• 『じ・ゐなかくさぞうし』

  • ヒロ・ミエノ
    ファンタジー

    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

    人口800人程の小さな田舎町で続く“追い剥ぎ”。後期高齢者、団塊世代、移住者、知的障害者。置き去りにされた限界集落で生きる彼らの前に起こった、現代の御伽草子と田舎の実情を描く──。

第1話 追い剥ぎ

「小野産業の社長が追い剥ぎに遭ったっぽいんですよ」

店主の言葉に、どうせまた酔っ払って脱いだのだと、和尚は半ば呆れたように笑った。ましてや追い剥ぎなど、このご時世あり得ない。

寂れた田舎町の喫茶店の午後、古いエアコンの唸りの中に、ミルを回す音がカラカラと響く。夏の盛りはとうに過ぎたとは言え、残暑は店の波スレートの屋根を今も焦がし続けている。

「いやホントですって! でも……」

笑う和尚に不服そうな店主は、ケトルの湯を注ぎつつ、何かを言いかけて口をつぐんだ。

和尚は煙草に火をつけ、昨夜のものであろう吸い殻の入った灰皿をたぐり寄せた。珈琲の良い香りが立ち上る。冷蔵庫のコンプレッサーが低く音を鳴らし始めた。

「でも、裸はまだ良かったんです、いつものことなんで……」

店主は口を開いたかと思うと、滴の落ちるドリッパーを睨んだまま、再び押し黙った。

カウンターの端に、誰かが持ってきたものであろう、ラップのかかったおはぎが置かれている。和尚はそれを手に取り、つくづくと眺めた。美しいおはぎであった。

「まぁ、いつものことでしょうけど……他に何かあったんですか? 」

おはぎの皿を戻しつつ、和尚は店主に訊ねる。

「いやぁ……靴下まで脱いでてね。でも、服がどこにも見当たらないんです……」

店主は、氷の詰まったグラスに珈琲を注ぎながら和尚にそう答える。

小野社長は社員の面倒見もよく、ユーターン者や震災以降の移住者、不登校の学生の積極的な採用など、地域への貢献も高く買われていた。だが、いかんせん酒癖が悪い。店主も和尚も、幾度となくそれに遭遇している。度を越した悪絡みもしばしばで、物を投げる癖もあった。この喫茶店の壁にもその痕が遺る。

7月末に祭りがあり、今年は神主と宮総代だけで執り行ったのだが、どうもそれが面白くなかったらしい。宮総代の一人でもある小野社長は、神事の後にこの店で悪酔いをして一騒動起こしていた。

「わりがん本気見しちみよっ!われ神主ゃろがやっ!なんかあんテイタラクはっ! 」

呼び出した神主に説教を始めたのだ。その時も裸であったと店主は言う。壁の傷の一つはその時のものである。

明らかな悪絡みではあるが、それはいつも、地域の未来を憂う彼なりの正義であった。意地でも筋を通す彼を(おもんぱ)り、地域の店のものは、誰も彼を無下には出禁にできないでいた。

店主は、壁の傷を見つめながら、和尚にこう言う。

「普段だったらね、道で脱ぎ散らかした服は奥さんが持って帰るんですよ、社長は放っておいても」

しかし、奥さんは娘さんのお産で福岡へ出かけていて不在だと言う。ならば誰が持って帰ったのか。あるいは盗んだのか。

人口は800人程度の小さな集落である。その上、高齢化率は60%に近い。年寄りしかいない夜の早いこの町に、好き好んで小野社長の作業服を持って帰る者などいない。

冷蔵庫のコンプレッサーが止まった。古いエアコンは精一杯に冷気を吐いている。和尚は頭のタオルで汗を拭い、店主の目線の先の壁の傷に目を遣った。

「こんな話、聞いたことあります? 」

和尚は話をはじめた。

「いつかニュースでやってた雪山で遭難した姉妹の話。捜索に出るんですけど、発見されたときは既に死亡してて。ただその様子が、面白いって言うと語弊があるかもですが、興味深いと言うか」

店主はカウンターの内側のスツールに腰をおろし、和尚の話に耳を傾ける。

「家の間取りと同じように動いてるんですよね。玄関で靴を脱いで、お風呂にも入ってたっぽい。発見された現場は家の寝室に当たる場所。雪の上に、そんな形跡が見られるんですって」

カラリとグラスの氷が傾いた。和尚は二本目の煙草に火をつける。つられて店主も煙草を吸い始めた。店主は三たび何かを考え込むように沈黙する。

「人間って死の直前になると、多幸感をもたらす脳内麻薬が出るらしいんですよね。狐や狸に化かされるって昔話は、このことなのかなって思ったりするんですよね」

和尚の言葉に、店主は何度も大きく頷く。

「社長も半分夢でも見てたか、あるいは狐か狸に化かされたか。服もその辺に畳んで置いてあるんじゃないですか? 」

半笑いの和尚に、店主は結んでいた口を開く。

「実は……社長の股間に、里芋の葉っぱが一枚引かれてあって……」

吹き出す和尚に店主は一瞬、不機嫌そうに口を尖らせた。

「ま、狐も狸も人に化けて出てくれれば、この町も賑わうんですけどね。じゃお勘定で」

和尚は、店主の話を反芻しながら原付自転車を走らせた。店の前には集落唯一の信号機があり、小野社長は、その交差点の先で倒れていたらしい。追い剥ぎ。芋の葉。財布はそばに置かれており、腕時計も盗られておらず、この件は警察には届け出をしていないと、帰り際に店主は言っていた。芋の葉っぱ一枚など、ある種の愉快犯であろうか。いや、どうせ自分で脱いだに違いない。その姿を想像して、和尚はヘルメットのシールドの内側で、独り笑いをした。

外の気配は確実に秋へと歩を進ませ、膨らみ始めた稲穂を、風が優しく撫でていた。畔には、時を違えず彼岸花が咲き並んでいる。田に引かれる最後の水の音と、弱々しい法師蝉の声に、和尚は終わり行く夏を感じていた。

田の中には、よくできた案山子が立っている。まるで本物の人間が作業をしているようであった。市役所の出張所の前には、〝かかしまつり〟の看板とともに、何体もの案山子がある。公民館活動の一環で、それこそ小野産業の社長も張り切って、この〝地域おこし〟活動に参加していた。人口の六割の高齢者のうち、後期高齢者は半数以上。田舎の地域自治は、そんな彼らが担っている。

側道に止めたシニアカーから、運転手の老人が体を乗り出し田を眺めている。モミジマークの軽トラが、それを大きく避けてトロトロと進んで行った。

墓地には、少しずつ新しい生花をあがりはじめていた。寺へと戻ると、玄関の(かまち)に小さな重箱が置かれてあるのが和尚の目に入った。中身はラップのかけられた美しいおはぎであった。

〝どうぞお召し上がり下さいませ。光子〟

95歳になるお檀家さんからであった。先ほどの喫茶店のおはぎと同じように、南天の葉のあしらいがされてある。手押し車を押しながら、配って歩いているのであろうか。

「狐か狸に化かされる、か……」

和尚はおはぎを冷蔵庫にしまいながらそう呟き、昨日の夕方のある出来事を思い出していた──

第2話 兄弟

若干の涼しさにも、境内の桜は敏感にはらはらと葉を落とし始めていた。秋の予感のする中、ただ百日紅だけが夏の名残を惜しむように、空に静かに燃えている。

彼岸の入りのこの日の夕刻、和尚は墓地の掃除へ出ていた。真夏の暑さはやわらいだとは言え、日中の残暑はまだ厳しい。朝か、あるいは陽が西の山に隠れ始めた頃でないと、田舎の仕事はできない。

和尚は、慣れた手つきでブロワーのスターターを引いた。田の畔に数人、草刈機をぶんぶんと振るのが見られる。下手な楽団のチューニングのような賑やかな音に混じるべく、和尚はスロットルレバーを握った。

落ち葉が舞い上がる。緑と黄。黄と朱。落ちたばかりの桜の葉のグラデーションが美しい。

境内にある地蔵堂の竹の花筒には、新しい花が綺麗に生けられていた。ここの花は、いつも絶えることがない。お堂の中には6体の地蔵が、先月の地蔵盆で替えられたばかりの真新しい赤い前掛けと帽子を身につけ鎮座している。

お堂の維持管理は、数人の信心深いご婦人たちに任されていた。いずれも高齢で、若い時に子を亡くした方ばかりだ。

ここは掃除の必要もなかろうが、念のためお堂の中を一回り見遣ると、それぞれの地蔵の前に小さなパックに入れられた豆おこわが供えられている。

触るとまだ温かい。ほんの今しがた、どなたかがお供えしたようである。しかし、このまま置いておくわけにもいかず、和尚はそのおこわを寺へと持って帰った。

陽も落ちかかり、和尚は鐘楼へと玄関に降り戸を引いたところ、そこに3人の子供が立っていた。この辺りで見ない顔ではあったが、近頃越してきた移住者の子であろうと、和尚は察した。

1人は中学生か、そして取り合うように農業用コンテナを抱える2人は、小学校低学年くらいのふうである。兄弟であろうか。

「どうしたん? 」

思いがけぬ来客に驚きつつ、和尚は声をかける。長男であろう1人はつま先で小石をいじり、小さい2人ももじもじと(うつむ)いたままで、返事はない。

コンテナの中身は、誰かに言付かった野菜か何かか、うす汚れたタオルがかけられている。

「お届け物?誰かに頼まれたん? 」

と、和尚がコンテナに手をかけようとしたとき、

「あ……あの……」

腫れぼったい目の小さい方の1人が、今にも泣きそうな震えた声で口を開いた。

「狸が死んでたんです。お(とむら)いをしてください」

長男が、しっかりとした声でかぶせてくると、小さい2人は声を殺し、うぐうぐと泣き始めた。タオルをめくると、毛もまばらになった狸の死骸が眠っていた。

懐いた狸が死んだのだと、長男は言う。餌付けをして半分飼っていたのだが、近頃になって病気に(かか)ったのか、毛が抜け始めたらしい。

病気のせいか目も見えなくなったようで、のろのろと徘徊めいた動きもあり気がかりであったが、先ほど家の前の道路で車にはねられ倒れていたところを発見したのだとか。

田舎では、そのような狸をしばしば目にすることがある。昼間にひょいと出てくる狸は、大体が病気に罹っている。だが、昼間に車にはねられて死ぬことがあろうか。なんせ年寄りしかいない集落である、気付かずに()いたのかもしれない

「じゃあ、お墓を作ってあげようか」

和尚はスコップを持ち出し、3人を連れて墓地へと向かった。

山際にぽつぽつと咲いた彼岸花のわきの適当な場所を指示すると、長男は率先してスコップを握り穴を掘った。薄暮れの中、完成した墓穴に狸を葬ろうと、弟たちは争うように手を伸ばすが、

「どけっ! 」

と、兄が間に割って入り、狸を優しく抱きかかえて、その穴へ葬った。

掘り返した土をかぶせながら、顔中をくしゃくしゃにして泣く弟らに、

「泣くなっ! 」

と兄は叱る。ぴくっと2人は泣くのをやめ、しばらく鼻水をずるずると啜り上げる音と、ぱさっぱさっと土をかける音だけとが墓地に響いた。土をかぶせ終わると、2人は我慢できなくなったのか、今度はおいおいと声を上げて泣き始めてしまった。

和尚はしばらく、その様子を見守った。長男も、弟たちの気の済むまで待つつもりのようであった。辺りは、もうほとんど暗闇であった。

「明日でいいから、川でお墓の石を拾っておいで」

和尚が声をかけると、2人の弟は目を見合わせた。すると、我れ先にと一目散に川の方向へ駆けて行ってしまう。

「おいおい!もう暗いから!怪我するから! 」

そう声をかけるも、2人は聞く耳を持たず暗がりへ消えていった。兄は、とんとんと素手で丁寧に土を固めている。

川の方から、わぁわぁと声が聞こえたと思うと、2人はすぐに戻ってきた。息を切らし、お互い両脇に石を抱えている。和尚はそのうちの1つを据え、短いお経を唱えた。

和尚は内心で、この3人の兄弟に感心していた。お弔いをしてください、などは子供の口から出る言葉ではない。

また、懐いていたとは言え野生の狸である。寺にまで来て丁重に葬るその心に、僧侶ながらに頭の下がる思いであった。

ぐぅ、と誰かの腹の音が聞こえた。もう午後7時に近い。

「ちょっとお寺に寄りよ」

和尚は3人を寺の玄関に招いた。

灯りに照らされた3人は、ひどく汚れている。おそらく、墓地で汚れただけではなかろう。シャツの襟首もくたくたである。有り体に言えば、みすぼらしい。和尚は少し、彼らの家庭のことを心配した。

「帰って食べてな」

お参りでいただいたお菓子と、地蔵堂からひいてきたばかりの豆おこわを3つ手渡すと、2人の弟は嬉しそうにはにかむ。

「和尚さん……」

長男が神妙な顔で和尚に訊ねる。

「あの狸は……死んだら、どこに行くんですか……」

「そうな。いいとこ行って欲しいわな? 」

3人は頷く。

「49日の間は、魂みたいなんはまだこの辺をうろうろしよるんよ。それから次の世界に行く……あんたたちの願いが強くてきれいやったら、いいとこ行けるやろな……」

和尚は少し考え、兄弟に問う。

「49日間、毎週お参り来る?今度の日曜日、今頃の時間、また来れる?」

3人は顔を見合わせると、長男は、

「はい」

と、代表して答えた。

見送りに出た外はすっかり夜気が降り、秋の虫が鳴いていた。白い常夜灯は地蔵堂の中を仄暗く照らし、くすんだ千羽鶴とはっきりとした赤い色の前掛けを浮かび上がらせている。

物珍しそうに中を眺める兄弟に、和尚はこのお堂の由縁を説き、終わりにこう言った。

「自分の子供の代わりに、前掛けやらをお地蔵さん託してに着せてやりよんのよ。供養のカタチ、思いのカタチやな」

和尚と薄汚れた兄弟の顔が、鏡のように磨き上げられたガラス戸に映った。中からは、赤い帽子を目深に被った6体の石の地蔵が、慈悲の眼差しで4人を見つめ返している。

不意に1人が、くしゅんとくしゃみをした。

門前で兄弟は揃ってくるりと振り向き、ありがとうございました、と頭を下げる。和尚は思い出したように名前をたずねると、少しの沈黙の後、長男は

「タナカです……」

と、こたえた。弟2人は、顔を見合わせて何か笑っているようである。

(きびす)を返し駆け出す兄弟の足音が、闇に消えていく。小さいくしゃみが1つあり、笑い声が夜に遠く吸われていった──。