• 『雨の日の幽世』

  • 安東門々
    ファンタジー

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    梅雨の時期はいつも憂鬱な気分になりがちだったのに、今年は違った。 例年の梅雨とは違い、今年の篠突く雨は遠慮なく私たちの体を濡らしていく。 下を向きながら歩いていると、水たまりの中に電車が走っている。

第1話

憂鬱という言葉に彩は関係ない。
鮮やかな紫陽花の色合いも、カラフルな子どもの長靴も私には皆同じ色に見えてしまう。

「雨、嫌だな」

今年の梅雨はいつもの年とは違い、霧雨のような細く柔らかい雨ではなく、細いのに力強く私の身体を容赦なく濡らしていく。

「寒い……」

靴下まで濡れた足元を不快に思いながら歩いていると、大きな水たまりがある。
いつもなら避けて通るのに、その日はなぜか突っ切ってしまおうと思ってしまった。

「どうせ濡れているしね」

なぜか薄い笑が頬を吊り上げると、私はそのまま水たまりに足を入れようとしたとき、ふと何か光るモノが水たまりの中を移動していた。

「え?」

不思議に思い、スッと足を元の場所に戻すとマジマジと水たまりの中を見つめていく。
眼鏡に水滴がポツポツとあたるのも気にせず覗き込むと、光がとまり姿を確認できた。

「で、電車?」

私は驚いた。なにこれ? 幻でも見ているのだろうか?
水たまりのなかに電車が止まっている。そして、ゆっくり扉が開くとすぐに閉じてしまう。

私はずっとその過程を見つめていた。だってそうじゃない? 周りには民家しかないのに、駅だって遠く線路もない。
そんな場所になぜ電車があるの? 立ち止まっているのに肩が濡れだしていく。

自分の熱と雨が混ざり、ぼわっとした熱が体の周りを纏っていった。
そうこうしているうちに、電車はまた走りだしていく。

「な、何が起こったの?」

不思議なことがあるものだ。これはもしかすると、夢なのかもしれない。
そう思って顔を上げようとすると、不意に目の前から声がかけられた。

「ほう、面白い。お主見えるのか?」

ハッとし、急いで顔を上げるとそこには狐のお面を被った男性と思われる人が立っている。
服装は紫陽花色の着流しに、紺色の帯をしている。
声の感じから男性であるのは間違いないけれども、低く優しい感じの声色をしていた。

「え? え?」

不審者? 私が最初に思い浮かんだ言葉はそれだった。
狐のお面を被った人物は私をマジマジと見つめて、フムフムと言いながら頷いている。
私は体が動かず、言葉も出てこない。
ただ、不思議と思考はしっかりとしており、お面の人物に降り注ぐ雨は彼の体を濡らすことなく、スッと着ている服に吸い込まれていく。

「私の声が聞こえるかね?」

コクリと頷くと、ピョンとその場で飛び跳ねクルっと一回まわりすると、また私を見つめてくる。

「そうかそうか、これは嬉しいことだ」

パンッ! 手をあわせて叩くと、ふっと身体が軽くなる感覚の後に声が出せるようになっていた。

「え、えっと……あなたは?」

「私かね? 戯(そばえ)と申す。あなたの名を教えてくれないかね?」

「私は……日向です。御山洗(おやまあらい) 日向(ひなた)です」

「おぉ、なんとも良い名ではないか」

「あ、ありがとうございます」

何が楽しいのか、表情はわからないけれども声のトーンが明るいので、きっと機嫌は悪くないと思う。
それに、自分の名前を褒められたのは初めてだった。
まず、苗字をすんなりと覚えてもらった記憶がまるでない。

「それで、私の住む世界が見えたと思うが、そんなあなたに頼みたい事がある」

頼み? いったい私に何を頼むというのだろうか? そもそも、こんなに怪しい人の話をなぜ真剣に聞く必要があるのか疑問でしかない。
だけど、なんだろう。不思議なことに怖いや恐怖といった感情は芽生えてこなかった。
それに、狐のお面の人が言っていた【住む世界】という言葉がどうしても気になってしまう。

「頼みって、いったい私に何を期待しているのですか?」

「なぁに、恥ずかしいのだがね。火を無くしてしまったのだよ」

ひ? 言葉の感じから【ひ】とは、火のことを指しているように思える。

「ひって、あのぼうぼう燃える火のことですか?」

「そう! その火だよ。私のは特別でね。照らすための火なのだが、先日この現世(うつしよ)でちろっと遊んだときにどこかに置いてきてしまってね。困ったものだ」

「では、遊んだ場所に行ってみて探してみてはどうですか?」

現世という言葉にひっかかりを覚えたが、今は話を進めることが先決だった。

「そうしたのだが、どうも見つけられない。おそらく現世の住人が持って行ってしまったのだろう……」

「火を持っていくのですか?」

コクリと頷いて、ヤレヤレといった仕草をしている。

「火なんて、どうやって持って行くんですか? 絶対怪しい人にしかみられませんよ」

無論、今私の目の前にいる人も十分怪しいというツッコミは現段階では無視することにしていた。

「確かにその通り、だが、本来なら現世の住人には私の火は見えないのだよ。それが取られたということは、日向のように特別な力があるのかもしれない」

私に特別な力がある? そんなことは初耳だ。それにサラッと呼び捨てにされているのも気になるし、確かに私の苗字は言いにくいと言われたこともあるし、覚えにくいとも言われた経験があった。

だけど、今起きていることに対しすべてに反応していてはダメだと私は理解している。

「頼めるかね?」

「私に不思議な力があるとおっしゃいましたが、本当にあるのですか?」

「問題ないよ。現に、私と会話をしているではないか、私はあなたたちが言うところの、そうだなぁ……幽世と言えば通じるだろうか? 少し違うが、まぁ現世とは違った世界の住人だということだけ理解してくれたまえ」

つまり、別の世界の住人と平気で会話をしている私には十分に特別な力が備わっているということで間違いないだろう。

だけど、手伝うのかは別だった。

「こちらに何かメリットってあるのですか?」

「なんと! そんな俗物的な考えではダメだぞ、もっとこう奉仕の精神というか……」

「そうですか、先を急ぎますので、失礼しますね」

一歩動き出そうとしたとき、またパンッ! と、綺麗な手を叩いた音が聞こえてくる。
すると、また私の体は動かなくなってしまった。

「頼む、この通りだ。私から差し出せるものは何もないが、どうか、頼む協力してくれないか、この現世では私はほとんど何もできないうえに、知識も乏しい、何卒よろしくお願い申し上げる……」

丁寧に頭を下げてくる。

口だけは動くので、大きなため息を一つつくと一言「いいわよ」
それを聞いたお面の男性は喜び、手を二度叩くと体が動き出した。

「ちょっと、その勝手に体の動きを止めるのやめてくれませんか?」

「ふむ、善処しよう。それよりも、引き受けてくださりまことに感謝する。そ、その先ほど私から何も差し出せないと申したが、些細なことでよければ、どうだ? 心地が違うであろう?」

戯と言った人、いや、人なのかもわからないが、また変なことを言い出した。
心地? 何の心地なのだ……ろ? あ、あれ?

私は足元に違和感を覚えてぺちゃぺちゃと歩いてみると、先ほどまで不快だった濡れた靴下の感覚も無くなり、さらにぼわっとした中途半端な熱も周りから無くなっている。

「え? な、なにこれ?」

「いや、日向は随分と雨が嫌いだったようでな、取り除いた」

試しに手を傘から出してみると、雫が触れたかとおもうと、何もなかったかのようにスッと消えていく。

正直凄いと思った。震えながら傘を閉じると、雨が全身に降り注ぐが私の体温はそのままを保ち続けている。

「す、すごい!」

「喜んでいただけたかな? まぁ、なんだ。よろしく頼むぞ」

彼が差し出した手、細くそして柔らかそうな指先に私は自分の手を差し出して握り返した。

第2話 

カランコロンっと、乾いた足音が私たちの足元から聞こえてくる。
周りは雨を吸いきれないアスファルトが、勢いよく雨を弾き返しているのに、隣を歩く彼の足音はいつまでも心地よく一定のリズムを刻んでいた。

「で? 私は具体的になにをすれば良いの?」

漠然と火を探してくれと、言われても具体的に何をすれば良いのかわからない。
ただ茫然と街を歩いているだけではダメだろうし……

「ふむ、具体的にか」

コクリと下を向いたかと思うと、ぴょこぴょこと雨の中を走り回っている。
正直、こんな人が知り合いにいたら絶対に関わりたくないけれども、不思議と私が住んでいる世界の人でないと思うだけで、なんとなく受け入れられてしまう。
それに、戯(そばえ)は私以外の人には見えていないようで、今も買い物袋をもった女性が横を通っても視線すら送らないでいる。

「なぜ傘をさす?」

彼が私に手伝ってくれるお礼の一つとして、雨に濡れないというモノを贈ってくれたらしいが、いくら濡れないからと言って傘をさしていないと周囲の視線がかなり痛いだろう。

「なんとなくよ。雨の日は傘をさすものでしょ?」
「そうか? そうなのか? なるほど、現世(うつしよ)の民はなんとも不便な暮らしをしておるのだな」

「不便って……ずっとそうだったから、何も疑問に思わないわよ」
「窮屈ではないか? 雨の日に見上げる空は良いぞ、ほれ」

ほれって……でも、よく考えてみると雨の日にゆっくりと空を見たことが無いかもしれない。
もちろん、建物の中からは見たことはあるけれども、何もフィルターが無い状態では今まで経験したことは無いと思えた。

私は周囲に人がいないことを確認すると、傘をそっと避けて空を見上げてみる。

「うわ……」

鉛色の空から、無数の雫が落ちてくる。
当たり前なのだが、それが不思議なことにゆっくり落ちてくるように感じた。
普通なら雫が目の中に入ってしまいそうなのに、それはなく、何の障害も無しに空をただ見上げることができた。

「どうだ? 明るい空とは違った世界であろう?」
「曇っているだけじゃない?」
「そうか? そうも見えるかな」
「他にどう見えるのよ」
「それは、日向が見ている景色だよ」

よくわからない受け答えを終えるために、私はまた傘をさして歩き出していく。
ただ、初めてゆっくり見上げた雨の空は思ったよりも綺麗だったかもしれない……。

「それじゃ、探し物どこに置いてきたのか候補はないの?」
「あるぞ! あるぞ! 私がこの現世に来て必ずいく場所がある」

そう言って案内してくれたのは、私たちが出会った場所から十五分ほど歩いたところにある小さな社だった。

「小さい……こんな場所にあったなんて」
「知らなかったか? まぁ良い。日向が知らなくともホレ」

戯の視線……お面があるから分かりにくいけれども、その先にはまだ真新しいお饅頭がお供え物として置かれている。

「日向が知らなくとも、こうして誰かはこの社を必要とし、こうやってお供え物もしてくれるし、綺麗にしてくれている」

「確かにそうかも、私が知らないだけで誰かは知っている世界がこの狭い地域の中にもあるんだなって、たまに思うから」

「そうだろ? だから、面白いと私は思う。常に変わろうとする現世において誰かから必要とされ残っている存在もいるというのは」

丁寧にお供えされたお饅頭を手で掴もうとする戯、私はそれを止めようとしたとき、不意に社から声が聞こえてきた。

「やい! 毎度毎度、供物に手を出すのをやめないか!」
「ほう! これはこれは、寝ていると思ったが、起きておったか……烏に食べられそうなのでな! 私が食べようとしたまでよ」

声のする方をみると、社に祀られている白い狐の置物がクルリと動き出し、ピョンっと私の足元に来る。

「こら戯よ! 我の社に来るのは良いが、松恵(まつえ)さんが置いていく供物に手を出すな!」

「なんとも難儀なことを……美味しそうな食べ物があれば食べるのが常であろう、それにしてもわからない、なぜ現世のお主たちは供物を食べない? 幽世では食べ放題であるぞ」

「ならば、お主もそこで食えばよかろう、わざわざこちらに来てまで食う必要はあるまい」

二人? 二匹? の会話に入っていくことができない私はただ茫然とやり取りを眺めているだけだった。
だけど、社からでてきた小さな狐は私の存在に気が付くと、何か面白いモノでも見つけたかのように、ニヤニヤしながら話しかけてくる。

「おんやぁ? 随分と珍しい、戯と一緒にいるからどんな人かと思えば、我らが見えるのか?」

「日向は見えもするし、話もできるぞ」

「ほう! 面白い、烏や虫と話すのは飽きていたところだ。どれ嬢ちゃん、私と少し話をしないかね?」

じょ、嬢ちゃん? この狐は何が楽しいのか、ケタケタと笑いながら大きくなっていくと、次第に人の形になっていく。

「え? え?」

「待て待て空木(うつぎ)よ。日向は私との約束があるぞ」
「まぁ、焦らんでもよいだろう、こう久しく人と話すことなどないのだから」

空木と呼ばれた狐は白髪の綺麗な初老の男性に姿を変えると、私に丁寧にお辞儀をしてくる。
こちらも慌ててお辞儀を返すと、一歩近づいてきた。

「初めまして日向と申したな、我は空木と申す。以後お見知りおきを」
「初めまして御山洗(おやまあらい) 日向(ひなた)です」

「随分と素敵な名前ですな」

また名前を褒めてもらえた。 狐の世界では私の名前は素敵なのだろか?
そもそも、戯は狐なの? まぁ、キツネのお面を被っているのだから、狐と呼んでも差し支えないだろう。

「あ、ありがとうございます」

うんうんと、満足そうに頷く空木と呼ばれた狐は今までニコニコしていた顔をやめると、スッと表情を変えて私に話しかけてくる。

「戯との約束があると申したが、どうだ日向よ。ちと私の話も聞いてくれないか? きっと探しているモノの手がかりになると思うぞ」

彼は約束とだけしか伝えていないのに、空木さんは私たちが何かを探しているのを言い当てた。
横に立っていた戯は小さく頷くと話をするように促し始める。

第3話 

空木(うつぎ)と呼ばれた存在は一つ咳をすると、静かに話し始める。

「そんな畏まらんでも良い……私がね、気にかけている人がいるんだよ」

その言葉に対し反応したのは戯(そばえ)だった。

「ほう、珍しいではないか。そなたが人を気にかけるなんぞ珍しいではないか」

「まぁな……こう長い間現世(うつしよ)に居ると、そういった気まぐれも起きるのじゃよ」

そして、淡々と語りだしていく。

「随分長くこちらの世界にいたが、人というのは私たちの存在を忘れていくのが常だと思っていた」

時代が進むにつれ、この小さな社は人々の視野から遠のいていく、最初は受け入れ難かったが次第にそれが「普通」になっていくと、空木は諦めていった。
そして、ただ朽ちて現世の世界から存在が消えてしまうのをただ待とうとしていたときだった。

「彼女が現れたのだよ……」

「彼女? ふむ、女性か」

「何か文句でもあるか?」

「いや、そもそもなぜこの世にこだわる? 幽世に戻れば良いだけではないか? 現世になんの価値があると言うのか?」

「価値? 価値観では到底説明できんのだよ。幽世の世もまた居心地が良いのは間違いない、ただ。この儚い世界に私はあちらの世界とは違う魅力を感じているのだよ。お主も住んでみろハマるやもしれぬぞ?」

「遠慮しておく、さて、話の続きを聞こうではないか」

双方のやり取りに私はただ耳を傾けて、真剣に聞くだけしかできないでいる。
たぶん、戯と空木はきっと随分前からの知り合いなのだろう、なんだか二匹? の距離感が絶妙なのがその理由だった。

「うむ、女性の名前は松恵(まつえ)さんと言ってな……」

「あ、その人ってこのお饅頭の?」

その通りと頷く空木、そしてその女性を助けてほしいと言ってきたのだった。

「彼女は私の存在を唯一必要としてくれている人物なんだよ。他の人は私の存在にはちっとも目を向けようとはしない。だが、彼女だけは違った」

話を聞くと、松恵さんは小さい頃からこの社に来ていたそうで、成長していくにつれ段々と訪れなくなったのだが、何か大切なことがある日は決まって社に赴いている。
自分が進学するとき、大人になったとき、結婚するとき、子どもを授かったとき……松恵さんは必ずこの社に近況を伝えにきている。

「それで、その松恵という人を救えというが、何をすればよいのだ?」

「さて、それがわからぬのだよ……彼女はずっと何かあるたびに私に詳しく話を聞かせてくれたが、このところ話をせずただ社を掃除しお供え物をして帰るだけなんだ」

「それのどこがダメなのだ? いたって普通ではないか」
「いや、頻度が変だ。最初は二週間、次が一週間おき。最近は三日おきに来ている」

確かに言われてみると変な気がした。
この社を必要としてくれている人が何か悩みを抱えているのでは? そう思った空木は、自分は何もできないので、手を貸してくれと言ってきた。

「どうする日向?」
「どうするって……ここまでお話を聞いたら放っておけないじゃない」

私の返事を聞いて喜ぶ空木は、また姿を狐にかえると社の中に戻っていく。
松恵さんの情報を聞こうと思っていると、不意に後ろから声をかけられた。

「あら、珍しい」
「え?」

振り返るとそこには腰が少しだけ曲がり、細く大きなメガネが似合って白髪の綺麗な女性が立っていた。

「あ、ど、どうも」
「どうもこんにちは、珍しいわね。何か願い事でもあるのかしら?」

「あ! いえいえ、ちょっとお話をしていただけです……」

「そうなの? 奇遇ねぇ、私もちょっとお話をって思ったけれど……またの機会にするわ」

そう言うと、来た道を引き返そうとする女性を私は思わず呼び止めてしまう。

「す、すみません!」

私の呼びかけに対し、ゆっくりと振り向いてくれる。初めて会うけれど、たぶんこの人が空木の言っていた松恵さんではないだろうか?

「どうかなさいましたか?」
「ごめんなさい、呼び止めてしまって、私のお話はもう終わりましたので、どうぞ」

「あらそうなの? でもごめんなさいね。ちょっと話す気が失せちゃって」

私が居たからですか? そう言葉を発しそうになったとき、後ろで黙っていた戯が背中を叩いてくる。
そして、ゆっくりと近づき耳元でこう囁いた。

「日向、この人我らが見えておるぞ」
「え?」

私は驚いて戯(そばえ)の言葉に反応してしまう、普通の人には彼らは認識できない。
だけど、彼女は違っていると戯は言った。

「あらあら、バレちゃいましたか……いつも静かな社なのに今日は随分と賑やかだと思いましてね」

「え、えっと……」
「私の名前は篠月(しのつき)松恵と申します」
「は、初めまして御山洗(おやまあらい) 日向(ひなた)です」
「私の名前は戯と申す」

ご丁寧にありがとうと言って頭を下げてくれたので、こちらも慌てて下げると小さく笑ってくれる。

「松恵は我らの姿が見えるのか?」
「はい、ぼんやりとですがね。つい最近になって今まで見えなかったものが見えるようになってきたのですよ」

声も聞こえて、戯と会話もできている。
ちょっとこの場だと雨にも濡れてしまうので、雨宿りができる場所に向かっていく。
そして、小さな橋の下に入るとひんやりとした空気と橋に当たる雨音が心地よく響いていた。

「ここなら落ち着いて話ができるであろう、松恵よ。なぜ我らが見えるのを日向に隠していた?」

「ごめんなさい、別に隠しているつもりではなかったんだけどね。だって、もし日向さんが普通の人で、隣に狐のお面を被った変な人がいますよ! なんて、言ったら大変じゃない?」

確かにと頷く戯、逆になぜ彼は彼女が見えているのがわかったのだろうか?
「ねぇ、戯はなんで松恵さんが見えているってわかったの?」
「それは簡単だ。彼女が話しかけてきたとき、最初に視線があったのは日向ではなく私だったのだよ。それからは意図的に私を見ないようにしていたが、日向が居るのに私を見る理由は一つしかなかろう」

なるほど、そういう所までしっかり観察しているなんて、私は少し戯のことを侮っていたのかもしれない。
松恵さんは、傘を丁寧にしまうと肩で大きく息を吐くとこう言ってきた。

「もし、私が見えるようになったのはあの【火】が原因かもしれませんね」

第4話 

【火】という言葉を聞いて私と戯(そばえ)の身体が少しだけ強張った。

「あ、あの松恵さん。その【火】ってなんですか?」

「そうね、なんて表現したら良いのかしら……あの日、神社の近くを通ったとき、道の端にぽうっと光るモノを見つけたの、そしたら掌ぐらいの大きさのチロチロと燃える【火】だったのよ、信じられる?」

「ふむ、詳しく説明してくれないか」

雨脚が弱まり、コンクリートを撫でるような雨が周囲の熱を奪っていき、夕暮れが近づいていることを報せてくる。

「不思議なモノだったわ、普通雨に濡れたらあんな弱い【火】は消えてしまうのに、小さくても力強く燃えていたの、私が危ないと思って何度か消すように試みたけれど、全然ちっとも反応してくれないの、むしろ全て通り抜けちゃうのよ」

水を汲んできてかけても、水は【火】に触れることなく、地面に吸い込まれていき砂をかけても、同じ結果だったと彼女は言う。

それを聞いていた戯は小さく「当たり前であろう、現世(うつしよ)のモノではないのだから」と呟いていた。

「それで、放っておけなくてね。どうしようか迷っていたら、段々と惹きつけられて触っちゃったの」

だけど、不思議と熱さはなくそっと持ち上げられたそうだ。
そして、そのまま家に持ち帰り瓶の中に入れて酸素が無くなって消えるのを待ったけれども【火】は消えることなく、いつまでもチロチロと燃えているのだった。

「ふむ、松恵よ。その【火】を私に見せてはくれないか?」
「えぇ、もちろん大丈夫ですよ。ただ、変なことにアレを持ち帰ってから私の周りで変わったことばかりおき始めて……」

私の耳元で戯がボソッと呟く、元々この世界の代物でないモノが長時間その場にあると、段々とこちらの世界にも影響を与えてくる場合があるそうで、ハッキリと何々が起きるとは言えないが、早めに回収するに越したことはないらしい。

「ちなみに、変わったこととは?」
「そうねぇ……今まで見えなかったモノが見えるようになったと言うか、感じるようになったかしら」

松恵さんが一番初めに変化に気が付いたのは、朝一番に庭の花に水を与えているときで、花たちがユラユラと不規則に揺れたかと思うと、今度は小さな声が聞こえてきたという。

「びっくりしたわ、花びらの裏側を見たら小さな妖精さんたちがお話をしていたのよ」

「なんだ、現世では珍しいのか? 妖精とはまた可愛らしい呼び名よのぉ……おそらくそれらは精霊で葉槌(ハツチ)だな、あやつらはお喋りでたまに五月蠅いぐらいだったぞ」

「あらハツチさんって言うの? 他にもお庭の柿の木もお話をしてくれるようになったのよ」

「ほう珍しい、久久能智(ククノチ)が語り掛けるなんてよほど気に入られているのだろうなぁ、そうか松恵は良い人であるのは間違いないな」

ニッコリと微笑む彼女は、そのまま話を続けていく。
不思議なことが起こり始め、社に報告に行こうとしたが、どうやって説明してよいのかわからず今まで来てしまったそうだ。
それに、不思議なことは日増しに重なり徐々に不安な部分も増えてきたと言っている。

「ねぇ松恵さん、不安なことって? 私たちがお手伝いできることってありませんか?」

「やさしいのね……不安とは違う気もするけれど、少し怖い感じがするのは間違いないわ」

怖いという単語を聞いて思わず体が緊張した。
いったい戯の【火】は彼女の周りにどんな影響を与えているのだろうか?

「なんだか最近ずっと誰かに見られているような気がしてならないの」

「え? それって……」

「うむ、人間ではないだろうな今までの話を聞く限りだと」

【チ】と呼ばれている精霊さんたちは、彼女に好意的であるけれども不快な感情を抱かせるような行為はしなかったと言う。だったら、別の存在で彼女をそういった気持ちにさせる存在がいるのかもしれない。

「それは厄介かもしれぬな」

「そうなの? 困ったわねぇ……普段の生活ではまったく困っていないけれど、やっぱり怖いよねぇ」

困っていない、たぶんこれは嘘だろう、だって困っていなかったら社にそんな頻繁に足を運ばないだろう。
「松恵よ、その【火】を我らに渡してはくれないだろうか? 早ければそれで解決する場合もあるぞ」

「あらそうなの? 預かってくださるならありがたいわ」

だけど戯は今まで見えていたモノも見えなくなると言うと、少し寂しそうに「仕方がないわね」とだけ言って頷いてくれる。
私たちは松恵さんの家に向かって歩き出した。

途中、社の横を通るときに不意に背後から空木(うつぎ)の声が聞けてくる。

「コレを持っていけ」

ただそれだけ私に伝えると、ポケットに違和感を覚えた。
こっそり手を入れて確認してみると、一寸ほどの狐の置物が入っており、私はそれをギュッと握りしめるとまたポケットの奥に戻した。

彼女の家に到着するなり、戯は入口の前で止まってしまう。

「どうかしたの?」
「ん……いや、少し遅かったかもしれぬな」
「遅いって?」
「まだわからぬが、急いで回収せねばなるまい」

松恵さんの案内で瓶に入れられた【火】を受け取る戯、キュッポン! っと、コルクの栓が抜けるとスッと【火】は消えていった。

「あら不思議!」

驚く松恵さん、戯(そばえ)はそのまま深呼吸を一度行うと淡々と語りだした。

「すまない松恵よ。これは元々我のだ……そなたには随分と迷惑をかけてしまった許してほしい」

「そうだったの? でも良かった。ちょっと寂しいけれど元の鞘に収まったてことよね?」

「うむ、そうだと言いたいが、時すでに遅しといった感じかのぉ……」

戯の言葉を聞いて驚く私たちに対し、彼は小さくため息をつくと話し出していく。

第5話

「この世のモノ、つまり現世(うつしよ)の世界では【念】がかなり強く作用してしまう」

え? 急に何を言い出すの? ネンってあれのこと? その……怨念や執念の念? 

「念? それが何か私に関係するのかしら?」

松恵さんも不思議そうに首をかしげながら戯(そばえ)に問いかけている。
しかし、戯は再度ため息をつくと、一つ声のトーンを落として淡々と語りだしていく。

「そもそも、この家は【チ】たちが多すぎる。これほど好かれる人間は稀だ。よほど良い行いをしているのだろう……だが、それはある種のヤツらにとっては、非常に好ましくない状況でもあるのだよ」

松恵さんは更に分からなくなったのか、困った表情をしてだしてしまう。私も彼が何を言居たのかまったくわからないので、今度はこちらから質問をしてみた。

「ねぇ、さっきから回りくどい言い方をしているけれども、何が言いたいの?」
「ふぅ……ハッキリ言わせてもらえば、この場には招かざる客がおる。しかも、かなり強い【念】を抱いている」

それを聞いて私たちの顔色が一気に悪くなる。
確かに松恵さんは、ここ数日高頻度で空木(うつぎ)の社に足を運んでいた。何かを感じ取っていたのかもしれない。

「松恵よ。最近三日おきに社に足を運んでいたそうだが、それはなぜだ?」
「そ、それは……」

私と同じことを思ったようで、戯が彼女の前に立って話しかけている。

「その【火】を見つけた日から、不思議なことが起こり始めたのだけれど、それとは別に何か違う不思議なことが起きているようで……どう説明したらよいのかわからないけれど、こう周りから感じる優しい感じや温かな感じとは違って、ちょっと怖いというか……」

だから彼女は頻繁に社に足を運んでいたのか、だけど、この奇々とした状況を誰にも相談できずにいたうえに、社でも本音を言えなかったようだ。
むしろ、その変な違和感がなんなのかハッキリしないのが一番の恐怖なのかもしれない。

「この【念】というものは、非常に心強くもあり厄介な一面ももっている。この地にある【念】が強すぎるので、我の火が媒介となり別の存在を呼んでしまったようだ……空木……社のヤツの話では足を運んでいる間隔が短くなっていると聞いたが?」

何かを躊躇う素振りをみせつつ、覚悟を決めたのかゆっくりと唾を飲みこむと、彼女は話始める。

「そ、その……実は、夢をみるようになったのです。しかもハッキリと」

夢? 夢をみること事態は変なことのようには思えない。実際私たちは常に何かの夢を見ていると言われていた。
だけど、それを覚えているかいなかの違いだとどこかで読んだ記憶があるので、特段珍しいことだとは思えないのだけど……。

「どんな夢なのかわかるか?」
「えぇ、ハッキリと覚えています。毎回同じ夢なので、亡くなった主人が必ず出てきて何かを話しかけているのですが、何を言っているのかまでは理解できなくて」

顎に手をやりながら何か考える素振りを見せる戯(そばえ)に対し、顔色が悪くなってきている松恵さん、確かにいつも同じ夢というのは変な気がしてならない。

「この家は、いわば小さな霊域になりつつある。簡易的ではあるが、幽世の世界と繋がりやすくなっている。そして、夢はこの現世とはまた異なる世界」

タンタンとゆっくり歩きながら、静かに家の中を見て回る彼の後を私たちはついていく、そして、庭の奥にひっそりと建てられた小屋の前で戯が立ち止まる。

「どうかしたの?」
「ん? あぁ、何やら、ここが怪しいと思ってな」
「あら? ここですか? ここは、主人が何か大切なモノをしまっておくために建てた小屋でして、鍵も見つからないし壊して中を見ようと親戚は言いましたが、あの人が大切にしていた小屋を傷つけるなんて私にはできませんでした……」

戯が小屋の前に立ち、鍵に手を触れると錆びた金属が動く音が聞こえパリンッ! と、音がしたかと思うと、扉が開いていく。

「これは面白い。鍵は偽物でこの小屋には人払いの【(じゅ)】がかけられている」
「な、何それ!? 何か封印でもされているの?」

【呪】という、嫌なイメージしかない言葉を聞いて私は松恵さんの近くに行って彼女を後ろに下がらせた。

「そう身構えるな、まだ(・・)何も起こらんよ」

そう言って扉を開け、中に入ろうとする戯を私たちは見守ることしかできないでいる。

「あの人、いったい誰なの?」

松恵さんが小声で聞いてくるが、そもそも私もそれは知らなかった。むしろ人なのかもわからないでいる。
返答に困っていると、中から彼が出てくるが手に何かを握っていた。

「これか……」

掌に収まるサイズの小さく丸いモノが握られている。

「これは?」

私が聞くと、戯のかわりに松恵さんが答えてくれた。

「それは、根付よ」
「その通り、鏡蓋根付のようだが……」

根付? あまり聞かない言葉だったので、松恵さんに小声で聞いてみると「巾着袋などに結び付けて帯の間に挟むと落ちてこないのよ」と教えてくれたが、やっぱりピンとこない!

「まぁ、日向(ひなた)の知識ではその程度なのだろう、気にするな」

その言い方、棘があって嫌な感じがする。
だけど、知らないのは仕方がないので、今は根付の使い方よりもこれがいったいどんな影響を及ぼしているのか知らなくてはならない。

「それで? その根付がどうしたの?」
「これは……珍しい、中のモノはどれも珍しい品が置かれていたが、これは特別珍しい。貴重というか」
「確かに、あの人は珍しいモノを集める趣味がありましたが……これは普通の根付に見えるわね」
「うむ、今更どうこうしてももう手遅れのようだ。今晩にでも現れるであろう」

何が現れるの⁉ ちょっと、急に話が変な方向に向かっている。
そんな得体のしれない存在が夜に現れると聞いて、背筋に嫌な汗が流れる感じがした。

「まだ時間がある。とにかく今は待つしかあるまい」
「だ、大丈夫なの?」
「誰に言っておるのだ? 邪推なことを申すでない」

正直言うと、凄く不安だけど……今は彼を信じるしかない。
私たちは、夜になるまで松恵さんの家で休むことにした。

第6話 coming soon