけよ。これ、別に安物ってわけじゃないんだから。そんで、agnes b.の最新ワンピースを着ていると、桜木が目を覚ました。そして、目が合ってしまった。

静寂。

こういうとき、なんて言っていいか、わかんねー!!

だから、私は、ニヘラニヘラと笑った。

「あの、昨日は、どうも。気持ちよかったですよ。過去一で、というか、これまでの男の中で一番、チンコがデカくて、感動しました。コンドーム入んなかったですしね。外に出してくれてありがとうございました。猫ちゃんも可愛いし。隣人なので、まあなにかあったら、まあ……火事とかが仮に起きたら、よろしくお願いします」

早口でそう言ったが、自分でもなにを言っているのかわからなかった。

「千幸さん、って呼べばいいんですかね?」

「あ……はい、潮ちゃんとか、千幸ちゃんとか、呼び捨てでも、なんでも」

「じゃあ千幸」

桜木は私の目を真っ直ぐ見て言った。

「昨日のことが、全部なくなると思ったら、大間違いだからな」

うわ。やべ。
こいつ、面倒くせえ……
ヤバいのとセックスしてしまった……

第3話 coming soon