• 『雨の日の幽世』

  • 安東門々
    ファンタジー

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    梅雨の時期はいつも憂鬱な気分になりがちだったのに、今年は違った。 例年の梅雨とは違い、今年の篠突く雨は遠慮なく私たちの体を濡らしていく。 下を向きながら歩いていると、水たまりの中に電車が走っている。

第1話

憂鬱という言葉に彩は関係ない。
鮮やかな紫陽花の色合いも、カラフルな子どもの長靴も私には皆同じ色に見えてしまう。

「雨、嫌だな」

今年の梅雨はいつもの年とは違い、霧雨のような細く柔らかい雨ではなく、細いのに力強く私の身体を容赦なく濡らしていく。

「寒い……」

靴下まで濡れた足元を不快に思いながら歩いていると、大きな水たまりがある。
いつもなら避けて通るのに、その日はなぜか突っ切ってしまおうと思ってしまった。

「どうせ濡れているしね」

なぜか薄い笑が頬を吊り上げると、私はそのまま水たまりに足を入れようとしたとき、ふと何か光るモノが水たまりの中を移動していた。

「え?」

不思議に思い、スッと足を元の場所に戻すとマジマジと水たまりの中を見つめていく。
眼鏡に水滴がポツポツとあたるのも気にせず覗き込むと、光がとまり姿を確認できた。

「で、電車?」

私は驚いた。なにこれ? 幻でも見ているのだろうか?
水たまりのなかに電車が止まっている。そして、ゆっくり扉が開くとすぐに閉じてしまう。

私はずっとその過程を見つめていた。だってそうじゃない? 周りには民家しかないのに、駅だって遠く線路もない。
そんな場所になぜ電車があるの? 立ち止まっているのに肩が濡れだしていく。

自分の熱と雨が混ざり、ぼわっとした熱が体の周りを纏っていった。
そうこうしているうちに、電車はまた走りだしていく。

「な、何が起こったの?」

不思議なことがあるものだ。これはもしかすると、夢なのかもしれない。
そう思って顔を上げようとすると、不意に目の前から声がかけられた。

「ほう、面白い。お主見えるのか?」

ハッとし、急いで顔を上げるとそこには狐のお面を被った男性と思われる人が立っている。
服装は紫陽花色の着流しに、紺色の帯をしている。
声の感じから男性であるのは間違いないけれども、低く優しい感じの声色をしていた。

「え? え?」

不審者? 私が最初に思い浮かんだ言葉はそれだった。
狐のお面を被った人物は私をマジマジと見つめて、フムフムと言いながら頷いている。
私は体が動かず、言葉も出てこない。
ただ、不思議と思考はしっかりとしており、お面の人物に降り注ぐ雨は彼の体を濡らすことなく、スッと着ている服に吸い込まれていく。

「私の声が聞こえるかね?」

コクリと頷くと、ピョンとその場で飛び跳ねクルっと一回まわりすると、また私を見つめてくる。

「そうかそうか、これは嬉しいことだ」

パンッ! 手をあわせて叩くと、ふっと身体が軽くなる感覚の後に声が出せるようになっていた。

「え、えっと……あなたは?」

「私かね? 戯(そばえ)と申す。あなたの名を教えてくれないかね?」

「私は……日向です。御山洗(おやまあらい) 日向(ひなた)です」

「おぉ、なんとも良い名ではないか」

「あ、ありがとうございます」

何が楽しいのか、表情はわからないけれども声のトーンが明るいので、きっと機嫌は悪くないと思う。
それに、自分の名前を褒められたのは初めてだった。
まず、苗字をすんなりと覚えてもらった記憶がまるでない。

「それで、私の住む世界が見えたと思うが、そんなあなたに頼みたい事がある」

頼み? いったい私に何を頼むというのだろうか? そもそも、こんなに怪しい人の話をなぜ真剣に聞く必要があるのか疑問でしかない。
だけど、なんだろう。不思議なことに怖いや恐怖といった感情は芽生えてこなかった。
それに、狐のお面の人が言っていた【住む世界】という言葉がどうしても気になってしまう。

「頼みって、いったい私に何を期待しているのですか?」

「なぁに、恥ずかしいのだがね。火を無くしてしまったのだよ」

ひ? 言葉の感じから【ひ】とは、火のことを指しているように思える。

「ひって、あのぼうぼう燃える火のことですか?」

「そう! その火だよ。私のは特別でね。照らすための火なのだが、先日この現世(うつしよ)でちろっと遊んだときにどこかに置いてきてしまってね。困ったものだ」

「では、遊んだ場所に行ってみて探してみてはどうですか?」

現世という言葉にひっかかりを覚えたが、今は話を進めることが先決だった。

「そうしたのだが、どうも見つけられない。おそらく現世の住人が持って行ってしまったのだろう……」

「火を持っていくのですか?」

コクリと頷いて、ヤレヤレといった仕草をしている。

「火なんて、どうやって持って行くんですか? 絶対怪しい人にしかみられませんよ」

無論、今私の目の前にいる人も十分怪しいというツッコミは現段階では無視することにしていた。

「確かにその通り、だが、本来なら現世の住人には私の火は見えないのだよ。それが取られたということは、日向のように特別な力があるのかもしれない」

私に特別な力がある? そんなことは初耳だ。それにサラッと呼び捨てにされているのも気になるし、確かに私の苗字は言いにくいと言われたこともあるし、覚えにくいとも言われた経験があった。

だけど、今起きていることに対しすべてに反応していてはダメだと私は理解している。

「頼めるかね?」

「私に不思議な力があるとおっしゃいましたが、本当にあるのですか?」

「問題ないよ。現に、私と会話をしているではないか、私はあなたたちが言うところの、そうだなぁ……幽世と言えば通じるだろうか? 少し違うが、まぁ現世とは違った世界の住人だということだけ理解してくれたまえ」

つまり、別の世界の住人と平気で会話をしている私には十分に特別な力が備わっているということで間違いないだろう。

だけど、手伝うのかは別だった。

「こちらに何かメリットってあるのですか?」

「なんと! そんな俗物的な考えではダメだぞ、もっとこう奉仕の精神というか……」

「そうですか、先を急ぎますので、失礼しますね」

一歩動き出そうとしたとき、またパンッ! と、綺麗な手を叩いた音が聞こえてくる。
すると、また私の体は動かなくなってしまった。

「頼む、この通りだ。私から差し出せるものは何もないが、どうか、頼む協力してくれないか、この現世では私はほとんど何もできないうえに、知識も乏しい、何卒よろしくお願い申し上げる……」

丁寧に頭を下げてくる。

口だけは動くので、大きなため息を一つつくと一言「いいわよ」
それを聞いたお面の男性は喜び、手を二度叩くと体が動き出した。

「ちょっと、その勝手に体の動きを止めるのやめてくれませんか?」

「ふむ、善処しよう。それよりも、引き受けてくださりまことに感謝する。そ、その先ほど私から何も差し出せないと申したが、些細なことでよければ、どうだ? 心地が違うであろう?」

戯と言った人、いや、人なのかもわからないが、また変なことを言い出した。
心地? 何の心地なのだ……ろ? あ、あれ?

私は足元に違和感を覚えてぺちゃぺちゃと歩いてみると、先ほどまで不快だった濡れた靴下の感覚も無くなり、さらにぼわっとした中途半端な熱も周りから無くなっている。

「え? な、なにこれ?」

「いや、日向は随分と雨が嫌いだったようでな、取り除いた」

試しに手を傘から出してみると、雫が触れたかとおもうと、何もなかったかのようにスッと消えていく。

正直凄いと思った。震えながら傘を閉じると、雨が全身に降り注ぐが私の体温はそのままを保ち続けている。

「す、すごい!」

「喜んでいただけたかな? まぁ、なんだ。よろしく頼むぞ」

彼が差し出した手、細くそして柔らかそうな指先に私は自分の手を差し出して握り返した。

2話 coming soon