• 『稚拙』

  • 伊藤欣司
    現代文学

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    本音と建前を駆使しながら、惰性で生きる小学六年生の私。何かにつけて臨機応変に対応できてしまうせいで叔父からはカメレオンと呼ばれる。もし人生を組曲に例えるならば、私は「未熟」という序奏を終えたところだ。

第1話 赤心の野蛮論 回避 其の壱

転勤族の子として生まれた故に、私たち兄弟は祖母に育てられた。幼い頃から両親とは離れ離れで、気心の知れた仲間さえいなかった私には、唯一無二の祖母だけが内の人間だったといえる。聖書を読み解いてみたり、アインシュタインの相対性理論に本気で匙を投げてみたり、そんな子供らしいようでないような私が私でいられたのも彼女のお陰だ。

何はともあれ、家族構成というものは図表にした時にわかりやすい。君と誰かがたまたま親子だったり兄弟だったり、そんなことを平面状にしるし都合のいい時に何かを証明するもの。そしてこの紙切れが厄介になることがある。それは小学六年生の私が両親の住む町へと越さなければならないという決断を迫られた時に痛感した。今思えば、これはある意味での催促だった。何故なら数年前、二つ上の兄が両親と暮らすことを選んだ際、無関心な私は賛同せずに、無鉄砲な兄と不要な機会を同時に見送ったからだ。

「お前、どうすんの? 行ったり来たりも面倒だろ。あっちに行ったら行ったですぐ慣れるって」

「そういうことじゃなくて、ただ乗らない」 

「乗らないって、何?」

「馬に調子に波に相談」

真顔でこう答えた。完全な猫だましである。

「本当うざいんだけど……で、何?」

「普通に考えたら気分でしょ。修行をしてください、修行を」

「は? だから、いつ来んのかって。それを父さんも母さんも聞いてんじゃんよ」

喧嘩っ早い兄の苛立ちが会話の語尾で伝わる。奇襲戦法で相手をひるませることは出来たが、その次の手がなくこう言った。

「次の休みに遊びに行く」

当時、大人たちはこの状況にしばらく違和感を覚えていたらしいが、こちらから言わせれば文字係数の因数分解と同じで、そう簡単に答えを出せるものではなかった。そして何より「隣の芝生は青い」と一度も思ったことがないのは、祖母との平穏な暮らしに満足していたからだ。こんな風だった私は年齢とともに寡黙かつ排他的になり、毎年ほぼ強制参加させられていた子供キャンプでさえ他人と遊び興ずることはせず、逢魔が時にすすり泣く同級生たちをひとり泰然と眺めているような人間だった。一泊やそこらで、数か月分もの涙を無駄にするようであれば最初から来なければいいと、つきまとう蚊を殺しながら大人目線でそんな光景を自然体験の一部として楽しんでいた。

こんな私は本性を隠しながら生きている。

新しい筆を下ろした後は、やけに右腕に力が入る。

「ばあちゃん、墨汁が畳にこぼれた」

いつもならテンポよく返ってくる返答は、仏間から漏れる静けさと共に感慨深い訴えとして戻ってきた。 

「ちょっと横になるから」

叱責を期待していただけに多少肩すかしを食らった気分だが、そのか細い声が体調不良を示唆していることは明らかだった。

忘れもしない、私が書道を始めたのは七歳の秋。

「美しい字を書く人は心も美しい」 

礼儀や道徳を重んじる祖母はそう言い、私たち兄弟に書道教室に通うよう説き勧めた。快活な性格の兄とは違い、黙々と作業をすることに抵抗がなかった私は容易にそれを受け入れた。もちろん、家から教室が見渡せるほど近いということも手伝ってだ。

「あっ、ごめん。体操服、カバンの中に入れっぱなし」  

「何?」 

絶え入るような声が宙を舞う。 

「カバンの中の体操服、洗って」  

教室に通う途中はいつも決まって声をあげ、祖母が返事の代わりに両腕でつくる丸を見つめた。もうじき五年。大雨の日も突風の日も、季節を問わず墨を磨り続け、ただただ字を書いた。私の手がいつも浅黒く見えたのはきっとこのせいだと思う。小学校在学中、体の丈夫な兄は野球に、そうでない私は書道に精を出した。

書道の師範は看板を掲げて早数十年で、ここらでもちょっとした有名人であり、書風を押し付けないところに惹かれていた。

「先生、できました」

「どうした、どうした……いつもより字に覇気がないな。漢字ひとつひとつの意味をちゃんと考えながら、止めるところは止めて、跳ねるところは跳ねる。このウ冠だって屋根だろう」

弱音を吐くわけではないが、私にだって苦手な漢字があり、それは理屈なんかではなく、感情移入が出来るか出来ないかだけのことだった。

「家族。難しくないだろう?」

頭では理解できても、うまく書けない。 

夏休みも終盤にさしかかり、宿題を終えていた私は無意味に勝ち誇っていた。そして手を加えに加えた自由研究が県のコンクールに出品される自信もあった。そんな中、母親から一通の便りが届いた。このご時世、電話ではなく手紙ということを粋な計らいだと思いたいところではあるが、それは違う。この場合、ただ一方的に自分の意志を伝える術に過ぎないのだ。

「お久しぶり、元気にしていますか?」

その書き出しはまるで何十年も会っていなかった同級生が、ただの気まぐれで思いついた同窓会を開くために口火をきったかのようだった。

「来年、中学生になるんだから、そろそろこっちに来たら? お兄ちゃんに学校の準備も手伝ってもらって。意外にやること多いから、早いに越したことはないよ」

文面からして彼女がものすごく気を使っていることが分かった。親しき中にも礼儀はあれど、これは祖母が重んじているものとは違うと察し、気を使わせている自分を強く咎めた。ただ唯一、手紙というフィルターを通して見えたものは紛れもなく「確執」という二文字であり、両親の間で生じたものを知らぬ間に私が引き継いでいたのだ。子供には余計な足枷だった。

「本当に面倒くさいんだけど」

こんな独り言を吐き捨てながら、すべてを大人の戯言だと割り切り、その続きを読まずに投げやった。苦い経験以外に何も思い出せなかったからだ。若いころの苦労は買ってでもしろと大人は言うが、そんなことは全くする必要はないと思う。むしろ誰にも軽々しく言いたくはない。

――オニサンコチラ、テノナルホウヘ――

わざわざ危険を冒すようなまねは自ら決してしない。

第2話 赤心の野蛮論 回避 其の弐

新学期も始まり、予定通りに十二回目の誕生日は訪れた。そして朝から気分が良かった。一年に一度訪れる特別な日だからではなく微熱があったせいだ。強いて言えば、記念日なんて歯牙にもかけたことはない。こんな日の段取りを熟知している私は早々と身支度をして、迎えがいつ来てもいいように祖母が神饌を供え終わるのを玄関先で待った。そして病院へ到着して真っ先にしたことは、大人たちの目の前で体温を測ることだった。息を止め脇を力いっぱい締め、全身の熱をそこへと送り込んだ。

「少し熱っぽいけど、息苦しい?」 

事前に用意しておいた答えを真っ向からぶつけた。 

「はい。昨日、運動会の練習で校庭を何周か走った後から息苦しいです」

「ほらほら、無理して運動するから。運動誘発性ね……特にこの時期、気道が冷えちゃうと余計に乾燥しちゃうでしょ。軽い刺激でも発作が起きちゃうから、うまくコントロールしてあげないと。適度な運動して、ちょっと体力つけてあげなきゃかな……普段から少し運動はしてる?」

専門用語に圧倒されて、何も頭に入ってこなかった。 

「いいえ、登下校くらいです」

御託を並べる先生の姿はあらかじめ想像はしていたし、それは子供のための説明ではなく、大人に対するものだということは間違いなかった。だがこうして患者と接することで病院自体が少しでも潤うのであれば誰も文句などあるまい。ましてや私自身にそんなものは一切なかった。例えば戦争だってそうだと思う。国と国とのいざこざで、どっちが良いとか悪いとか、どっちが勝つとか負けるとか。結局、最後は軍資金が多い方が有利だということは言うまでもない。お金で解決できてしまうことなんて世の中にはとても多いのだ。だから私が来院したことに議論の余地はなく、「一応、新しい吸入器出しておくね」の一言で終わってしまう。この決め台詞こそが大人から我が身を守る最大の武器だということを歳を重ねるにつれ身につけていった。

「ちょっとお腹痛いから、トイレ行ってくる」

先生がいなくなった隙をついた。

「そう言えば、今年の夏風邪はお腹にくるって新聞にあった。ついでに先生に診てもらおうか?」
「ううん大丈夫、そういうのじゃない。この部屋がちょっと寒いから行きたくなっただけ。終わったら入口で待ってる」

それでも演技をし続けなければならない子供は子供で大変なのだ。間髪をいれず、廊下を歩く私の頭の中には様々な妄想が駆け巡った。午後から何をしようかということだ。テレビのリモコンを独占する兄もいないし、飲みたいものを好きな時に飲める至福の午後。これこそが最高の誕生日ではないだろうか。

小部屋から解放された身を颯爽と外へと移し、着込んでいた服を脱いだ。そして同級生は今頃、あの算数のクラスで意味のわからない何ちゃらという方程式を勉強しているのかなと思いながら空を仰いだ。

――世界がどうか平和でありますように―― 

こうして願うことには意味があった。幼いころから大人が見るようなテレビ番組に釘付けになりがちだったせいか、近い将来この世界はなくなるものだと悟っていた。人類を滅亡の恐怖に陥れたノストラダムスの大予言は前世紀だけの伝説ではなく、今も私の中で語り継がれている。そしてババ・ヴァンガにアルバート・パイク。それなら楽しんで生きたい。だから一日学校を休んでわざわざ使いもしない方程式を暗記するよりも、こうして病院で言い訳をしている方がマシだ。むしろ経済循環にも一役かっているのだから悪くはない。こんなことを考えると本当に頭が痛くなってきた。きっとこれは罰なのか、それとも神の教えなのか。何でもいいんだが、こんな話を真面目な顔をして聞いてくれるような同級生は存在しなかった。それに偽善者が偽善者になったところで今更何も変わりはしない。あわよくば負の数の掛け算みたく、否定的な力同士で莫大な力を生み出せるのではないだろうか。そう思いながら祖母と病院をあとにした。 

タクシーに乗り込むと祖母は運転手に聞き慣れない住所を伝えた。今まで冴えきっていた若い脳は鈍感になり、ただ景色だけを頼りに一体どこへ向かっているのかと自問自答してみた。右を見れば全く知らない建物が取り巻く未知の世界、そして窓から上を見れば果てしなく続く空の青。方向感覚どころか色彩感覚さえ見失いそうになり、火照る額に掌を押し付けた。祖母だって病人を引きずり回すような野暮なことをする人間ではない。だったら今どこにいるのか。まず浮かんだことは、病気で学校を休んだとは思っていなかったはずだ。車内で流れていたのは素人のど自慢で、手持ち無沙汰の私は下手に輪をかけた誰かの歌に耳を傾ける以外にやることはなかった。しかし侮蔑だとか嘲りだとか、そんな大人の黒社会の象徴が分かるはずもない。それに分かる必要もない、どうせもうすぐ死んじゃうんだから。私がこんな内面的にお行儀の悪い、精神的にひねくれた子供だということは叔父以外に誰も知らない。

永遠に感じたこの時空間は、私を知らない場所へと導き空気の違いを感じさせた。そして到着したのは少し小洒落た喫茶店。

「結構、混んでるね。注文したらおトイレ行って、手を洗う」

小銭を財布に入れながら祖母が呟く。

「うん、わかった」

故意に病人らしいトーンで重く答えた。

昼時ともあり、中には大人たちがたくさんいて余計に息苦しかった。人の多さで薄くなった酸素が原因ではなく、平日の昼間に子供がこんな場所にいるという罪悪感だ。きっとこの人たちは私が学校をさぼっていると思っているに違いない。正直、彼らの勘は当たっている。店の雰囲気にのみ込まれ、千鳥足で案内されるがまま指定された窓際の席へと軽い腰を下ろした。無垢な子供であればお子様ランチがないと駄々をこねるのだろうが、面倒くさがりで気ぜわしい私は適当に写真を指差し、ランチメニューから何かを注文すれば迅速にオーダーは運ばれてきて、さっさと家に帰って昼ドラなんかを見られると思っていた。

「これでいい。じゃ、手洗ってくる」

そう言って席を立ち、傷んだ椅子を元の位置へと戻した。

たかがトイレの往復にもかかわらず、色々なことを学んだ気がした。当然ながら、こんな形で社会勉強をする予定ではなかった。例えば、用を達して手を洗うことの大切さ。それさえも忘れ、大人が帰路を急ぐことの意味を共有できず、唖然としたまま席に戻った。

「お局がさ、報連相は基本中の基本だって。こっちばっかり見て言うの、また朝から」
「やっぱ鉄分足りてないんだよね、きっと。今度、ほうれん草のおひたし差し入れしよっか」

それにしてもオーエルたちの愚痴が耳に入ってきて落ち着かない。こんな光景を目の当たりにして、大人になんてまだならなくていいと思った。その向こうには違う集団もいて、肘をテーブルにつきながら口の中に物を入れたままクチャクチャと喋る。あんな大人にはなりたくないと思った。似たような被写体はブラウン管を通して何度も見ていたものの、目の前で起こる現実にはさすがに息を呑まざるをえなかった。入手したばかりの吸入器を貸してあげよう。返す必要はない、ただ少し静かにしておくれ。

第3話 赤心の野蛮論 直面 其の壱

予想よりも遅くきたランチはいい香りを放っていた。
「いただきます」
ご丁寧に両手を合わせる修行僧のような私。出家にはまだ早いが、これを言わずして始まらない。
「はい、どうぞ。穀物も根菜類も交互にバランスよく、ゆっくり噛んで」

第一関門を難なく突破し調子づいた体は、さっきまで病院にいた子供とは明らかに違った。勝手に休日だと勘違いしていたのだ。そして揚げ物に挟まった具材を見て、もし兄がここに居たら間違いなくくれたはずだとほくそ笑んだ。だが彼の不在は料理に入れ忘れた隠し味ほど重要ではなく、この場所にいる意味を理解することの方が重要だった。思い起こせば家族でこんな場所に来たことがない。家族という二文字が連想させることといえば、きっとあの旅行くらいのものだ。それは久しぶりに帰って来た両親が、相も変わらず夫婦喧嘩の後に即席で企んだ単なるお出かけだ。小学生にだってあらかじめ決まった予定はあるが、その日の降水確率が八十パーセントだと知っていた私は作り笑顔で承諾した。あの夜、やけに口周りの筋肉が痛んだのはきっとこのせいだろう。大人も子供も慣れないことはするもんじゃない。

不幸にもその日はやってきた。太陽がいつも通りに昇ったせいではなく、天気予報が外れたのだ。祝日の午前中、着の身着のままで車に乗り込み、高速を利用し遊園地へと向かった。これが間違いだったのだ。同じように平凡な考えを持つなんちゃって家族というものは他にもたくさんいたらしく、子供は立ち往生したまま何も変わらない景色を尻目に大人の不機嫌さを眺めていた。

目的地に到着後、私は計画的に父親の後ろを歩くように努めた。顔色をうかがう必要がないからだ。しかし、その背中が物語っていたものは紛れもなく帰路に対する歪なもので、「負のオーラを放つ人ってたまにいるのよ」とローカル番組のレギュラー占い師が言っていたことを思い出した。その気持ちをうまく汲み取ってくれたのか、一時間も経たない頃「雲行きも怪しいし、そろそろ帰ろうか」と母が言った。まだゲームコーナーで輪投げやモグラ叩きしかやっていなかったが、これに乗らない手はないと一つ返事に頷いた。
「さっき来る時に思ったけど、高速の逆側工事してて結構詰まってたよね」
会話中の主語の有無に関してうるさい兄が、主語なしで言った。
「別に今日じゃなくて良かったじゃん」
兄の吐き捨てた言葉が美しく止めを刺し、賛同せずにいられなかった私は彼を追いかけるようにスキップをした。

このことを今でも明確に覚えているのは、これが最初で最後の家族旅行だったからだ。後々になって思ったことだが、そこへは電車を乗り継いでもそう遠くはない。だが敢えてこれを旅行と呼びたいのは、これが世間でいう旅行なんだと思いきっていたし、祖母とでさえも訪れたことがあったのは、いつもの病院とこの喫茶店くらいだったからだ。実のところ、祖母も生まれつき重度の喘息を患い入退院を繰り返していた。もちろん昔は今ほど薬も医療も充実していなかったため、呼吸器の疾患で遠出は出来ない体質になっていた。そして私はこれを引き継いでいる。 

最後に祖母が授業参観に来てくれたのは、私が初めて小学校にあがった年。それを考えると、こうして一緒に喫茶店にいることが奇跡にも思えてならなかった。ちなみに運動会は近所の親子に紛れてお弁当を食べることが普通だった。そして毎年、彼らの目には憐憫の情が浮かんでいた。ということは、全然悲しくもない私はうまく外の顔を演じられていたことになるのだ。こんな事は大したことじゃない。本当に悲しい時、人は大粒の涙を流すんだ。それは大切な人がこの世を去ってしまう時である。

相変わらず出入りの激しい昼時の喫茶店で祖母がやっと口を開いた。私は悪寒を感じ、勢いよく流し込んだスープが喉に詰まり咳ばらいをした。相手は子供だ、もう少し胡椒を少なめに入れるとか思いつきはしなかったのだろうか。
「運動したのがよくなかったね」
祖母が声を落とした。そんなことを言うつもりではなかった面貌に、「胡椒が喉に詰まった」なんてとても言えず、いい機会だと病人になりきってみた。
「食べ終わったら吸入する。大丈夫だから、ごめんね」
それからしばらく静寂が二人を包んだ。そしてその時間が本当に好きだと感じた。窓越しに映る彼女の痩せ細った腕や、そこに浮き出た血管が、すべてが愛おしくずっとこうしていたいと願った。私が今日またひとつ歳を重ねたということは彼女ももうじき歳を取るということの証であり、その差は大地がひっくり返っても変わらない現実だということを噛みしめた。

それにしても周りがうるさい。上司に言いたいことがあれば直接言うべきではないのだろうか。そして誰がいくら払うから足りない小銭分だけ用意してくれとか、またそれを拒むとか。下手な演技をするより、本当に出す気があるのなら財布からお金を抜き出せば済んでしまう話ではないのだろうか。そんなことに対峙する暇があれば、さっさと職場に戻り各々の業務を円滑に遂行するべきではないのだろうか。この人たちは一体何を義務教育で学び吸収し、それをどう社会に反映させているのだろうか。こんな疑問ばかりを抱えた私は胸をなでおろし、この日学校へ行かなかった自分への後ろめたさを追い払った。この群衆との違いといえば、一回りや二回り以上離れた年齢と、自分の意志で動かせる小銭があるかないかだけだ。こんなことを脳裏に巡らせているといつの間にか喉に詰まっていた異物のことは忘れ、昼ドラに間に合うまでに帰宅できるかどうかと考えていた。

第4話 赤心の野蛮論 直面 其の弐

クラシックが店内のスピーカーから流れてきた。生まれて初めてこの曲を耳にしたのだ。上品なイントロのせいか、「渋めのコーヒーをください」なんて台詞が口を衝いて出そうになる。次第に流れは変わり、中盤に近づく頃には私の胸はその重圧に支配されかけていた。

「あそこにある建物見える?」

祖母は右側を指差しながら問いかけた。何やら橋の向こうにある白っぽい窓ガラスだらけの横長の建物が目に映る。ただ周りは余りに閑散で、明らかにそれが彼女の言っているものだということには勘づいた。

「あの飛行場からだと、お兄ちゃんのところに一時間半もあれば行けると思う」

病気だとか昼ドラだとか、その日の午前中に頭の中を牛耳っていたものは何処かに羽を広げ飛んでいき、彼女が次に何を言い出すのかと息を呑んだ。それと同時に読まずじまいのあの手紙の結末を知った気がした。もちろん私の目はその横長のものを睨みつけていて、彼女がどんな面持ちで私の顔色をうかがっていたのかは知る由もない。好奇心だったのだろうか、無意味に窓の数を数えながらあの曲を恐る恐る楽しんでいた。

「きっとみんな待ってるよ、いつ家族そろって一緒に暮らせるかって。来年から中学生になるんだから、早めに転校して新しい学校で友達つくったら?」

会話は疑問形で終わったのだが、それは提案というよりも答えの余地を与えないようなものだった。随分前に兄のお下がりのジーンズを裾が長いからと切ってもらったことがある。「これで合うんじゃない、どう?」と言われた時と同じだ。思ったよりも短く切られてしまった丈に文句のつけようがなく、「いいと思う、ありがとう」としか言えない状況に追い込まれた。だけどこの時は違った。私の心を躍らせる曲がまだ流れているではないか。終盤に近づく頃には冬眠から覚めた白熊が大きな口を広げ欠伸をする、そんな余裕があった。

「どうして?」

苦い胡椒の余韻を味わいながら言った。

「おばあちゃんだって今まで通り一緒に暮らしたい。だけど、お兄ちゃんも一人じゃ寂しいでしょう。二人きりの兄弟なんだから仲良く一緒にいたら」

半分笑いそうになった私は口を押さえ、兄と過ごした時間を走馬灯のように思い返した。喧嘩っ早い兄から手をあげられた記憶以外に何も浮かばず顔を伏せた。しかし、そんなことを祖母にわざわざ伝えるように私の体はできてはいない。この人に心配をかけるということが何より負担であり不安であったからだ。そして言い訳を並べ立てた。

「運動会だって合唱祭だってあるよ。だから学期の途中に転校する意味がわからない」

マシンガンのように言い放った私は本当に喘息に襲われるかと思った。この勢いで喋り続けたらきっとドイツ語がペラペラになるんじゃないかとさえ感じた。正直、疲れた。これは単に大人に対する抵抗であって、子供ひとりの一存で何かを右や左に動かせられることではない。そう、簡単に動かすことのできる小銭さえ持ち合わせていないのだ。感情は一気に昂り、沈下を知らない私を見つめる祖母がいた。結果を想定していた表情がそこにはあった。 

我に返った頃には、あの曲もすっかり終わり次の曲が流れ始めていた。こんな時に限って歌謡曲。無論、私に外国語のセンスなんてあるはずがない。あれだけ流暢に話した内容も一瞬にして行方を晦ました。そうなってくると今度は周りの大人たちの食事マナーが気になってくる。だけど今はそんな場合じゃない、と自分に言い聞かせ頭の中を整理してみた。だが結局、夜中に何かの衝動に駆られながらやってしまった模様替えのように何かが気に入らない。そして振り出しへ戻された。

「運動会も合唱祭も二学期で終わるから、じゃ三学期から新しい学校に行ったらいい」

すべては計画されていたんだ。瞬時にそう思ったが、口に手を当て咳を我慢している姿を見ると何も言えずにいた。もし本音を隠すことで誰かが幸せならば、馬鹿げた悪あがきは今はしない。

この日、喫茶店という場所に連れてこられたのにはきっといくつかの理由があったはずだ。ここの紅茶が特別おいしいという気の利いたものではなく、まずは家から飛行場までの距離感。そして納得のいかない話をされても逃げる場所がないという別の距離感。残りは想像にお任せしたいと思う。いずれにしても敵地で選択肢はなく、あえて言えたことはこれだ。

「ばあちゃん、そろそろ帰ろう」

この帰るという動詞には堂々と自分の居場所へという思いが込められていた。それを同様に解釈していた祖母は静かに席を立ち、お会計へと向かった。窓の外にいた猫が苦笑いをした。不意をつかれた。私は大の猫アレルギーで、この頃は見るだけでも体に痒みを覚えた。子供というものは本来、純粋で無邪気だ。けれど学校の健康診断で医者に言われた通り、猫は触らない、甲殻類は食べない、そんな文字だけを鵜呑みにして自分自身を雁字搦めにしていたのかもしれない。さぁ、今なら間に合う。急いで帰宅し昼ドラを見て、誰かの不幸を自分のものと重ねなければならなかった。

帰り道、嫌いになるはずだった風景を故意に焼きつけると同時に、何年も前に祖母がクリスマスにくれた腕時計を見つめた。秒針の音が鳴り響くほど静まり返った車内で、聴覚の記憶を辿りあの曲を思い出そうと試みた。しかし、余韻だけでは到底無理だ。知っていることはクラシックだということだけで、誰かに聞いても説明不足で終わってしまう。留美ちゃん(あの昼ドラの人妻)だったら何と言うのだろうか。海外留学の経験がある彼女ならきっと「I have no idea」と肩をすくめながら言うに違いない。私はそんな彼女が好きだ。不倫という、いわゆる社会からはみ出したルール違反者的なレッテルを張られた人間が、本音を吐き出せる狭苦しい場所を確保していることを心から羨ましく思っていた。

子供の集中力ときたら持続力に欠けていて案外もろいものだ。帰り着いた頃には時間を計っていたことさえも忘れていた。だが昼ドラに間に合ったということから推測すると、きっと三十分強というところだろうか。遠いな、と思ってしまった記憶はある。まぁ、仮に見逃したところで痛手はない。ただいつものように再放送を見ればいい話ではあったが、この時は誰よりもあの女優が必要だった。性格の曲がった私は彼女が台本を読み、それを仕事として芝居をしていることくらいは分かっていたし、彼女の前にはカメラやマイクを持ち構える大勢の大人たちがいることも知っていた。それでも、こんな子供を釘付けにさせる彼女には何らかの魅力があったに違いない。これは初恋とかそんな野暮なものではなく、ある種の憧れだったと思う。特に、彼女の役柄である「アメリカかぶれっぷり」が好きだった。ソバージュ風の髪に手櫛を通し、相槌の代わりにuh-huhと言ってみたり、顔面を成しうる限りに使いこなし感情を表してみたり、小生意気という点では通じるものがあったのだ。

「お誕生日、おめでとう」

いつも通り、図書カードを手渡してくれた。改めて祖母にこう言われるまで、この日が何の日か、学校をある意味ずる休みしたことさえ記憶にはなかった。

「ハレルヤ」  そう軽く呟き、敷かれた布団の中に潜り込みテレビの電源を入れた。小学生だった私がこのドラマから学んだことは計り知れない。学校で習ったことよりも社会に出たときに遥かに役に立つからだ。例えば難しい掛け算なんて計算機を使えばいい。けれど学校では論理的にそれを考えさせる。果たして半強制的に覚えさせられた円周率なんて、いつ自慢する日が来るのだろうか。それなら社会を首尾よく生き抜く術を心得、臨機応変に態度や顔色を変えられる彼女の技を盗みたい。

第5話 黄昏の方程式 外接円 其の壱

あんな決断を子供に託した大人たちは一体どういうつもりだったのか。今の私が何よりも必要なのは、不甲斐なさを豪快に放り込み、その答えを探るための方程式。ただの気休めでも構わない。しかし双六で大金が舞い込んできたり、突然どこかの大会社の株主になってみたり、それは単なる妄想であり、せいぜい振り出しに戻るくらいが田舎暮らしの人間には現実味を帯びている。弥縫策としては悪くはないが、信憑性には欠けているようだ。ひとり閉塞感を覚えながら、喫茶店で醤油とソースのどちらをコロッケにかけるかを迷っていた、そんな些細なことで盛り上がっていた、あの品のない大人たちの事をふと思い出した。やっぱり勝手だ。

風紀委員長、ならびに放送委員の私の朝は忙しい。決められた時間に、まるでプロのアナウンサーのように背筋を伸ばし用意された台本を読みあげる。

「もうすぐ運動会です。風邪をひかないようにしっかり手を洗いましょう」

さらさら興味のないイベントも滑舌よく言い切ってしまう自分に時々だが情けなくなったりもした。そして廊下に落ちていた紙くずを拾い、笑顔で職員室の前を横切った。

「ね、今度の合唱祭で指揮するんでしょ?」

後ろから声をかけてきた隣のクラスの担任は、相変わらず小鳥を二、三羽でも飼っているかのような乱れ髪だった。あだ名はバッハ。

「おはようございます。そうです、先週決まったんです」

「がんばってね。うちのクラスは三浦さんが指揮をすることになったから」

この合唱祭の指揮だって、誰もやりたがらないから指名されただけのことで、きっとその部分はきれいに切り取られて先生同士が話をしたに違いない。この際、合唱祭の前日に転校してやろうかと思った。まぁ、役者だってやりたくない仕事を引き受けてるに違いないし、無理に声を出して喘息を患うよりはマシなはずだ。ただ腕を振って道化師を演じきればいい。そんな私のことを覚えているような謙虚なやつは、どうせこの学校にはいやしない。

「もう少し時間はあるけど、どう? 選曲したり色々と忙しいんじゃない?」

上っ面だけの、答える必要のない、そんな質問を彼女は放り投げてきた。

「は、はい……」

手の内だけは決して明かすまいと、謙遜したフリをした。

「先生、楽しみにしてるから。じゃあね」

辺り構わず髪をかきあげ、薄ら笑いでそう言った。

「失礼します」

申し訳ないが、容易に余所者を内に入れてやることは出来ない。

模範生らしく誠実に対応し、舌打ちを我慢してその場を去った。それから廊下の隅に置かれた、少し遠くにあるゴミ箱に向かい力づくで紙くずを投げた。本来なら風紀委員長は、この大きな箱の中にガムやキャンディーのくずが投棄されていることを先生に報告しなければならない。だが犯人捜しをする際に、私が見つけたと原告扱いされることは面倒くさいし、容疑者を追い詰めたところでそんなやつのモラルが今更変わることなんてないと確信していた。事態が悪化するようであれば、目安箱に匿名で投書すればいい話ではあるのだが、案件をわざわざ箇条書きにする、いわゆる書く作業だけは避けたかった。その理由はこれだ。

本来、作文を書くことは得意な方ではあったが、あることがきっかけで苦手になった。例えば、読書感想文とは自分の意見をぶつける場所であり、他人の意見なんてものは然程関係ないのではないか。しかし堅物の担任は、彼が先祖から受け継いだキレのいい日本刀で私のものを切り刻み続けたのだ。あだ名はビータ。大きな丸眼鏡が特徴だ。


――そこまで物語に感情移入する必要はない――


小学生を相手にこんなことを言う。こちらからすれば彼自身の著書でもあるまいし、もう少し客観的な視線で物事を捉えてくれよと抗いたい。しかし討論をしても埒が明かないと、私はその思いを近くの川の奥底へと沈めた。本当は砂場に穴でも掘って彼を落としてやりたかったが大事にはしたくない。そんなこんなで誰かの感情に左右されてしまうような作業は嫌になり、答えが一つしかないような、議論の余地のない題材を好むようになってしまった。加法数式のように、どんな過程を踏めど、たとえ彼のお気に入りの生徒ではなくても、そこに誤答はない。それが唯一の答えだからだ。 

ビータの授業は何故か一時間目から始まることが多かった。ほとんどの生徒はきっと気にも留めたことはないだろうが、私は彼が朝の挨拶を済ませ、そのまま居残るといった無駄を省くシステムが施されていることを知っていた。静まり返った運動場、夏を過ぎて誰も使わなくなった淀んだプール、何の変哲もない風景を見渡す。この人の授業中は十中八九こうして過ごした。そんな習慣を打ちひだくように時折彼は無茶な質問をしてくる。 


――天国にも地獄にも逝けない魂はどこへ向かうのか――


こうして不意打ちを食らった場合「I have no idea」と言うべきなのか、「四国です」と真顔で主張すべきなのかと一瞬だが迷う。本心では後者だ。

「お遍路の話をご存じですか? 我々人間の煩悩の数だったり、または成人男女と子供の厄年を足した数だけの霊場を巡る。そんな旅が四国でできるそうです。だから、そういった魂は己の過去を清めるためにも、四国へと向かうんだと思います」

こんなことを左脳に浮かべた。それは四国遍路について、「生きているうちに一度は行ってみたい」と口癖のように祖母がいつも漏らしていたからだ。しかし、どちらにしても私の答えは彼が望んでいるものとは違うと察し、考えたフリをして簡潔かつ適当に答えた。

「生前に行けなかった場所ではないでしょうか。未練が導くというか」

「はい、はい、はい」

彼はこの答えを鵜呑みにして、あたかも自分のもののように解説を始めた。子供たちはこってりとした添加物だらけの知識なんて要らない。分かりやすくさっぱりとしたシンプルなものを好むのだ。例えば、損得勘定で物事を片づける留美ちゃんの生き方。


――これをしてくれたら、それをしてあげてもいい――


こういう単純な方程式には色々と私情を放り込みやすい。また理にかなっている。貯蓄のためにと壁に囲まれた生活を送ってみたり、五穀米ダイエットで体系をキープしてみたり……彼女のたゆまぬ努力があるからこそ堂々と吐き捨てられるセリフなんだと思う。ましてや秋風の立った別居中の旦那の悪口は決して言わない。ろくでもない大人たちよ、留美ちゃんの爪の垢を煎じて飲むといい。

このドラマの虜となった私には、いつからか小学生のための教育がつまらなくなっていた。彼の授業は本当にくどい。だから祖母のいれる雲南省のプーアル茶が飲みたくなった。教育と言えば、叔父のことを忘れてはならない。この人は東京の一流私立大学を卒業し何処かで教師をしている、いわゆる頭のお堅いタイプ。その彼が、久しぶりに帰って来ることになっているのだった。

第6話 黄昏の方程式 外接円 其の弐

午後からは合唱祭に向け、クラス全体でのミーティング。ここでの議題は何を歌うかで、みんなで一緒に話し合うことには意味があった。学年トップになったクラスが地区予選への切符を手に入れるため、そちらに焦点を絞りよりよい選曲をするためのアイデアを持ち寄らなければならなかったのだ。悔しいがあのクラシックのタイトルはわからないし、歌詞なんてついてないから没だ。用意周到であるのには越したことはない。だから脳を絞れるだけ絞りながら昼食を味わった。 

備えあれば憂いなし、去年の夏からこの諺を一度使ってやりたくて胸に秘めておいた。そして今日がその日だと思った。黒板に次々と書き出されていく曲の候補は誰もが一度や二度は耳にしたことのあるものばかりで、ビータが少し苛立っていることは溜息の数で察知できた。結構本気なんだなと私の心にも火がついた。

「もっとアイデアを出して、小学校最後の思い出なんだから」

陰鬱な声が教室に響き渡り、また溜息が漏れる。

「だから、ラスボスは無理なんだって。あれ、前より絶対強くなってるわ。ソフト買ってもらってからもう三週間……ちょっと微妙」

ご近所様の会話が耳に飛び込んでくる。

そう、ここに座らせられている若者たちは最後だとか思い出だとか、そんな言葉には反応を示すことはない。彼らにとって重要なのは次の誕生日やクリスマスにどんなプレゼントをもらえるかだからだ。Generation Zと呼ばれる世代は目に見えないものには興味を失い、未だ物質の時代とやらに後ろ髪を引かれている。そうかと思えば、思春期にありがちな自己愛的空想にふける、デリケートに輪をかけた精神の時代。要するに「石橋を叩いて渡る必要のある社会」のせいだと個人的に思う。しかし、こんな時に都合よく使われる何ちゃら委員長の私は小まめにいくつかの引き出しを用意していた。 

「The Amur Wavesはどうでしょうか?」 

横文字の響きにクラス中の視線を独り占めにし、わざわざカタカナで黒板に書かれたタイトルに落胆しながら曲について軽く説明をした。これはイケる、地区予選でもイケると確信した。洗練された意見なのか、それとも思いつきなのかは別として、いわゆる小学生が歌うオーソドックスの曲枠を超越していた。だから第二候補が閉まってあった引き出しをあえて抉じ開ける必要はなかった。ありがとう留美ちゃん、この曲をいつも口ずさんでくれて。

トイレ休憩を挟み、黒板に書かれた候補からひとつを選び出す。だが板の隅に殴り書きにされた、小学生にはやや高級な添加物まみれの私の選曲は明らかに不利だった。そしてこの勘は的中した。話し合いの場を設けることなく多数決をとるビータ、家路を急ぐために適当に手をあげるクラスメイト。挙句の果て、引き当てた貧乏くじは月並みで退屈な曲。それを指揮者としてまとめなければならない責任を水面下で誰かに転嫁してやりたかった。これが俗にいうアイデアを持ち寄るといった手法の弱点であり、不公平な社会の現実なのではないだろうか。子供を送り出し雑に家事を済ませ、持ち寄りで昼食を楽しむ主婦の会にも似たような現象がある。一般的に一番質素なものを持参するような者に限って、図々しく遠慮知らずで、そのくせ人一倍文句が多い。

論理的に破綻している日常に呆れ教室を出ると、隣のクラスでバッハが熱弁をふるっていた。彼女があの曲を押していたのだ。同じドラマを見ているに違いない。悔しいというより、この女と気が合うのかもしれないと思い、自分の担任の不甲斐なさに焦燥感を駆られた。あの落とし穴はこんな時のために一度掘っておいた方がよかった。そして意見も言わないくせにあの曲に票を投じなかった子羊のためにも、大きめの穴を用意するのも悪くはない。もう何も私の心を咎めない。風紀委員長らしく、ごみ箱の中身の犯人探しに一役かってもいい頃だろう。そうだ、もしかすると先日バッハが職員室前でわざわざ声をかけてきたのも、アイデアを探ろうとしていたのかもしれない。なかなかのヤリ手だと気づき、もう一回り大きめの穴を掘った方が無難だと見越した。人は見た目では判断が出来ない。ならば、こんな私は大人たちの目にどう映っているのだろうか。

誰に宛てるでもない、こんな企画を練りながら追い風に逆らうように学び舎をあとにした。忘れてしまう前に図面を作製しておきたい。ただの紙切れがこんな時には役に立つからだ。そしてそれが裏目に出てしまうことのある大人の世界。子供には守らなければならない校則があるように、大人にも社会のルールというものがある。皮肉なことにその一線を越えてしまう、いわゆる世のはみ出し者は罰せられ、十字を背負いながら生きることも無きにしも非ず。行く末そんなことに巻き込まれないためにも、清く正しく生きてきた私がここで損をしてはいけない。だからこの企画を密かに練り込んだ。そういえば大人社会で嫌いなものが他にもある。色々なしがらみに編み込まれた縦社会の人間関係。

第7話 黄昏の方程式 内接円 其の壱

契りというものは煩わしい。こんなことを考えるようになったのは忘れもしない三年ほど前の師走。母親が泣きながら祖母の家を訪ねてきた。彼女からすれば実家なのだが、若かりし頃の駆け落ちが原因で、今でも本人には敷居が高すぎるようだ。こんなだから血の繋がりは面倒くさい。「ただいま」と気軽に帰って来られる場所を自ら放棄した彼女に下された罰だったのかもしれない。私は平静を装い、柱の陰から大人たちの会話に耳をたてた。家政婦がこんな風に暇をつぶし、茶菓子を片手に悪だくみをすることをふと思い出した。まぁ、家政婦だとか探偵だとか「叩けば埃が出る」、そんな職業も悪くはないかなと思う反面、そこは無難に弁護士の方が安泰ではないかと思った一夜だった。

母は現状が耐えられなくなったらしい。それをわかりやすく説明しようとしているが、ところどころで話の腰を折られてしまう。祖母はしきたりを重んじるが故に、こういった別れ話なんかに全く興味はないようだ。私は朝刊にあったクロスワードパズルを解きながら、その問題の難しさに腹を立て、小さな手でそれをもみくちゃにした。結果、真っ黒なインクだけが掌を染めた。案の定、ただの紙切れがまた余計な問題を生み出したのだ。母はといえば、堂々巡りのあげく、あろうことか最後の切り札「私の存在」とやらを用意していたらしいが、それを見抜いた祖母に丸め込まれていた。私がただの切り札だということは率直に伝わった。大抵の場合、最後までジョーカーを隠し持ち、大どんでん返しを狙っているようなプレーヤーは敗北を味わう。その経験を次に活かすことなく、毎度同じ手を使ってくる兄がそうだ。それを熟知していた私は失笑し、過去に何度となく痛い目に合わされたことか。

結局、両者とも「離婚」という二文字を最後まで発することはなく、ただの紙切れ一枚で繋がっているだけの脆く儚い関係ということには気づいてはいなかったようだ。要約すると夫婦とは、元々は赤の他人であり、子供という飾りによって繋がれた絵図の入口に過ぎないのだ。気晴らしに彼女は中国にでも行ってくるといい。そしてそこで最高のプーアル茶を味わい、帰国の際に出口というサインがあることに気づけばいい。そう、入口があるということは出口はあるということだ。もしそうでなければ、そんなものは自分の手で切り開けばいい。そして十代のあなたが突然家を飛び出した夜に祖母が流した涙の一粒一粒を拾い集め、その鮮度と重みを日記帳にでも書き留めておけばいい。あなたのものがそれらを上回った時、あなたの母は何も言わずに抱きしめてくれるのではないのだろうか。素晴らしき哉、人生。どう足掻いても、後悔が先に立つことなどはない。

この出来事を思い出し、自分の置かれている状況はそんなに悪いものではないと言い聞かせてみた。転校届なんて本当は紙切れだけのことであり、深く考える必要はないのかもしれない。嫌になればまた新しいものにサインをすればいいだけの話だ。ただここで問題なのは大人のものでないといけないということだ。自分の力不足に肩をすぼめたが、数時間前よりかは明らかに前向きになっていた。今夜はゆっくり眠れそうだ。

何の因果か、午前中は使命感に駆られ背筋が伸びてしまう。模範生としての規律正しさが問われるからだろうか。責任感に連帯感に自尊心、枚挙に遑がない。ある朝、私はうっかり目の前に置かれた液体を飲み干してしまった。無意識に手にしたものは祖母が残したコーヒーだった。その渋い大人の味は喫茶店で耳にしたあのクラシックを回想させた。体中の細胞という細胞が痺れ、登校中ひょんなことから外国人に道を聞かれても「I have no idea」と胸を張って言える気がした。えも言われぬ感覚と驚異的な自信が全身を縛り動けない間、この既視感を次にいつ味わうことが出来るのかと考えていた。 

この日、学校から帰ってくると叔父の姿があった。すっかり忘れていたせいか、何だか面倒くさいなと思いながら手を洗い、いつもより大量の水でうがいをした。転ばぬ先の杖、自分の体を清めてみせた。日中心ここにあらずだった私はその余韻を引きずり、久しぶりに会った彼に対して淡々とした態度をとってしまった。背が伸びたなとか、大人っぽくなったなとか、そんな見てくれだけを基準に査定されているような気がしたからだ。外見ではなく内面を重視してみてはどうか。そして不信感だけを募らせた。

この後、ビータの授業で学んだ知識を活かす時が来るとは予想だにしていなかった。それは四面楚歌という熟語だ。

全く戦闘モードでなかった私は自ら戦場に足を踏み入れてしまった。叔父の横に置かれていた紙袋が原因だ。今宵、祖母と私が喉の奥に痒みを覚えるとは露知らず、彼は一服しに台所へと向かった。その隙に漢字で埋め尽くされた袋をじっと見つめ、生きたパンダでも飛び出してくればいい、もしくは企画を実行するための安物のスコップでもいいじゃないかと、想像を能う限り膨らませた。どちらでも構わないから早く開けて欲しい。

「思ったより大きくなってたからサイズが合うかな」

腰を下ろした叔父はやっとそれに手を伸ばした。お年玉をもらいながら「小学生は千円」と言われた時と同様、この時点で福袋を開けるような楽しみを失い、不埒な大人に新たな反感を抱いた。中身はというと、血の繋がりを意図的に象徴すべく真っ赤なシャツ。

「こういう色って持ってなかったね。よかった、よかった。合唱祭で着ればいい」

祖母はそう言ってくれたが、そんな気は毛頭なかった。むしろクラスを敗北に誘う闘牛士と化してしまい、その要因は選曲ではなく指揮者にあったと濡れ衣を着せられてしまうと感じたからだ。中国帰りに立ち寄ったにもかかわらず、土産にそれを反映させないものを差し出す。子供騙しで構わないから、それらしい物を見せて欲しかった。

第8話  黄昏の方程式 内接円 其の弐

叔父は昔から私のことをカメレオンと呼び、事あるごとに「臨機応変に対応できるところは悪くはないが、子供としては可愛げがない」と毒づいた。だから彼の帰省に変更があればいいと思っていたし、もしそうでなければ巧みな言葉で攻めてくるだろうと予め覚悟はしていた。年に数回も会わない肉親にこんな罵声を浴びせられる私は、改めて企画書を見直したいと心底思った。どうして教師というものは傲慢かつ不遜なのだろうか。これを踏まえてみても土産はスコップが良かった。 

「それはそうとカメ、お前いつ引っ越す? 叔父ちゃん家族も年末にはここに帰って来るけど」 

ここは心太形式で家を出入りをするのか。こんな時に限って唯一の味方だった祖母は席を外していた。そもそも転校ということを叔父が知っているということは水面下では一体何が起こっているのだろうか。もしかすると私の進学先、見合い相手、挙式と披露宴の日程さえも既に決まっているのではないのか。大人たちに完全にコントロールされているカメレオンは自分が誰だか分からなくなってきた。

爪を噛みながら部屋に閉じこもり、年季の入った座卓を胸いっぱいに押し当て壁にもたれた。あまりの静けさに体を目いっぱい右往左往している血球が、息をするたびに収縮弛緩するありとあらゆる筋がその存在を主張していることがわかる。事実上、何が私を支配しているのかを察知し、目の前にあった水を休むことなく流し込み、机上に放置された理科の教科書を手に取った。

――頭の中で留美ちゃんの十八番「夢の中へ」のAメロ部分が効果的に自動再生されている――

そして見つけた化学式はH2O。その図を眺めると、二種の元素が仲良く手を繋ぎ一つの化合物を生み出していた。今の私が真ん中で両手をふさがれたOだとすると、居間で思い出話に花を咲かせている大人たちがHとなるわけで……仮に両親が居合わせたならば、この化学式はH4Oとなり、更に上品なお水と引き換えに両足さえ差し出さなければならない。詰まる所、ここに両親がいようがいまいが四面楚歌に似た二面楚歌であり、それは何面にもなりうる可能性があるということなのだ。可能性……それは見込みということで、誰もが隠し持つ潜在的要素である。

「カメ、シャツ着てみた?」

叔父が呼んでいる。どうせなら洋風にレオンとでも呼んでくれよと思いつつ、二つ返事をしながら襖を開け、まずは祖母の存在を確認した。湯気とともに柔らかい香りを放つプーアル茶を差し出し彼女は言った。

「なんとなく淋しいね」

その意味をまったく理解できないまま、あの化学式のように二人の間に身を投げた。こんな時も本当に悔しかったことはただ一つ、あのクラシックのタイトルが分からないこと。だからこのお茶の代わりにコーヒーを一杯入れて欲しい気持ちでいっぱいだった。痺れを切らした数分後、私は埋もれた肉体を前方にぐんと倒し、未だ縛られてはいない両足を台所へと向かわせた。匂いに引き寄せられるように出がらしを見つけ、損得勘定で物事を判断するようになったせいか、こんな交換条件をふと思いついた。

――コーヒーを飲んでもいいのなら、転校してもいい――

残り物を啜りながら、そんなものと引き換えに持論を手放そうとしていることに少し笑えた。こんな時、ニーチェだったらどんな鋭さで、どんな眼で私の世界観を解釈するのだろうか。無論、ドイツ語は勉強しておいた方がいいのかもしれない。まぁ、どんな批判をされたとしても「私は生粋のわらしべ長者なのです」と手短に済ませておくのが無難であり、それを独自の哲学的観点だと言ってしまえばいい気がしてならない。少しだがこのコーヒーにも何らかの効果があるなと思いながら早々と飲み干し、証拠を隠滅をした。 

どんな揶揄を込めた叔父の言葉でも、この時だけは低温分解させてみせる自信があった。なぜなら私はカメレオンだからだ。縦長の社会で生きていくためには丁度いい機会でもあったし、長いものには巻かれるといった風習はこれから先しばらくは変わることはないだろう。そう思って居間へと急ぎ平静を装った。

「ケセラセラ」

叔父が自慢げに言った。この人は英語でもドイツ語でもない言葉で話しかけてきた。もちろん後に辞書を引くまで彼の意図はまったく分からなかったが、雰囲気を和ませようとするその姿勢はうかがえた。間違いなくこの人は若い時に苦労を買った人間だ。それをこうして役立てていることにある種の共感を覚え、首を縦に振ってぼやいた。

「じゃ、今学期終わったら」

息つく暇もなく彼が聞き返した、「何が」と。何日も何日もかけて立て並べたドミノが故意に、誰かの非常識さによって崩されたのだ。だが、それを途中で無理に止めたりはしない。決して弱みを見せてはならないからだ。禅定な面持ちで、今度はわざと聞こえるように言ってやった、「引っ越しのこと」だと。

外から近所の猫の唸り声が聞こえ、それが威嚇のサインだと気づいた。遠慮せずに思う存分やればいい。そして誰が勝者で敗者かを、ぜひ報告してほしい。コーヒー片手にクロワッサンでも頬張りながらじっくり聞いてあげよう。

私の下した決断は道徳の時間に見させられた家族映画に基づいてではない。もっぱら留美ちゃんの生き方を片っ端から真似たものだ。彼女の彼は悪事を働き、人里離れた場所で暮らしている。そこに彼女は月に二度ほど面会に行き、ありったけの涙を流す。都会では絶対に見せないその涙は本当に美しく、見ている方が睡眠不足になってしまうほど感情移入させられてしまうのだ。そこで彼女が別れ際に必ず言うセリフがある。

――あと三年、そうすれば自由になれる――

これを私の方程式にざっくり当てはめてみた。義務教育は残り中学の三年間だ。それを自由刑だと思えば、あとは何とでも理由をつければいい。例えば、家から遠いあそこの全寮制の高校に行くとか。偏差値が高いところであれば誰も難癖をつけたりはしない。

第9話 黄昏の方程式 内接円 其の参

この頃、留美ちゃんが言い寄られた男たちに突きつけた数々のセリフは私のバイブルとなっていた。その中でも一番のお気に入りはこれだ。

――時には嫌だと思うことだって仕方なくしなくちゃいけないことがある。だから悪魔と契約しちゃうこともあるの。私は法を犯さない限りそれを悪いことだと思っていないし、恥ずかしいとも思っていない。弱みを見せるくらいなら、強がってたいの―― 

私はこれを寝言で言えてしまう。そのくらい胸の中で何度も何度も繰り返した。もし早朝のアナウンスでこれを学校中に流してしまったらどうなるのだろうか。仮に誰かが共感してくれるとしたらアイツしかいない。今でもあの女とはどこかしら馬が合うような気がしてならない。だからといって企画書の変更はしないが、とりあえず髪くらいは櫛でとかした方がいいんじゃないかとは伝えたい。当然、この企みのことは誰も知らない。この小学生の私が悪魔と踊ってもいいと思っていることも。

「いつでも帰ってくればいい」 

祖母が安堵の表情を浮かべて言った。隣に座る叔父も上京の際に似たような言葉をかけられたに違いない。だけど知っている、彼が在学中にほとんど帰省しなかったという事実を。そして何より待ち望んでいたことは、叔父が祖母の言葉にどんな色を添えてくるかということだった。偽言でも子供騙しでも構わないから、あなたの本性を見せておくれ。

「空港まで送り迎えはしてあげる」

叔父は咳ばらいをして、ゆっくりとテーブルに肘をつきながら化けの皮を剝がした。よくもこんなことを恩着せがましく言えたもんだなと感心した。誰よりも面倒くさがりの人間が送り迎えなんてするわけがない。一枚上手だったのはこちらの方だった。ここが法廷なら、私は大衆の前であなたを痛い目に合わせることが出来ただろう。覚えていて欲しい……兄が無意味にジョーカーを最後まで使わなくなったのは、あなたが子供相手にいつもその手を使っていたからだ。

そんなことより祖母のことが気にかかっていた。相補的関係にあった私がここに居なくなった後、この叔父と暮らし始める。もちろん後釜がいるということが前提で、家族ごっこをするという決断が出来た。そのことには感謝している。だが彼の頭は本当に固い。それが彼女の体を蝕んでしまわないかということが多少気にはなるが、今は彼の機転の利く奥さんに一か八か賭けてみるしかないようだ。こんな時、自分の思いを素直に伝えるということは、よく書かれた海外の文学を翻訳してみせるよりも難しい。語彙の引き出しが少ないからではなく、そこには血の通った感情が入り込んでしまうからだ。こう考えると叔父が放った言葉は全くと言っていいほど感情の欠片もなく、恣意の塊だったと言えるだろう。果たしてこの人はあの一流大学で何を学び、それをどのように活かし社会という荒波にもまれてきたのか。私はまずこの悪魔と本契約をするべきだと思い、手始めに遠慮してみた。 

「送り迎えじゃ大変だと思うから片道だけでも」

叔父は改めて攻撃を仕掛けてきた。

「どうして兄ちゃんが越す時に一緒にしなかった?」

この人は話の腰をおるプロ中のプロだ。お陰で部屋の空気は淀み始め、あの化合物は形を変え何か別の危険物を生み出そうとしていた。もし私が八犬士の一人だったなら、今すぐ仲間を集め祖母を連れ、ここではない何処かへ向かっていた。そして話題を変えようと努めた。

「叔父ちゃん、何かことわざ教えて」

「何で?」

「作文にことわざ使えって言われたけど、何も思いつかないから」

「蛙の子は蛙」

あまりの投げやりな態度、その吐き捨て方に、聞いた相手を間違えたと悟った。

「仰いで天に愧じず」

祖母の真摯な眼差しを見た。

「あおいでてんにはじず」

忘れないようにと何度か繰り返し、その夜は分厚い辞書を抱いたまま質の良い眠りについた。

翌朝、叔父は夜逃げよりも早い速度でこの家を後にしていた。少しばかり空気がおいしく感じたのはそのせいに違いない。ただ、換気扇の下に使用済み灰皿をそのままにしていったことにはデリカシーのなさを感じた。まぁ、コーヒーを多めに作りそのまま保温にしておいてくれたのだから、そんなことは水に流してやろう。早い話、どちらも片づけ忘れたということではある。祖母が居間であれこれしているうちに私はこれらを片づけなくてはならない。そして数日後に迫った運動会とやらのためにも、放送委員は常に喉を潤しておかなければ仕事は務まらない。だが不幸にも、この液体であの曲を呼び起こすことは出来なかった。これが本当の「I have no idea」ではないだろうか。

祖母の声がする。朝食の準備が整ったようだ。私はきれいに台所を片づけ、右のものがちゃんと右にあることを確かめた。

「薄めの上着出しておいたから、今日はそれ羽織って。ちょっと肌寒くなってきたからね」

私の体温を季節の変わり目だからではなく、自分の肌のように感じてくれる人はこの先きっとこの人以外に誰もいない。そこらの妊婦でさえ体温のつけ忘れをいちいち旦那のせいにしているような時代だ。世知辛い世の中とかそういったことじゃなく、愛情というものはこうして気づくものじゃないかと思う。だから素直に言えた。

「ありがとう」

祖母のいいところは余計なことをわざわざ口に出さない。もし叔父が朝食に同席していたなら話題は昨日の続きだったはずだ。そして敢えて癒えた傷をほじくろうと試みる。もう少したんぱく質を摂取すれば彼の曲がった性格も良くなるのではないかと思いながら、お皿の上の黄身を潰した。

この日、祖母が用意してくれた上着は兄のお下がりだった。この時はじめて、兄が昔使っていた手袋がそのままポケットにあることを知った。通学路ではない方へと逸れながら暇つぶしにそれをはめてみた。小さかった。

第10話 青翠の先天性 其の壱

あたり前のことがそうでなくなることに違和感を覚えてしまうのは依存しすぎてしまった後遺症なのだろうか。その症状はいつも同じで、狼狽だったり喪失感だ。そう思うと、この町に居続けてはいけない気がした。辺りを見渡せば季節のせいではなく、事業開発で以前よりも減った緑の数。そして、それを前よりも高い場所から見晴らすことが出来ている自分。そりゃ手袋だって買い替えなければならないはずだ。秋晴れの午後、雲ひとつない晴天の下、己が奏で続けてきた譜面を意識的に広げ手直しをした。ここで全休符を打っている場合ではなく、その先を目指し続けなければならない。私が悪魔と踊ったことも、すべてはそこにあった。

運動会当日、赤組だった私はギリギリまで帽子を白と交互に行き来させながら開会の挨拶を待った。くだらない話を聞き、見慣れた顔を拝み、The Amur Wavesを口ずさんだ。とてもしっくりくる。だからといってこの曲の指揮をする権利を剥奪されたことに今更悔いはない。その屈辱を味わうのは誰でもなく、清き一票を投じなかったクラスメイトと無意義に多数決をとった担任だからだ。前者はどこ吹く風と学窓を巣立つのかもしれない。だが後者は日を改めて自身の惰性的選択に大きな大きな疑問を抱くはずだ。そして墓穴を掘ったことに気がつけばいい。それならわざわざ穴を掘る手間も省ける。むしろその穴は巨大で、同僚を道連れにしてしまうという筋書きも愉快だ。私はこれを二石三鳥、いや三石四鳥と呼びたい。こんな空想に耽っていると「天国と地獄」のイントロとともに何ちゃら競争が始まった。今まで気にも留めなかったこの曲がクラシックの名曲として心地よく耳に入り、その雰囲気を体中で味わうことができた。一位が勝者でビリが敗者というのなら、あの時、「さまよえる魂は四国に行くそうです」と自信をもって白黒つけておけば良かったと少し悔いを残した。

ここ数日の天気予報は外れてばかりいて、何を着るべきかと毎朝本当に悩まされた。登校中に見かけた近所の洗濯物は下校時には道路へ吹き飛ばされ、バッハの髪は降水量の増加と共にうねり膨れ上がった。どちらもある種の芸術ではあった。それは自然が生み出した産物であり、人間の手が一切加えられていないから美しい。ある日、故意に予報を聞くことをやめてみた。結論から言うと、依存をせずに己の勘に頼ってみた時の方が物事がスムーズに運んだのだ。別に高級な潤滑油をどこに差したでもなく、ただブレーキをかけなかっただけだ。

やっぱり何かに頼り過ぎてしまうことは体によくないのかもしれない。なぜなら結果が裏目に出てしまった場合、自分に非があるかもしれないという可能性を都合よく忘れ、裏切られたという錯覚だけを起こしてしまうからではないか。例えば十パーセントの降水確率でれあば、八十パーセントの時と比べて傘を持ち歩く人はほとんどいない。ここが落とし穴だったんだ。そこには十パーセントという可能性が存在しているのだ。つまり、長きにわたり可能性というものを見落としていたのだ。ひょっとすると、私が下した決断も吉の結末になり得るわけで、凶のものになるとは限らない。

熟慮の末、辿り着いた打開策は「可能性に賭けてみる」ということだった。ならば、的中時のその配当とは一体どんなものだろうか。 

叔父がいた余韻で落ち着くはずの家が落ち着かない。恒常的にしっかりと己の縄張り感を残していくのは天賦の才だと認めざるを得ない。それに引き替え、私にはここまで際立った才能はないが、理屈ではない算数だけは一歩、いや二歩以上いつも抜きに出ていた。二年前の春のこと、叔父が目を煌々と輝かせながら子供たちに披露したトランプ手品を見破ったことがある。すべては確率統計であり、それをどう視覚的に相手を操るかという仕組みを把握していたからだ。これを受けて、彼は私のことを高慢な青二才だと罵った。そんな人聞きの悪いことを言う前に洞察力に長けていると言ってみてはどうか。ましてや教師にもかかわらず、校訓の指針となる努力や忍耐の大切さは都合よく打ち忘れている。小学校在学中にあの書道教室に立てこもるように過ごした日々だって、放送委員として毎朝決まった時間に登校したことだって、努力の賜物ではないだろうか。忍耐もそうだ。仮に私が藩主から「江戸までこれを届けてくれ」と使命を与えられれば、何か月かかろうがそれを遂行する自信はある。それを飛行機でさえも往復できないような人間がよく言えたものだ。あなたが色眼鏡を通して眺めてきた世界の方がよっぽど狭かったのではないかと楯突いてやりたい。叔父の帰省以来、歯車とは別の何かが狂い始めた。ならば己に与えられた先天性がそれに巻き込まれてしまう前にこの町を出なければならない。その前にもうひとつだけ終わらせなければならないことがあった。

指揮者というものは何だろう。歌い手ひとりひとりの個性や表現力を引き出し、それをうまいことまとめることか。だが私がやらされていることは、やる気のない者たちのモチベーションを上げ、合唱の条件とやらを一つでも多く満たしていくことだ。こんなことならパートのおばさんにだって出来てしまう。ついてこいとは言っていない、ただ行事と割り切って言われたことをやれ。それが嫌なら最初からわざわざ教室に居残らず、さっさと別の使命とやらを果たしに行けばいい。さもなければお前たちが選んだ曲を勝手に歌ってくれたまえ。

苛立ちを抑え、煮え切らない子羊たちに使命を与えることにした。ここからここがソプラノで、こっちからこっちがアルトといった具合に。きっとここで私の陰口をたたくような奴らは、中学三年の夏休みに一体どこに進学すればいいのかと最後の最後まで悩み、そして時間を無駄にした結果、選択の自由と権利を失った究極の迷わざるをえない羊に成長するはずだ。君たち、そういう墓穴の掘り方も美しいのではないだろうか。

下校時にひっそりと佇む近所の雑貨屋に立ち寄った。校則では寄り道をしてはいけないことになっていたが、ルールとは破る人間がいるからルールであって、もし誰も破らなければ存在しないんだと言い聞かせ足を延ばした。そこには私が入学する前から店を構え、ずっと一人で切り盛りしているおばちゃんがいた。数年前、真隣に文房具店が開店するまではここが唯一のお店で、いつも店内は子供たちで溢れかえっていた。その波をかきわける必要のない今は、どこか嵐の前の静けさのような空気が漂う。

ここ最近、自分の心境の変化だけに気を取られっ放しだったせいか、久しぶりに見た彼女に驚いた。やけに老け込んだなと思い、得も言われぬ心模様を無理に抑えて笑ってみせた。

「あら、あらら珍しい、嬉しくておばちゃん涙が出そう。あんたそろそろ中学生になるの?」 

首を縦に振りながら、もうすぐ転校してしまうということを伝えるべきか迷い、薄暗い店内を眺め回した。壁には年季の入ったアイドルのポスターや、既に終わったイベントの張り紙が貼ってある。その独特なムードのせいで、この店に兄と来たことを唐突に思い出した。二人で小銭を握りしめ、欲しかった浮き輪を買うために来たんだった。兄弟でお金を出し合いひとつのものを買ったのはこの時が初めてで、数百円足りなかった二人を見かねて、おばちゃんはオマケをしてそれを売ってくれた。

「おばちゃん、兄ちゃんと昔よく来てたの覚えてる?」 

思わず口から出てしまった。

「もちろん覚えてるよ。二人は本当に喧嘩ばっかりしてたね。もう何年もお兄ちゃん見てないけど、元気?」

彼女が嬉しそうに聞き返した。胸に熱いものがこみ上げ、兄と過ごした時間が脳裏に蘇った。「次の休みに遊びに行く」と言って兄を見送ったのは他の誰でもない、自分だった。つまり兄に期待をもたせたのも、それを守らなかったのも私だったのだ。ここ最近、攻めの姿勢をずっと崩さなかったことに恐怖を覚えた。こうなってくると家族という使命を全うしきれていなかったのは自分ではないのかという疑問を抱いてしまう。もしかしたらあの遊園地で退屈そうにしていたのは私で、それを見かねた母は「そろそろ帰ろう」と言ってくれたのかもしれない。店のストーブの上にあったやかんが音を立てるまで、窒息してしまうほどの息を呑んでいた。

「おばちゃん、今学期が終わったら転校する。兄ちゃんが住んでるところに引っ越しすることになった」 

躊躇せずに言った。 

「確か飛行機に乗って行くって、何年か前にお兄ちゃんが言ってたじゃない。ちょっと遠くなるね……たまには顔見せに来てよ」

満面の笑顔で言うおばちゃん。校則を破ってまで、この人に会いに来てよかった。 

第11話 青翠の先天性 其の弐

合唱祭の前日、あの真っ赤なシャツを箪笥の奥に隠し、どこか清楚な舞台映えのする白いものを手にした。長いこと着ていないと流石にシワや匂いが気になるが、あえてそれを着ようと決めたのには理由があった。胸元に散りばめられたラメの存在だ。こうして腕を通し室内鏡に光が反射し彩る色の種類を、兄が着ていた時には気づきもしなかった。一方的にそれを前からしか見ていなかったのだ。ゲーテの色彩論ではこんな状況をどう展開し定義しているのだろうか。私が知っているありったけの方程式を繋ぎ合わせても出てこない答えを是が非でも探りたい。無論、ドイツ語は勉強しておいた方がいいらしい。そしてフランクフルトがドイツの首都ではないことくらいは知っている自分を誇りに思い、「この際、楽しんだもん勝ちだ」と開き直った。  

腕の調子さえ良ければいい指揮者は、祖母の残した温めのコーヒーをすすり家をあとにした。この日は曇り時々雨で、外で見る限り胸元は輝いていなかった。体育館にはくたびれたシャツから舞踏会用のド派手な衣装まで、明らかに場違いでバランスの悪い色が室内を染めていた。特にうちのクラスは酷い。ハーモニーとは声だけではなく一体感をも含むわけであり、服装について一度も触れなかったビータを鼻で笑った。すぐ前に座るピアノ担当の女の子は順番が回ってくるまで気が気ではなかったようで、ぶつぶつ独り言を言いながら指先を眺める。それなら指揮者も華麗に腕を振る練習とやらをした方がいいのではないか。そんなことよりバッハがここに居ないことが気になって仕方のない私は四方八方を見回し、他からは落ち着きがないと思われていたかもしれない。 

壇上へと上がり準備を整え、いざ観衆へ挨拶をしようと振り返ると、そこには抜き足差し足で会場入りするバッハの姿があった。間違いなく遅刻だ。天気のせいで膨れ上がった髪の毛、忍び足で歩き回る新種のくノ一。大道芸人を匂わせるその風貌を見て、私は吹き出してしまったのだ。誰か彼女に小道具を与えてやれ。笑いを抑えきれず、その勢いに任せて思いっきり指揮をとり、ピアノの伴奏をかなり急かしてしまったに違いない。結果的には例の曲を歌ったクラスに軍配は上がったが、バッハのお陰で波乱に満ちた時間を過ごすことができた。この表彰式の様子が卒業アルバムに必ず載ると確信し、あの企画書から速やかに彼女の名前を消した。  

留美ちゃんはサヨナラを言わない。理由は、「響きが永遠の終わりみたいだから、じゃあねを好むの。外国のお友達ともそうだけどGood-byeは使わない。なんか重く感じちゃうような気がしてね」と言っていた。現にあの彼との別れ際も決まって「じゃあね」だった。この淡白で軽薄な口調が真っすぐ胸に突き刺さる。こんなことを思い出したのは、私は最後まで転校の話を誰にも言わなかったからだ。海外移住するわけでもあるまいし、一人いなくなったところで何も変わりはしない。だったら伝説の歌姫のようにひっそりと身を潜めることの方が潔く、真の美学ではないだろうか。人は去り際が肝心だというのであればこの戦略が一番効果的だと思うし、わざわざ地雷を踏むこともない。サヨナラのどちら側も知っているのは自分だけで十分だと思う。  

終業式を終え、屋上でひとり光合成をした後、浮かれた私はガムを噛みながら学び舎を歩いていた。  

「お、丁度よかった。ちょっと早いけど、卒業アルバムの寄せ書き頼むわ」 

ビータが後ろから呼び止めた。不意打ちをくらい少しバランスを崩した。ガムをうまく奥歯に張り付け左斜めに振り返ると、彼は手招きをして私を職員室の方へと引き寄せた。ひっそりとした室内には数えるほどの先生しかおらず、虚しさというか寂しさというか、物足りなさを感じた。こんな風に面と向かって話したことがなかったせいで、何から話していいのか分からず、戸惑ったあげく挨拶をした。 

「おはようございます」 

そう言いながら時計を見ると既にお昼を過ぎていた。「こんにちは」だったのかなと反省し、日本語の難しさについて改めて考えさせられた。英語だったらHelloで済むし時間に関係なく使える。しかも敬語なんて気にしなくてもいい。では、立ち去る時には何と言うべきだろうか。留美ちゃんの好む「じゃあね」は確かに重くはないが、この場面では不向きだ。平たく言うと、さっさとこの場を立ち去る準備を始めていたのだ。 

「いつ引っ越す?」 

この人は私が転校することを知っていたんだ。そんなことはすっかり忘れていた。よく考えてみると当たり前のことだが、長い間わざと一定の距離を保っていたせいで、瞬発力を失った短距離走者は会話に出遅れてしまった。 

「週末です」 

会話を弾ませる必要はないし、今更距離を縮める必要もなかった。ただ気になったのは紙の大きさだった。そして彼から渡されたのは明らかに手でちぎった小さな紙切れで、そこに好きなことを書いていいという。何でも良いのならA4サイズのものを希望し、あの企画書をまとめたものを載せたかった。さて最後の課題はこれだ。こんな小さな紙切れに己の約六年間をどう要約すべきなのか、ここにきて本当に迷った。だが時間をそんなにもかけていられない私は主観的になり過ぎないようこう書いた。 

めぐりめぐる季節の片隅で 
君と出会えたキセキ感じながら 
振り返らずにひとり歩いていくけど  
Never say good-bye さよならじゃない 

禊がてらのこの文面をビータが読んだ。またこの人は言い回しが分かりにくいとか起承転結が曖昧だとか、そんな好き勝手なことを言うのだろうと期待していた。 

「はい、はい、はい。字がきれいだから読みやすい。やっぱり文才あるな、奇跡がカタカナとかさ」 

正直、漢字が思い出せなかっただけだ。しかし彼の言う「やっぱり」とは何だろうか。簡単に挨拶を済ませ、帰り道に遠回りをしながら考えたのはその意味だった。 

家に着くと、玄関先は段ボールの山で埋め尽くされていた。台所、秋冬物、その他、そんなことが至る所に走り書きされている。叔父夫婦の荷物が届き始めたことを知り、自分がこの場所を去ることを改めて理解し、一抹の不安と寂しさを覚えた。 

旅立ちの日、色々なことを出来るだけ効率よく考えてみた。残り物だが人目を避けて啜るコーヒーも悪くはない。その深みが脳細胞を刺激した瞬間、合唱祭間際にビータが漏らした言葉をふと思い出した。  

「ワルツって淡々で優雅なものが多いけど、焦らないでゆっくり指揮すればいい」 

同時に私が探し求めていたあの曲がワルツだということが分かったのだ。日常が無意識に生み出すひとつひとつの出来事は必然なのだろうか。こうして感慨にひたっていると外から変わった鳴き声が聞こえた。私は反射的に窓を開け、さよならの代わりに「故郷」を口ずさみながら目一杯の深呼吸をした。両側の気管支を締め付ける攣縮の鈍い音がした。身支度を済まし叔父とお揃いだった色眼鏡を外したカメレオンは、初めて見た間色の世界の斬新さと、青よりも青い群青をかすめる鳥の群れに不意をつかれたのだ。胸を押さえながら軋む座卓にゆっくりと肘をついていく。そこには私がいた証ともいえる幾つもの輪染みがあり、それを指で数えながら意識を失くした。 

どうやら予定外の迎えが到着したらしい。そして私の運命に翻弄された身体はその中へと詰め込まれた。 

第12話 間色の世界観 其の壱

慣れないことはするもんじゃない。だが人間という生き物は欲望の塊で、目の前にある幸せだけには飽き足らず、寂寥感と引き換えにその先に手を伸ばし、傷を舐め合う。それは平凡の中にある些細な喜びや悲しみを真に分かち合えるような存在がいないからではないだろうか。あの時、直感で下した自分の決断を恨んだ。果たして私の肉体、精神、心理はうまくバランスを取れていたのだろうか。これらを三平方の定理に当てはめたところで美しい関係式が成立する自信は全くない。今更だがこの若い感情をどこかにぶつけるべきだったと思う。無謀にも既に賽は投げられていた。

分別もつき始めた頃、入退院を幾度となく繰り返していた私は、近い将来この日が来るということを知っていた。故に世紀末の予言を自身の現実と相殺したり、同級生とはあえて関わりを持たなかったり、ましてや家族との絆なんて深めてはいけないと心に留めていた。それは出来るだけ多くの人の涙を無駄にはしたくなかったからだ。とは言え、これが原因で祖母と暮らすことを選択したわけではない。自分が生まれた町で、私を育ててくれた人のそばに出来るだけ長くいたかっただけだ。そしてこれが我が儘だったということは百も承知だ。しかしエンプティネスト症候群のように、私がいなくなることで祖母をその痛み以上に蝕んでしまうことの方が怖かった。これを人は言い訳と呼ぶのかもしれない。

これまでの日常は慣例に従うもので、気まぐれで姿を現す喘鳴の甲高い音色以外は御の字だったといえる。だから書道に従事していた五年やそこらも気がつけば全く苦ではなかった。ある日、こんな記事を朝刊で目にしたことがあった。大気中に漂う黒煙は人間の呼吸器にとって害である。そしてその主成分が炭素であり、それは書道に使用される墨の原料だという。常香炉でもあるまいし、わざわざ煙に面と向かっていくような野暮な真似はしないし、ましてや黒煙ともなるとそんな気を咎めるようなことを望んでするわけがない。けれども一生懸命に墨を磨り続け、掌を、時には至る所を墨だらけにしていた。要するに適度に炭素まみれだったのかもしれない。どうりで週末は静かにしていることが多かったわけだ。

しかし、これは単なる代償期であって、毒素ではなく生産性の高い刺激興奮剤要素として私の背中を押し続けていたんだと思う。例えば、弦楽器を習い初めた直後に指先にマメができてしまうことや、陸上選手が足に違和感を覚えながらも走り続けることも同じ類だ。そしてそれを繰り返すことで皮膚が硬くなり曲がうまく弾けるようになったり、絶え間ない努力の結果として新記録を樹立したりと、本当に達成すべく目標を掲げている時、我々は苦辛というものを一時的に忘れてしまうのではないだろうか。遺憾ながらバーンアウト症候群のように虚無感に苛まれ心因性の問題をその後に患ってしまうこともある。これに当てはまると思った。偶発的に始まったことが意図的にその幕を下ろした時、私の体は免疫力を失い炭素を難なく受け入れたようだ。唯一の誤算は、それが特定の元素と結びついた際、傍迷惑かつ非情に煩わしく不愉快な化学変化を起こしてしまうことだった。――CH2O――こんな防腐剤の成分が体にいいわけがない。当たり前のことが当たり前でなくなった時、人は後天性や副作用の意味を知る。私の場合、こうして病院で管に繋がれているのだ。きっとこれは非代償期に違いない。

誰かの影が光を遮るように見え隠れする。酸素を器用に取り入れ漸進的に目を開けてみせた。そこには父、母、兄……家族がいた。窓から飛び込んできた景色は明らかに見覚えのないもので、かかりつけの病院でないことはすぐに分かった。ここは自分が生まれ育った場所ではない。現に祖母の姿が視界に入ってこないことは苦悶だった。 

「どう、まだ息苦しい?」

久しぶりに見た母とその声に圧倒された。私の行きつけはただの町医者で、洒落た西洋画も洗練された待合室もなく、何かあると患者は最寄りの大学病院または総合病院に転がされていた。だからその一人としてここにいるようだ。そんな瑣末なことを高い天井の下で無意味に見做しながら、蚊の鳴くような声で呟いた。

「ばあちゃんは?」
見当たらない祖母の居場所を尋ねた。

「お見舞いに来たいって言ってたんだけど、寒い時期に無理させてもね。もう遅いし、明日の朝にでも電話かけてみようか……あらら、私の携帯はどこよ、どこ」

体中を触りながら、そんなことを言う母を見て父と兄が笑う。それは祖母を通していつも感じていた、愛情というものの気づき方に少し似ていた。

「これ、ばあちゃんから」 

兄から手渡された祖母からのクリスマスプレゼント。父に頼んでそれを開けてもらうと、中には両手に収まるくらいの置時計があった。理由もなく涙がにじみ、一人になりたくて仮眠をとると嘘をついた。 部屋から遠ざかりゆく彼らの後ろ姿を見て虚を衝かれた。あの並ぶ背中を遊園地で追いかけたことを思い出したからだ。

最終話 間色の世界観 其の弐

祖母からもらった置時計を手に取った。そこには「メロディーアラーム7曲」と書いてあり、興味本位でそれを聞いてみようと晦渋な説明書にやきもきしながら見よう見まねで色々と試みた。まず流れてきたのはグリーグの「朝」だ。それに続いてヴィヴァルディの「春」、ベートーヴェンの「田園」、聞き慣れていて心地が良い。幾つか知らない曲はあったが、どれも好きになれそうなものばかりで祖母に感謝した。そしてこの瞬間がやってきた。あまりの出来事に鳥肌ではなく全身の
毛が逆立ち、それは慄然というよりは畏怖に近かったと思う。最後のひとつが、波状的に探し続けていたあの曲だった。耳を疑った。それは鈍くなっていたからではなく、ある意味あの的中時の配当がこんな場所でこんな風にもたらされたからだ。私は遮二無二でもその曲のタイトルを知らなければならなかった。置時計を文字通りそこらに打ちやって、さっきまで雑に扱っていた説明書を上から下、左から右へと舐めるように視線を這わせた。

Shostakovich: VI. Waltz 2
 
眠気が襲うまでこの曲だけを流し続けた。きっとカフェイン好きの大人が、その体がコーヒーをやたらと欲しがるようなものだ。ただ彼らがその理由をうまく説明できないのと同様に、私にもできない。あえて言うなら円周率のようなものだと思う。やっぱりそうだ。日常が無意識に生み出すひとつひとつの出来事は必然で、こうしてここにいることもそうに違いない。
後に分かったことだが、私は血液中の酸素不足による呼吸困難で意識を失い、数日間ここにいたらしい。

退院の朝、朝焼けが差し込む病室に母が一足先に訪れた。
「おはよう。もう起きてた?」
「うん、さっき看護師さんが様子見に来てくれたから。みんなは?」
「お父さんもお兄ちゃんもまだ寝てる。もう少ししたら目覚まし鳴って起きる時間だけどね。気分はどう?」
二人っきりで話をしたのは随分久しぶりのことだった。そこには私を拘禁していた確執だとか固執だとか執着だとか、そんなものは一切なかった。
「朝ごはん食べたら、先生にもう一回診てもらって……それから、おばあちゃんの家に行こうね」
出しっ放しにされた置時計を箱に戻しながら母が続けざまに言う。
「本当は私が近くにいられたら一番いいんだけどね。還暦過ぎてから、なかなか自分一人で出来ることが少なくなってきたって、おばあちゃん」
それは私が薄々気づいていたことであって、ここ最近の祖母の体調と比較しても合理的な説明であった。
「でも良かった、叔父ちゃん夫婦が一緒に住むことになって。やっぱり安心よね、そばに誰かがいると。春には孫がもう一人増えるから、おばあちゃんも病気なんてしてる暇はない。今、何週目かな……後で叔母ちゃんのお腹触らせてもらおうね」
この時、読まずじまいのあの手紙の真の結末を知った。

思えば長い間、自分の都合だけで舵を取り、大人の事情を計算には入れていなかった。母が駆け落ちした所以も、叔父が帰省しなかった真意も、本当のことは何も知らない。己の稚拙さに愕然とし、形容しがたい良心の呵責に苛まれた。痴愚という表現が妥当なところだろうか。
「叔父ちゃんたち、もう帰って来たの?」
「うん。昨日の夕方、着いたって連絡あってね。それもあってお見舞い来なくてもいいよって、おばあちゃんに言ったの」

母と交わした会話の中に、私がずっと模索していた答えがあった。可能性に賭けた、これが正真正銘の的中時の配当だ。

病院を背にして、父は祖母のもとへと車を走らせた。この日の高速道路は空いていて、私たち兄弟はいつもより上機嫌でお喋りだった。そんな輪に時折入って来る両親。何だかテレビで見たことのある一家団欒を体験しているようで心が弾む。飛び交う言葉に笑い声、すべてに郷愁をかられて、祖母があの喫茶店でこう言ったことを思い出した。

――きっとみんな待ってるよ、いつ家族そろって一緒に暮らせるかって――

「春休みにみんなでどこか行こうか?」
突然、父が言った。いち早く反応したのは助手席に座っていた母で、後部座席に座る我が子の顔色を探ろうと振り返った。不意に見つけたその横顔はどことなく祖母譲りで、今まで気づきもしなかった角度だった。
「四国に行きたい」
誰にも伝えられずにいた本音。久しぶりに喉から突き出た言葉は建前をぶち破った。
「四国? お前の目的は何?」
懐かしい兄のトーンに浸り、その答えを言おうか言うまいか迷った。
「お遍路」
「は? よく分からんけど、春休みにその可能性はないかな……」
「可能性を信じる限り、それは手の届くところにあるらしいよ」
大好きなヘルマン・ヘッセの名言だ。それを数回ほど小声で唱え、目を閉じた。

「もうすぐ着くけど、何か買っていこうか?」
母の話し声が車内に響く。飛び込んでくる景色は見覚えのあるもので、それは何年も歩き続けた
通学路だった。いつもここを抜けながら枯葉を靴で踏みにじり、その音を楽しんだ。特に晩秋はいい、色調と音域が豊富で私の視覚と聴覚をそつなく交互に刺激する。
「お父さん、止めて」
私は書道教室の前で車を止めてもらい、先に行ってほしいと促した。それは立てこもるように過ごしたあの場所に、誰にも悟られないように「じゃあね」と告げるためだ。ひとり窓から室内を覗き込み、ここで墨を磨った最後の一枚「母校」を壁に見つけた。そこには「母」と「父」という字が力強く勇み立つ……そして脱力にも似た生ぬるい感情に襲われた。

「おかえり」 
祖母の変わらない、絶え入るような声が宙を舞う。私は家先へと眼差しを注ぎ、真っ新な風をからませ声をあげた。
「ただいま。寒いから中に入って」

――両腕で丸をつくる彼女が前よりも小さく映る――

ここから俯瞰できる世界、大気に散乱する光の下、自分が成長したことを知った。

――完――